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憲法を大事にし、音楽を愛し、原発を無くしたいと願う多くの人と繋がれるブログを目指します

学習交流会「どうする!原発のゴミ-高レベル放射性廃棄物の最終処分-(講師:末田一秀氏)」(7/21和歌山県平和フォーラム)のご案内

 2017年7月15日配信(予定)のメルマガ金原.No.2874を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
学習交流会「どうする!原発のゴミ-高レベル放射性廃棄物の最終処分-(講師:末田一秀氏)」(7/21和歌山県平和フォーラム)のご案内
 
 昨日の伊藤宏さん講演会(7/17)に続き、今日から始まった3連休のブログの話題も、和歌山での行事案内で埋まりそうです。
 正直言って、自分でテーマを設定し、そのテーマに沿った素材・資料を収集し、自分の考えをまとめて文章化するというようなことが毎日出来るはずはなく、行事案内や動画紹介、TVドキュメンタリー番組の案内などの合間に、時々力の入った記事が書ければ上出来というものです。
 そういう意味から、「澤藤統一郎の憲法日記」には驚嘆せざるを得ません(とても真似はできない)。
 
 今日ご紹介する企画は、和歌山県平和フォーラムが今度の金曜日(7月21日)に開催する学習交流会「どうする!原発のゴミ-高レベル放射性廃棄物の最終処分-」です。
 以下にご紹介するチラシの記載によると、「高レベル放射性廃棄物処分場の「適地」が近く(8月にも?)政府から公表される予定です。」とのことで、「えっ!もうそんなところまで話が進んでいたの?」と驚いた方も多いのではないでしょうか。私もその1人です。
 チラシに、「国が科学的根拠に基づき、より適性が高いと考えられる地域(科学的有望地)を提示する」とした2013年12月の最終処分関係閣僚会議が示した方針については、以下の資料をご参照ください。
 
高レベル放射性廃棄物の最終処分に向けた新たなプロセス
平成25年12月17日 経済産業省(第1回最終処分関係閣僚会議資料)
 
 国が、以上のような方針を打ち出したこと自体は私も耳にしていましたが、その後の「科学的有望地の提示」に向けた国の動きがどうなっているのかについてのフォローを怠っていたため、昨日届いた和歌山県平和フォーラムのチラシを眺めながら、いささか呆然としています。
 とはいえ、今から、2013年12月の最終処分関係閣僚会議が示した方針、そして、2015年5月の閣議決定「特定放射性廃棄物の最終処分に関する基本方針」を経て、どのような検討がなされてきたのかを跡づけるのは容易なことではありません。
 幸い、経済産業省 総合資源エネルギー調査会 電力・ガス事業分科会 原子力小委員会 放射性廃棄物ワーキンググループの委員である伴英幸氏が「原子力資料情報室通信」第515号(2017/5/1)に書かれた論考「科学的有望地の顛末」が、原子力資料情報室ホームページに転載されていますので、これであらましの経過を頭に入れることができます。もっとも、一読しただけではすっきりと呑み込むのは難しいかもしれませんが。
 
 ところで、21日の学習交流会で講師を務められる末田一秀さん(「はんげんぱつ新聞」編集委員)は、たしか3.11からそれほど間のない時期に和歌山で講演されており、私も聴講したはずです。末田さんの共著書『福島・柏崎刈羽原発震災―活かされなかった警告』(七つ森書館/2011年6月刊)が私の書庫にあるので間違いありません。
 末田さんは、「環境と原子力の話」というホームページを運営されており、「放射性廃棄物を考える」というコーナーもありますので、是非参考にしてください。
 
 それから、昨日、主催者である和歌山県平和フォーラムの藤原慎一郎さんが、私の事務所までチラシを届けてくださった際、一緒にA5版・40頁の小冊子『どうする?原発のゴミ 高レベル放射性廃棄物の最終処分問題を考える』(頒価300円/2017年6月3日発行/原子力資料情報室・原水爆禁止日本国民会議・反原発運動全国連絡会発行)も1冊進呈してくださいました。
 タイトルを一読すればお分かりのとおり、7月21日の学習交流会のタイトルは、この冊子からの転用です。以下に、冊子の構成と執筆者をご紹介しておきます。
第1章 高レベル処分場の危険性(末田一秀)
第2章 どのように処分地を選ぼうとしているか(伴英幸)
第3章 誘致の動きを封じ、脱原発へ(末田一秀)
第4章 地下研究施設の教訓(久世薫嗣、兼松秀代)
 もしかすると、太っ腹な和歌山県平和フォーラムのことですから、21日の参加者全員にこの冊子が無償配布されるかもしれません。仮にそうでないとしても、もしも会場販売していれば、300円出して購入する価値は絶対にあると思います。 
 それでは、チラシから学習交流会の文字情報をご紹介しましょう。
 
チラシから引用開始)
学習交流会
どうする!原発のゴミ
-高レベル放射性廃棄物の最終処分-
 
日時 2017年7月21日(金)開場18:00 開会18:30
場所 和歌山県勤労者福祉会館プラザホープ4階ホール
     和歌山市北出島1丁目5-47 TEL:073-425-3335
 
講師 末田一秀さん 「はんげんぱつ新聞」編集委員
 
 核のゴミ、高レベル放射性廃棄物処分場の「適地」が近く政府から公表される予定です。
 政府(最終処分関係閣僚会議・2013年12月)は、「国が科学的根拠に基づき、より適性が高いと考えられる地域(科学的有望地)を提示する。その上で、国が前面に立って重点的な理解活動を行った上で、複数地域に対して申し入れを実施する」と決定しました。
 この夏にも公表されるのではと伝わっています。
 そこで地層処分の問題点やこれまでの政府の流れ、どのように対応していけば良いのかを考える会を企画しました。参加を呼びかけます。 
 
主催 和歌山県平和フォーラム
お問い合わせ TEL:073-425-4180(和歌山県平和フォーラム)
(引用終わり)
 
(参考法令等)
 
(参考資料)
平成27年(2015年)4月24日 日本学術会議
「高レベル放射性廃棄物の処分に関する政策提言-国民的合意形成に向けた暫定保管」(高レベル放射性廃棄物の処分に関するフォローアップ検討委員会)
 
(参考動画)
IWJ④ 末田一秀氏講演会「防災・避難計画と震災ガレキの今」 2015.2.21
女川原発防災計画の問題点 末田一秀氏(1時間16分)
※2013.2.9仙台市民活動サポートセンター「住民の安全は守られるのか・女川原発防災計画の問題点を考える」
末田一秀先生講演会20141213ゴミ連@塩谷中アリーナ 1 主催者・来賓挨拶(20分)

末田一秀先生講演会20141213ゴミ連@塩谷中アリーナ 2 講演(1時間26分)

末田一秀先生講演会20141213ゴミ連@塩谷中アリーナ 3 質疑応答(21分)

※【塩谷町指定廃棄物最終処分場問題】末田一秀氏講演会
日時:2014年12月13日(土)14時~、場所:栃木県塩谷町塩谷中学校アリーナ、主催:栃木県ゴミ連絡協議会、共催:塩谷町指定廃棄物処分場反対同盟会、後援:塩谷町塩谷町議会
 
(弁護士・金原徹雄のブログから/高レベル放射性廃棄物関連)
2012年10月1日(2014年1月18日再配信)
2012年12月31日(2013年2月13日再配信)
2014年10月3日
2015年2月19日
2016年1月2日
2016年10月11日

「伊藤宏先生~教えて!?憲法はどうなるの?どう向き合ったらいいの?」(7/17キリスト者9条ネット和歌山の集い)のご案内

 2017年7月14日配信(予定)のメルマガ金原.No.2873を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
「伊藤宏先生~教えて!?憲法はどうなるの?どう向き合ったらいいの?」(7/17キリスト者9条ネット和歌山の集い)のご案内
 
 私は、自分のブログで、地元・和歌山(和歌山市中心になってしまいますが)で開催予定の意義深い企画をご案内することも重要な使命と考えているのですが、私のもとに必ず案内が届くシステムがある訳でもなく、間際になってようやく開催を知ることも珍しくありません。そのような場合は、残念ながらスルーすることが大半なのですが、7月17日(月)の「海の日」に開催される伊藤宏さん(和歌山信愛女子短期大学教授)の講演会はそういう訳にはいかないだろうと思い、3日前ではありますが、ご紹介することにしました。
 
 末尾にリストアップした「弁護士・金原徹雄のブログ」で取り上げた伊藤宏さん関係の記事をお読みいただいた方にはご説明の必要もありませんが、伊藤先生は、1962年10月埼玉県生まれ。「共同通信青森支局時代、六ヶ所村核燃料サイクル基地問題の取材中、警備員ともみ合う反対派をフェンスの内側から見ている自分に気づき、「自分の居場所は違う」と直感。その日のうちに辞表を書いたという「熱い記者魂を持った男」」と新聞うずみ火ホームページで紹介されています。
 その後、プール学院大学短期大学部助教授を経て、現在、和歌山信愛女子短期大学教授であり、本務校ホームページの研究者情報には、「研究内容・研究テーマ 原子力報道の検証、原子力政策および地域振興策等の検証」とある他、「入試部長」との肩書きが書かれています。
 実際、伊藤先生のFacebook(ほぼ全ての記事が公開設定になっています)を拝見すると、「入試」に限らず、様々な校務をこなすため、連日走り回っておられる様子がよく分かります(おまけに、毎日大阪と和歌山の間を通勤されているのですから大変です)。
 また、和歌山放送(ラジオ)の朝8時半からの帯番組「ボックス」の金曜日のレギュラーコメンテーターも務めておられますから、和歌山県民には、「あの和歌山放送に出ている信愛の先生」ということでよく知られているかもしれません。
 余談ながら、以下にご紹介する「キリスト者9条ネット和歌山の集い」のチラシに使用されている写真に比べ、現在の伊藤先生は、はるかにスマートになっているはずです。私自身、ここ何ヶ月かお目にかかっていないのですが、一念発起してダイエットに挑戦された効果は、Facebookに掲載された写真を見れば一目瞭然です。
 
 伊藤先生といえば、ご自身のFacebookの自己紹介欄に「原子力報道の検証、怪獣ゴジラウルトラマンの研究がライフワークです。」と明記されているほど、ゴジラについて深く研究されていることは、私のブログに全文掲載させていただいた論文「ゴジラが子どもたちに伝えたかったこと」(2005年)をご一読いただければ、直ちに了解してもらえるはずです。 
 7月17日の講演は、ゴジラではなく、憲法がテーマですが、どんなお話がうかがえるのか、とても楽しみです。
 「キリスト者9条ネット和歌山の集い」であり、チラシを読むと「始めの祈り 聖書から」「終わりの祈り」などと書かれていて、「キリスト教信者でないと参加できないのだろうか?」と思われるかもしれませんが、そんなことはありません。この企画を私のFacebookでご案内したところ、チラシの(問い合わせ先)となっているシスター田村悠紀栄さんから、「教会はどなたでも大歓迎ですので、ご都合つく方はどうぞおでかけください。」というコメントをいただいています。
 私も、過去に「キリスト者9条ネット和歌山の集い」で講師を務めたことがありますが、田村シスターのお言葉通り、信者でない方でも歓迎していただけることは間違いありません。もちろん、講師や参加者の皆さんに対する敬意と礼節を弁える必要があることは言うまでもありませんけれど。
 
  それでは、以下にチラシ記載の情報を転記します。間際のご案内ではありますが、是非多くの方にご参加いただければと思います。
 なお、信徒会館は屋形町教会の向かって右側の建物でホールは1階です。
 
(チラシ文字情報から引用開始)
キリスト者9条ネット和歌山の集い企画
伊藤宏先生~教えて!?
憲法はどうなるの?どう向き合ったらいいの?
~第1条の「天皇」も、第9条の「戦争放棄」も、
そして第20条の「信教の自由」も・・・~」

伊藤宏先生のプロフィール
1962年生まれ。埼玉県出身。元共同通信社記者。プール学院大学准教授等を経て和歌山信愛女子短期大学教授。「日本国憲法」「地域社会学」「情報文化論」等。専門はメディア論、ジャーナリズム論、情報メディア論。
著書に『一揆・青森農民と核燃』(築地書房)『子どもへの視点』(聖公会出版)等。論文に『日本の原子力報道』『ゴジラが子どもたちに伝えたかったこと』等
 
日時 2017年7月17日(月・祝)
 14時00分~ 始めの祈り 聖書から 参加者の思いなど
 14時20分~ 講演(お話)
 15時30分~ 休憩をはさんで質疑応答。分かち合いなど
 17時00分~ 終わりの祈り。アピール・お知らせなど 
会場 カトリック屋形町教会 信徒会館ホール
    和歌山市屋形町3丁目33(TEL:073-425-1069)
 アクセス:JR和歌山駅より
 *バス2番乗り場または3番乗り場~
  三木町新通り下車、屋形町通りを南へ約300M
 *タクシーなら和歌山信愛女子短期大学付属幼稚園南隣まで 約5分
参加費 1コインのカンパ大歓迎
 
問い合わせ先:090-5670-7157(田村)
主催:キリスト者9条ネット和歌山(代表 太田勝)
(引用終わり)
 
(弁護士・金原徹雄のブログから/伊藤宏さん関連)
2016年10月25日
2017年1月27日
2017年1月28日
2017年2月5日

「大学人と市民のつどい 自由が危ない―表現・思想・学問の自由」(7/9学者の会)の動画を視聴する

 2017年7月13日配信(予定)のメルマガ金原.No.2872を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
「大学人と市民のつどい 自由が危ない―表現・思想・学問の自由」(7/9学者の会)の動画を視聴する
 
 自宅のパソコン(及びメールアカウント)が不調となり、現在、「メルマガ金原」の配信を一時休止中(7月6日以来)なのですが、休止前に、「なお、万一、「メルマガ金原」が届かなくなりましたら、復旧までの間は、ブログ版でお読み下さるようにお願いします。」とメルマガ読者にお願いしていましたので、休止以降、ブログへのアクセスが少しは増えるかと思いきや、アクセス数に有意な変化は認められず、「ブログにアクセスしてまで読もうという読者はほとんどいなかった」という事実を突き付けられ、いささかがっかりというところです。まあ、皆さん忙しいから仕方がないですけどね。ということで、「メルマガ金原」の配信を休止してからも、メルマガの通し番号は付番し続けているものの、これもいつまで続けるか思案中です。メルマガ配信を休止してから、確実に1時間は睡眠時間が増えましたので、もしかしたらこのまま休止状態が永続するかもしれません。
 
 というような力の抜ける話題はさておき、しばらくシンポや講演の動画をチェックするのを怠っている間に、だいぶ重要な動画がたまっていました。
 今日は、そのうち、「安全保障関連法に反対する学者の会」が7月9日(日)に開催した「大学人と市民のつどい 自由が危ない―表現・思想・学問の自由」(於:早稲田大学8号館106教室)をご紹介することにします。複数の動画が見つかりますが、以下には、「学者の会」ホームページにアップされていた公式動画をご紹介します。
 「大学人と市民のつどい」とあるとおり、前半では、4人の著名な学者の皆さんが20分ずつ、ご自身の専門分野から重要テーマについて手短かに解説をされ、後半では、様々な立場からの意見表明が行われています。
 長時間の講演ではありませんから、物足りなく思う向きがあるかもしれませんが、そのような方は、それぞれに発言者の長目の講演動画を探すなどの努力をすれば良く、リレートークにはリレートークの良さがあります。ということで、視聴の便宜のため、各登壇者の発言についての目安時間を記載しておきますので、ご活用ください。
 
大学人と市民のつどい自由が危ない—表現・思想・学問の自由【前半】(1時間37分)

1分~ 開会挨拶 広渡清吾氏(東京大学名誉教授)
リレートーク
8分~ 中野晃一氏(上智大学教授)「現代政治と市民の自由」
30分~ 岡野八代氏(同志社大学教授)「フランスの今から見えること」
50分~ 高山佳奈子氏(京都大学教授)「共謀罪問題の本質」
1時間17分~ 青井未帆氏(学習院大学教授)「安倍改憲の危険性」
 
大学人と市民のつどい自由が危ない—表現・思想・学問の自由【後半】(1時間19分)

冒頭~ 吉岡 忍氏(日本ペンクラブ会長、作家)
15分~ 金平茂紀氏(ジャーナリスト)
32分~ 馬場ゆきの氏(大学3年)「未来のための公共」
43分~ 永田爽真氏(大学3年)「エキタス」
51分~ 長尾詩子氏(弁護士)「安全保障関連法に反対するママの会」
1時間02分~ 小原隆治氏(安全保障関連法の廃止を求める早稲田大学有志の会)
1時間10分~ 閉会挨拶 佐藤 学氏(学習院大学教授、東京大学名誉教授)

和歌山県下7団体共同声明「安倍首相による改憲発言についての声明」を今日(7/12)発表しました

 2017年7月12日配信(予定)のメルマガ金原.No.2871を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
和歌山県下7団体共同声明「安倍首相による改憲発言についての声明」を今日(7/12)発表しました
 
 本日(7月12日)午前11時から、和歌山県庁内の県政記者室において、「憲法9条を守る和歌山弁護士の会」など、和歌山県下で平和憲法を守る活動に関わってきた7団体が、「安倍首相による改憲発言についての声明」を発表するための記者会見を開きました。
その7団体は以下のとおりです。
 
 憲法9条を守る和歌山弁護士の会
 九条の会・わかやま
 9条ネットわかやま
 安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合わかやま
 憲法九条を守るわかやま県民の会
  和歌山県平和フォーラム
 平和と憲法を守りたい市民の声
 
 並べた順序は、共同声明を提案した憲法9条を守る和歌山弁護士の会を先頭に、あとは賛同の意思を表明した順としています。
 
 今日の会見に出席したのは、以下の5名でした(写真、向かって左から、由良さん、藤井さん、西村さん、松浦さん)。
 
藤井幹雄さん(弁護士)
 憲法9条を守る和歌山弁護士の会代表世話人
 9条ネットわかやま世話人代表
由良登信さん(弁護士)
 市民連合わかやま共同代表
松浦攸吉さん
 平和と憲法を守りたい市民の声代表
 市民連合わかやま共同代表
西村佳三さん
 憲法九条を守るわかやま県民の会事務局長
金原徹雄(弁護士)
 いろんな団体の広報担当

DSCN1699 記者からも質問がありましたが、安倍首相の改憲発言(改憲メッセージ)から2か月以上が経ったこのタイミングでの「声明」発表となった経緯を簡単に説明しておきます。
 末尾の(参考サイト2)に掲げたように、総がかり行動実行委員会が5月10日に、市民連合が5月16日に、立憲デモクラシーの会が5月22日にと、いずれも5月中に声明や見解を発表しているのに比べると、いかにも間延びしている感は否めません。
 一つには、「憲法9条を守る和歌山弁護士の会」が検討を始めたのが、月例会議が開かれた5月下旬であったこと、同会単独ではなく、出来れば多くの団体との共同で発表したいということで、呼びかけや、各団体内の機関決定の手続にそれなりの時間を要したことなどから、やむを得ずこのタイミングとなったという事情があります。
 それから、自民党の党内手続も全く無視した唐突な発言であったため、党内の意見のとりまとめにそれなりの時間を要するかと思いきや、2012年の同党・日本国憲法改正草案はどこへ行ったの?状態で、唯々諾々と総裁のご意向のままに改憲案をまとめる方針のようである上に、当初、来年の通常国会に提案というスケジュールが語られていたはずであるのに、これまたいきなり安倍首相(総裁)が、6月24日の神戸「正論」懇話会で、「きたるべき臨時国会が終わる前に、衆参の憲法審査会に自民党の案を提出したい。」と言いだしても、それに正面から異を唱える者がほとんどいない状態を見るにつけ、安倍政権の不可逆的崩壊を確認するまでは、当面、この「安倍改憲発言」路線に対峙することが最重要の課題であり続けるだろうと思います。
 従って、県下の諸団体が一致してその認識を共有し、対外的なアピールを行うタイミングとして、「7月12日」は決して遅過ぎることはないと考えます。
 
 それでは、以下に、本日発表した「安倍首相による改憲発言についての声明」全文をご紹介します(※PDFファイル)。
                                       
(引用開始)
                          安倍首相による改憲発言についての声明
 
1 安倍首相は、2017年5月3日、唐突に憲法9条について「9条1項、2項を残しつつ、自衛隊を明文で書き込む」、「高等教育を無償化する」ことなどを内容とする憲法改正を実現し、2020年の施行を目指すと発言した。
 しかし、憲法尊重擁護義務を負っている内閣総理大臣が、主権者国民や唯一の憲法改正の発議機関である国会の意向や論議を無視し、期日を切った改憲提言をすること自体、そもそも許されない。
2 その上、その改憲提言の内容そのものが、問題の多いものである。
 まず、9条1項、2項をそのまま残しても、自衛隊の存在を憲法上に明記することは、現行憲法のもとで自衛隊にかけられている9条1項、2項による規範の縛りを無効化してしまうことになる。
 すなわち、現行憲法は、9条1項で武力の行使を禁じ、2項において軍隊及び「その他の戦力」を保持しないものと定めている。ここから、これまでの政府解釈によっても、自衛隊は「戦力」に該当しない「自衛の目的のために必要最小限の実力」の範囲でしか憲法上認められず、海外への武力行使目的での派遣や武力の行使は禁じられてきた。そのため、自衛隊が行えるのは武力行使に当たらない活動と例外的な自衛のために必要な活動に限定されるとされてきたが、憲法上に「自衛隊」を明記すると、それらの制約が解かれ、逆に9条2項の「戦力不保持」の規範が無効化することになると言わざるを得ない。
 従って、安倍首相の9条改憲案は、現行の縛りの中での制約された自衛隊をそのままの形で認めることではなく、現行の9条1項、2項の縛りを解く手段として機能することになる危険な内容を孕んでいるのである。
3 また、安倍首相は、「高等教育の無償化」を憲法に明示するよう提言しているが、現行憲法のもとでも、財政措置さえ講じれば高等教育の無償化は可能であり、憲法改正をする必要はない。
4 わたしたちは、安倍首相の上記改憲発言に抗議し、世界の宝である憲法9条の改悪を許さず、次の世代に引き継いでゆく決意を表明する。
 
  2017年7月12日
 
    憲法9条を守る和歌山弁護士の会
    九条の会・わかやま
    9条ネットわかやま
    安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合わかやま
    憲法九条を守るわかやま県民の会
    和歌山県平和フォーラム
    平和と憲法を守りたい市民の声
(引用終わり)

(報道)
和歌山放送ニュース 2017年07月12日 19時21分
安倍総理大臣の改憲発言に市民7団体が抗議声明(写真付)
(引用開始)
 「憲法9条を守る和歌山弁護士の会」など、日本国憲法改正に反対の立場をとる和歌山県内7つの市民団体は、安倍総理大臣が行った「憲法自衛隊の存在などを明記し、2020年に改正憲法施行を目指す」との発言に抗議する声明をきょう(12日)発表しました。
 これは「憲法9条を守る和歌山弁護士の会」や「9条ネットわかやま」など7つの市民団体が共同で発表したものです。
 声明では、ことし5月3日の憲法記念日に、安倍総理が「憲法9条1項、2項を残しつつ、自衛隊を明文で書き込むことや、高等教育を無償化することなど憲法を改正し、2020年の施行を目指す」と発言したことに対して「憲法自衛隊を明記すると、9条2項の「戦力不保持」の規範が無効化される。高等教育の無償化も財政措置さえ講じれば可能で、いまの憲法を改正する必要は無い」と主張し、安倍総理の発言に抗議しています。
 憲法9条を守る和歌山弁護士の会の藤井幹雄(ふじい・みきお)共同代表は「安倍総理は、東京オリンピックの開催を理由に憲法改正を数の力で押し通そうとしているが、オリンピックは平和の祭典であり、政治利用するべきではない」と述べ、憲法改正に強い懸念を示しました。
 7つの団体は、自民党本部の安倍総裁や、和歌山県関連の全ての国会議員に宛てて、きょう、郵送で声明を送ることにしています。
(引用終わり)
 
(参考サイト1/安倍首相「改憲メッセージ」)
 
朝日新聞デジタル 2017年5月3日15時09分
憲法改正「2020年に施行したい」 首相がメッセージ
 
(参考サイト2/安倍首相改憲発言に抗議する声明等)
5月10日 
戦争をさせない・9条を壊すな!総がかり行動実行委員会 
安倍晋三首相の「2020年9条改憲施行」発言に抗議し、憲法の平和主義と立憲主義を守り抜くために全力で闘います
 
5月16日 
安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合 
「安倍改憲メッセージ」についての市民連合の声明
 
5月22日 
立憲デモクラシーの会 
安倍晋三首相による改憲メッセージに対する見解
 
 記者会見に出席した3人の憲法学者のうち、自衛隊合憲論者である長谷部恭男早稲田大学教授の発言の一部を引用します。
「今回の安倍提案が問題を情緒化しているだけで理性的な思考には支えられていないことは、仮に今回の提案が否決されたら一体どうなるのかということを考えてみればよくわかります。「現状を追認し、それを憲法に書き込むだけのことだ」ということですので、反転させてみますと、この提案が否決されてしまうと、「現状を主権者たる国民が否定をした」ということになります。従って、もはや、現状に戻ることはもうできません。どこに立ち戻ることになるのか。人によっては、それは集団的自衛権の行使が否定されたところに戻るのだということになるのかもしれませんし、PKO活動ももうできなくなるのだと。あるいはさらに言えば、自衛隊の存在そのものが否定されてしまったのだというふうに主張する人もいるだろうと思います。可決されることばかりを念頭において、否決された場合にどうなるのか。これをおそらく考えていないのではないでしょうか。現状では約6割の有権者は「9条に手を触れるべきではない」と言っているわけですが、否決される蓋然性は決して否定できないと思います。そうなりますと、収拾不能の大混乱がもたらされることになるのではないでしょうか。「情緒論に訴えかけて、何が何でも憲法を変えよう」という自身の願望を通そうとするあまり、国の安全保障を大きく損なう。そういう事態を招こうとしているのではないか。
 同じ日本国民である以上は、自衛隊員の尊厳は守られる必要があります。しかし、安倍首相の改憲提案というのは、是が非でも9条を変えたい。憲法を変えたいという自身の願望を遂げるための単なる手段として、この自衛官の尊厳、自衛官の誇りと自信というものを扱っているのではないでしょうか。「人を道具としてのみ、手段としてのみ扱うな」というカントの道徳原則に真っ向から反していると思います。人を単なる道具として扱う極みでありまして、「自衛官を道具扱いするのにも程があるのではないか」というふうに私は考えています。」
 

「自由なラジオ LIGHT UP!」最新アーカイブを聴く(065~067)~小出裕章さん、上杉聡さん、下重暁子さん

 2017年7月11日配信(予定)のメルマガ金原.No.2870を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
「自由なラジオ LIGHT UP!」最新アーカイブを聴く(065~067)~小出裕章さん、上杉聡さん、下重暁子さん
 
 「ラジオフォーラム」の事実上の後継番組として、昨年4月にスタートした「自由なラジオ LIGHT UP!」。このところ、3週間ごとにお送りしている番組アーカイブの「まとめ」紹介ですが、今日は、以下の3番組(065~067)をご紹介します。
 今回ご紹介する3人のゲストの皆さんは、いずれもじっくりお話に耳を傾けたいという気持ちになる方達が揃っておられますね。
 講演動画は、よく視聴する機会があるにせよ、小出裕章さんに対するまとまったラジオのインタビュー番組を聴くのは久しぶりのような気がしますし、下重暁子さんの作家としての令名は伝え聞いているものの、個人的にはNHKアナウンサー時代の印象しか有していない私としては、これを機会に『母の恋文』を読んでみたいという気持ちになりましたもの。
 そして、私が一番注目したのは、矢野宏さんが上杉聡さんに聴く第66回です。安倍首相が憲法記念日に唐突に発表した改憲メッセージの元ネタが日本会議系の政治アナリスト・伊藤哲夫氏の論考だろうということは、つとに指摘されているところですが、日本会議研究の第一人者である上杉聡さんの語られる内容に興味津々です。
 是非多くの方が聴取されますように。
 なお、過去のアーカイブは以下のYouTubeチャンネルから聴取できます。
 
 
065 2017.6.27
今、改めて問う!日本の原子力政策と福島第一原発事故の行方
PERSONALITY 今西憲之(ジャーナリスト)
GUEST 小出裕章さん(元京都大学原子炉実験所助教

 福島第一原発事故直後から、政府や大手マスコミが報じない真実を、信念をもって発信し続けて来られた元京都大学原子炉実験所助教小出裕章さん。退官して2年余り、地方に居を移し都会から距離を置く中で、ある時は「仙人になる」と第一線を退く旨を宣言されておられました。しかし、今の日本社会を見るにつけ、原子力の世界に身を置いて来てしまった者としての責任をまだ果たしきれていないと、今も様々な場で発言を続けておられます。
 この番組「市民のための自由なラジオ“Light Up!”」でも、前身の「ラジオ・フォーラム」時代から通して、大きなメディアが敢えて伝えない本当のことを教えて下さる小出さんの発言を大切にして来ました。
 福島第一原発事故から6年が過ぎた今、その教訓と、今なお苦難の底にいる東北の方々の声などは意にも介さず、日本の原発は次々と再稼働していきます。他方、世界に目を向ければ、ドイツ、台湾などは政府が先頭を切って脱原発に向かっています。日本はなぜ原発をやめられないのか?番組前半では、海外の動きを注視しながら、日本社会の原発依存の体質について改めて考えていきます。
 また番組後半では、福島第一原発事故収束作業の今後について考えます。先だってカメラが初めて捉えてた炉心の調査結果は、小出さんが事故当初から訴え続けて来られた炉心溶融の解釈を裏付けたものでした。それは政府と東京電力の作っている事故収束へのロードマップを真っ向から否定する内容でした・・・。加えて、もう貯蔵場所が尽きてきた汚染水問題では、除去しきれない放射性物資トリチウムを含んだまま、汚染を覚悟で海に流すしかないのでしょうか?今回の番組では、福島第一原発事故の収束はいつ訪れるのか、そもそも収束などありえないのかについて、じっくりとお話しを伺いました。
 
066 2017.7.4
森友学園問題が照らし出す日本会議憲法・教育
PERSONALITY 矢野宏(新聞うずみ火代表・ジャーナリスト)
GUEST 上杉聡さん(大阪市立大学元教授・日本戦争責任資料センター事務局長)

 憲法記念日の5月3日、安倍首相が憲法9条改正と2020年の施行を目指す考えを示しました。各メディアは一斉に「安倍首相が決断した」と報じましたが、火付け役となったのは、この番組でも何度か取り上げた日本会議です。そのことはすでに、安倍首相のブレーンである伊藤哲夫氏が日本会議の機関紙(2016年8月号)に発表しています。
 今回は、日本最大の右側組織「日本会議」研究の第一人者である上杉聡さんをゲストに迎え、日本会議とはどういう組織なのか?森友学園問題で詳らかになった、教育界を戦前に回帰させようとする動きの狙いとその内幕について、矢野宏がインタビューします。
電話インタビューコーナー「安倍政権が南の島でひそかに進める戦争準備」
 沖縄の基地問題といえば、辺野古や高江が注目されていますが、防衛省は鹿児島の南端から与那国島まで続く南西諸島(全長1200キロ)での「防衛力強化」を打ち出し、急激に自衛隊配備計画を進めています。そこで、矢野宏が気になった話題を解説する「よりそいコラム」は、今回予定を変更し、与那国島に13年間住み、この再軍備化に警鐘を鳴らしている「南西諸島ピースネット」共同代表の猪俣哲さんに電話で話を伺います。
 
 
067 2017.7.11
幸せな家族を敢えて幻想とした時、見えてくるもの。
作家・下重暁子が大切にする「個」の尊厳とは?
PERSONALITY 木内 みどり
GUEST 下重暁子さん

 今回のスタジオのお客様は、作家の下重暁子さんです。元NHKのアナウンサーでその後作家としてベストセラーを含む数々のご著書をお持ちです。ヒット作のほとんどに目を通して今回のインタビューに臨んだという木内みどりとの対談は、作家下重暁子さんの生い立ちからなる家族観や社会観に深く斬りこみ、たいへん聴き応えのあるものとなりました。
 著書「母の恋文」についてお話しを伺いました。母親が結婚前に父親に送った2年間で100通余りという手紙の束を発見してから、下重暁子さんは全く知り得なかった自分が生まれる前の両親の人生を目の当たりにすることになります。軍人として旅順にいた父に宛てて送られたその手紙から、自分の誕生の意味や、その後の家族との確執について考えるようになったといいます。そのことは、下重さんの作品には大きな影響を与えているようです。
 また、二冊あわせて65万部以上に達したという大ベストセラー、2015年3月に出された「家族という病」、2016年4月に出された「家族という病2」(共に幻冬舎新書)については、人間一人の個の存在を尊ぶことの大切さを語ってくださいました。折しも憲法改悪を目前に、私たちは個としての尊厳をどう考えたらよいのか?暗闇を航海する船の羅針盤となるような考え方をひとつ、提案してくださったかのようです。お聞き逃しなく。
*Light UP! ジャーナル
「自由な隅田川スタジオ」に初めて小出裕章さんをお迎えしました!
 普段は松本からお電話でご参加いただいています小出裕章さんを、初めて「自由な隅田川スタジオ」にお迎えして、木内みどりと和やかにトークしていただきました。「先生」と呼ばれることを嫌う小出さんは、それでも皆から先生と慕われ、全国へ講演に出掛けます。今は、5件に1件くらいしか講演依頼には応えられないけれど・・とおっしゃいながらも、福島第一原発事故原子力そのものに関係してきた者の責任があるのだと足しげく全国を駆け巡っていらっしゃいます。
 そしてMBSの「たねまきジャーナル」が潰されたときの存続運動、そしてそこから誕生した当番組の前身の番組「ラジオ・フォーラム」と関わってきた者として、この番組「市民のための自由なラジオ“Light Up!”」にも関わる責任を感じていると語ってくださいました。本当に嬉しいご意思です。こちらもどうぞお楽しみに!

1年前の「7月10日」を振り返って~再配信「追悼・寺井拓也さん~小さな蟻でも巨大な象を倒すことができる」

 2017年7月10日配信(予定)のメルマガ金原.No.2869を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
1年前の「7月10日」を振り返って~再配信「追悼・寺井拓也さん~小さな蟻でも巨大な象を倒すことができる」
 
 Facebookをやっていると、頼みもしないのに、「1年前に行った投稿はこれですよ」と、親切にと言うか、おっせかいにもと言うか、よく教えてくれますが、今日、1年前の「2016年7月10日」を振り返ろうと思ったのはFacebookに教えられてではありません。しばらく前から、「あれから1年が経つんだなあ」という感慨が去来し、「7月10日」には1年前を振り返ろうと決めていました。
 実は、7月6日以降、従来「メルマガ金原」を発信していたメールアカウントが、技術上の問題から利用できなくなり、ブログの更新しかできなくなっているのですが、いずれ復旧することを前提に、「メルマガ金原」の通し番号は付け続けています。
 ちょうど1年前の2016年7月10日には、メルマガ金原No.2503として、「追悼・寺井拓也さん~小さな蟻でも巨大な象を倒すことができる」を発信していました。私としては、昨年4月14日に逝去された故・寺井拓也さんを偲ぶため、今年の7月10日にはこの結構長い追悼記事を再配信しようと決めていました。それは、私自身がこの記事を読み返すことにより、今の状況に立ち向かう勇気を寺井さんから注入してもらえると思ったからであり、この記事を読んでくださった皆さまも、同じように感じ取っていただけるものと確信するからです。
 
 以上の再配信はかなり前から決めていましたが、「2016年7月10日」を振り返る以上、この動画も是非視聴していただかなければと思いました。それは、この日に投開票が行われた第24回参議院議員通常選挙和歌山県選挙区)に無所属で立候補したゆら登信(たかのぶ)さん(日本共産党社民党生活の党と山本太郎となかまたちなど推薦)の選挙事務所での「敗戦の弁」です(ちなみに、私が司会をしていました)。
 インターネット選挙運動が解禁されて2回目の参院選でしたが、事実上、選挙スタッフの一員としてゆら候補を応援する立場となった私は、いつものメルマガをお休みし(メール送信による選挙運動は相変わらず原則禁止が続いているため)、ブログでゆら候補への支援を要請しました。今振り返ると、ネット戦略というほどのものもなく、ただ、従来通りのブログやFacebookでの配信を続けただけであり、次の機会には、もっと手回し良くネットを利用したアピールにどう取り組むのか、じっくりと考えて準備する必要があると思います。
 そういう反省も込めて、公示日の6月22日から選挙運動最終日の7月9日までにブログから発信した12本の記事を回顧するとともに、7月10日(投開票日)の夜8時過ぎ、南海和歌山市駅前の選挙事務所で行われたゆら登信候補による記者会見での弁を視聴しましょう。
 次の選挙の枠組みがどうなるのか、私たちがどの候補を応援することになるのか、いまだ不分明な状況ではありますが、将来に立ち向かうためにも、過去の経験を振り返ることが有意義であることは間違いありません。これを機に、皆さん一人一人が1年前を振り返り、明日への糧を掴み取られますように。
 
動画 ゆら登信開票後挨拶(3分17秒)

 
(弁護士・金原徹雄のブログから/ゆら登信候補参院選かく闘へり)
2016年6月22日
2016年6月23日
2016年6月24日
2016年6月25日
2016年6月28日
2016年7月1日
2016年7月3日
2016年7月4日
2016年7月7日
2016年7月9日
 
 

 再配信)追悼・寺井拓也さん~小さな蟻でも巨大な象を倒すことができる

(はじめに)
 日本の運命が決定的に暗転した日として振り返られることになるかもしれない7月10日(日)、和歌山県選挙区の事実上の野党統一候補・ゆら登信(たかのぶ)さんの選挙事務所から帰宅したところです。まだ、今度の選挙についての私としての総括を書くような余裕も準備もありませんし、それはいずれ機会を見て、ということにしたいと思います。
 今日は、ここ1ヶ月ほどの間、少しずつまとめてきた寺井拓也さん追悼特集がようやく完成しましたのでお届けすることにします。4月に逝去された田辺の寺井さんは、お元気であれば、今度の選挙でも必ずや大きな力になってくれた方であったと残念に思う一方、寺井さんが残された言葉の数々には、これからの私たち市民の運動が目指すべき針路を指し示してくれる多くの輝きがあることに気付かされます。その意味では、7月10日に「追悼・寺井拓也さん~小さな蟻でも巨大な象を倒すことができる」を読んでいただくのは、これ以上ない良いタイミングなのかもしれません。
 是非、多くの方に「拡散」してください。よろしくお願いします。
 
 

第1章 2011年9月19日 東京都 明治公園
【「異変」は東京駅1番線から】
 その日、朝一番のJR特急で紀伊田辺駅から新大阪駅へ、さらに新幹線で東京駅へ向かいました。東京駅で中央線快速電車に乗り換えるのですが、実はここから「異変」が起きていました。普段だったらがらがらのはずのこの電車。これがいやに混んでいるのです。祝日の正午すぎです。東京駅1番線からは4~5分間隔で電車は出て行きます。にもかかわらず「この混みようは何だ」。次に四谷駅で乗り換えた各停電車も同様の混みようです。そのほとんどの乗客がどっと降りたのは千駄ヶ谷駅でした。ここで気がつきました。みな、明治公園を目指していたのです。
千駄ヶ谷駅はパニック寸前】
 千駄ヶ谷駅のホームに降り立つと、人の山です。階段の降り口が、まず詰まっています。この時間帯は、上下それぞれ5分間隔で電車が止まります。平均2分30秒ごとに吐き出されてくる人々を階段が吸収しきれないのです。階段を下りるとさらに大変。改札までのコンコースは、おそらく千人を超えるであろう人の波です。「押すな!押すな!」。パニック寸前の駅の改札を抜け出ると、待ち受けていたのはいくつもの団体のノボリ旗でした。
 ここで私も準備です。駅前で、ノボリ旗を組み立てます。「脱原発わかやま」と書かれた60×180㎝の旗がなびきます。旗でPRしながら、人の洪水に流されて明治公園へ。途中「和歌山から来られたんですか」。見知らぬ人から声がかかります。「そうなんですよ」。和歌山県ではかつて4箇所もの原発計画があったことや、激しい攻防の末、今は1基も原発がないことなどを話します。すると「ホーッ。そうですか。」東京の人がまるで知らないのは当然かもしれません。
【入りきれない会場】
 明治公園に到着したのは13時すぎ。開会は13時半です。「間に合った!」。しかし、会場は、すでに人で埋め尽くされていました。約束の場所へ行くのも一苦労。日本青年館側の高台に向います。携帯で打ち合わせようやく、ノボリをみつけて寄ってきて下さったのは、和歌山市から夜行バスでかけつけたKさんら3人の女性でした。まもなく、同じくノボリを目印にやってきた和歌山市のMさんとも会うことができました。これで和歌山組は5人です。しかし、田辺市から来るはずのH夫妻の姿を、とうとう最後まで見つけることができませんでした。あとで事情を伺うと、超満員のため会場へ入ることすら出来なかったそうです。20日付東京新聞(1面)に掲載された空撮写真を見ると、膨れ上がった参加者が会場の出入り口からはみ出し、周辺道路へ、さらに隣接地へも拡がっている状況を知ることができます。
 かつて東京在住の時、幾度となく駆けつけたこの明治公園なのですが、ベトナム反戦運動の高揚期でさえもこれほど膨れ上がった集会を、私は見たことがありませんでした。主催者発表で6万人という数字は実態に近いのでしょう。
(以下略)
 
 
※2011年9月19日に東京の明治公園で開かれた「さようなら原発5万人(6万人)集会」に参加された寺井拓也さんと松浦雅代さんの参加記を並べて「メルマガ金原No.569」に掲載させていただいたのは、2011年9月23日のことでした。後に、私の第2ブログ「あしたの朝 目がさめたら(弁護士・金原徹雄のブログ 2)」)に転載したヴァージョンから、その前半部分を引用しました。
 寺井さんは、2010年から汐見文隆氏に代わって「脱原発わかやま」の代表に就任されていましたが、その翌年に東京電力福島第一原発事故が発生し、責任感の強い寺井さんとしては、その職責をしっかりと果たさなければという思いが強かったのではないかと推測します。

 
 
 
第2章 2012年3月11日 和歌山県田辺市 
 和歌山における20年の闘いが問いかけるものは何か。闘いで一貫して掲げられた言葉は「いのちの大切さ」であった。いのちを守ろう。いのちの源である海、山、川を守ろう。それを子や孫に残そう。振り返ってみれば、和歌山の原発反対運動はそのことを訴え続けていた。
 たとえば「和歌山県原発反対住民連絡協議会」は結成総会を前に「空青し、山青し、海青し紀州を子々孫々に引き継ぐために」(1981年6月)と呼びかけた。「日置川町原発反対連絡協議会」は結成時の大会宣言で「子供や孫たちが安心して生活できるよう」と訴えた(昭和61年12月)。日高浦漁協は原発を「世界最大の危険物」であり「人類の抹殺、かつ沿岸漁民を餓死に導く」ものとして県知事らに抗議した(昭和43年3月)。
 反原発の闘いは生と死の闘いだった。これはフクシマ以前も以後も変わらない。原発を再稼働させてはならない。原発を輸出してはならない。放射能と人間は共存し得ない。だからこれからは脱原発社会しかない。福島での事故はそのことをあらためて示しているのではないか。
(略)
 今回の我々の試みは、和歌山県原発の歴史のごく一部に過ぎない。このほかに知られざる幾多の闘いがあり、多くの人々の活動があったであろう。はなはだ不十分な記録であることは否めないが、明日の「脱原発社会」のために役立つことを願って世に出すことにしたものである。
 最後に、本書の執筆・編集に際してご協力をいただいた和歌山県をはじめとする全国各地に散らばる仲間と関係者の皆様に謝意を表する次第である。
     2012年3月11日   寺井拓也   
 
 
※2012年5月11日に刊行された『原発を拒み続けた和歌山の記録』(汐見文隆監修、「脱原発わかやま」編集委員会編、寿郎社刊)の編集者を代表して寺井拓也さんが執筆した「あとがき」の一部を引用しました。

 
 
第3章 2012年10月7日 和歌山県和歌山市
 
本日(10月7日)午後4時から、和歌山城西の丸広場をスタート・ゴール地点として、「Twit No Nukes 和歌山」(代表:奥野亮平さん)主催による「原発さよなら行進@和歌山市2」が行われました。
 7月22日の第1回に続く2回目の今回、心配された前夜来の雨もすっかり上がり、気持ちの良い秋空の下、約150人の参加者を得て成功裡に実施されました。
 人数だけでいえば、前回(約200人)より少なくなっているとはいえ、3連休の中日という日程、様々な行事が重なる秋の休日、学校の運動会シーズンとバッティングしたことなども考え合わせれば、よく集まったと言えると思います。
 なお、参加者の内の子どもさんの数は、実は前回(20人)よりも多い24人であったことを付け加えておきます。
 以下、今回のエピソードを箇条書き風に・・・。
(略)
和歌山城を行く田辺市の寺井拓也さんをはじめ、本メルマガ読者の方が何人も参加してくださいました。ありがとうございました(寺井さんは、今度の金曜日、国会・官邸前行動に参加するため東京に行かれるそうです。頑張ってきてください)。
(略)
○今回のデモの主催者として、段取り一切を取り仕切っていただいた奥野亮平さんと奥様の麻美さんですが、Facebookのプロフィールによると、亮平さんの誕生日が「10月8日」、まみさんの誕生日が「9月27日」ということです。おめでとうございます。
 これからもよろしくお願いします。

※2012年10月7日(日)、奥野亮平さんが個人で企画して呼びかける手作りデモ「原発さよなら行進@和歌山市2」(和歌山城西の丸広場を出発して関西電力和歌山支店前を通過し西の丸広場に戻る約1時間の行程)が開かれ、その模様をその日のうちに「メルマガ金原No.1130」として配信し、後にブログ「あしたの朝 目がさめたら(弁護士・金原徹雄のブログ 2)」に転載したものから一部引用しました。
出発前(田辺からも参加) この日の和歌山市でのデモに参加すべく、寺井拓也さんも田辺市から駆け付けてくださっていましたが、寺井さんは、黄色い幟を持参されており、デモの間中、その目立つ幟を翻しながら行進されていました。当時、私は「脱原発わかやま」が作った幟かな?程度の認識で、寺井さんに詳しく幟制作の経緯や意図などをお尋ねすることもしなかったのですが、今回の追悼特集のために当時の写真を確認したところ、黄色地に黒く大きな文字で「子どものいのちを守れ」と染め抜かれ、下の方には横書きで何と書いてあるのでしょう?「・和歌山」は分かるのですが、その前の文字が確信を持てません。「市民」と書いてあるようにも読めるのですが、そうすると「市民・和歌山」ということになります。寺井さんは、翌週には、首相官邸前の金曜抗議行動や「10・13さよなら原発集会in日比谷」への参加を予定されていましたから、「和歌山からやってきた一市民」という心意気で作られたのでしょうか?もっと詳しくお聞きしておけば良かった。
 しかし、『原発を拒み続けた和歌山の記録』の「あとがき」を読み返してみて、「子どもたちのいのちを守れ」という、ごく当たり前の言葉に込められた深い祈りに全然気がついていなかったのかもしれない、という思いや切なるものがあります。
 なお、当日、出発前に私が撮影した写真も1枚ご紹介しておきます。向かって右から寺井拓也さん、松浦攸吉さん、花田惠子さんで、思わず「大物そろい踏み」と紹介してFacebookに投稿したことを思い出します。
 


第4章 2012年10月12日 東京都 経産省前、首相官邸
 寺井拓也さんは、和歌山市での「原発さよなら行進@和歌山市2」に参加した5日後の10月12日(金)、新幹線で東京に向かいました。目的の一つ目は「経済産業省前のテントひろば訪問」、二つ目は「首相官邸前の金曜抗議行動への参加」、三つ目は「翌日の「10・13さよなら原発集会in日比谷」への参加」でした。
 几帳面な寺井さんですから、当初から、ご自分が所属する「つゆくさと大地の会」や「脱原発わかやま」の仲間に文章で報告することを考えておられたと思うのですが、私の「メルマガ金原」への掲載も快くご了解いただきました。
 『経産省前テントひろば訪問と首相官邸前デモ報告記』と題された寺井拓也さんの手記は、2012年10月22日「メルマガ金原No.1145」として配信し、同日、「wakaben6888のブログ」に転載しましたが、以下には、後に「あしたの朝 目がさめたら(弁護士・金原徹雄のブログ 2)」に掲載したヴァージョンで「寺井拓也氏の『10/12経産省前テントひろば訪問と首相官邸前デモ報告記』」をご紹介します。


第5章 2013年9月20日~24日 青森県大間町福島県
あさこはうす 2013年9月20日の夜に和歌山を車で出発した5人のグループが、青森県大間町の「あさこはうす」に小笠原厚子さんを訪ね、その後、福島県に立ち寄り、浪江町の「希望の牧場」や福島市の「ふくしま共同診療所」を見学し、佐藤幸子さんらと交流して帰途についたツアーについては、参加した寺井拓也さん自身、「こんな強行ツアーは自分の人生において、前にもあとにもないだろう。」と述懐されたとおりのスケジュールだったようです。
 寺井さんが「つゆくさと大地の会」の会報「つゆくさ便り」に掲載するために執筆された『青森~福島「反原発」ツアー』を、私の「メルマガ金原No.1521」(2013年10月23日配信)とブログに転載することを寺井さんからご快諾いただき、ご紹介しました。
 なお、写真は、このツアーの際に「あさこはうす」で撮影されたもので、向かって左から、寺井拓也さん、小笠原厚子さん、西郷章さんです。


第6章 2013年10月27日 鳥取県米子市
 2013年10月27日、鳥取県米子市において、「ブックインとっとり実行委員会」が主催する「第26回 地方出版文化功労賞」の表彰式が行われ、奨励賞を受賞した「脱原発わかやま」編集委員会編・汐見文隆監修『原発を拒み続けた和歌山の記録』(寿郎社)の編集者を代表して寺井拓也さんが受賞記念スピーチをされました。
 時間の都合で、草稿の一部はカットしてスピーチされたとのことでしたが、今読み返してみても、寺井さんが、脱原発にかけた自らの人生を振り返り、一種の「総括」を試みたのではないかという気がします。
 2013年11月15日に「メルマガ金原No.1544」として配信し、その当日に「弁護士・金原徹雄のブログ」に転載しましたが、寺井さんの訃報に接した今年の4月16日、追悼のためにこの受賞記念スピーチ草稿を再配信しました。
 この草稿は、後にご紹介する2016年5月28日に田辺市の「ララロカレ」で開催された「寺井拓也さんを偲ぶ会」でも、プログラムの一部として式次第などとともに印刷され、参加者に配布されたそうです。
 是非、何度でも繰り返してお読みいただければと思います。
2013年11月15日
寺井拓也氏『原発を拒み続けた和歌山の記録』第26回 地方出版文化功労賞 奨励賞 受賞記念スピーチ(草稿)
2016年4月16日
追悼・寺井拓也さん(再配信・『原発を拒み続けた和歌山の記録』地方出版文化功労賞 奨励賞 受賞記念スピーチ(草稿))


第7章 2014年3月11日 福島県郡山市
 日本の原発の歴史を振り返りますと、敗北の連続でした。しかし、原発立地計画を止めたところがないわけではありません。福島県の浪江・小高をはじめ、全国でその数は30を超えます。和歌山県もその中に入ります。
 和歌山県では、1967年から20年を超える激しい攻防の末、5箇所の立地計画全てを拒むことができました。(拍手)
寺井拓也さん(3.11反原発福島行動2014) 中でも最も激しく闘われたのは、日高原発でありました。1988年3月のことです。漁協は、満を持して臨時の総会を招集致しました。3月30日午後1時、総会が始まります。質疑が始まるやいなや、総会は混乱を始めます。途中で議長は、質疑打ち切りを宣言します。すると会場内は、椅子を振り上げる者、あるいは議長席に詰め寄る者、大混乱に陥ります。ついに、待機していた県警機動隊約30名が会場に入ります。そして、いったんは静まった会議は、またまた紛糾をいたします。このさなか、1人の反対派理事が、壇上に駆け上がるや、その議長である組合長の顔をめがけて拳を思い切りぶつけた訳であります。(拍手)その一発のパンチが引き金となって、組合長は廃案を宣言し、役員総辞職になった訳であります。(拍手)結局、これをもって、日高原発は、事実上白紙撤回となりました。(拍手)
 ところで、漁協内の反対派理事は、長い間少数で闘ってまいりました。理事の構成は、推進派10名に対し、反対派は2名から3名、10対3という圧倒的少数でもって長い間闘い抜き、大多数の漁協の幹部たちに対して闘った訳であります。(拍手)
 このことは、少数でも多数に勝利することができる。(拍手)小さな蟻でも巨大な象を倒すことができる。そのことを、こらからの私たちの運動に教えるものではないでしょうか。(拍手とかけ声)
 日本政府は現在、200万福島県民を放射能に晒し、福島を切り捨てるという、いわば人道に対する罪を犯しています。その上、反省も謝罪も全て放り去り、モラルというモラルをかなぐり捨てて、今開き直って再び私たちに「再稼働」を突き付けています。悪辣な政府を打ち倒すのは容易ではありません。
 しかし、少数であっても多数に勝利することができる。小さな蟻でも巨大な象を倒すことができる。この希望をもって前進しようではありませんか。(拍手)
 そして、古くは大逆事件、あるいは足尾鉱毒事件、あるいは水俣病事件など、かつて国家犯罪に立ち向かった我々の先人たちに学び、人類の歴史、その勝利を確信して、孤立を恐れず、共に歩もうではありませんか。(拍手)

※2014年3月11日に郡山市の郡山総合体育館で開かれた「3.11反原発福島行動’14」での寺井拓也さんのスピーチを、金原において文字起こししました。なお、掲載した写真は、実行委員会ホームページに掲載されていた写真を、同委員会のご了解を得て転載させていただいたものです。
 文字起こしのベースは、寺井さんと同行して大会に参加した西郷章さんが撮影し、Facebookに投稿された動画(の録音)を使用しました。寺井さんのスピーチを撮影した動画は他にも複数ありますが、西郷さんが撮影されたものが一番クリアに聴き取れます(画像は遠景ですけど)。


第8章 2016年4月14日 和歌山県田辺市 ご逝去
 
新緑がまぶしい季節を迎えました。お元気でお過ごしでしょうか。
 お便りをさし上げますのは、夫 寺井拓也のことで、悲しいご報告をしなければならないからです。夫は、4月14日午前2時31分、他界致しました。
 昨年7月、精密検査で大腸がんのステージⅣであることがわかり、8月手術、退院後はゲルソン療法を基調とした食事療法をしながら、自宅療養をしておりました。今年2月頃まではずっと小康状態で、今までにない(病に倒れる直前まで市民活動に奔走していましたので)家族との穏やかな日々を過ごしておりましたが、転移性肝臓がんが進行していることがわかり、1月末よりカテーテルによる肝臓への抗がん剤治療を始めました。しかし、その効果はなく、ついに肝不全となって息を引き取った次第です。
 肝臓がんの進行が週単位でなく日単位で早いだろう、と医師から告げられた3月23日の夜、夫がどんなにショックを受けているだろうと胸を痛めている私に向かって、夫はニコニコとさわやかな笑顔で申しました。「生まれてきたのも自分の意志ではない。全ては何か大きなものの意志が働いているのだと思う。こうして痛みがなく過ごせたこと、そして、今までの人生、自分はとても幸せだった。」、という意味のことを。また、腹水がたまって4月に入って入院し、そのまま自宅に帰らぬまま旅立ったのですが、病院のベッドの傍に置いているメモ帳に記していたのは「人生は感謝なり 喜びなり 祈りなり」という短い言葉でした。若き頃に内村鑑三の著書に感銘を受けた、無教会派の敬虔なクリスチャンであった夫の心の在り様が伝わってきて、哀しみの中にも安堵を与えられた私でした。
 寂しさと無念さは拭えませんが、自宅療養の7ヶ月は、不安を抱えながらも夫を中心に家族として濃密な幸せな時間を過ごすことができたことが、今は遺された私と娘たちの慰めとなっています。
 最後に、故人生前にいただきましたご厚情に心よりお礼申し上げます。
     2016年4月23日
                   寺 井 秋 代  
  

※奥様(寺井秋代様)が知友に送った死亡通知をご了解を得て転載しました。
 

第9章 2016年5月28日 和歌山県田辺市 寺井拓也さんを偲ぶ会
ご挨拶

 去る4月14日、私たちが敬愛してやまない寺井拓也さんがご逝去されました。謹んでご冥福をお祈りいたします。
 寺井さんは、長年、平和や人権、環境といった課題に関わってこられ、当地方での草の根の市民たちによる運動の中心的な役割を担ってきてくださいました。またルポライター“長岡拓也”としても数冊の著書を出されています。
 私たちが運動を進める上で、理論的、精神的支柱として頼りにしていた寺井さんは、同時に事務仕事やこまごまとした雑用を引き受けられることも多く、縁の下から地道に運動を支えてくださる方でもありました。また、社会の中で疑問を感じ、行動を起こそうとする人たちからの相談をいつも真摯に受け止め、的確な助言をしてくださったり、必要だと思われるものは惜しみなく提供してくださったりしました。特に若い方々のチャレンジに対して、温かい支援と励ましを送られ、活動の中心は紀南であっても、その視線の先は、未来へ、世界へとつながっていました。寺井さんの日々行動される姿から、社会構造の中で権力によって痛めつけられ、声を上げられずに苦しんでいる人の怒りや思いへの共感、そんな社会を作ってきてしまった大人の一人としての責任感、より良い社会を次の世代に渡さなければという強い思いを、その誠実さと共に受け取ってこられた人は多いと思います。
 平和な世界をつくるために全力で人生を駆け抜けられた寺井さんを偲び、これまでに関わりがあったさまざまな方々と思い出を語り合う機会を持たせていただくことを計画致しました。
 短い時間ですが、寺井さんが私たちに残してくださったものをご一緒に分かち合うひとときにできればと願っております。
呼びかけ人一同
  つゆくさと大地の会  奥野佳世
  脱原発わかやま    冷水喜久夫
  田辺・9条の会    田所顕平
世話人 浅里耕一郎(脱原発わかやま)、笠松美奈(フェアトレードエコロジーのお店ぴーす/9条ママnetキュッと/なつおmeets南風)/木川田道子(つゆくさと大地の会/田辺・9条の会/紀南9条交流ネット/紀南ピースフェスタ実行委員会)/西郷章(9条ネットわかやま)、中西仁士(脱原発わかやま)
協力 RaRa Locale
 
※ご逝去から1ヶ月半が経った5月28日(土)午後2時から、田辺市の RaRa Locale(ララロカレ)2階において、「寺井拓也さんを偲ぶ会」が開かれました。『原発を拒み続けた和歌山の記録』を出版した寿郎社代表の土肥寿郎さんご夫妻が北海道から駆け付けてくださった他、寺井さんゆかりの約70人の方々が集まり、故人の思い出を語り合う素晴らしい会になったようです。
寺井拓也さんを偲ぶ会 私も、何とかして参加したかったのですが、どうしても日程の調整がつかずに断念しました。その代わり、司会の木川田道子さんが、椎名千恵子さん(福島共同診療所世話人)と私からのメッセージを読み上げてくださったというご報告をいただきました。木川田さん、ありがとうございました。
 なお、掲載した当日の写真は、「原発がこわい女たちの会」公式ブログに掲載されたものを、ご了解を得て使用させていただきました。
(付記)「偲ぶ会」にも参加してスピーチをされた「原発がこわい女たちの会」代表の松浦雅代さんによる追悼文『寺井拓也さんを偲ぶ』が同会ブログに掲載されていますので、是非お読みください。

 
第10章 2016年5月31日 西郷章さんによる追悼文
『寺井拓也さんとともに歩いて』
(書き下ろし)
 寺井拓也さんとは、11年前の「9条ネットわかやま」の準備会が発足したころに、同じ呼びかけ人でしたから何度か会っているはずなのに思い出せず、はっきりと記憶しているのは奥さん(寺井秋代さん)との出会いからでした。
 今から9年前に、私は、天木直人さんの選挙を手伝う機会があり、その時に、天木さんのファンということで奥さんと田辺で会ったのが最初だったと思います。奥さんの第一印象は、ハキハキと物を言う理知的な人というものでした。
 奥さんとバトンタッチをするように、拓也さんとは、その後すぐに親しく交際するようになりました。その当時、私は現役の労働者でしたから、和歌山から田辺まで行って直接会うことはめったにありませんでしたが、「憲法を生かす会・和歌山」としての市民運動を少し手掛けていましたから、その関係の資料等が定期的に手に入るため、それを郵送しますと、どんなつまらない資料でも、かならず返礼の手紙が送られてくる大変礼儀正しい人でした。
 ところで、2010年は大逆事件100周年記念の年でした。私は偶然にもそれより2~3年くらい前に、紀南に初期社会主義の動きがあったとの噂を聞いて、非常に関心を持ち、レポートを書きたいと思っていましたので、拓也さんに「紀南での社会主義者の動きのことを知らないですか?」と尋ねますと、元田辺図書館長・杉中浩一郎先生の『紀南雑考』があることを教えてくれました。そこで早速『紀南雑考』に目を通すと、全体としては大逆事件での紀南の犠牲者のことが書かれているものの、「平民社」にかかわった荒畑寒村や菅野スガなどの人物が登場しており、知りたかったことの手掛かりになると思い、私が書くレポートのベースとなる参考文献として使わせていただくことを、拓也さんを通じてお願いしました。すると、杉中先生は快く許可してくださいました。
 私の拙いハンドブックが完成した後、拓也さんの自宅のお近くにある杉中先生宅にお礼に伺いますと、体調が思わしくないと伺っていたにもかかわらず、大変喜んでくださり、こちらが長居を気にするほどの長時間、和歌山の大逆事件とそこに登場する本宮町の成石平四郎のことなどを話して下さり、すっかりお邪魔してしまいました。
 また、その後、拓也さんに大正ロマンを彷彿とさせるレストランに案内してもらい、おいしい食事をごちそうになりました。このレストランは残念ながら、今はもう閉店してしまっています。
 その後、特に印象深いのは、やはり2011年の3.11以降の脱原発のための意欲的な活動の多くを共にできたことでした。
 私は、「原発事故は戦争より始末が悪い」と思い、一念発起して自分にもできる「さよなら原発1千万署名活動」に打ち込みました。2011年の8月頃から署名集めを始め、2012年の花見シーズンも過ぎた5月中旬ころまでに2500筆以上を集めることができました。
 その過程で(700~800筆ほど集まったころに)、たくさん集めていることを拓也さんに報告しますと、拓也さんから「その活動のありさまをレポートに書いて仲間の皆さんに知らせてあげれば、いい刺激になりますよ」というアドバイスを受けましたので、おりおりに署名活動のレポートを書きました。当時、私はまだFacebookを始めていませんでしたので、知り合いの金原弁護士にお願いして、「メルマガ金原」に掲載していただきました。
 すると、私の署名集めに触発されてかどうか分かりませんが、寺井さんの奥さん(秋代さん)が頑張って、短期間に800筆~900筆近くも集められたと聞き、これにはさすがの私も驚きました。
 そして同じころ、拓也さんは拓也さんで、3.11に遭遇したことによって、まとめ上げることを決意した「脱原発わかやま」の仲間との共書である『原発を拒み続けた和歌山の記録』の仕上げのために、2012年の正月を返上して、徹夜で作業することもあったと聞きました。拓也さんたちが頑張ったおかげで、歴史的な著作が私たちに残されました。
14573f18-s 私たちの交友がさらに濃密なものとなっていったのは、何といっても、2013年9月に総勢5名で訪れた大間・福島交流ツアー以降でした。本州最南端の串本から最北端の大間までの往復3千キロ近くを4泊5日の間に2か所で交流をしながらに車で駆け抜ける強行スケジュールで、ただ車に乗っているだけの私でも一生に一度きりにしたい非常に疲れる旅でした。
 けれども、その交流ツアーを機に、小笠原厚子さんや椎名千恵子さんにも和歌山に来ていただいて現地の苦労話なども報告していただくことになりましたし、それとは前後しますが、2013年以来、「3.11反原発福島行動」に参加するようになっていた拓也さんとともに、私も2014年から参加させてもらうことになり、拓也さんの病気が発見されて療養生活に入る前の「3.11反原発福島行動’15」まで、大集会後のデモには必ず2人で加わりました。
 そのような折りに、拓也さんはこんなことを何回か私に言いました。「人生60年だ。あとの人生は儲けものの人生だ。」と。その時は、その意味が漠然としか分かりませんでした。拓也さんは70歳で亡くなり、それまでの儲けた人生を人々の幸せのために余すことなく燃焼させた生きざまから、彼は人々に尽くすために生まれてきたことに喜びを感じていたのだと思い、儲けた人生を何に使わなければいけないかを教えられた思いでした。
 その拓也さんに、私は時として背中を押してもらったおかげで、人間的に一回り大きく成長したと思っています。そして、私にとっては人生二度と出会うことのない、掛けがえのない親友となりました。
 いよいよ体調が思わしくなく入院をするときに、拓也さんから一枚の「戦争法阻止」と黄色の生地に黒字で書かれた旗が手渡されました。この旗は、今となっては、拓也さんが今日まで歩んできた道の誇らしさが刻まれた旗であり、果たせなかった夢を託す希望の旗であり、私は特別なこの旗を高く掲げて歩む決心をしました。
 拓也さんが亡くなってしばらくして、奥さんから一通の挨拶状が送られてきました。そこには、生前の拓也さんが奥さんを気遣う様子などが書かれており、お医者さんの宣告に拓也さんが「どれほどシヨックを受けているのだろうか」と奥さんが心配したのに対し、拓也さんが死の寸前まで、にこにことさわやかな笑顔で奥さんに向かい、「生まれてきたのも自分の意志ではない、すべては何か大きなものの意志が働いているのだと思う。こうして痛みがなく過ごせたこと、そして、今までの人生、自分はとても幸せだった」とご家族と仲間の皆さんへの感謝の気持ちを語ったのだそうです。最後となった病院のベットの横に置いたメモ帳には「人生は感謝なり、喜びなり、いのりなり」と崇高な人生観を書き残した拓也さんは、内村鑑三氏を敬愛し、自らも無教会派の敬虔なるクリスチャンでした。
 内村鑑三。私はその人を調べて驚きました。明治の日露戦争開戦前に勤務していた新聞社『万朝報』(よろずちょうほう)が非戦論から開戦論へと転換したため、内村鑑三は、同じ非戦論を唱える堺利彦幸徳秋水らとともに同社を退社しました。その後、内村は、『東京独立雑誌』『聖書之研究』『無教会』などを発刊して非戦論を貫きます。一方の堺や幸徳は「平民社」を立ち上げて、非戦論を展開しました。そして、拓也さんは内村鑑三を師と仰いでその人に学び、私は社会主義者堺利彦を尊敬してきました。この二人の非戦論を学んだ者同士がここで出会ったのは不思議な縁というよりも、偶然にして必然的な出会いであった、と大きく感動しました。
 拓也さんは、今も私たちの心の中に生きており、これからも人々の幸せを願って私たちとともに歩き続けます。
 私も、拓也さん同様に儲けた人生を余すことなく燃焼したいと思います。
 拓也さん、これまで長年、本当にお世話になりました。安らかにお眠りください。
              2016年5月31日 記  西郷 章
 
※早い段階で西郷さんからこの追悼文をお送り戴いていながら、ここまで掲載が遅くなってしまったことを深くお詫びします。主たる要因は、西郷さんの追悼文だけではなく、私の手元にある寺井さんに関わる素材をコラージュし、とりわけ3.11以降の寺井さんの脱原発に捧げた活動の全体像の一端なりともご紹介したいという希望が頭をもたげ、その構想をまとめるのに時間がかかったこと、そうこうするうちに参院選にゆら登信(たかのぶ)弁護士が立候補することになり、いよいよ寺井さん追悼特集をまとめ上げる時間がなくなってしまったことによります。
 しかし、次の「終章 寺井さんに導かれて」に書いたとおりの事情から、何とか7月中には間に合わせようと、毎日のメルマガやブログの発信のかたわら、少しずつまとめてきたものです。
 なお、掲載した写真は、2013年9月の大間・福島交流ツアーの途次、「希望の牧場」を訪問した際のもので、向かって右から寺井拓也さん、「希望の牧場」代表の吉沢正巳さん、西郷章さんです。 


終章 2016年6月15日 和歌山県田辺市 寺井さんに導かれて 
 2016年6月15日(水)、私(金原)は、夜の7時から田辺市朝日ヶ丘の西牟婁教育会館で行われる「憲法をまもりくらしに活かす田辺・西牟婁会議」総会後の憲法学習会の講師を依頼され、自民党改憲案についての話をすることになっていました(その講演用のレジュメは、メルマガ(ブログ)で配信しました)。
 ところでその日、私は午後から御坊市で仕事があり、そこからいったん和歌山市にとって返して午後4時からの会議に出席し、5時には再び車を運転して田辺市を目指すという、なかなかタイトなスケジュールを組んでいました。
 ところが、午後最初の御坊市での仕事(地域包括支援センターで講師を務めていました)が予定よりも長引き、とても4時までに和歌山市に戻るのは無理となりましたので、4時からの会議はキャンセルし、御坊から直接田辺に向かうことにしました。
 ところが、いくらゆっくり地道を走っても、御坊から田辺は1時間弱、5時前には目的地に着いてしまいました。
 講演開始まで2時間以上もあるのでどうしようか?と困惑し、結局、どこかで時間をつぶすしかないと思ったのですが、選択肢はいくらもありました。例えば、
① 車で田辺市内の適当な複合施設にでも行き(オークワのパビリオンシティとか)時間をつぶす。
② 田辺市内に住んでいる知り合いに電話して、都合が良ければ訪問する。
③ 田辺市内に住んでいる親戚に電話して、都合が良ければ訪問する。
④ 教育会館の付近を散策し、商業施設でもあれば時間をつぶし、簡単な夕食でも済ませる。
という風に。
 結局、夕食時ということもありましたので、適当な思いつきで④を選び、教育会館が高台にあったため、歩いてぶらぶらと道を下りて行きました。そして、カーナビ便りで車で通ってきた道の方に曲がるかどうか考えたのですが(元来た道を下れば、坂を下りきった付近に商業施設もレストランもあることが分かっていました)、自分でもなぜそうしたのか不明ながら、元来た道の方には曲がらず、まっすぐ坂を下りて行ったのです。下りきったところがどこかも全然分かっていませんでしたが、時間もたっぷりあるので、しばらく田辺の市街を散策するのも悪くはないと思ったのでしょう。
 そして、ようやく広い道に出たところ、向かいに「オークワ オーシティ田辺店」を発見し、とりあえずそこに行くつもりで交差点を渡ったのです。
 すると、原付にまたがった女性から「金原先生!」と声をかけられて驚きました。振り返ってみると、何と見覚えのある寺井秋代さんだったのです。寺井拓也さんの奥さん・秋代さんは、ご主人と一緒に私の講演会に来てくださったこともあり、多分、2~3回はお会いしています。
 最初は交差点の付近で立ち話をしていたのですが、私が7時からの講演会までの時間つぶしに坂を下りてきたことを知ると、「自宅は、今先生が下りてきた坂の途中を右に入ってすぐのところなので、是非寄ってください」とお誘いいただきましたので、お言葉に甘えることにしました。
 かくして、私の初めての寺井さん宅訪問がこのような偶然の結果実現したのです。
 ご自宅には、18歳の猫ちゃんが出迎えてくれただけですが、お嬢さんがよく様子を見に来てくれるとか。
 寺井拓也さんの遺影に、無教会派キリスト教の作法など全く分かりませんので、ただ頭を下げただけでしたが、久しぶりにお会いできたという懐かしさでいっぱいになりました。
 また、奥様は、5月28日の「偲ぶ会」にはとても慰められたと喜んでおられました。
 寺井さんの思い出の他、ご自宅に飾っておられる絵画の話から、美術の教師をされていた奥様のお父様(田上實様)の死後、その画集を自費出版されたことなど、6時半ころまでゆっくりと奥様とお話することができました。
 寺井さんが亡くなられた後、何をする気力もなくしていた奥様でしたが、「偲ぶ会」もきっかけとなり、徐々に日常の生活を取り戻しつつあるそうで、その日も、奥様が参加しておられるアマチュアオーケストラ(第二ヴァイオリンとか)の友人が、寺井さん方に来て一緒にパート練習をしていたとかで、居間に譜面台などが置かれていました。
 私からは、「偲ぶ会」のプログラムに掲載された鳥取でのスピーチ原稿が素晴らしい文章で、多くの人(これから和歌山の脱原発運動に加わる人を含め)に感銘を与え続けるだろうということ、また、2014年3月11日に郡山の集会で行った寺井さんのスピーチを、西郷章さんが録音・録画してFacebookにアップしており、寺井さんの肉声で素晴らしいスピーチを聞くことが出来る貴重な記録が残されていることなどをお話しました。
 それにしても、私が6月15日の夕方5時15分ころ(だったと思います)に、田辺の「オーシティ」前に立っていたというのは、偶然も偶然、私自身がその直前まで全く想像すらしていないことでした。
 そもそも、御坊の仕事が長引かなければ、私はいったん和歌山にとって返して4時からの会議に出席し、その後、5時から再び車で田辺を目指すつもりだったのです。
 また、5時前に田辺に着いてしまい、どうやって時間をつぶそうかと考えた際にも、いくつかの選択肢の中から、「教育会館の付近を散策する」ことにしたのも偶然なら、会場からまっすぐ坂を下るというルートを進んだのも、初めて通る道で、どこに通じているのかも全然分からぬながら、「つい何となく」選んだ結果です。
 私も奥様も、「お導き」というのはあるのだ、と思わないわけにはいきませんでした。
 寺井さん、本当にお世話になりました。
 寺井さんの「3.11反原発福島行動’14」でのスピーチの末尾「かつて国家犯罪に立ち向かった我々の先人たちに学び、人類の歴史、その勝利を確信して、孤立を恐れず、共に歩もうではありませんか。」という呼びかけが、まさに切実に身にしむ現在の日本の状況ですが、その呼びかけに呼応して、なし得る限りの努力をすることを誓い、この追悼特集を終えることとします。
 

(付録)
『ラブソング・フォー・ユー(LOVESONG FOR YOU)』 
作詞・作曲:ヒポポ大王 演奏:ヒポポフォークゲリラ

「なるほど!新9条改正案を斬る」(イキョンジュ氏「アジアの中の日本国憲法」出版記念イベント)のご案内

 2017年7月9日配信(予定)のメルマガ金原No.2868を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
「なるほど!新9条改正案を斬る」(イキョンジュ氏「アジアの中の日本国憲法」出版記念イベント)のご案内
 
 私自身にしてもそうですが、憲法問題、平和問題に関心を持ち、活動を続けてきた個人や団体にとって、今年の憲法記念日安倍晋三首相が唐突に(と思われました)発表した「改憲メッセージ」と、その指示のままに動き出した自民党改憲案取りまとめ作業に対してどう立ち向かうか、どう迎え撃つかということが喫緊の課題となっています。
 今日は、その安倍「新9条改正案」を、隣国である大韓民国憲法を鏡として捉えようという、非常に興味深い企画を知りましたのでご紹介することにしました。
 それは、日本国際法律家協会が主催する「なるほど!新9条改正案を斬る」であり、7月21日に東京新宿のウィズ新宿(男女共同参画推進センター)で開かれます。
 
 私も登録しているMLに、同協会事務局長の(だったかな?)笹本潤弁護士から案内の投稿があり、その開催を知りました。
 笹本さんによると、「今回は、東京、大阪、奈良、名古屋で全国展開します。是非ご参加ください。」とのことで、大いに楽しみなのですが、日本国際法律家協会ホームページのイベント欄に掲載されているのは、東京会場のみでした。
 そこで、以下に4会場分の開催情報を転記しますが、そのうちの東京会場については、日本国際法律家協会ホームページのイベント欄に掲載された情報からの引用ですが、大阪、奈良、名古屋の3会場については、笹本弁護士の投稿からの転載であり、まだ登壇者などの細部が公表できる段階になっていないのかもしれません。従って、日程・会場を心に留めていただき、詳細については、日本国際法律家協会に問い合わすなど、適宜の方法で情報を集めていただければと思います。
※金原注 実は、元投稿では【名古屋集会】の開催日が「8月3日(金)」となっており、「3日」か「(金)」のどちらかが間違っているのだと思います。とりあえず、「8月3日(木)」と訂正しておきましたが、確認とれ次第、追記します。 
 
 日本国憲法第9条を考える時、他国の憲法の類似規定と対照することにより、その意義や機能をより深く、立体的にとらえることが可能となるのではないかと思います。
 有意義な企画と思い、(和歌山での開催ではりませんが)ご紹介することとしました。
 
●なるほど!新9条改正案を斬る
日時:2017年7月21日(金) 18:30~20:30
場所:男女共同参画推進センター(ウィズ新宿)
     東京都新宿区荒木町16番地
     都営新宿線曙橋駅」A4出口から徒歩3分
     丸ノ内線四谷三丁目駅」から徒歩10分
参加費:500円
チラシ
 韓国憲法第5条では、1項で侵略戦争の禁止、2項で軍隊は国の安全保障と国土防衛の任務とすると書いてあります。
 一見、専守防衛のための軍隊ですが、実際はベトナム戦争に派兵し、海外への武力行使の歯止めもなく、侵略戦争そのものに加担して戦闘行為をしたという事実があります。
 韓国の経験から、安倍首相が言っている9条3項に自衛隊自衛軍)を書き加える意味はどのようなことなのか、みなさんと考えたいと思います。
(登壇者)
飯島滋明氏(名古屋学院大学)「安倍首相の9条改憲発言について」
キョンジュ氏(韓国・仁荷大学)「韓国からみた日本国憲法9条」
笹本 潤氏(弁護士)「グローバル9条キャンペーンより」
司会:清末愛砂氏(室蘭工業大学
※金原注 なお、チラシによると、この企画は「イキョンジュ氏「アジアの中の日本国憲法」出版記念イベント」と銘打たれています。
 韓国仁荷大学・イキョンジュ(李京柱)教授の著書『アジアの中の日本国憲法は、7月31日に勁草書房から刊行されることが予告されています(予価5,076円というのはそこそこ値が張りますね)。
 
【大阪集会】
2017年8月1日(火)18:30~20:40
場所 大阪弁護士会館12階 1205会議室
参加費 500円
講師 イキョンジュ氏(韓国・仁荷大学)「韓国からみた日本国憲法9条」
お問い合わせ 
日本国際法律家協会 関西支部 田中 俊
TEL 06-4707-8004 (エヴィス法律会計事務所)
 
【奈良集会】
2017年8月2日(水)14:00~16:00
場所 奈良県教育会館
近鉄奈良駅から徒歩5分
 
【名古屋集会】
2017年8月3日(木)18:30~20:30
場所 名古屋YWCA ビッグスペース 
地下鉄「栄」下車東5番出口より東へ2分
 
 チラシにも書かれている大韓民国憲法の第5条をあらためて読んでおきましょう。容易にネットで読める2種の訳文を掲げておきます。
 
第1章 総綱
第5条①大韓民国は、国際平和の維持に努力し、侵略的戦争を否認する。
②国軍は、国の安全保障と国土防衛の神聖な義務を遂行することを使命とし、その政治的中立性は遵守される。
 
第1章     總綱
第5條①大韓民國は、國際平和の維持に努め、侵略的戰爭を否認する。
②國軍は、國家の安全保障及び國土防衛の神聖な義務を遂行することを使命とし、その政治的中立性は、遵守される。
 
(弁護士・金原徹雄のブログから/安倍改憲メッセージ関連)

紀南ピースフェスタ2017~つながるいのちのために~(8月5日・6日)のご案内

 2017年7月8日配信(予定)のメルマガ金原No.2867を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
紀南ピースフェスタ2017~つながるいのちのために~(8月5日・6日)のご案内
 
 田辺・西牟婁地方で、日頃から平和、環境、人権などに取り組んでいる諸団体が実行委員会を結成し、年によって、憲法記念日の頃であったり、夏休み中であったりと、開催時期は変わりつつ、開催を続けて今年で第8回目となる「紀南ピースフェスタ~つながるいのちのために~」。
 和歌山市方面での行事と日程がかぶることも多く、過去、魅力的な企画に参加できずに残念な思いをすることも度々でしたが、さて今年は?と思っていたところ、九条の会・わかやまホームページ(県内の取り組み)に今年のチラシが掲載されていました。
 いつもは6ページもあるような情報満載(過多?)のリーフレットでしたが、今年は両面印刷のチラシ1枚に情報を凝縮するという作戦のようです。チラシ記載のテキスト(文字情報)が抽出されているのがありがたく、「九条の会・わかやま」ホームページから全文転載させていただきましょう。さて、今年の「紀南ピースフェスタ」の中身やいかに?
 
チラシ文字情報から引用開始)
[オモテ面の文字情報]
2017
紀南ピースフェスタ
つながるいのちのために
 
会場:紀南文化会館 1階 展示ホール ほか
    (和歌山県田辺市新屋敷町1番地)
日時:8/5(土)12:00~17:00
      展示ホール~16:00・研修室~17:00
     8/6(日)10:00~15:00
入場無料
 
開催にあたって
 「平和」、「持続可能な地球」、「人権」、「環境」、「安全な食」、「フェアトレード」などをキーワードに紀南ピースフェスタを開催してきて今年で8回目となります。広がる一方の経済格差、脅かされる内心の自由、地方に押し付けられる基地と原発・・・という状況の中で、ピースフェスタが、わたし達のいのちと生活を守り、未来につなげていくための自由な井戸端会議として、また、アクションを起こしていく場となっていくことを願っています。皆さまのご来場を心よりお待ちしています。
 
オープニング Opening Concert
「阿部ひろ江ミニコンサート」
5日(土)12:00~12:25
1階展示ホール
 
演劇 Special Stage
「わたしたちのマララに」
出演:神島高校演劇部
5日(土)15:40開場 16:00~17:00上演
4階研修室 入場無料
 
こどもと一緒に楽しめる体験ブースやカフェ、クラフトコーナーなど盛りたくさん!
詳しくはウラ面へ
 
主催:紀南ピースフェスタ2017実行委員会
イベント情報・詳細の確認はこちら http://blog.murablo.jp/peace2011/
問い合わせ:事務局 
津村光男 TEL 090-5099-3753
木川田道子 TEL 090-7490-5032(20時以降)
 
[ウラ面の文字情報]
紀南ピースフェスタ2017 プログラム
8/5(土)
1階展示ホール
12:00 オープニング「阿部ひろ江ミニコンサート」
 飾らない詩、大地に根差した癒しの歌声を聴いてください。
 プロフィール:養護(支援)学校教師時代より平和、人との出会い、環境などをテーマに曲を作りギターで歌う。ベラルーシ、福島などの被災地やドヤ街、途上国などに精力的に歌いに行っている。CD「満月」「平和を願う心の歌」など。
12 :35 憲法まちかど対話「平和憲法が危ない!!~あなたの思いを話してみませんか」 (紀南9条交流ネット)
13:55 ヨツシーのバルーンアートヨッシーオカモト)
14:30 うたごえ広場(田辺・9条の会)
 
4階研修室
16:00 演劇上演「わたしたちのマララに」
 出演 神島高校演劇部 15:40開場・入場無料
 2014年17歳で「ノーベル平和賞」を受賞したマララ・エスフザイさんの物語を神島高校演劇部が朗読劇にしました。教育の大切さと武力の愚かさを訴えるマララさん。詩の朗読と合わせて、平和を守るために本当に必要なことについて、高校生と一緒に考えてみませんか。
 
8/6(日)
1階展示ホール
10:05 人形劇(9条ママnetキュッと)
10:25 筆の会しおんによる演奏
10:50 阿部ひろ江 歌とトーク
11:50  「ハツピィアイランドはどこ?今、福島を伝えたい」        福島の現状や紀南での保養キャンプの取り組みを聞き、わたし達にできることを一緒に考えたいと思います。(南紀おたすけ隊/福島=田辺サマーキャンプ実行委員会)
13:00 手話コーラス(若草&スマイル)
13:20 ヨッシーバルーンアートヨッシーオカモト)
14:30 クロージングコンサート
 
4階研修室
13:00 沖縄の話を聞く会
 
*時間帯によってパソコン要約筆記friends9紀南支部による情報保障が付きます。
*出店・出展内容、ステージ演目や上演時間は変更する場合がありますのでご了承ください。
 
ピ-スフェスタ茶席
 茶券(¥300)は当日受付で販売
 
アート&クラフトコーナー
 紀南ゆかりの作家さんたちによる作品展示
 
Foods・カフェコーナー
 
ビデオブース
『いのちの森 高江』ほか。マスコミでは取り上げられることの少ないドキュメンタリー作品などを観て学びます。上映時間など詳しいご案内は、ブログでご確認ください。
 
出店・出展・体験ブース(一部有料)
 
風船のワークショップ
 ヨッシーオカモト
 
絵手紙展示・絵手紙体験
 
核廃絶に関するパネル展
 平和委員会
 
自然エネルギーや福島の子ども遠のための支援活動を紹介する展示
 つゆくさと大地の会
 
フリーペーパー紹介と配布
 
フィリピン支援等の手づくりグッズ販売
 
交流の揚
 和のサロン
 
地球温暖化防止に関するパネル展示
 エコネット紀南
 
ライティングマラソン
 アムネスティ田辺よんろく
 
沖縄発“オキネシア”お菓子販売
 和歌山ネーネーズ+田辺聖公会有志
 
オーガニックフード
 K's gardeN
 
フェアトレードの製品販売とバングラディッシュの伝統刺繍「ノクシカタ」体験
 「フェアトレードエコロジーショップ ぴーす」と「世界と暮らしをつなぐハナソラ」(5日のみ)
 
子どもの工作ワークショップ、リサイクル品、お菓子の販売など
 南紀おたすけ隊 
 
その他の皆さん
(引用終わり) 
 
 今年も盛り沢山な「紀南ピースフェスタ」。特に、1日目の神島高校演劇部によるリーディング公演(のようですね)「わたしたちのマララに」は大いに興味がわきます。
 8月の第一土曜日は、和歌山市紀州おどりがあり、2005年以来「九条連」が連続出場してきましたので、普通に考えれば「8月5日は残念ながら田辺にうかがえません。ご盛会をお祈りします」ということになるのですが、今年は「普通でない事態」が進行しており、果たして「九条連」が8月5日に紀州おどりに出場するかは流動的です。さて、どうなることやら。
 いずれにしても、紀南ピースフェスタ2017が、例年以上の盛り上がりとなることを心よりお祈りします。

紀南ピースフェスタ2017紀南ピースフェスタ2017裏

「平和と戦争を考えるテレビ・ラジオ番組 2017年夏」(NPJイベント情報)~NHKのテレビ・ラジオ放送予定

 2017年7月7日配信(予定)のメルマガ金原No.2866を転載します。

 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。

「平和と戦争を考えるテレビ・ラジオ番組 2017年夏」(NPJイベント情報)~NHKのテレビ・ラジオ放送予定
 
 例年、ポツダム宣言受諾の翌日、いわゆる「玉音放送」が流された「8月15日」の前後になると、戦争関連のドキュメンタリー番組が(NHKを中心として)放送されます。つい「夏の風物詩」という不謹慎な言葉を使ってしまいそうになるほどです。
 ただ、あまりに短期間に集中して放送されると、本当に見たかった番組を見逃してしまうことになりがちですから、事前に情報を収集し、見たい(録画したい)番組に目星を付けておくことが望まれます。
 そういう意味で、NPJ(NEWS FOR THE PEOPLE IN JAPAN)に掲載された「平和と戦争を考えるテレビ・ラジオ番組 2017年夏」は、NHK限定ではありますが、まだ番組ホームページでも告知されていないものも含め、網羅的に放送予定が掲載されていてとても役に立ちます。
 内容から考えて、引用・転載しても差し支えないだろうと判断しました。なお、既に番組ホームページ等で告知されているもの、あるいは関連ホームページのあるもの等については、当該ページにリンクしておきます。リンク先に、より詳細な情報が掲載されているものもありますので、そちらの方も是非ご確認ください。
 なお、番組タイトルは、放送前に変更されることも十分にあり得ますし、放送時間自体が変更になることもあるでしょうから、録画・視聴の際は、番組表でご確認ください。


NPJ イベント情報 2017年7月6日
平和と戦争を考えるテレビ・ラジオ番組 2017年夏

(引用開始)
8/5 (土)
NHK Eテレ 後11:00~11:59
ETV特集「最後の盾~満州開拓村 女たちの敗戦~」

 岐阜県の山間地にある白川町。国策により中国東北部(旧満州)に開拓団として移住していた人びとは、ソ連侵攻後、置き去りにされた。ソ連兵に包囲された白川町の開拓団は、15人の若い女性を引き渡すことで生き延びたのだった。戦後、箝口令がしかれ彼女たちはひっそりと生きてきた。しかし、人生の最後を迎え始めた彼女たちが、70年以上秘めてきた事実を語り始めた・・・。


8/6 (日)
NHK総合 前8:00~ 
「広島平和記念式典」

 広島は、原爆投下から72年目の「原爆の日」を迎える。世界で核兵器廃止条約の機運が高まる一方で、核の脅威が深刻化する今。平均年齢が80歳を超えた被爆者たちの祈り、決して過ちをくり返さないという子どもたちの誓いを伝える。


8/6 (日)
NHKラジオ第1 前8:05~8:55 
「ドキュメント・原爆ドーム前

 原爆ドーム前で、さまざまな国の人々が集まって数時間もの間、語り合っている光景が日常化している。元英語教師で、胎内被爆者である三登浩成さん(71)は10年間ほぼ毎日、広島を訪ねる外国人に原爆について伝え続けてきた。中にはSNSで対話の様子を発信したり、通訳を買って出る人もいる。被爆72年の夏、原爆ドーム前で世界に何が発信されようとしているのかを見つめる。


8/6 (日)
NHK総合 後1:05~1:48
「”原爆の絵”は語る ~ヒロシマ 被爆直後の3日間~」
 あの惨禍を生き抜いた被爆者たちは、後世に伝えるため、自らの体験を「原爆の絵」に描き残した。およそ4200枚が原爆資料館に所蔵されている。今回、超高精細カメラで絵の細部まで丹念に撮影し、被爆直後の壮絶な3日間を時系列に沿って再構成することで、絵に刻まれた真実を追体験するようにたどっていく。


8/6 (日)
NHK Eテレシアター 後2:30~4:45
「これはあなたのもの 1943ーウクライナ」
 1981年にノーベル化学賞福井謙一氏と共に受賞したアメリカの化学者・ロアルド・ホフマン(1937~)は劇作家でもある。彼の作品『これはあなたのもの』が新国立劇場で上演された舞台を放送する。かつてはポーランド領であったウクライナに、ユダヤポーランド人として生まれたホフマン氏が、母とともにウクライナ人の屋根裏にかくまわれていたという実体験を戯曲にした作品である。


8/6 (日)
NHK総合 後9:00~9:49
NHKスペシャル「原爆死ホットスポット~ビッグデータで迫る72年目の真実~」
 1945年8月6日から今に至るまで広島市が蓄積してきた約56万人に及ぶ被爆者たちの記録『原爆被爆者動態調査』。被爆直後、作成された検視調書や救護所がまとめた死没者名簿の上に、戦後、市が集めた戦災調査や個人データも加え、今も更新が続けられている超一級データだ。NHKは、初めてこのデータを市から入手し解析した。すると、特定の被爆地や死没地、死因に極端な死者数の偏りがある”原爆死ホットスポット”の存在がわかった。知られざる被爆の真実に迫る。


8/6 (日)
NHK BS1 後10:00~10:49
「74年目の郵便配達」

 戦地と故郷を結ぶ唯一の手段だった「軍事郵便」。アジア・太平洋戦争中、その多くをアメリカ軍は戦地で押収し分析し諜報活動に利用していた。そして今、その手紙は、アメリカ国内で死蔵されていたり、オークションで売買されたりしている。「今ならまだ宛先に届けることが出来るかも知れない」。番組では、手紙を収集し、宛先をたどって届けることを始めた。激戦地ペリリューから長野県の家族に宛てた手紙。ガダルカナルで書かれた宛先不明の遺書。果たして手紙は届くのか。手紙の向こうにあるはずの家族の物語を追い始めた配達の記録である。


8/7 (月)
NHKラジオ第1 後9:05~9:55
「戦争の歌たち」

 1937(昭和12)年、政府は歌を戦争のために利用し始める。戦意高揚の曲が大ヒットする一方、戦況が悪化していく中で人々の心の拠り所となったのも歌だった。特攻隊員が出撃前に歌っていた男女の別れの切なさを詩にしたハワイアン。動員学生が出征する時に歌われた見送りの曲など、自発的にひそかに口ずさまれた歌もあった。それらの歌が生まれ、歌詞に込められた思いを、当時その曲を歌った人を訪ね、あの時代と同じ道をたどらないための道筋を探っていく。


8/9 (水)
NHK総合 前10:30~11:50 ラジオ第1 前10:55~11:30 
長崎平和祈念式典

 被爆者が高齢となり、体験の継承が課題となっている。そんな中、核兵器のない世界の実現に向け声を上げ続ける人々の姿を平和公園、そして祈りに包まれた市内2か所からの中継も交えて伝える。


8/9 (水)
NHKラジオ第1 後8:05~8:55
「原爆の惨禍を生き抜いて~知られざる”原爆孤児”」

 広島では2千人とも6千人とも言われる子どもたちが”原爆孤児”となった。集団疎開していた学童が8500人いたためだ。激動の戦後を幼い身で生き抜き、飢えや寒さで多くが亡くなった。生き残った子どもたちにも苛酷な人生が待っていた。今年、爆心地に近い袋町国民学校から集団疎開した級友たちが72年目の同窓会を開き、自分たちの悲劇を次世代に伝えたいと、初めてNHKの取材に応じた。


8/9 (水)
NHKラジオ第1 後9:05~9:55
「姉が残した被爆の記憶~72年前の日記が伝える平和への願い~」

 昨年9月、被爆直後から9日間の心情が綴られた日記が、長崎の原爆資料館で初めて公開された。寄贈したのは日記を書いた女性の弟(80歳)で、自身も被爆し、語り部として原爆の悲惨さを伝えてきた。20歳だった姉の日記と自身の体験を織り交ぜた朗読劇を地元の人たちと創り上げ、公演しようと取り組んでいる。


8/9 (水)
NHK総合 後10:00~10:50
NHKスペシャル「沖縄と核」
 一昨年、アメリカ国防省は「沖縄に核兵器を配備していた」事実を公式に認めた。これを受け、機密文書の開示が相次ぎ、元兵士たちも重い口を開き始めた。そこで浮かび上がってきたのは、実に1300発もの核兵器が置かれ、危機的な状況に置かれていた沖縄の実態だ。そして、この「核」の存在こそが、沖縄への米軍基地集中をもたらすひとつの要因となっていたという新事実。新資料と関係者の証言から、沖縄と「核」の知られざる歴史に光を当てる。


8/12 (土)
NHK総合 後7:30~8:45
土曜ドラマスペシャル「1942年のプレイボール」
 戦争の時代に翻弄されながら、ただひたむきに野球を愛し、全員がプロ野球選手となった4兄弟の物語。


8/12 (土)
NHK総合 後9:00~9:50
NHKスペシャル「本土空襲~日本はこうして焼き尽くされた~」
 アジア・太平洋戦争で米軍が行った日本本土への空襲。その全貌を解き明かす新資料や映像が、いま相次いで発掘されている。これらの映像や資料を分析する中で、史上初めて「軍用機の戦争」と化したアジア・太平洋戦争が、なぜ無制限にエスカレートし、多くの命を奪う道をたどったのかが浮かび上がる。


8/12 (土)
NHK BSプレミアム 後9:00~10:29
スペシャルドラマ「返還交渉人─いつか、沖縄を取り戻す─」
 外交官、千葉一夫。戦時中、海軍の通信士官だった千葉は、沖縄を圧倒的な武力で攻撃する米軍の無線を、ただ傍受することしか出来なかった。戦後、本土から切り離され、アメリカ統治下となった沖縄。アメリカと外交交渉を重ねながら、何度も沖縄に足を運び、人々の苦悩に真摯に耳を傾けた千葉。その信念の奥底にあった、想像を絶する体験とは。実話に基づいた物語を、井浦新戸田菜穂らが演じる。


8/12 (土)
NHK BS1 後9:00~9:49
BS1スペシャル 「長崎 幻の”原爆ドーム”」

 かつて長崎にも”原爆ドーム”があった。爆心地から500mで廃墟と化した浦上天主堂だ。長崎市は、原爆の悲惨さを伝えるために廃墟を保存する方針を示していたが、戦後13年目の春、突如取り壊されて姿を消した。アメリカ外遊から帰国した市長が取り壊しを支持したことからアメリカの関与も疑われた。なぜ長崎は原爆の象徴を「残さない」という決断をしたのか。”幻の原爆ドーム”の謎に迫る。


8/12 (土)
NHKEテレ 後11:00~11:59
ETV特集「原爆と沈黙~長崎浦上地区の受難」

 長崎で原爆が炸裂したのは、浦上地区の上空だった。キリスト教徒と被差別部落の人たちが暮らす地域だった浦上では、およそ1万人のクリスチャンと被差別部落の人々が命を落とした。生き残った被爆者たちは、その体験を語らずに封印した。戦後72年の歳月を経て、沈黙を守っていた浦上地区の被爆者たちも、重い口を開き語り始めた。また、被差別部落出身者の、40時間にのぼる被爆体験の証言が見つかった。いま、浦上出身の若者たちが、祖父母、親世代の体験について真剣に対話を始めようとしている。


8/13 (日)
NHK BS1 後10:00~11:49
BS1スペシャル「なぜ日本は焼き尽くされたのか~米軍幹部が語った”真相”~」

 アジア・太平洋戦争末期、日本の敗戦が濃厚となる中、なぜ米軍は空爆を続けたのか。米軍関係者を取材する中で、貴重な史料が見つかった。日本爆撃を実行した米空軍100人の幹部の「肉声テープ」だ。米空軍の野望や焦りが語られる。「B29で結果を出したい。何も成果を上げてなかった」当初は予算も少なく、開戦時2万人だった航空軍は、終戦時には200万の巨大組織に急拡大し、米軍の中核となっていく。番組は、4年間の戦争の中で変貌していく航空軍を通して、戦争の怖ろしさの本質に迫る。


8/14 (月)
NHK総合 後8:00~8:43
NHKスペシャル「証言ドキュメント 忘れられた戦場~樺太・40万人の悲劇~」

 北海道の北に位置する巨大な島サハリンは、かつて樺太と呼ばれ、40万人の日本人が暮らしていた。8月15日、玉音放送で敗戦を知った将兵たちのもとに「自衛戦闘ヲ敢行スベシ」という命令が届いた。武装解除に応じるのか、戦闘を続けるのかをめぐって混乱する中、各地でソビエト軍との交戦が続き、兵士と民間人5000~6000人が犠牲となった。なぜ戦闘が続けられることになったのかを示す資料は失われ、これまで真相は闇に包まれていた。今回、NHKは、日本軍の内部資料や幹部たちに関する史料を発掘した。さらに、100人を超える樺太元住民や軍関係者の証言や手記を集めた。ここから見えてきたのは、東京の参謀本部ー札幌の司令部ー樺太、というピラミッド構造のもと、上部組織の命令の真意が問われることなく、理不尽な判断が繰り返され、兵士や住民にしわ寄せが及んでいく実態だった。番組では、ソ連侵攻後、終戦をはさんで2週間続いた樺太戦の全貌を描き出し、悲劇の実相に迫る。


8月15日 (火)
NHK総合 後7:30~8:43
NHKスペシャル「全記録 インパール作戦」
 補給線が断たれ、無謀な戦いで甚大な死傷者を出したインパール作戦は、旧日本軍の体質をさらけ出したとされている。インドとミャンマー両政府との長い交渉の末に、今回初めて現地取材が可能となった。さらに新資料や作戦を指揮した将官の肉声テープなどから、「インパール作戦」の全貌をあきらかにし、決して忘却してはならない惨禍の記録を未来へと継承する。


8月19日 (土)
NHK Eテレ 後11:00~11:59
ETV特集「戦時中の暮らしの記録~名もなき庶民が綴った1763通の手紙~」

 50年前「暮らしの手帖」編集長花森安治は、戦争中の”庶民の暮らし”を特集号として出版した。読者から寄せられた未掲載文も含む1763通の手記は、今も大切に編集部に保管されている。そこには、苛酷な暮らしにも楽しみや生きがいを見いだし、命をつなぐ知恵を絞る、人々のたくましさやしたたかさが綴られている。番組では、投稿を寄せた本人やその家族を訪ね、あの戦争を”人びとの暮らし”に徹底的にこだわって見つめ直す。
(引用終わり)

市民連合わかやま講演会「こんな私も政治を変えられる(岡歩美さん・市民連合みえ)」@7/22プラザホープのお知らせ

 今晩(2017年7月6日)配信した「メルマガ金原No.2865」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。

市民連合わかやま講演会「こんな私も政治を変えられる(岡歩美さん・市民連合みえ)」@7/22プラザホープのお知らせ

 メルマガ金原No.2865をお届けします(2017年7月6日現在の読者数250名)。
 
 今年の2月4日(土)、アバローム紀の国において、自由党参議院議員森ゆうこさんから、2016年参院選新潟県選挙区でのご自身の闘い、そして、それから間もなく行われた新潟県知事選挙での米山隆一候補の選挙対策本部長としての闘いに相次いで勝利された経験を伺うという得難い機会がありました(「憲法と平和・原発・沖縄問題を考えるシンポジウム(基調講演:森ゆうこ参議院議員)」2017年2月4日@和歌山市を振り返る/2017年2月5日)。
 
 また、4月28日(金)には、和歌山県民文化会館において、上智大学の中野晃一教授講演会が開かれ(主催:青年法律家協会和歌山支部)、参院選における野党共闘を主導した「市民連合(立憲主義の回復と安保法制の廃止を求める市民連合)」呼びかけ人として、運動の中間総括と今後の展望が語られました(中野晃一氏講演会「市民の力で立憲民主主義を創る~他者性を踏まえた連帯の可能性~」@和歌山市(4/28)の動画紹介/2017年4月28日)。

 市民連合わかやま(立憲主義の回復と安保法制の廃止を求める市民連合わかやま)は、森ゆうこさんの時は実行委員会の中心を担い、中野晃一さんの時は、同日、同じ会館の別室において、県下で市民連合わかやまの趣旨に賛同して活動されている方々にお集まりいただいて地域交流会を開き、終了後、みんなで中野先生の講演を聴講したのですが、いずれも独自企画という訳ではありませんでした(特に後者は「他人の褌で相撲をとる」に近い?)。

 その市民連合わかやまが主催する、独自企画による講演会のチラシが出来上がってきましたのでお知らせします。市民連合みえのよびかけ人・岡歩美(おか・あゆみ)さんにお話いただけることになりました。
 昨年の参院選では、全国32の1人区全てで(「事実上の」も含め)野党共闘が成立し、その内、森ゆうこさんの新潟を含め、11の選挙区で野党が勝利を収めましたが、その多くが東日本に偏っていたことは紛れもない事実です。
 西日本で勝利したのは、大分の足立信也氏(民進)と三重の芝博一氏(民進)の2人だけですからね。三重を西日本と言ってよいのかどうか、やや疑問もありますが、近畿圏の一部とされることもあり、県域の一部は旧紀州藩領であったというご縁もあるので、まあ西日本と言っていいでしょう。
 岡田克也代表(当時)の地元であり、他県に比べれば民進の地盤が強いとはいえ、それでも野党共闘を成立させ、勝利にこぎ着けるには多大の苦心があったものと思います。
 市民連合みえのよびかけ人の1人として、選挙戦を戦い抜いた体験を共有し、今後の私たちの運動の糧に出来ればと念願しています。

 開催まであと2週間しかありません。是非情報の「拡散」にご協力ください。そして、1人でも多くの方にご来場いただきたく、何卒よろしくお願いします。
 なお、付言すると、チラシには「14:00~16:30」と記載されていますが、これだけの時間、岡さんがしゃべりっぱなしということはあり得ないので、聴衆の皆さんにも参加していただいての経験交流や意見交換に相当の時間が割かれるはずです。
 
チラシ記載情報から引用開始)
市民連合わかやま講演会
講演 
こんな私も政治を変えられる 
市民と立憲野党がつながり、変える
参院選勝利した「市民連合みえ」の体験-


講師 

岡歩美(おか・あゆみ)さん 
 市民連合みえ よびかけ人
 元SEALDs 東海
 1990年三重県生まれ。元幼稚園教諭東日本大震災をきっかけに政治に関心を持つようになる。2015年9月SEALDs 東海創設にかかわり、2016年4月に市民連合みえを設立。

日時 2017年7月22日(土)14:00~16:30 

      ※開場は30分前(13:30~)です
場所 和歌山県勤労福祉会館プラザホープ 2F多目的室
      和歌山市北出島1丁目5-47(TEL:073-425-3335)
参加無料
託児をご希望の方は、1週間前までにご連絡ください。

[主催]市民連合わかやま(立憲主義の回復と安保法制の廃止を求める市民連合わかやま)[お問合せ]あすか綜合法律事務所(弁護士・豊田泰史)
 和歌山市六番丁24 ニッセイ和歌山ビル11階
 TEL:073-433-3980 FAX:073-433-3981
(引用終わり)
 
 時間のない中で、なかなかセンスの良いチラシが出来たと思います。ただし、今さら刷り直す訳にもいきませんので、以下の2箇所の誤植を訂正しておきます(正誤表ですね)。
 場所 (誤)プラザホープ2F多目的ホール → (正)多目的室
 お問合せ (誤)(弁護士・豊田泰司) → (正)(弁護士・豊田泰史) 
 
(参考動画)
戦争法案に反対する東海緊急街宣 WIND 岡歩美(元幼稚園教諭)(7分20秒)

※2015年8月23日 JR名古屋駅東口
 
125「戦争法廃止の政府実現めざすつどい」岡さんスピーチ(11分40秒)

※2015年12月5日 三重県津市・リージョンプラザ

市民連合リレートーク 06.11 岡 歩美 ( SEALDs TOKAI )(9分30秒)

※2016年6月10日 東京・全電通会館ホール
 
 
(付録)
『一台のリヤカーが立ち向かう』 作詞・作曲・演奏:中川五郎
 

岡歩美(市民連合わかやま)チラシ