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憲法を大事にし、音楽を愛し、原発を無くしたいと願う多くの人と繋がれるブログを目指します

「原発がこわい女たちの会ニュース」第98号が届きました

 今晩(2016年7月6日)配信した「メルマガ金原No.2502」を転載します。

 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。

 

原発がこわい女たちの会ニュース」第98号が届きました

 

 松浦雅代さんから、「原発がこわい女たちの会ニュース」の第98号が届きました。前号が届いた時、「ほぼ規則正しく3か月に1度届く同会のニュースですが、このままのペースを維持すれば、年末には記念すべき100号に到達します。「持続する志」というありきたりの賛辞だけでは追いつかない大変さがしのばれます」と書きましたが、ほぼ3か月のインターバルで第98号が届きました。いよいよ第100号へのカウントダウンが始まったというところでしょうか。
 ところで、前号では、汐見文隆先生の訃報が伝えられましたが、第97号が発行されて間もなく、寺井拓也さんが70歳の若さでご逝去されました。今号でも末尾に短い追悼文が掲載されていますが、「原発がこわい女たちの会」公式ブログには、5月28日に田辺の「ララロカレ」で開かれた「寺井拓也さんを偲ぶ会」の模様を含め、より詳しい追悼の文章が掲載されていますので、そちらも転載させていただきました。いずれ、私のメルマガ(ブログ)でも、追悼特集をお届けしたいと思っています。

 

原発がこわい女たちの会ニュース NO98号・2016年7月3日発行
事務局 〒640-0112和歌山市西庄1024-15 TEL・FAX073/451/5960松浦雅代方
原発がこわい女たちの会ブログ http://blog.zaq.ne.jp/g-kowai-wakayama/

福島事故の教訓どこへ
6月20日、関西電力高浜原発1、2号機を         
原子力規制委員会は40年超え60年まで運転延長を認可した。

 東京電力福島第一原発事故を経験した民主党政権下では30年代に「原発ゼロ」を目指すとしていたが2012年末、自民党安倍政権に交代し、「原発回帰」へと一変した。
 安倍政権下では2030年度の総発電量に占める原発の割合を20~22%とする計画を決めた。同じく事故を教訓とした運転期間の「40年ルール」も形骸化。運転延長は「極めて例外」のはずが今後も老朽化した40年超の原発を運転させる。高浜1、2号機の運転延長の審査は7月7日までに終了しないと廃炉になるために、熊本の地震についても無視したまま運転延長を認めた。なお適合性に係わる追加安全対策で2160億円かかり、再稼働の時期も工事が終わる2019年10月以降だ。なお同じく運転延長を申請している美浜3号炉は11月末が審査の期限。

◇6月20日に共同声明を出しました。同封しています。
 60年運転延長の原子炉は再稼働するまで時間があります引き続き反対して行きましょう。
(金原注)「脱原発わかやま」を含む19団体による共同声明が「原発がこわい女たちの会」公式ブログに掲載されています。ちなみに、19団体は以下のとおり。
福井から原発を止める裁判の会/高浜原発40年廃炉・名古屋行政訴訟を支える市民の会/原発設置反対小浜市民の会/ふるさとを守る高浜・おおいの会/避難計画を案ずる関西連絡会/脱原発はりまアクション/おおい原発止めよう裁判の会/3.11ゆいねっと京田辺原発なしで暮らしたい丹波の会/原発なしで暮らしたい宮津の会/脱原発わかやま/グリーン・アクション/美浜・大飯・高浜原発に反対する大阪の会/放射能のゴミはいらない!市民ネット・岐阜/川内原発30キロ圏住民ネットワーク/玄海原発プルサーマルと全基をみんなで止める裁判の会/国際環境NGO FoE Japan/福島老朽原発を考える会/原子力規制を監視する市民の会
「共同声明 40年超え老朽炉を廃炉に! 高浜原発1・2号機の運転期間延長認可に抗議」

◇「老朽原発廃炉に」の署名用紙同封しています。9月末まで
(金原注)
「40年超えの老朽原発 高浜1・2号、美浜3号は廃炉に」署名フォーマット
同署名用紙(PDF)
6月29日に行われた院内集会の動画をご紹介しておきます。
20160629 UPLAN 老朽炉を廃炉に!院内集会と署名提出(2時間30分)

 
高浜3、4号機→大津地裁仮処分その後の動き

 今年の3月9日の高浜3、4号機の仮処分決定に対して、(女たちの会ニュース-97号に記載)関西電力は執行停止申し立てをしていました。これに対して、6月17日、大津地裁は却下する決定をしました。今後、少なくとも仮処分異議に対する決定が出るまでの間、関西電力は高浜3、4号機の運転が出来ないことが確定しました。

◇報告:4月12日~14日・福島県を訪れました   梅原清子 

 今回の訪問の目的は、5年経った被災地の現状をみておくことと、佐藤栄佐久・元福島県知事と本宮市に避難中の橘 柳子さんに会って話を聞くこと。
 佐藤栄佐久さんは、原発がこわい女たちの会28年のつどいで「原発問題と地方の論理」と題して講演していただいたので、1年ぶりである。橘さんは、最近除染されたという浪江町のご自宅まで案内いただくことにした。
 4月12日、朝7時和歌山市を出発、東海道新幹線東北新幹線を乗り継いで14時に最初の訪問地・福島県郡山市に到着。総計すると確かに延々7時間だが、行き慣れた東京からはたったの1時間半。まずこの近さに驚いた。
 郡山駅から、佐藤栄佐久さんの従弟さんに案内していただいて、栄佐久氏ご自宅へ。ご夫妻で待っていてくださった。お二人には、昨年の和歌山(帰路には伊勢旅行された)の思い出を写真など交えて話され、歓待していただいた。
 栄佐久氏は退職金返納命令の取り消しを求めた訴訟で、今年2月仙台高裁において、返納一部取り消し(3期目取り消し)で一応決着。2006年の収賄罪で冤罪不当逮捕・起訴から10年という長期にわたったが、不本意ながらもこれら裁判闘争に一段落した、という局面におられる。(文末に佐藤栄佐久ブログ公式文を転載)
 栄佐久氏は福島県知事5期目に逮捕起訴された。栄佐久氏の弟さんがまだ任意で取り調べを受けているときに、「知事は日本にとってよろしくない。いずれは抹殺する」と担当検事が言い放ったように(平凡社刊『知事抹殺』より)、収賄額ゼロ円で収賄罪に問われるという不思議な裁判であった。この「国策」裁判の経緯を私たちは肝に銘じるとともに、栄佐久氏ブログの付記にもある闘う知事の姿勢に学びたい。
 この日の宿は、近くの磐梯熱海温泉・浅香荘。ここで先に待っていて下さった橘さんと合流して、かけ流しの温泉と美味しい料理を楽しむことができた。でも翌朝、部屋のカーテンを開けると、目にとび込んできたのが斜面一面の雑木林。雑木には赤いテープが張られていて、除染作業済みのサインがあった。ああここはフクシマなんだなあ、と思った。
 2日目は橘さんの案内で浪江町へ。いま橘さんが住んでいる仮設住宅からは橘 毅氏の運転で、本宮市を出発、二本松市、川俣町、飯舘村南相馬市浪江町へと進んだ。途中、休憩や昼食を挟みながらおよそ3時間の行程だ。
98号フレコンパック ちょうど春真っ盛りの頃で、あちこちには桜、そして椿に木蓮、レンギョウ水仙、芝桜などが競うように咲いていたが、進むにつれて車窓からの風景は、変わっていく。除染作業中の作業員の姿が見える。道路端の元田畑には、除染廃棄物を入れた黒いフレコンパックの山が続々と現れる。土をかぶせたものや塀で目隠しをしたものもある。
 放射線量を測る。測定値はあくまで参考値だが、次の通りである。
 前日の佐藤栄佐久氏自宅(除染済み、郡山市内)で測った時は、室内で放射線量0.08マイクロシーベルト毎時(以下、μSv/h )、テラスに出ると0.17μSv/h。
 浪江町までの走行中の車内では、0.2レベルだったが飯舘村に入ると0.5レベルにアップ。浪江町にある橘さん宅の庭では0.5μSv/h。除染済みでもこの値だ。橘さん宅の庭は以前、5μSv/h位あった。除染によって今回放射線はひと桁低くなったが、敷地南側の水路に近づくと1μSv/h近くになった。
98号請戸港 浪江町請戸港へ。ここは福島第一原発から約7㎞、写真の中央、消点あたりに原発サイトの排気塔が見える。左方、堤防の外側では護岸工事が始まっていた。
 311の津波に流された住宅の跡地では、基礎と土台部分がキチンと残っているのには妙に感心させられた。この辺りは以前来たときは雑草が生繁ってさっぱり見えなかったそうなので、この間に除草されたのだろう。避難指示解除の前触れと思われる。
 この請戸港近く見渡す限り荒涼とした一帯に、われわれ一行とガードマンさん以外は人けがなく、工事用のダンプだけが砂埃あげて走っていた。
 橘さん宅は、庭は雑草が抜きはらわれ、庭木は剪定、土が入れ替えられピッカピカになっていた。しかし除染済みでも放射線量は先に記したように0.5μSv/h。そして住宅内は、壁に亀裂が走り、避難当時の大混乱のまま家具や郵便物が散乱していた。ご近所も除染済みらしく外見上は閑寂な住宅街である。が、整地された庭土にイノシシとおぼしき足跡がみられたりして、人けのない住まいや町並みは正直いって異様な印象だ。休憩で立ち寄った川俣町のスーパーマーケットや昼食をとった南相馬市原町の喫茶店が、それなりにお客で賑わっていたのとも比べられない。
 テレビやネットの報道、映画や雑誌の映像などで見聞きする機会はたくさんあっても、実際に自分の目や足で確かめた経験は記憶の襞に張付く。今回初めて福島を訪れることができた。もちろん、足を踏み入れた場所や出会った人たちはごく限られた範囲である。よく言われるように、福島といっても地域差が大きく一括りにはできない、原発被災一色というのも間違い、それもその通りなのだろう。私は頭の中にあった福島のイメージを修正したり強化したりして、より確かなものにしていけたらと思う。  

佐藤栄佐久 公式ブログより転載】
2016年3月9日
福島県との退職手当返納命令に関する裁判についてのご連絡
退職手当返納命令に関する仙台高裁判決を受け発表したリリースを本サイトにも掲載いたします。
佐藤榮佐久
 福島県との間で退職手当返納命令に関して争っておりました、仙台高等裁判所平成27年(行コ)第14号退職手当返納命令取消請求控訴事件(原審・福島地方裁判所平成26年(行ウ)第6号)並びに同裁判所平成27年(ネ)第276号退職手当返還請求控訴事件及び同反訴請求事件(原審・福島地方裁判所平成26年(ワ)第131号)の各判決について、今般、上告及び上告受理申立をしないこととしましたので、ご連絡致します。
 なお、上記各判決において、収賄事件について冤罪である旨の主張が入れられなかった点について、上告理由及び上告受理申立の理由を構成するのが困難と判断しましたが、前提とされた収賄事件の判決は、最高裁において確定しているとはいえこれを是認することはできませんので、今後も新証拠の発見に鋭意努力し、再審によって身の潔白を図りたいと思っていることを付記させて頂きます。
以上
<連絡先> 
武藤正隆法律事務所  電話024?534?4111
佐藤榮佐久代理人 弁護士 武 藤 正 隆
               同  藤 井 和 久

橘毅氏に恐る恐る話をお聞きしました。 「生きるということ」→①
2016年4月13日~14日

 梅原清子さんがJR本宮駅から帰られた後、私は橘さんご夫妻の仮設住宅で、今までいつも運転して下さっていて、話をする機会がなかった橘毅氏に話を聞く機会を持っていただいた。が宿泊する「浅香荘」の夕食タイムもあって途中で失礼して翌日、続きを聞くことになった。それでも時間が足りなかった。
 1937年東京で生まれ、戦争で福島に強制疎開。いじめにあった。子どもだけではない、大人からも。言葉の違いが大きかった。ボコボコにされながら殴られても、じーと我慢して殴らなかったそうです。
 農家の子供は銀シャリで、僕は風呂敷を背中に、弁当箱の中はサツマイモ2個であった。福島事故の疎開で70年前の嫌な経験がよみがえった。と話されました。
 敗戦後福島の実家へ。仙台で土方仕事をしながら大学を5年で卒業し、東京の企業に4年半勤めた。
98号請戸漁船 父の病気で福島に帰ってきたが就職先がなく、その当時公務員は大卒を採用しなかった。それで28歳で教員免許を取得し29歳から中学校の先生になったそうです。そして初めて赴任した学校が請戸中学校。今回希望して東北震災から5年目の請戸港に行ってもらった時、請戸港は工事中で立入れなかった。港のすぐそばから集落の跡が、流された家の土台が残っていた。その土台だけの集落跡を歩いていたとき、毅氏は最初教えた請戸中学の一番の悪ガキが、船を新しく造ったので、進水式に来てほしいといわれている。と嬉しそうに話して下さった。災害で命を落とさずに生き残っていたのと、新しく息子の船を作り漁師として次の世代へ引き継いでいこうとしている。一番の悪ガキで手が付けられない位だったと言いながらも、何ともうれしそうな毅氏の姿を請戸港で見ることが出来ました。毅氏のホームグランドだったところが、家も人も流され、もう元には絶対戻らない。人も自然環境もばらばらに汚染されてしまった。毅氏の内なる慟哭が少し分かったような気がしました。(松浦雅代)

報告・4月29日―原発がこわい女たちの会結成29年のつどい―
勤労者総合センター6階ホールに於いて
チェルノブイリ30年・福島5年を考える」 今中哲二氏講演会

 今中さんは、3月末で京都大学原子炉実験所助教を定年退官されたところですが(女たちの会ニュース97号に詳報)、当面は実験所研究員として福島県飯舘村を調査続行されるそうです。
98号今中 今中さんは、広島出身で被爆2世だが、大学で原子力工学を専攻したのはそのせいではなく、福島原発現地の双葉町商店街に掲げられたPR看板「原子力 明るい未来のエネルギー」(当時小学生だった大沼勇治さん作の標語。2015年看板撤去に反対運動が起こった)のような明るいイメージを抱いていたためだそうです。「私も騙され、日本の多くの人が騙されていた」と。そこから原子力の見方が変わったのは、大学で学び社会の動きを知るうちに、後述のような原発政策の胡散臭さに気づいたからと明かされました。
 「29年のつどい」で松浦代表が挨拶の中でも触れていたが、今中さんや、遡ってすでに退官された熊取の京大原子炉実験所の先生方との出会いは、ぺんぺん草時代からのもので、教えられ支えられて女たちの会にとっては本当に貴重な賜物でした。もちろん熊取以外の先生方にも言い尽くせないほどのお世話になってきたのですが。
 講演会終了後の今中さんを囲んでの会食の際にも、40年以上という永のおつとめご苦労様でした、などとだれも言葉にしませんでした。まだこれからもバリバリ働いていただくつもりだから、ご本人もそのおつもりだろうからです。
 さてこの日の講演ですが、福島原発事故から5年経った被災地飯舘村の現状、スリーマイル、チェルノブイリ原発事故の概要と教訓、そして福島事故の経緯、情報開示の遅れ、直後の飯舘村調査、放射線被ばくと障害、子どもの甲状腺ガン、自然放射線との関連、等々これまでの集大成のような多岐にわたるお話しでした。
 とくに示唆深かったことをいくつか、挙げておきます。
(1)スリーマイル原発事故から学んだのは、不幸にも炉心溶融メルトダウン)が実証され「原発事故は起きるもの、原発は危ないもの」ということが骨身にしみた確信に変わったこと。チェルノブイリ原発事故では、地域社会が丸ごと消滅する、原子力専門家として解明できるのは被害全体のごく一部にすぎない、ことが分かったということ。
 「原発は、起きるか起きないか、危険か安全かではない。起きるし、危険なものに決まっている。だから事故が起きたらどれ位危険なのか、リスクの程度や規模を明らかにしていかねばならない」と問題意識を語られました。
(2)誤った情報や不作為、情報隠しなどは許されないことと断罪されるべき。しかし腹立たしいことに、原子力開発、原発事故においてはウサンくさいことだらけ。
 次の2つの例を今中さんは挙げられた。
その1、1964年原子力委員会決定の「原子炉立地審査基準」に「重大事故を越えるような技術的見地から起こるとは考えられない事故の発生を仮想しても、周辺の公衆に著しい放射能災害をあたえないこと(中途省略)」とある。これをクリアするような原発などあろうはずないのに、日本のすべての原発はこの基準を充たしているとして建設されてきた。
その2、1960年日本原産会議報告での原発事故の損害評価額は1兆円。当時の国家予算1.7兆円に迫るような、あり得ない程の巨額である(電力事業者が賠償すべき保険金の額は当時50億円)。
 つまり原発開発の当初から、事故が起こればとんでもない規模になることを知りつつ、原発は安全であるという安全神話を敷いてきたのです。
 行政の意思決定や政策実行に係る役人は、組織で動き個人の顔をもたない。政策を裏で仕切りながら、(フクシマの避難区域の除染政策などにもみられるが)そこに間違いや不作為があっても責任が問われることがないのは許し難い。役人の「個人責任を問う」システムをつくる必要があると強調されました。
(3)これまで何度も今中さんの講演は聞いてきたが、一貫しているのは、「データは可能な限り提供しますから、判断は皆さんでしてください」というスタンスだ。例えば原発事故から避難するか否かについて、放射線の汚染の程度を知って決めるのは私たちなのです。
 個々の住民市民は、だれかにいわれて上の方からいわれてそれに従うのではない、自分自身が考え判断して行動する、そのことこそが大切だと。自立した市民たれ、ということなのでしょう。私たちに対する深いエールなのだと受け止めています。
 もう一つ、一貫しているのは、余計な被ばくはしない方がいい。が、ある程度の被ばくは避けられない(なぜなら福島原発事故による放射能汚染、60年代米ソの大気内核実験からの残留放射能、これらを含む自然からの放射能に囲まれているのだから)。この相反する要件に折り合いをつけること、結局どこまでの被ばくをガマンするのか、ということになる。(今中さんは、原子力施設からの一般公衆の線量限度を大まかに年間1ミリシーベルトとされる)
 残念ながら福島原発事故の後、放射能汚染と向き合わねばならない時代に生きることになった私たちは、放射能放射線について学習し、ベクレル、シーベルトの値になじんでいくほかないのだと。
(4)さらに、今中さん個人として言いたいこととして3点を上げられました。
◇避難区域の除染政策を見直し、お金の使い方を考え直すべきだ!
◇日本に住んでいる人全部についての被曝量評価を行い、しかるべき健康追跡調査を、国の責任で行うべきだ!
◇行政の意思決定や政策実行にかかわる役人や政治家に間違いや不作為があった場合には、ヒアリングを行い、個人責任を問うシステムが必要だ(前述)!
 そもそも日本列島にこんなにも原発を作ったのが間違っていた!
 いったん動き出したら止められない日本丸では情けない。間違いを素直に認めて、原発の再稼働は止めるべきである!と締めくくられました。 (梅原清子)
◇本講演録はユーチューブにアップされています。

事故時5歳児、甲状腺がん~悪性・悪性疑い173人
投稿者: ourplanet 投稿日時: 月, 06/06/2016 - 13:00

(引用開始)
 東京電力福島第一原発事故後、福島県が実施している「県民健康調査」の検討委員会が6日、開催され、事故当時5歳だった子どもにも甲状腺がんが見つかったことが分かった。検討委員会では3月末に発表した「中間とりまとめ」において、「事故当時5歳以下からの発見がないこと」などを理由に、「放射線の影響とは考えにくい」と評価していた。1巡目と2巡目の健診をあわせて、悪性・悪性疑いと診断された子どもは、前回より6人増え、172人となった。  
 本格検査(2巡目)結果~2014年~2015年
 福島県立医大の大津留晶教授はまず、2014年から2015年に実施された本格検査(2巡目)の結果を報告した。それによると、2次検査で穿刺細胞診を行い、悪性または悪性疑いと診断された子どもは前回より6人増えて57人となった。
 57人の先行検査結果は、A1が28人(49.1%)、A2が25人(43.8%)、B判定は4人(0.7%)だった。A2判定だった子どものうち、結節があった子どもは17人、なかった子どもが18人だった。平均腫瘍径は10.4ミリで、最大は35.6ミリだった。この2年間で腫瘍が急成長した可能性がある。
 また年齢は、最年少が 事故当時5才と、はじめて事故当時5歳以下の子どもが甲状腺がんと診断された。チェルノブイリでは、5歳以下の子どもが多数甲状腺がんとなったことから、検討委員会はこれまで「被曝の影響とは考えにくい」との見解を示してきた。一方、事故当時5歳以下の子どもに甲状腺がんが多発したのは、事故5年以上経ってからと指摘する研究者もおり、今後、この世代で甲状腺がんが多発するかどうかが、ひとつの焦点となる。
 男女比は男性25人に対して女性は32人と約3:4の比率となっている。甲状腺がん専門医である清水一雄委員が、「通常の乳頭がんは男女1:7。男性の比率が多いことについて検討しているのか」と質問。これについて大津留氏は、集計の問題であるなどと回答した。
 本格検査で摘出手術を受けたのは14人増えて30人となり、全員が乳頭がんと診断された。
先行検査(1巡目)結果~2011年~2013年
 次いで、2011年から2013年まで実施された先行検査(1巡目)の確定結果が公表された。前回の口頭発表と変わらず、穿刺細胞診で、悪性または悪性疑いと診断された子どもは116人と報告された。
 平均年齢は震災当時14.9才で、最年少は震災当時6才。男女比は男性39人に対して、女性が77人と約1:2の比率だった。また平均腫瘍径は13.9ミリで、最大は45.0ミリだった。
 すでに摘出手術を受けたのは102人で、手術後の組織診断によって、乳頭がんが100人、低分化がんが1人、残る1人は良性結節だった。これまで低分化がんは3人公表されてきたが、昨年11月に甲状腺がん取り扱い規約が改定されたことに伴う変更という。
(引用終わり)
 
◇報告 5月28日10時30分~「脱原発わかやま」の総会が田辺市でありました。

 2年ごとの役員改選の年で、代表は白浜町日置の冷水喜久夫氏、事務局長は田辺市の田中友氏、副代表は串本町の中西仁士氏と和歌山市松浦雅代氏、会計は新宮市の濱野兼吉氏に決まりました。
 お昼からは同じ会場で「寺井拓也さんを偲ぶ会」が開催されました。
 
寺井拓也さんありがとう。

 寺井拓也さんは4月14日に癌で亡くなられました。(享年70歳)
 昨年の6月に「脱原発わかやま」の総会が田辺市で開催され福井の中嶌哲演氏の話をお聞きしました。その時少しご自分で風邪気味です。と言われていました。
 終了後ホールの前で田辺市の人たちと知事候補がないか、何とかしたい話をしておりました。寺井夫妻もおられました。それから1年も経たないうちに亡くなられるとはこの時、誰も思いもしませんでした。寺井さん自身もそうだったと思います。
 1996年に当会で「暮らしとエネルギー」講師寺井拓也氏(田辺市・つゆくさの会)の記録があります。が私は余り覚えていません。2000年2月に故高木仁三郎さんが和歌山に来られた時、高木さんご夫妻を白浜の南方熊楠館やお泊りになった湯峰の旅館にご案内されたのは寺井さんであったと、忍ぶ会が終わってしまってから思い出したのです。あまり目立たずにしかし安心して任せることができる人でした。
 2010年に汐見文隆氏から「脱原発わかやま」の代表を引き継ぎ、その翌年2011年に福島原発事故が起き、デモや抗議文等の初めての経験の中で果敢に行動されました。「原発を拒み続けた和歌山の記録」の編集、出版は寺井拓也さんの努力なしではなし得なかったと思います。
 あらためて 寺井拓也さんありがとう。 
 ご冥福をお祈りいたします。 (松浦雅代)

原発がこわい女たちの会拡大世話人会を開催します。
◎8月4日(木曜日)13:00~16:00  ◎テーマ・「女の会30年目に入って」
 場所:ボランティアサロン(フォルテワジマ~旧丸正百貨店)6階D会議室

<記>
☆女たちの会の会計報告と郵便口座振り込み用紙を同封します。7月中に会費納入をお願いします。
蒸し暑い。原発を止めるため。戦争を止めるため。声をかけて投票に行こう!7月10日投票日。

原発がこわい女たちの会」公式ブログから 2016年06月05日(日)
寺井拓也さんを偲ぶ

(引用開始)
 4月14日、寺井拓也さんが私たちの前から旅立っていかれました。享年70歳。
 寺井さんは、田辺市白浜町の「つゆくさと大地の会」の会員で、2010年から汐見文隆氏に代わって「脱原発わかやま」の代表をされていました。次の年に3.11東京電力福島原発の事故が起き、代表になられたばかりでご苦労もあったと思いますが、福島原発事故の過激さに果敢に行動され代表の責務を果たされました。原発のみならず寺井さんは平和や人権の問題にも精力的に取り組んで来られたことはよく知られています。
 草の根の市民運動の理論的・実践的存在として紀南の田辺市に腰を据えながら、全県下へ、全国へ、視座を広げ行動されてきたのです。
 私たちの知る寺井さんは、事故後の県当局との話し合いなどの時、緻密な論理構成で私たちの主張と相手方の対応をかみ合わせてもらえる方でした。当局やマスコミに公表する抗議文書なども的確に作成していただきました。どれも何処かからの借り物ではなく、ネットや書物を丹念に検索し事実のみを抽出した実証性に基づいていることに、いつもこころ強さを感じていました。
 進行した大腸癌が発見されたとの突然の報を受けたのは、昨年6月20日の「脱原発わかやま」総会で元気にお会いしたそのすぐ後の7月中旬でした。信じられない、ウソであってほしい、何故ここまで分からなかったか…、と思わずにはいられませんでした。
 寺井さんは治療に専念されることになり、緊急手術の後は抗がん剤治療を止めて自宅療養、食事療法を続けられました。
 病魔に負けないで、と回復を願う祈りもむなしくついにご逝去されたが、葬儀は行われず遺体は医学部に献体されました。ずっと以前よりの寺井さんの意思であり遺言だったそうです。
偲ぶ会1 去る5月28日(土)、田辺市において、「寺井拓也さんを偲ぶ会」が催されました。準備万端して下さったのは、田辺市在住の方々を中心に脱原発わかやまと9条ネットの皆さんでした。老若男女(若はやや少なし)およそ70名の参加者は、寺井さんとの思い出を語り合い、今後に残されたものを共有しました。
 RaRa Locale(ララロカレ)は、今は民家カフェだがかつてつゆくさの会結成も行われた場所。ここの2F のギャラリーが会場です。
 正面には白い花に囲まれていつもの温顔で微笑む寺井さんの遺影が掲げられ、この傍らでスピーチが続きました。
 全部で20名の方々からのリレー・スピーチ(ご挨拶、メッセージ代読を含む)は圧巻。
異口同音でした。実証的、細かく調べ尽す、熱心で几帳面、計画性があって粘り腰。けれども決して固執的ではなく、細やかな気配りで、分かりやすく伝える広がりがあった…。
その一方で、謹厳実直そうなのにユーモアがあって愉快、ふだんは小さい声なのにデモを先導するシュプレヒコールはとてつもなく大声、等々ユニークなお人柄を示すエピソードも。
偲ぶ会2 とくに『原発を拒み続けた和歌山の記録』(寿郎社)出版に関しては、寺井さんが実質的な調整役として共著者の個性を繋ぎ、こまごまとした雑用事務をも担われたからこそ成しえたこと、と何人かの関係者からの証言もありました。
 この著作は、後日、「地方出版文化功労賞奨励賞」を受賞するというおまけがつくのですが(2013年7月28日の本ブログ参照のこと)、寺井さんによる受賞記念スピーチ草稿(偲ぶ会でプリントが配付)は、寺井さんの出版にかけた思いの深さを示すものです。なお当日は寿郎社の社長夫妻もご出席でした。
 最後にお連れ合いの秋代さんから、ご挨拶がありました。家庭人としての素顔は、ますます寺井さんのことを彷彿とさせるものでした。
 一つあげるなら、「主夫」をされていたことは知っていたが、そのご夫妻間のいきさつや日常の家事について具体的にお聞きするのは今回が初めてでした。とくに「夫は外で働き、妻は家庭を守る」という性役割イデオロギーに囚われず、妻が外という逆転スタイルで結婚生活の大半を貫いたということはやはり稀有なこと。生前にもっとお話ししてみたかったです。
 「(彼の誠実さ、熱心さに)感心するというより、変わってるな~と思った(笑)」と仰る秋代さんなのですが、ご友人の証言によると、夫に点数をつけるならばの話で「120点!!」だったそうです。寺井拓也さんのエネルギッシュな市民運動は、その基地としてよきご家族ご家庭をお持ちだったからかもしれません。
 「平らかで穏やかな日々を家族で最後に過ごせたことは幸せでした」という秋代さんの言を深く肯きながらお聞きしました。
合掌
(引用終わり)

「原発がこわい女たちの会ニュース」第97号が届きました

 本日(2016年4月3日)配信した「メルマガ金原No.2415」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
原発がこわい女たちの会ニュース」第97号が届きました

 松浦雅代さんから、「原発がこわい女たちの会ニュース」の第97号が届きました。ほぼ規則正しく3か月に1度届く同会のニュースですが、このままのペースを維持すれば、年末には記念すべき100号に到達します。「持続する志」というありきたりの賛辞だけでは追いつかない大変さがしのばれます(「メルマガ金原」はたかだか5年ですからね)。
 ところで、今号の末尾では、汐見文隆先生の訃報という悲しいお知らせがありました。低周波音公害の第一人者であった汐見先生が、環境問題、原発問題についても深く関わってこられたということはうかがっていたものの、残念ながら、私個人は親しく先生の謦咳に接する機会を持つことはありませんでした。
 けれども、お元気な頃には、青年法律家協会和歌山支部が主催する憲法記念講演会にはほぼ欠かさず奥様とご一緒に来てくださっていたことなどが思い出されます。
 心よりり、ご冥福をお祈りします。
 また、4月29日(チェルノブイリ事故30周年の3日後)には、「原発がこわい女たちの会結成29年のつどい」が開かれ、同会ともお馴染みの今中哲二さんが講演されます。3月末で京大原子炉実験所を定年退官された後、現在は研究員として残っておられるようです。是非今から日程をご予定ください。

 


原発がこわい女たちの会ニュース NO97号・2016年3月31日発行
事務局 〒640-0112和歌山市西庄1024-15 TEL・FAX073/451/5960松浦雅代方
原発がこわい女たちの会ブログ
 
http://blog.zaq.ne.jp/g-kowai-wakayama/
 
3月9日滋賀県大津地裁の高浜3.4号機差し止め判決
 山本善彦裁判長+小川紀代子裁判官+平瀬弘子裁判官による判決でした。
 稼働している高浜原発3号機を止めました。高浜原発4号機は4号機自らの判断で警報を出して止まりました。今動いているのは川内原発1号機だけです。
 
 高浜原発差し止めを命じた大津地裁の仮処分決定に対して、関西の財界では、17日「なぜ一地裁の一人の裁判長によって、国のエネルギ―政策に支障を来すことが起こるのか」関西経済連合会副会長・角和夫氏(阪急電鉄会長)の発言。18日には、関電の八木誠社長は逆転勝訴した場合、住民側に損害賠償請求をする可能性にも言及。弁護団は法廷闘争をやめさせるための「恫喝だ」と反発している。脱原発弁護団全国連絡会と高浜原発仮処分滋賀訴訟弁護団は22日、八木社長に抗議と発言撤回を求めた。関電に送った書面には「申立人らを恫喝して仮処分の維持を断念させ、全国の原発の運転禁止の仮処分が新たに申し立てられることを牽制する目的であるとしか考えられません」と。

(金原注)2016年3月9日に大津地方裁判所(山本善彦裁判長)が高浜原発3号機、4号機の運転差し止めを命じた仮処分決定の意義については、即日、私もブログで取り上げましたので、ご参照いただければ幸いです(高浜原発3号機(運転中)、4号機の運転禁止を命じた大津地裁仮処分決定の大きな意義/2016年3月9日)。
 

原発がこわい女たちの会結成29年のつどい
チェルノブイリ30年・福島5年を考える」
◇講師・今中哲二氏(京都大学原子炉実験所 研究員)
◇2016年4月29日(金曜日・祝日)13:30~16:00
◇会場・和歌山市勤労者総合センター6階文化ホール
      和歌山市西汀丁34(市役所西隣)TEL:073-433-1800(アクセス
◇参加費300円 だれでも参加できます。
 

放射能に包囲されて生きてます。
                                福島県本宮市から  橘柳子  
 福島原発事故後、諦観と共に5年生きる。毎年3・11の日が近づくと、その日からの、故郷脱出行が脳裏によみがえる。そしてよく今日まで生きてきたと…。その命が、自分がいとおしくなる。浪江町には、国及び東電から原発事故の連絡もなく、町民も又何も知らないまま悲劇の民としてやみくもに避難の車列に加わる。そこから流転の身となるとはどれほどの人が思ったことだろう。
 15日に避難した体育館では冷たいおにぎりと水、そこ冷えする床に毛布一枚。一睡も出来ないまま朝を迎える。死を予感して脱出。雪の道路を夢中で運転し、友の家にたどり着く。その後は、五感を働かしても分からない放射能に追われて、現在は10か所目の仮設での棄民生活。
 そのような苦しみと悲しみを、耐えて生きている避難者がいるということも無視して、次々と原発再稼働の暴挙。すでに4機目。
 あの過酷で残酷な福島原発事故がなかったかのごとくに…。事故後5年間で関連死は
2000余名、地震津波による直接死は1600余名。
 関連死が直接死より多い現実を国も企業も知らないはずがない。やはり民衆は、地にはう虫のごとくふみつけられているのだ。情けない。もっと情けないのが、再稼働に関して、各県の自治体や議会が、抗議の声や決議を上げない怪。理由は何と「他県の行政に口出しできない。」である。一旦事故がおこり放出された放射能原発立地県にのみとどまり、浮遊してるだけだったか。「NO!!」でしよう。その真実は全国の人々が知っているではないか。
 こんなに小さな国なんだよ。電波はゆきわたるのだ。せめても見解と判断を、意見書、抗議文等で意志表示をすべきではないか。
 そんな中で2016年2月東京電力は「炉心溶融基準に5年間気づかなかった。」である。日本のTop企業ともあろう東京電力がである。ど素人の私でさえ、あの地震の日の状況とTVの映像で「メルトダウンは起きたな」「故郷は奪われるな」と予感したのである。専門家集団が事故後5年も経ってから、恥ずかしげもなく、今頃「メルトダウン」の基準に気づかなかった?。「ウソでしょう!」だ。民衆がその言葉にどう反応しようが関係ない。とにかく頭を下げて嵐が通りすぎるのをまつ。その後は、日にちが事実をうすらげ、消えてしまうことを願い、ひたすら耐える。「バカな民衆」はすぐ忘れるだろう。あきらめるだろう。と…。何かあったらそのときは、「金の匂いを…」だと考えている。思っているのだ。そして又これが通る一面がある日本社会。日々を生きなければ、生きのびなければいけないから、はたまた、この苦しみをのりこえるには、苦しまされた分、ギンギンと楽しいことをするのだと、原発事故の避難のつらい思いを、いっ時のはかない楽しみなるものにすがっているのか…?「時の流れに身をまかせ… 」か。
 人間の尊厳はどうしたのだ。未来に生きる子たちに何を遺(のこ)してやるのだ。金は必要だけどはかないよ。放射能のない安全な自然でしょう。安心な社会でしょう。自然に対する「畏敬の念」への希薄さが、この震災と原発事故を引きおこしたのだと思っている。
 敗戦後の日本の復興はすばらしいといわれるが、心の問題は置き去りにして、人として許してはいけないものを許し、70年間を生きてしまったのだ。原発事故に対しても、同じむきあい方を、今までどうりにしているのではないか。国策として進めた原発と事故に対する責任も責任者もあいまいにする。すなわち許すということになる。この国はいつから、こんなに「人間の責任」というものが軽んじられるようになったのだろうか。
 故郷を放射能に追われ流浪の身になるということは、どうゆうことかと「我がことのように…。」考えてみることから脱原発反原発への思いが深まるのだと考えている。
 多くの命をはぐくむ大地を放射能で汚染して、人間をはじめ、もの言わぬ動植物の棲み処(か)をうばってしまった。国策として原子力政策をすすめて54基もの原発地震国に造った国と電力会社・企業の責任は免れることがあってはならない。
 「怒りを友に元気と二人づれ」といって、今まで生きてきたけど、諦観なくしては生きられない側面もあるのだ。そして時折り「もうどうでもいいや」の思いにおそわれる。その心の葛藤の中で生きている。
本宮市仮設住宅 仮設の狭い空間から見える空の雲は春を感ずるようになった。以前よりも多くの種類の鳥類の姿も見かける。野の草花もたくましくかれんな小花をつけている。一方で飛行機の音と夜空にみえる灯。日中はうるさくもあるが、飛行雲と夜の灯のまたたきはきれいだと思う。しかし、無言の恐怖を感ずるのだ。心は休まらないままの5年が…。今まで生きてこられたのは、なんとか耐えられたのは多くの方々のささえがあったからこそである。大事に大事にして感謝とともに生きてます。
 ちなみに私は現在「自家感作性皮膚炎」なるものと格闘中。原因はわからない由。連れあいは、毎日飲んでいます。体調がよくなければ飲めないはずだと思いながら静観。妻の言うことなど聞くはずもなく…。(だから言わないが…>)。日中眠り、夜は一晩中、自分の世界に入って飲んでいる日々である。生きてま~す!!         
 
2016年3月11日   強制避難の地 で…。
 
※写真は、橘さんが暮らしている本宮市仮設住宅、後ろの森が放射線量が高い。(2014年11月撮影)
 
(金原注)2012年10月に、脱原発和歌山と原発がこわい女たちの会の招きにより、 田辺市和歌山市で講演された橘柳子さん(浪江町から県内避難)は、その後も「原発がこわい女たちの会ニュース」に寄稿されたり、松浦雅代さんが福島の橘さんを訪問されたりという交流が続いています。
「原発がこわい女たちの会ニュース NO85号・2013年7月15日発行」
「原発がこわい女たちの会ニュース NO87号・2013年12月27日発行」
「原発がこわい女たちの会ニュース NO88号・2014年5月15日発行」
「原発がこわい女たちの会ニュース NO93号・2015年03月29日発行」
 

◇報告 大島堅一氏の講演 電力自由化で何がどう変わるのでしょうか
2016年3月5日(日) 勤労者総合センター6階にて14:30~16:30
 
 これまで電力会社からみて、原発は造れば造るほどもうかる装置でした。経費を電気料金に上乗せでき(総括原価主義 2020年に廃止)、かつ市場はほぼ独占状態でした。その上原発は国の方針もあり、ブレーキもハンドルもないアクセルのみの車のように原子力拡大計画が進められてきました。 
福島原発の事故によってエネルギー政策の大転換が始まりました。
 今年4月から、一般家庭までを含めた電力の小売り自由化が始まりました。安い電気を買いたい!原発の電気を使いたくない!再生可能エネルギーに切り替えたい!等、という人が、電気を選べる制度が始まりました。
 電力自由化原子力の継続を困難にします。私たちにとっては喜ばしいことですが、原子力発電をベースロードとしたい自民党政権電力自由化の下でも原子力発電を継続させるために、資源エネルギ―庁によって「事業環境整備」という名の延命策が講じられようとしています。
原子力延命策の整備>
★解体費用の引き当て不足、廃炉にともなう損失は託送料金の仕組みを使って回収可能。
★再処理事業の継続と永久化。電力自由化が進展すると原子力事業者自身が競争にさらされ再処理積立金の積み立てが十分におこなわれなかったり, 破綻してしまったりする可能性があります。
再処理事業が継続できなくなるので、再処理費用をあらかじめ拠出金として徴収し、さらに、再処理事業者を認可法人とする「再処理等拠出金法案」を閣議決定しました。
この法律が成立すれば、電力自由化の影響は再処理事業には及ばなくなります。
原子力事故に対する損害賠償の問題。福島原発事故の費用は13兆円以上(2014現在)
原子力事故の損害賠償額に限度額を設けるための検討が政府の原子力委員会でおこなわれています。リスクを国民・電力消費者に負わせることになります。
★系統運用における優先給電。右ページの上図。日本のベースロード電源優先給電図。
右ページ下図ドイツです。ドイツは原発なしです。ベースロード電源はありません。ドイツにできて日本に出来ないことはありません。
 
原子力延命策がどのような過程でどこで誰が決めているのでしょうか?これも大きな問題です。
結論・原子力への特別優遇策を撤廃し、電力システム改革を適切に実施することが必要です。
まず、私たちは原子力発電会社の電気を買わない選択をすることだと思います。
 
[ニュース5頁]
(上図)電力需要に対応した電源構成(経産省
(下図)講演パワポ写真・8月の電力需給(ドイツ)
 
(金原注)
 大島堅一教授講演会については、原発がこわい女たちの会ブログに詳細なレポートが掲載されています。
 
また、小谷英治さん撮影による動画もアップされています(1時間25分)。

 

福島第一原発事故は誰も責任を取らない国の構造が浮き彫りになった5年間。
 
 福島原発告訴団は、東京電力福島第一原子力発電所の事故により被害を受けた住民1万4716人で構成し、原発事故を起こし被害を拡大した責任者たちの刑事裁判を求めて、2012年6月、福島地方検察庁へ告訴を行いました。
 13年9月に検察(金原注:回付を受けた東京地方検察庁)が全員不起訴。13年10月検察審査会へ申立て、14年7月「起訴相当」を含む議決。15年1月に検察が再度不起訴とするも、同年7月、検察審査会は2度目の起訴議決をだしました。
 ついに被疑者、勝俣恒久、武黒一郎、武藤栄の3人が「強制起訴」となり、刑事裁判がスタート。これから長い法廷闘争が始まります。
○被告人は3人
 勝俣恒久東京電力元会長)
 武藤栄(東京電力元副社長)
 武黒一郎(東京電力元副社長)
○検察官役の弁護士(指定弁護士)5人
 石田省三郎さん、神山啓史さん、山内久光さん、渋村晴子さん、久保内浩嗣さん。
○被害者
 議決は、爆発したがれきに接触するなどして負傷した東京電力の関係者、自衛官等13名と避難に伴う双葉病院の死亡した44名を被害者として認定した。
(東京第5検察審査会の起訴議決は、被害者を上記の二つに絞り込んでいる。)
○何の罪に問われているのか
 大津波の試算をするなど危険を認識していながら対策を怠ったことが原発事故を引き起こし、死傷者を出した容疑で、業務上過失致死傷罪に問われています。
 
 告訴団には関西から1800人前後、和歌山からも40人くらいの人が参加していました。
 
 強制起訴が決定した段階で福島原発告訴団は初期の務めを終えることになり、これからは「福島原発事故刑事訴訟支援団」へと発展的に解消する。
 この裁判は何年続くのか分からないが、責任ある立場の東電の元幹部たちにきっちりと責任をとってもらう判決が出るまで裁判を支援して行きましょう。支援団に参加し共に支えて下さい。詳しくは下記へ
福島原発刑事訴訟支援団
〒963-4316福島県田村市船引町芦沢字小倉140-1 電話(080-5739-7279)
福島原発告訴団関西支部第16号ニュースより)
 
(金原注)東京第五検察審査会の起訴議決に基づき、2016年2月29日、検察官の職務を行う指定弁護士は、勝俣恒久東京電力会長ほか2名を業務上過失致死傷罪(平成25年法律第86号による改正前の刑法2111条1項前段)で東京地方裁判所に公判請求(起訴)しました。その内容を紹介した私のブログをご参照ください(2016年2月29日 勝俣恒久元東京電力会長ほか2名が業務上過失致死傷罪で起訴された/2016年3月6日)。
 

今中哲二 さん
今年3月末で京大原子炉実験所を退官。
お疲れさまでした。
 
今中哲二氏(97号)2016年2月10日(水)熊取町の京大原子炉実験所に於いて(左の写真)

 第112回目の京大原子力安全問題ゼミが開かれました。今中さん最後のゼミは「福島原発事故から5年」でした。原子力と付き合って47年。
★スリーマイル原発事故から学んだこと。として◎原発の大事故はホントに起きる。◎炉心の水がなくなったら燃料は解ける。★チェルノブイリ事故調査から学んだこと。として◎原発で大事故がおきると周辺の人々が突然に家を追われ、村や町がなくなり地域社会が丸ごと消滅する。◎原子力の専門家として私に解明できることは、事故による災厄全体の一側面に過ぎず、解明できないことの方が圧倒的に大きい、と。そして飯館村のいまを話されました。最後に日本のエネルギー需要の変遷のグラフを説明し。何がホントに大事なのかもう一度考えてみよう。と終えられました。
 次にウクライナからDrボロジーミル・ティーヒ―さんが「チェルノブイリ事故後30年!その意味と現状」を話されました。川野真治さんが通訳解説されていました。
 司会はゼミも懇親会も小出裕章さん(昨年退官)でした。
 今年は今中哲二さんが熊取6人組の最後の退官者になりました。今中さんは4月からは京都大学原子炉実験所研究員として、しばらく同じ職場に居られます。
 今中哲二さんにも「ぺんぺん草」の時から原子力のことを教えていただいています。30年以上のお付き合いです。出来の悪い私たちですが今中さんたち熊取の人たちは我慢づよく指導してくださったと思います。感謝しかありません。この日も海老沢徹さん、小林圭二さん、川野真治さん、小出裕章さん、の皆さんが参加され、一人ずつ発言されていました。ゼミの参加者は150名でした。懇親会の最後に今中さんの息子さん哲平君がとても良い挨拶をされました。
 こんな近くに専門家が5人もいたことは、私たちにとってはとてもラッキーでした。(松浦雅代)
 
(金原注)2016年2月10日に京大原子炉実験所で行われた第112回「原子力安全問題ゼミ」における今中哲二さんとボロジーミル・ティーヒーさんの発表資料が、「原子力安全研究グループ」のホームページに掲載されています。
「福島原発事故から5年」今中哲二(京都大学原子炉実験所)
「チェルノブイリ:この30年間そして現在における意味」ボロジーミル・ティーヒー(ウクライナ)
 
ティーヒーさんが書かれ、今中さんが翻訳された「キエフ州ポリスケ市の終焉」という論考をかつてご紹介したことがありました(ポリスケ市は全市避難を決めた~チェルノブイリ事故から4年後に/2014年9月21日)。
 
なお、この日のゼミの動画もアップされていましたのでご紹介しておきます。
第112回原子力安全問題ゼミ 熊取六人衆挨拶(海老沢徹・小林圭二・川野眞治・小出裕章)(27分)

第112回原子力安全問題ゼミ 今中哲二さん講演(全編版)(1時間09分)

第112回原子力安全問題ゼミ 質疑応答(50分)

 
あまりに長くて視聴が大変という人のためには、約10分のダイジェスト版をお勧めします。
第112回原子力安全問題ゼミ 今中哲二さん講演より抜粋(10分版)

 

汐見文隆先生 長い間 本当にありがとうございました。
ご冥福をお祈りいたします。
 
 3月20日。汐見文隆氏がお亡くなりになりました。92歳でした。
 原発がこわい女たちの会を結成する時。それまで汐見文隆氏の主催する「公害教室」のアシストとして手腕を発揮されていた汐見恵さんを「原発がこわい女たちの会」(準備会でほかの名前もあったが、多数決でこれに決まった)立ち上げのために是非参加してもらいたい。と文隆氏に日置川町の「ふるさとを守る女の会」結成の参加報告と共に、4月26日のチェルノブイリ原発事故から1年目に和歌山の女たちの会のネットワークを結成するために協力をお願いしました。そして、ぺんぺん草のメンバーと汐見恵さん等を含めた女たちで、1987年3月29日に和歌山市で「原発がこわい女たちの会」結成集会を開くことが出来ました。結成記念講演「私たちの健康と原発」講師は汐見文隆氏(医師)でした。
 さらに4月26日には田辺市和歌山県のネットワーク「紀伊半島に原発はいらない女たちの会」の結成集会が開催できました。
 「原発がこわい女たちの会」の世話人会は汐見恵さん宅の客間で開かれました。朝の10時から12時まで、当時状況がとても緊迫していたので、最低、週に一回位集まっていました。隣接する汐見内科医院の病院のコピー機で、必要な枚数を言っとけば、先生が診察の合間にコピーして持って来てくれました。当会のニュースもコピーしてもらいました。随分長い間お世話になりました。汐見先生は客間も紙も印刷も自ら提供していただきました。しかし、口出しは一切ありませんでした。
 汐見恵さんの調子が悪くなるまで使用させていただきました。
 汐見文隆氏は5年前の2011年2月27日に開催されました大島堅一氏「ほんとうのこと 知ろう 原子力のはなし」で大島さんの話を聞きに来られていて、大島さんと和歌山駅の近くで一緒に食事をされました。それが女たちの会の集まりに出られた最後です。
 3月23日18:00~お通夜。翌日3月24日10時~告別式がとり行われました。
 汐見恵さんはどちらの式にも車椅子で参加されていました。(松浦雅代)
 
(金原注)
 
汐見先生が積極的に講演活動をされていた頃は、まだ動画がインターネットにアップされて誰でも視ることが出来るなどという時代ではありませんでした。
 従って、「風力発電の被害を考える会わかやま」が、DVD「風力発電の羽根の下で~和歌山における被害の実態~」制作のために汐見先生からお話を伺ったインタビュー映像が残されたのは貴重でした。約15分の動画をご覧ください。
低周波音公害と現代医療~汐見文隆~

 
(記)
  
集英社新書憲法改正」の真実 
樋口陽一小林節の対話説明がよくわかる。
福島県の小児甲状腺がん166人に・崎山比佐子氏の講演の報告は次回にします。
★今中哲二さん、先月末で熊取「京都大学原子炉実験所」を退官されました。是非4月29日の「女たちの会結成29年のつどい」にみなさん参加してください。

 

「原発がこわい女たちの会ニュース」第96号が届きました

 今晩(2015年12月28日)配信した「メルマガ金原No.2318」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
原発がこわい女たちの会ニュース」第96号が届きました

 松浦雅代さんから、「原発がこわい女たちの会ニュース」の第96号が届きました。松浦さんが編集後記で「こんなに年が押し迫っているときにパソコンに向かって女の会ニュースを作成するのは初めてです。」と書かれているように、12月24日という「年末も押し迫った常識外れなこの時期に」「高浜原発3・4号機の再稼働スケジュールに配慮した、結論ありきの決定」(弁護団声明)を福井地裁が出したために、高浜原発再稼働目前という状況で2015年が暮れようとしています。
 しかし、松浦さんも書かれているとおり、「へこたれたら負けます。」
 「原発がこわい女たちの会ニュース」第96号を読んで、闘志をかき立てて新年を迎えましょう。
 

原発がこわい女たちの会ニュース NO96号・2015年09月28日発行
事務局 〒640-0112和歌山市西庄1024-15 TEL・FAX073/451/5960松浦雅代方
原発がこわい女たちの会ブログ 
http://blog.zaq.ne.jp/g-kowai-wakayama/
 
        大飯原発3・4号機及び高浜原発3・4号機運転差止仮処分
          申 立 人 声 明
 
 司法よ!おまえもか・・・と言わざるを得ない「決定」に対し、強い憤りを覚えました。
 
 しかしながら、わたしたちは決して負けたわけではありません。
司法が、三権分立の砦を守り切れず、政府と原子力ムラに負けてしまっただけのことです。
 
 こんな情けない「決定」を出さざるを得なかった裁判官のみなさんもさぞや、後味の悪い想いに駆られていることでしょう。
裁判官自らが、法の番人であることを放棄し、国民の権利である基本的人権を踏みにじったのですから・・・
裁判官がつけているバッジは、三種の神器のひとつである八咫(やた)の鏡をかたちどったものです。
鏡が非常に清らかで、はっきりと曇りなく真実を映し出すことから、八咫(やた)の鏡は、裁判の公正を象徴しているものと言われています。
福井地裁の裁判官のみなさんのバッジは、きっと曇っていたのかもしれません。
 
 わたしたちの弁護団の意見陳述は、どのような秤ではかろうとも、「正義」であり、科学的根拠に基づいたプレゼンテーションは、関西電力をはるかに凌駕するものでした。
その真実をどのような天秤にかけてはかれば、このような「決定」を下すことができるのか信じられません。
 
 わたしたちは今日この日の「怒り」をエネルギーにして、「正義は勝つ!」その日まで、さらに闘い続けます。
 
 全国からご支援してくださったみなさま
わたしたちの闘いはこれからも続きます。
転んでも転んでも立ち上がり続けることこそが、市民運動であり、草の根運動の真の姿です。福島原発事故を風化させないために、そしてわたしたちの未来を担うこどもたちに「核のない世界」をプレゼントできるその日まで、ともに闘いぬきましょう。
 
     2015年12月24日
    
                大飯・高浜原発運転差止仮処分申立人一同
 
今大地晴美・水戸喜世子・高橋秀典・松本なみほ・西村敦子・水戸晶子・長谷川羽衣子・石森修一郎・松田正
 
 

福島の原発事故によって膨大な放射能がばらまかれました。避難した人たちも残った人たちも、今でも、苦難と不安の中で日々を送っています。この福島の現実を無視して原発を再稼働させる人々への怒りをバネに原発廃炉へ!

<以下、ここ数週間の経過です。は市民側の動き>
12月1日の議会初日に高浜町長が賛同表明をするとの情報があり
 ▲11月27日高浜町長に再稼働表明しないように緊急要請書を提出(91団体で;提出団体に原発がこわい女たちの会も入っています)
12月3日 高浜町長再稼働に同意表明 
 ▲「避難計画を案ずる関西連絡会」で抗議声明を出す
12月17日 福井県議会が再稼働に同意。
12月18日 政府は原子力防災会議(議長は安倍晋三首相)を開き、再稼働手続きが進む関西電力高浜原発の周辺自治体の避難計画を了承(計画了承は事実上、再稼働手続きの一環)。首相は、「具体的で合理的」と評価し「万一、事故が起きた場合、政府が責任をもって対処する」と述べた。
12月19日 福井県原子力安全専門委員会の「審議とりまとめ」が出る。(基準地震動700ガルは過小評価だと委員の一人が報告書を厳しく批判したが無視)
 
▲審議前に要望書を出す
12月20日 林幹雄経済産業大臣福井県を訪れ西川福井県知事と面会。林経済産業相は「安全対策や事故時の対応に国が責任を持つ」と語った。
 
▲12月22日 「関西広域連合委員会委員」宛の署名提出(16日~21日6日間のネット署名+紙署名で5086筆)
 
▲12月22日 京都府知事宛に再稼働反対の要請を申し入れ。京都府庁にて記者会見。
12月22日 福井県西川知事が再稼働に同意表明。
 
▲「避難計画を案ずる関西連絡会」で抗議声明を出す。
12月24日 福井地裁関西電力高浜原発3、4号機の再稼働を禁じた4月の同地裁の仮処分決定を取り消した。大飯原発3、4号機の運転差し止め仮処分申請も却下。
手続き上の出来レースを観ているようでした。最後に、司法は福島の事故後の司法としての責任を放棄した、としか思えません。
12月24日 関西広域連合が国に対して申し入れ。
関西広域連合の副連合長は仁坂和歌山県知事です。申し入れ文を同封します)
関西広域連合ホームページ
(金原注 福井地裁決定については、私のブログ(高浜原発3号機・4号機運転差止め仮処分を取り消した福井地裁決定~「コピペ決定」という河合弘之弁護団長の断言は正しい
/2015年12月26日)をご参照ください)
 

避難計画では住民の安全は守れない!
原子力防災は廃炉しかない!
  
 福島県の面積は広い。和歌山県の面積の3倍あります。それは福井県京都府滋賀県大阪府の一部を合わせてようやく福島県と同程度の面積になります。
原子力防災は廃炉しかない! 原発から30kmまでの避難計画は各都道府県がすることになっています。高浜原発から約30キロ圏内に福井・京都・滋賀の25万人以上が暮らしています。その人口割合は京都府が51%、滋賀県が23%、福井県が26%です。京都府福井県より避難住民が多くなるわけです。また京都府舞鶴市の一部は5㎞圏内にあります。福井県の知事と関電は、再稼働の判断は福井県と高浜町だけで十分、と言って、今回も福井県内でも再稼働の判断は高浜町だけでした。再稼働の同意権は福井以外に、最低30キロ圏内の京都や滋賀にもあって当然だと思います。「事故が起きた場合、政府が責任をもって対処する」と安倍首相が言っても、事故が起きれば国は責任を取らないのは福島の事故の状況を観ればよくわかります。 

 さらに高浜原発では、福島県原発事故を無視したとしか考えられない事故想定と被ばく評価が登場しました。国と関西電力の被ばく評価は驚くほど過小評価です。放射能放出率は、福島原発事故の千分の1以下。原発から5㎞地点で1㍉シーベルト以下(7日間屋外・実効線量)。聞いて絶句しました。またもや安全神話です。各地の住民説明会等では被ばくは大したことないと宣伝しています。


 詳しくは「避難計画を案ずる関西連絡会」のパンフを読んでください。(同封)

 「福島原発事故の実態と被害を無視/高浜原発3.4号の再稼働を止めよう」で前文は福井県知事の同意前のものですが中身は変わりません。
 再稼働反対の理由 ●安全性―1~4 ●避難計画―1~5と説明しています。


高浜原発再稼働反対リレーデモに参加して
 
 福井県の高浜原発から大阪市の関電本店前まで200㌔のリレーデモ、主催したのは「高浜・関電本店リレーデモ」実行委員会
 この夏、高浜町で開かれ私たちも参加させてもらった「若狭の未来を語るつどい」の木原壯林さんらのグループです。(本会ブログ8月25日号参照)
 リレーデモは、11月8日に高浜原発をスタートし、途中経由する市町村役所に対しては再稼働に反対してほしい旨の申し入れを行いながら、小浜、熊川宿、近江今津、大津、京都、高槻などを経て、最終日20日が吹田から大阪市の関電本店がゴール。小浜や熊川宿は、つい数か月前訪れた記憶に新しい地名。電車バスではあまりの近さに驚いたところだが、人力で歩くとなるとこれは大変だろう。

午後の部、いよいよ出発 私が参加したのは最終日20日の午後です。このデモコースは吹田駅前から歩いてきた人たちを迎えて、大阪市天六の公園を出発。そのまま南下して大阪城近くの大阪府庁へ、官庁や商業施設の林立する大阪中心部を通って大阪市役所を経て、中之島西寄りにある関電本店前まで。(大阪府庁大阪市役所へは代表が申し入れを行った)
 所要時間3時間、この日の歩数計では20,000歩、ざっと10キロ近くの距離を歩いたということでしょうか。リレーデモ全体からすれば20分の1にも満たない距離なのですが、反原発の意思をずっと受け繋いでいるという連帯意識を感じながら歩きました。
 「高浜原発再稼働反対」「もんじゅ廃炉」「全ての原発廃炉」のシュプレヒコールをあげながらひたすら歩く。チラシ班は沿道の人にチラシを配りながら。観光バスの中から小学生たちがデモ隊に手を振ってくれる。「どうしょうもない核のゴミという負の遺産をこれ以上増やしたくない」という思いで手を振り返しました。
そびえる関電本店ビルと集まり始めた参加者 関電到着の後、真向いの歩道で関電包囲集会を待つ間、参加者とおしゃべり(世間話)。デモの全行程のうち1日を除いてずっと参加したという猛者と偶然隣り合わせ、道中記を聞くことができました。同年配の若くもない女性ですが、京都の自宅から日参されたとのこと。雨の日が大変で、足元がずぶ濡れるよりはマシ、と長靴で歩かれたそうです。長靴はいて長距離を?!やりますねえ!よくやりましたねえ、12日間も!
 関電本店では代表者が、八木誠社長に宛てて「高浜原発3,4号機の再稼働をしないで下さい、所有する全ての原発の即時廃炉を決定して下さい」の申し入れ。代表団が書面を読み上げている最中、関電の担当者はかかってきた携帯電話に出て会話を始めるという無礼ぶりだったそう。

 次の文は申し入れ書の一節ですが、分かりやすくまとめられているので上げておきます。
≪(関電経営陣は)原発が人類の手に負えない使用済み核燃料を残し、不幸にして起こった事故の終息は極めて困難な装置であり、使用済み核燃料の保管まで考えれば、経営的にも成り立たない発電法であることを重々知っていながら、自分たちの任期中には事故は起こらないだろうと願望し、「今さえよければよい、自分たちさえよければよい」という経営をやっているのです。事故による被害の時間的・空間的(著者注:付け加えるなら、投入されるであろう税金の)甚大さを考えるとき、犯罪といわれても仕方がありません。
 なお、貴社や政府が再稼働を強行しようとしている高浜原発3,4号機の廃炉には今がチャンスです。それは貴殿も良くご存じのように、原子炉中の核燃料の放射線量および発熱量は、3年あるいは4年以上の運転停止によって、かなり減少しているからです。しかし、再稼働すれば、元に戻ります。≫
 
 関電前到着後の集会についても少し報告します。
 関電前の歩道及びポケットパークでは、16時から金曜抗議行動にリレーデモが合流して前段集会が行われたのち、18時30分から関電包囲大集会が始まりました。呼びかけ人の一人、小林圭二さん(元京大原子炉実験所)の挨拶に続いて、福井から大阪までの各地実行委員会からの発言、川内原発・九州リレーデモや本日の申し入れの報告などがありました。
 次に「原子力発電に反対する福井県民会議」から中嶌哲演さん、宮下正一さんは、電力消費地帯に住む1500万人の関西と、人口15万人の若狭の連帯を訴えられました。また若狭の原発で事故避難の実効性のなさとともに、もっと大変になるのは避難計画のらち外にある30キロ圏外ではないか、と発言されました。その通りだと思いました。
 高浜仮処分裁判の原告、水戸喜世子さんは、裁判の見通しについて報告をされました。リレーデモの田舎みちでおばちゃん達が手を振ってくれるのに会って「再稼働反対の世論60%以上」の数字を実感した、というお話も印象的でした。
 さらに集会では、ストップ・ザ・もんじゅの活動、福島の事故からの避難者や労働者、学生などからたくさんの報告がなされ、リレー呼びかけ人の木原壯林さんが締められ、最後に参加者全員で関電本店ビルに向かってシュプレヒコールして、20時過ぎに閉会となりました。暗い、狭い、夜遅い集会でしたが、1000人ぐらいの熱気のあふれる集まりでした。(sora)
(なお、本文は11月25日のブログに掲載しています)
 

小児甲状腺がんの多発

約3か月ごとに福島県民健康調査の専門家会議が開かれています。9月30日現在の最新のデータがでました。それによると、甲状腺がん悪性・悪性疑いが152人になりました。このように、小児甲状腺がんが多発していることに、なんとも言えない痛みを感じながら何とか出来ないか考えています。
 
OurPlanet-TV による福島県民健康調査の専門家会議から引用しておきます。
甲状腺がん悪性・悪性疑い152人〜福島県民健康調査
投稿日時: 土, 11/28/2015 - 03:13

 
甲状腺検査結果東京電力福島第一原発事故後、福島県が実施している「県民健康調査」の検討委員会が30日、開催され、当時18歳以下だった子どもを対象に行っている甲状腺検査の結果などが公表された。検査を実施している福島県立医大によると、2011年から今年9月30日までの間に、152人の子どもが甲状腺がんの悪性または悪性疑いと診断された。
 
今回の検討委員会では、2011年から2013年までの先行検査(1巡目)については口頭のみでのデータ公表となった。福島県立医大の大津留晶教授の説明によると、先行検査で、甲状腺がんの悪性または悪性疑いと診断された子どもは、良性結節と確定診断を受けた1人を除き、1人増の113人となった。また手術を終えて甲状腺がんと確定した子どもは2人増え100人となった。
 
また本格調査(2巡目)で、悪性または悪性疑いと診断された子どもは、新たに9人増えて39人となり、そのうち15人が手術を終えて、甲状腺がんと確定した。穿刺細胞診で悪性と診断された39人のうち、先行検査でA判定だった子どもは37人で、前回A1と診断された19人にはまったく所見はなかったという。子どもたちの年齢は、事故当時6才から18才で、摘出された甲状腺がんは最大30.1ミリだった。
 

<報告> 
国相手の大飯原発裁判の原告として(松浦雅代)

 12月21日15:00からの第16回法廷に参加してきました。
 抽選があるために14:45分までに大阪の裁判所前に行きました。
 15:00から始まりましたが被告の準備書面に対しての反論。設置許可基準規則55条にかんする争点について原告側弁護士の大橋さゆりさんが反論しました。それで次の日程3月26日を決めて終わりです。いつもですがあっけなく終わります。
 法廷終了後、報告、交流会がAP大阪淀屋橋で開かれてゲストの青田由幸さんの講演「南相馬の逃げ遅れた人々」をお聞きしました。青田由幸さんは、震災直後、全国の市町村で唯一個人情報開示の下、南相馬市内に取り残された障害者の安否確認、生活支援を行った方です。
 “そして だれも いなくなってしまった”7万人の人口から1万人へ
  誰が残るのかといえば 逃げられないひとたち。
 青田さんのお話をお聞きして、原発震災では、要支援者(障害者や高齢者)の避難は想像以上に大変だと思いました。

『原発震災、障害者は… 消えた被災者』
 著書は青田由幸・八幡隆司お二人です。
 解放出版社2014年7月25日発行。定価1200円+税

 

 会員の古田伊公子さんから手紙が届きました。
 ことし5月の佐藤栄佐久氏の講演の中で触れられていた福島県只見町の水力発電の被害の映像を観て、是非行ってみたいと11月に福島に行った時に立寄ったそうです。とても遠かったけど、お蕎麦がおいしかったそうです。
 また、皆さんに紹介してほしい本があるということで、「毒ガスの島」の紹介メモが入っていました。“読みながら原発作業員の方々へ心を馳せるフルタ”と記されていました。

『毒ガスの島』 樋口健二写真・文 
 こぶし書房(増補新版)2015年6月30日刊です。定価2400円+税
旧日本軍 毒ガス製造工廠・大久野島。そこで働いていた労働者、学徒の戦後を追う。棄民たちの記録。
毒ガスの島
樋口 健二
こぶし書房
2015-06-25
 
  

身近な放射線健康被害について
崎山比早子氏の講演会を開催します
2016年1月17日13:30~16:00
会場ビック愛9階A会議室
参加協力券500円(チラシ同封)
主催 子どもたちの未来と被ばくを考える会  
協賛 原発がこわい女たちの会 他
 崎山氏は国会事故調査委員をされましたので、チェルノブイリ事故後、電事連がどのような手を使ってきたのかを調べています。福島事故後の復活した原子力ムラの動きが、少しはわかるのではないでしょうか。
(金原注 上記講演会の詳細については私のブログ(崎山比早子氏講演会@和歌山市(1/17)「身近な放射線と健康被害について」のご案内/2015年11月30日)をご参照ください)。
 

福島は5年たった今も、まだ原子力緊急事態宣言が発令されたままです。従来の法令は停止されています。汚染は少なくとも数十年に亘って続くため、今後も長い間緊急事態宣言は解除されません。このようななかで、子どもたちを被ばくからいかにして守れるのか。状況はとてつもなく困難です。
 

10月29日「避難の権利」を求める全国避難者の会が設立されました。
共同代表にうのさえこさんと中手聖一さん 骨抜きにされている「避難の権利」を何とかしないとの思い。やっと一歩踏み出しました。
 

<記>
 こんなに年が押し迫っているときにパソコンに向かって女の会のニュースを作成するのは初めてです。関西電力と政府のシナリオに合わせて高浜原発再稼働同意劇場は進められました。福島事故は何もなかったかのような報道。私も含むみなさんの記憶の中からも福島は薄れているのです。それを政府や電力会社はよく見抜いてるように思いました。
 12月9日広島、長崎両市長が国に対してインドとの原子力協定交渉の中止を要請しました。少しうれしくなりましたが、そんな要請を聞く耳持たない安倍体制です。へこたれたら負けます。良い年をお迎えください。(松浦雅代)
 

(付録)
『We Shall Overcome 大きな壁が崩れる』 日本語詞・演奏:中川五郎
 

崎山比早子チラシ

武藤類子さんの講演(11/23)を聴き、まんが「なすびのギモン」(環境省)を読んで考えた

 今晩(2015年12月3日)配信した「メルマガ金原No.2293」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
武藤類子さんの講演(11/23)を聴き、まんが「なすびのギモン」(環境省)を読んで考えた

 一昨日(12月1日)「11/23世界核被害者フォーラム「広島宣言」&「世界核被害者の権利憲章要綱草案」(付・森松明希子さんの会場発言「避難の権利と平和的生存権」)」を書いた際、そのフォーラムの
模様を一部なりとも撮影した動画はないだろうかと探してみたのですが、見つけられませんでした。
 3日間の日程を見てみると、2日目(11月22日)の特別セッションで小出裕章さんが基調講演をさ
れていますし、同じ日の「反核利用キャンペーン(ウラン採掘・原発核燃料サイクル)」セッションと「世界放射線被害者人権憲章起草委員会」には武藤類子さんが参加されたようです。
 
 実は、このお2人に注目したのは、世界核被害者フォーラムの動画を探していた時に、偶然、小出さんと武藤さんを講師に迎えた「ゴメンだね!原発も戦争も!脱原発をめざす女たちの会11.23集会」(於:浜離宮朝日ホール・小ホール)の動画がアップされていることに気がついたことによります。
 22日まで広島での世界核被害者フォーラムに参加していたお2人が、翌23日の午後には東京で講演
されていたのですから、なかなかの強行軍であったと思われます。
 いつもよく利用させていただく三輪祐児さんによるUPLANの動画をご紹介します。
 
20151123 UPLAN 小出裕章 武藤類子「ゴメンだね!原発も戦争も!脱原発をめざす女たちの会11.23集会(2時間33分)

冒頭~ 開会挨拶
3分~ 小出裕章氏 講演「原子力を廃絶するために必要なこと」
1時間33分~ 武藤類子氏 講演「福島の今 原発事故は終わらない」
2時間22分~ 福島瑞穂
2時間30分~ 大河原雅子
2時間32分~ 小笠原厚子氏
2時間33分~ 閉会挨拶
 
 京大原子炉実験所を定年退職され、長野県松本市に居を移した小出さんの講演にも興味はあるのですが、時間の都合もあり、私はまず武藤類子さんの講演を視聴しました。
 武藤さんが報告された「福島の今」を、主な項目のみ箇条書きにすると以下のとおりです。
 
福島第一原発の原状(汚染水、排気塔鋼材の破断)
除染(汚染土処理)
〇廃棄物の焼却
〇帰還政策の推進
〇災害関連死
〇新たな安全神話(「まんが なすびのギモン」など)
〇国道6号線・清掃ボランティア
〇元東電会長らに起訴議決
 
 私は、武藤さんのお話で、「まんが なすびのギモン」というものを初めて知りましたので、インターネットで検索してみました。
 すると、環境省の報道発表資料にこういうものがありました。
 
平成26年12月12日
除染・放射線に関する『まんが なすびのギモン』の発行について

(引用開始)
 除染放射線に関する情報を分かりやすくお伝えする『まんが なすびのギモン』を発行します。本日よ
り、除染情報プラザ等で順次配布するほか、除染情報プラザサイト内の「なすびのギモン」のウェブサイトに掲載します。
1.特徴
除染放射線に関する日常の疑問について、マンガでわかりやすく、データに基づいて詳しくお伝えし
ます。
福島県出身のタレントなすびさんが専門家に取材する様子をマンガにしました。福島県内で放映された
テレビ番組「なすびのギモン」とも連動しています。
2.テーマ
今回は以下の2編を発行します。今後「食品編」等を発行予定です。
①身の回りの放射性物質編:渡邊明 福島大学特任教授 監修
②健康影響編:髙村昇 長崎大学教授 監修
3.ご利用方法
除染情報プラザ(福島市)等、福島県内各所にて順次配布します。詳しくは除染情報プラザ(電話番号
024-529-5668。10:00-17:00、月曜日除く。)にお問合せください。
除染情報プラザサイト内の「なすびのギモン」のウェブサイトに掲載しています。テレビ版「なすびのギ
モン」の動画や参考資料と合わせてご覧ください。
(引用終わり)
 
 「なすび」という芸名の福島県出身のタレントさんがいたんですね。知らなかった。
 といういことで、除染情報プラザサイト内の「なすびのギモン」のウェブサイトを閲覧してみました。
 
 
 見てみると、テレビ版「なすびのギモン」というのがあるのですね。パート1からパート3まで各10回の計30回分の放送が視聴できるようになっていました。
 パート1の第1回が2013年10月8日に、パート3の第10回が2015年10月3日に放映されていました。
 
 
 そして、まんが版「なすびのギモン」は、これまでに3冊発行されていました。
 ダウンロード版にリンクしておきます。
 
 
 正直、ざっとこれらのマンガを読み流しただけでは、何が問題なのかに気づくのは大変かもしれず、ただ結論として、「そんなに心配することはないんだ」「大丈夫なんだ」という気分になれるように書かれているということは分かります。
 そこで、11月23日の講演で、武藤類子さんが説明されたことを一部文字起こししてご紹介しましょう(上記動画の1時間50分~です)。
 
「これは環境省が作っている『なすびのギモン』という冊子なんですね。なすび、という方をご存知でしょうか。福島県出身のお笑いのタレントさんなんですね。この方をまんがに描いて、この人が主人公になってる冊子なんです。これはですね、どういうことが書いてあるかというと、放射線は危険ですから気をつけましょうということも書いてあります。だいたい90%は本当のことが書いてあるんですね。でも1(10%)の嘘というか、誤解されやすい表現がうまあく滑り込まされているというものなんですね。例えば、放射線によって細胞は破壊されます、って書いてあります。でも、それは直るんですよね、っていうふうになすびさんが言うわけですよね。そうなんです、直るんです、っていうふうに書いてあるんですね。その細胞が、本当に直るというか、傷つけられたものが回復する細胞ももちろんあるんですけれども、間違った回復の仕方をするということになれば、癌がおきたりとかするわけですよね。そういうことについては言及していないわけなんですね。」(金原注:「第2話 健康影響編」をお読みください)
 
 このまんがの冊子版は、福島市除染情報プラザの他、福島県内の「各市町村の役所、東邦銀行各店舗
セブン-イレブン各店舗、ヨークベニマル浜田店など」で配布されているそうです。
 
 もちろん、この「まんが なすびのギモン」も、環境省福島県が推進する帰還政策に資するための「リスク・コミュニケーション」の一実践例ということなのでしょう。
 誰が読んでも「嘘だ」と分かるようなものでは、官製リスコミにとっては逆効果であり、90%の真実の中に10%の誤解を招くような表現を巧妙に埋め込むことこそが、その目的達成の手段として合理的ということなのだろうと思い
ます。
 これは、対抗する側にとってもよりしんどい段階に来ているということなのかなあ、と思ったものでした。
 

(忘れないために)
 「自由と平和のための京大有志の会」による「あしたのための声明書」(2015年9月19日)を、「忘れないために」しばらくメルマガ(ブログ)の末尾に掲載することにしました。
 
(引用開始)
  あしたのための声明書
 
わたしたちは、忘れない。
人びとの声に耳をふさぎ、まともに答弁もせず法案を通した首相の厚顔を。
戦争に行きたくないと叫ぶ若者を「利己的」と罵った議員の無恥を。
強行採決も連休を過ぎれば忘れると言い放った官房長官の傲慢を。
 
わたしたちは、忘れない。
マスコミを懲らしめる、と恫喝した議員の思い上がりを。
権力に媚び、おもねるだけの報道人と言論人の醜さを。
居眠りに耽る議員たちの弛緩を。
 
わたしたちは、忘れない。
声を上げた若者たちの美しさを。
街頭に立ったお年寄りたちの威厳を。
内部からの告発に踏み切った人びとの勇気を。
 
わたしたちは、忘れない。
戦争の体験者が学生のデモに加わっていた姿を。
路上で、職場で、田んぼで、プラカードを掲げた人びとの決意を。
聞き届けられない声を、それでも上げつづけてきた人びとの苦しく切ない歴史を。
 
きょうは、はじまりの日。
憲法を貶めた法律を葬り去る作業のはじまり。
賛成票を投じたツケを議員たちが苦々しく噛みしめる日々のはじまり。
人の生命を軽んじ、人の尊厳を踏みにじる独裁政治の終わりのはじまり。
自由と平和への願いをさらに深く、さらに広く共有するための、あらゆる試みのはじまり。
 
わたしたちは、忘れない、あきらめない、屈しない。
 
     自由と平和のための京大有志の会
(引用終わり)

「原発がこわい女たちの会ニュース」第95号が届きました

 今晩(2015年9月28日)配信した「メルマガ金原No.2227」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
原発がこわい女たちの会ニュース」第95号が届きました

 松浦雅代さんから、「原発がこわい女たちの会ニュース」の第95号が届きました。前号以降の最大のニュースは、九州電力川内原発再稼働でしょう。さらに、続々とあとが控えており、憲法違反の安保関連法制廃止を目指す運動とともに、原発問題についての取組も併せて強化する必要があることをあらためて実感します。それは、このメルマガ(ブログ)で原発問題を取り上げる頻度についての反省でもあるのですが。


原発がこわい女たちの会ニュース NO95号・2015年09月27日発行
事務局 〒640-0112和歌山市西庄1024-15 TEL・FAX073/451/5960松浦雅代方
原発がこわい女たちの会ブログ 
http://blog.zaq.ne.jp/g-kowai-wakayama/
再稼働は人として許されない!

 鹿児島県の川内(せんだい)原発は8月11日原子炉起動。復水器細管5本に損傷を確認、予防施栓を含め69本の細管に施栓し、9月11日営業運転に入りました。このまま核のゴミを出し続ける原発を動かすことは人として許されない。
 あきらめずに再稼働反対の行動を!

 
再稼働は福井県の高浜原発3・4号。(廃炉美浜1号・2号と敦賀1号)
 規制委員会は8月17日、高浜3・4号の仮処分異議審の最中に、高浜3号の使用前検査を開始しました。
関西電力福井県高浜原発から和歌山市役所までの距離は約146・6㌔です。
高浜原発・同心円(金原注)高浜原発3号機、4号機について、今年の4月14日、運転の差止を命じる仮処分決定が福井地裁(樋口英明裁判長/ちなみにこの決定が言い渡される前に樋口裁判長は名古屋家裁に転勤になっていました)で出され、現在、関西電力による保全異議申立事件(福井地裁平成27年(モ)第38号)についての審理が続いています。
 その審理の経緯については、「大飯原発3.4 高浜原発34号機運転差し止め仮処分申し立て」についてのホームページをご参照ください。
 
それによると、9月3日の審尋が終わり、次回が10月8日と指定されているとのことです。
 他方、そのような審理が裁判所で続いている最中にもかかわらず、「原子力規制委員会は(8月)17日、関西電力高浜原発3号機(福井県)について、再稼働の最終手続きとなる使用前検査を始め」ました(産経ニュース「高浜3号で使用前検査がスタート 再稼働前の最終手続き 運転差し止め仮処分決定の行方がカギ」)。
 
しかし、この産経ニュースの記事の末尾「福井地裁の決定を覆すための異議審は、9~11月に3回の審尋を予定。10月に審尋が終わる可能性も残っており、決定が速やかに出れば、11月に再稼働できる。」を読むと、これを書いた記者にジャーナリストを名乗る資格はないとつくづく思いますね。審理中の裁判について、関西電力勝訴の決定が出るものと決めています。ほとほと呆れます。
 なお、関西電力の老朽原発のうち、美浜1号機、2号機、敦賀1号機については、九州電力玄海1号機、中国電力の島根1号機とともに、本年4月に正式に廃炉が決定しました。美浜敦賀3機の廃炉を伝える福井新聞「福井の老朽化原発3基が廃炉 敦賀原発1号機と美浜1、2号機」(4月28日)をご参照ください。
 
これら老朽原発廃炉決定が(当然のこととはいえ)、再稼働や新設工事推進と表裏のものとして取り組まれているということに注意を向けるべきでしょう。
 以上、少し長過ぎる注釈でした。
 

福島県≫復興加速化の名のもと避難指示解除は
被災者を切り捨て、被ばくを強要するものです。

 安倍内閣は8月25日、子ども・被災者支援基本方針改訂を閣議決定。外部被ばく線量が「事故発生時と比べ、大幅に低減」したとして「避難指示区域以外の地域から新たに避難する状況にはなく、支援対象地域は縮小又は撤廃することが適当である。」と明記。このように国が一方的に判断すること自体「子ども支援法」の基本理念に真っ向から背くものです。
(金原注)本年8月25日付で改定された「被災者生活支援等の推進に関する基本的な方針」は以下のとおりですが、
それに先だって行われたパブリックコメントの結果は、私が送付した意見も含め、一顧だにされていません。
*福島復興加速化指針の改訂で帰還促進政策、◎「避難指示解除準備区域」〇「居住制限区域」の指定を2017年3月までに解除し、
東京電力の精神的損害賠償も2018年3月までとすることを安倍内閣は閣議決定
福島県は指示区域外からの避難者に対する住宅の無償提供を2017年3月で打ち切ることを決定。
まだ避難生活者は108,164人。(福島県発表2015年7月末現在)に上ります。
一方、東京電力は避難指示の解除後1年以内に帰還した住民に一人当たり90万円を早期帰還賠償として支払うことで帰還を促しています。
(金原注)東京電力がこの方針を発表したのは昨年3月26日のことでした(プレスリリース・避難指示解除後の早期帰還にともなう追加的費用に係る賠償のお取り扱いについて)。
◎避難指示解除準備区域とは年間積算線量が20ミリシーベルト以下の区域
〇居住制限区域とは20~50ミリシーベルト/年の区域
このほか 帰還困難区域(50ミリシーベルト/年を超える区域)もある。
 

放射線に安全量がないは国際的合意━
 日本は公衆の被ばく許容限度を年間1ミリシーベルトとしているが、国内法における公衆被ばく線量限度は、ICRP(国際放射線防護委員会)1990年勧告を、放射線審議会の審議を経て導入したもの。同勧告は、どんなに低線量であっても放射線量に比例してリスクが生じるという「しきい値なし直線モデル(LNTモデル)」を採用し、「これを越えれば個人に対する影響は容認不可と広くみなされるであろうようなレベルの線量を確定する」として、公衆被ばく線量限度として実効線量年1ミリシーベルトを勧告している。
 20ミリシーベルトという線量は、ICRP2007年勧告における「緊急時被ばく状況」における参考レベル下限、ないし「現存被ばく状況」における参考レベルの上限の線量であるところ、「参考レベル」の概念は、いかなる地域に対して避難指示や除染などの被ばく低減政策をとるかの目安に過ぎない。
 

『中川保雄著・(増補)放射線被曝の歴史━アメリカ原爆開発から福島原発事故まで』
 今日の放射線被ばく防護の基準とは、核、原子力開発のためにヒバクを強制する側が、それを強制される側に、ヒバクがやむをえないもので、我慢して受忍すべきものと思わせるために、科学的装いを凝らして作った社会的基準であり………。(本文より)明石書店 2300円
 
 
 

7月5日・南相馬避難勧奨解除取り消し訴訟・支援の全国集会:京都
南相馬訴訟支援・京都 事故当初の避難区域が(2011/9)から避難解除が進み、2014年12月に南相馬市(特定避難勧奨地点)が解除になりましたが、その基準が20ミリシーベルト/年とあまりにも高い。南相馬の人たちは、住民無視の避難地点解除は違法!「20ミリシーベルトでは命を守れない」と、4月17日に国を相手取り解除の取り消しを求めて東京地裁に提訴しました。7月5日には京都市で支援する全国集会がありました。(松浦も参加)
(上の写真・弁護団の福田健治弁護士が訴訟の意義を説明)

「ひだんれん」設立(ブログもあります)
 昨年2014年の11月16日福島市で「もう我慢しない!立ち上がる」「東電と国は被害者の声を聞け!」と「原発事故被害者集会」が福島で初めて開かれ、(この日松浦も参加しました。当会ニュース92号で報告)。
 その後、このつながりを継続させて広げていきたいと、話し合いを続け、結果、5月24日に福島第一原発事故による損害の賠償や、責任の明確化を求めて訴訟などを起こした原発事故被害者たちで原発事故被害者団体連絡会「略称:ひだんれん」を設立しました。
(金原注)「ひだんれん」のブログはこちらです。
 

労働者の事故時の被ばく限度引き上げ
 大事故を前提とした再稼働で、原子力規制委員会は、「現在、緊急作業時の被ばく線量限度を100ミリシーベルトとして規制を行っているが、それを超えるような事故が起こるような可能性を完全に否定することはできない」と被ばく限度を250ミリシーベルトに引き上げるのをはじめ緊急時作業に関する見直しが始まり2016年4月から施行の予定。全就労期間中(18歳から50年間)で1,000ミリシーベルトの導入も。
(金原注)原子力規制委員会原子力規制庁、厚生労働省人事院が進める、原発重大事故発生時の緊急時作業被ばく限度を現行の100ミリシーベルト(mSv)から250mSvに引き上げる法令改定作業につき諮問を受けた放射線審議会が7月30日、「この法令改定は妥当である」との答申を行ったことについての各種団体による共同緊急声明は以下のとおりです。
 

小児甲状腺がんの多発
 8月31日東京電力福島第一原子力発電所事故を受けて実施している福島県民健康調査の専門家会議で、甲状腺がんと疑われる子どもは検査対象の38万人のうち137人となった。既に手術を終えたのは105人。病理診断による1人は良性結節。残りの104人が甲状腺がんと確定。
 北茨城市でも甲状腺検査で小児甲状腺がんが3人。
(金原注)
 福島県民健康調査専門家会議と北茨城市の検査結果について詳細に報じたOurPlanet-TVの記事を引用します。
甲状腺がん疑い含め137人へ、2巡目は25人~福島健康調査

北茨城市検査で、小児甲状腺がん3人
福島県北茨城市甲状腺がんが被ばくによるものかどうかを結論づけることはできない。そうです。
 ちなみに小児甲状腺がんは年間100万人あたり1、2名程度と極めてすくないのです(と健康調査検討委員会配布資料に書かれています)。
 
<科学とわたしたち>
 科学の目で因果関係をはっきりさせるのは、とてもではないけれども、ものすごく時間がかかる。これを待っていたら間に合わないということです。これからもどんどん甲状腺がんが増える可能性があるという前提で行政は対応しなくてはなりません。調査も縮小するのではなく、もっと広める。福島だけではなく、宮城、埼玉、茨城、栃木、日本全体をやればいいと思います。将来、福島の子どもたちに後々何か病気が増えてくるといったことがあったときに、そういった比較できるデーターがないと、原発事故が関係しているかどうかをはっきりさせられません。(月刊むすぶ2015/6号「あれから4年 原発事故と放射能被害」の中で今中哲二氏)
 

 会員の皆さん  原発を止めることしか未来は助からない。
 
原発の再稼働はこれから加速されます。それに伴い、
福島原発事故は大したことではなかったと
福島県の復興の名のもと、被災者を切り捨てる帰還政策。
汚染水は海に流れています。
福島原発事故現場の危険性は続いています。
環境に放出された放射能は時間をかけないと少なくならない。
原発は電気だけ作るが核のゴミが必ず残る。
事故も起こる。
国は低線量被ばくは大丈夫だと刷り込みをしている。
まだ原発は安いと公言している人もいる。
あらゆる機会で福島の小児甲状腺がん多発の事実や放射能のことを話してください。一人一人の力が必要です。
 

<報告>「若狭の未来を語るつどい」に参加。
 7月25日(土)12:00~7月26日 高浜町に於いて
 主催:若狭の原発を考える会
 
 中嶌哲演氏から「原発を拒否した町の現状を語ってくれる人に参加してほしい」という要請があり、現在、白浜町の町会議員をしている西尾智朗氏に参加をお願いしました。快く引き受けて下さいました。
 その関係から、まだ福井県に一度も行っていない2人を誘い「つどい」に参加してきました。
 大阪駅前から9時出発の車で、会場のJR若狭高浜駅の2階にある《まちの駅ぷらっとHome高浜「ふれあいルーム」》へ。途中混んでいて12:00開始に間に合いませんでした。既に始まっていました。
 そのあと3つの分科会があったのでそれぞれ分かれて、参加しました。
 3人の報告です。
 
第一分科会 原発を拒否した町の運動と現状
 田辺を離れて20年になります。第一分科会の講演者の西尾智朗氏のお名前を見付け、懐かしさと、その後の日置川のことを知りたくて第一分科会に参加しました。
 日置川に於ける原発問題は1976年の町有地を関電に売却したことに始まり、2005年に電源開発促進重要地点から解除されるまで長きにわたり、町に暗い影を落としてきました。2006年に白浜町との合併に伴い、観光と相いれない原発は今や町の振興施策の選択肢にすら入らなくなってはいるが、中間貯蔵施設の説明会に役人が来るなど、関電が土地を持っいている限り油断はできず、これからも注視していかなければなりません。
 白浜町の施策として観光客、年間300万人をあげているが、西尾氏は「施しの醍醐味は結局のところ施し先の人々がどんな暮らしをしているのか、それと出会うことではないのか」と、原発のない日置川の「空と海と山」、そして人々との出会いが最高の「おもてなし」になることと願っています、と発言されました。(日柴喜)
 
第二分科会 原発のない町づくりへの挑戦
 柏崎刈羽原発反対住民の歌代信夫氏が再稼働は選挙の争点にはならない現実を報告。福井県の山崎隆敏氏は福井での町づくりへの挑戦について、原発立地の町より他の町村の方が財政的に活性化している地点がある現状報告。
 そして、新海純也氏からは各地でのまちおこしの事例の話がありました。
 私は、分科会の報告ではなく、民宿に泊まって、高浜の人との会話の報告です。
 私は翌朝早く(毎日犬の散歩で早く起きている)目を覚ましたので、民宿をそーと抜け出して松林の中を歩いて海岸に出ました。白砂です。
 同年輩のおじさんが立っていましたので、和歌山から来た者ですが、とてもきれいな景色ですね、と話しかけました。このとき、私はこの海岸が国定公園だとは知りませんでした。彼はそれに答えず、≪2つ爆弾を抱えていますわ≫と自嘲的に話されました。≪福島はまだこれからですわな≫<ほんとにこれからですね>と少し福島の話をした。
 ちょうど2人で立ち話をしていたところは海に向かって右手に大飯原発、左手に高浜原発があるところですが、原発は見えません。右からと左から、せり出している風景はとてもきれいでした。≪≫はおじさん<>は私。以下同じです。
 <こんなきれいな海は残してください。白い砂もきれいだし>≪大きな嵐が来ると砂が流されてしまうので、ブロック壁を作っている≫話とか。≪以前は民宿をしていたが、客が少なくなったのと、今はお客さん個室を希望されるから、改築せずに民宿業を止めた≫≪海の売店を経営しているがお客さんが少ない≫≪サーフアは海に来ても地元に金は落とさない≫<和歌山も同じです>
 ≪最初の20年間はよかった≫本当に懐かしそうに話していました。最初に原発を誘致したことのこだわりも話されました。福島の事故を経験して、原発現地の人は私たち以上に複雑な思いで暮らしているのが少しわかりました。
 <おじさん原発止めて、このきれいな自然を売りにしたらどうですか?>≪誰もそんな話はしたことない≫と、途方に暮れた態度が示された。そうなんだ原発のある現地は、ほとんどの人が原発関係軸で動いて来たのだ。
 売店を開けるために来ていたおじさんの手を止めたことをお詫びして民宿に帰りました。民宿でタオルをいただいて初めて国定公園だということと白浜海岸という地名を知りました。だから海岸線がきれいなのは当たり前なのです。しかしあらためて国定公園原発を何基も建てるのか、との思いと、福島を経験した人々がこの景色を見直さないと、と単純に思いました。(松浦)
 
第三分科会「脱原発へのチャレンジ」
 まず、「美浜町での脱原発へのチャレンジ」
 地元美浜町で、廃炉や使用済み燃料問題に取り組みながら、自然体験活動など林業での地域ビジネス事業の具体化を模索されている松下照幸さんのお話は、ドイツ地域経済の実地見聞をもとに、地域の経済再生についてでした。
 そのキーワードは「地消地産」と「本質的議論」。
 地消地産は、「地産地消」とは少し違って、地域で必要なものは地域で生産し、消費する、つまり地域で自立することです。「食」に限らず、「住」「エネルギー」「人材」など多面にわたります。
 たとえば、地域の経済活動をになう人材は地域で育てること。日本では、子どもたちに投資して優秀な人材を育てても、田舎には能力に見合う雇用がないので、地域に戻って成果を出してもらうことができない。しかしドイツの田舎には雇用があるので大都市への集中化は起こりにくいのだそうです。またエネルギーの自給については、原発廃止で電気がなくなる分を再生可能エネルギーで発電するという考え方ではなく、多様化が図られ、酪農からのメタンガスや木質バイオマスなどによる発電と地域熱供給(コージェネレーション)が地域で事業化され、農地や山林を効果的に活用しています。
 そしてもう一つ地域の再生にとって不可欠なのが、地域住民の存在です。先進的な自給に成功している地域には、「利発な市民」の活動があるが、意識的で活動に参集する人たちがさほど多いわけでもないのは、日本と同じだそうです。しかし地域のリーダーや政治家がしっかりした本質的な議論を行っているというのが特長だそうです。
 地域にある小さな資源を活用して効率的に生産する地域のシステムを徹底して「考え抜く」ことを投げ出したり、集団のなかに納まることの居心地の良さを優先して個を抑え議論を避けていたりでは、本質的な議論は成り立たないのです。われわれ日本人には耳の痛いことです。
 もう一人の話題提供者は、「若狭の原発を考える会」の木原壯林さん。
 廃炉(正式には廃止措置という)と廃炉ビジネスについての話でした。東海・動力試験炉、浜岡、ドイツ・ルブミン、福島第一など、国内外の廃炉完了~計画中の原発を取り上げて、その技術的社会的な問題点を広範に概括いただきました。これまで言葉として知っているだけで、具体的なイメージができなかった事柄が、現実味を帯びて掴めてきそうです。
 紙数がなくなったので結論としてまとめられたことだけ上げておきます。
「安直な廃炉ビジネスは大企業の利権主義に陥りやすく問題が多い。廃炉の推進を前提として、脱原発後の地域の再生プログラムを考えることが不可欠。いかに住民が考えるか主導権をとるか。地方自治体の役割は大きい。」(sora)


≪報告≫
6月25日「核廃棄物最終処分場説明会」が市民には知らされずに開催されました。<和歌山駅JAビルで14:00から>

 有田川町の古田伊公子さんが町長に「町長への手紙」で質問をされ、7月22日付けで文書で回答をもらっていますので回答文同封します。
 那智勝浦町白浜町岩出市和歌山市でそれぞれ市民が町に電話で確認しています。
 

7月31日東電元幹部、強制起訴へ
 2012年6月の福島原発告訴団の告訴・告発から3年1か月。
 7月31日、東京第5検察審査会は、東京電力の旧経営陣、勝俣恒久元会長、武藤栄元副社長、武黒一郎元副社長に対して、業務上過失致死傷罪で「起訴すべきである」と議決したことを公表しました。この議決は大きな意味を持つ。今後開かれる法廷で真実を明らかにし、福島原発事故の原因と責任の所在を明らかにしてほしい。
(金原注)詳細は、福島原発告訴団ホームページをご覧ください。
 特に、9月5日に開催された福島県民集会での海渡雄一弁護士による「強制議決の意義 フルバージョン」は読み応えがあってお薦めです。
 

9月6日(日)さよなら原発全国集会in京都  梅小路公園
 天気が悪く出足が悪かったが5500人の参加がありました。
 土砂降りにはならなくて、開始ころからは小ぶりの雨模様でした。女たちの会からも5人参加。
(金原注)当日の登壇者の顔ぶれなどが掲載されたチラシが大きく掲載されたブログがありました。
また、IWJ京都チャンネル1が中継した当日の動画アーカイブが視聴できます。
さようなら原発in京都 
集会の概要を以下に転記しておきます。
【プレイベント】
司会 古川豪氏(ミュージシャン)
トーク 菅野千景氏(原発賠償訴訟・京都原告団、福島からの避難者)/吉田明生氏(京都脱原発原告団事務局長)/古川好子氏(富岡町から会津若松市への避難者)
音楽 古川豪氏
【集会】
司会 木内みどり氏(俳優)
主催挨拶 佐伯昌和氏(チェルノブイリフクシマ京都実行委員会世話人反原発運動全国連絡会代表世話人
現地からの報告 高浜から 東山幸弘氏(ふるさとを守る高浜・おおいの会)/川内から 向原祥隆(むこはら・よしたか)氏(ストップ再稼働!3.11鹿児島集会実行委員会)/伊方から 松本修次氏(愛媛県平和運動センター
ゲストスピーチ 嘉田由紀子氏(前滋賀県知事)/鎌田慧氏(ルポライター、さようなら原発1000万人アクション呼びかけ人)/メッセージ紹介 門川大作氏(京都市長)、三日月大造氏(滋賀県知事)/中尾ハジメ氏(京都精華大学教員、環境ジャーナリズム論)/古川好子氏/カトリーヌ・カドゥ (Catherine Cadou) 氏(通訳、映画監督)
集会アピール提案・採択 牧野氏(京都平和フォーラム事務局長)/集会まとめ 宮下正一氏(原子力発電に反対する福井県民会議事務局長)
日時 2015年9月6日(日)13:00?15:30
場所 梅小路公園芝生広場(京都市下京区
 

9月20日 決して忘れない!
アベ政治を許さない 2014年7月1日に安倍内閣は集団的自衛権容認を閣議決定した。そして、2015年9月19日未明、安全保障関連法案は成立。
 関連法案の安倍政権の説明が揺れ動いて、(あのホルムズ海峡での機雷除去は)現実問題として発生することは具体的に想定していない(9月14日)といった。今まで言ってきたことを翻した。法案成立後、「未来の子供に平和な日本を引き渡すために、必要な法的基盤が整備された」と語った。怒りがわいてきた。決して忘れない。決して屈しないこと。の始まりです。(松浦雅代)                               
 
<記>
女たちの会のニュースが大変遅れてしまいました。
この会は会費とカンパで成り立っています。年会費まだの人、納入お願いします。(事務局)
 

(忘れないために)
 「自由と平和のための京大有志の会」による「あしたのための声明書」(2015年9月19日)を、「忘れないために」しばらくメルマガ(ブログ)の末尾に掲載することにしました。
 
(引用開始)
  あしたのための声明書
 
わたしたちは、忘れない。
人びとの声に耳をふさぎ、まともに答弁もせず法案を通した首相の厚顔を。
戦争に行きたくないと叫ぶ若者を「利己的」と罵った議員の無恥を。
強行採決も連休を過ぎれば忘れると言い放った官房長官の傲慢を。
 
わたしたちは、忘れない。
マスコミを懲らしめる、と恫喝した議員の思い上がりを。
権力に媚び、おもねるだけの報道人と言論人の醜さを。
居眠りに耽る議員たちの弛緩を。
 
わたしたちは、忘れない。
声を上げた若者たちの美しさを。
街頭に立ったお年寄りたちの威厳を。
内部からの告発に踏み切った人びとの勇気を。
 
わたしたちは、忘れない。
戦争の体験者が学生のデモに加わっていた姿を。
路上で、職場で、田んぼで、プラカードを掲げた人びとの決意を。
聞き届けられない声を、それでも上げつづけてきた人びとの苦しく切ない歴史を。
 
きょうは、はじまりの日。
憲法を貶めた法律を葬り去る作業のはじまり。
賛成票を投じたツケを議員たちが苦々しく噛みしめる日々のはじまり。
人の生命を軽んじ、人の尊厳を踏みにじる独裁政治の終わりのはじまり。
自由と平和への願いをさらに深く、さらに広く共有するための、あらゆる試みのはじまり。
 
わたしたちは、忘れない、あきらめない、屈しない。
 
     自由と平和のための京大有志の会
(引用終わり)
 

(付録)
『We Shall Overcome 大きな壁が崩れる』 日本語詞・演奏:中川五郎
 

「福島原発事故情報公開アーカイブ」が開設されました

 今晩(2015年7月18日)配信した「メルマガ金原No.2155」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
福島原発事故情報公開アーカイブ」が開設されました 

 弁護士としての本来業務の都合で、しばらくの間、連日まとまったメルマガ(ブログ)を書く余裕がなくなりそうなので、当分は、色付きの文字(引用文)がやたらに多く、黒文字(私が書いた文章)がえらく少ない記事が増えると思いますが何卒ご容赦ください。
 私自身は手抜きしても、ご紹介する中身に手抜きはありません。
 
 あるメーリングリストに、大阪市立大学大学院経営学研究科の除本理史(よけもとまさふみ)教授が投稿されていて知ったのですが、昨日(7月17日)、「福島原発事故情報公開アーカイブ」というサイトがオープンしていました。
 
 
 トップページに、このサイトの概要が以下のように説明されています。
 
(引用開始)
 このサイトは、2011年3月に発生した福島第一原発事故とその後の対応に関わる「公文書」を収蔵し、ア
ーカイブ化したものです。2015年7月17日に公開しました。
 「公文書」の収集方法は、情報公開制度による公開請求が中心で、それ以外に、各行政機関がウェブサ
イトで公表している情報も一部収録しています。
 東日本大震災以後、さまざまなアーカイブが立ち上がりました。このアーカイブの特徴は、公開されて
いない公文書を共有し、関心ある人が自由に理由(注:「利用」の誤記と思われる)できるようにするためのものであるということです。必要な時に誰かの役に立つこと、そして公文書が示す事実や状況が、より良い公共政策を実現するための議論の礎になることを期待しています。
 今後、収蔵公文書を準備が整ったものから順次追加していきます。あわせて、福島原発事故関係の公文書をお持ちの方は、ぜひ寄贈をご検討ください。
(引用終わり)
 
 通常のサイトの「アバウト」にあたるのは「アーカイブについて」です。以下、全文引用します。
 
(引用開始)
 2011年3月11日の東日本大震災の衝撃、その後発生した福島第一原子力発電所の事故は、人々の生活を大きく変え、地域社会やもっと広い社会一般、そして考え方にも影響を与える大きなできごとでした。この出来事を記録し、残していくためのアーカイブが官民で立ち上がり、地域の記録、報道の記録、市民社会
が収集したデータ、行政の記録の一部が蓄積・公開されています。
 このアーカイブは、公開されていなかった公文書と、行政のウエブサイトで公開されているものの、散在していて検索性に欠ける公開情報を収集し、公開しているものです。公開されていなかった公文書は、
国の行政機関を対象にした情報公開法、自治体の情報公開条例に基づく情報公開請求を行い、公開あるいは部分公開されたもので、これを収蔵していることが他のアーカイブとの違いです。
 いずれも公文書であるため、遠い将来、歴史文書として公文書館に移管される情報もあるでしょう。一方で、国も自治体もすべての情報が公文書館に移管されて永久保管されるわけではありません。選別・評価を経て残すべきと判断されたものだけが、保管されます。また、自治体では公文書館制度が未整備で移管できる体制が整っていないところもあり、時間の経過とともに失われていく公文書は相当の量になると推測されます。
 原発事故による放射能の影響は、短期間にすべてを見通すことはできないものです。放射性物質が生活環境に降下し、人々の健康への影響も心配されており、長期にわたるフォローが必要であるだけでなく、事故後の政府の対応や判断が適切なものであるかを将来にわたり検証できるようにしておく必要があります。原発事故対応に限らず、公共政策は、こうした積み重ねの中でその正当性が検証されるべきだからで
す。
 福島原発事故に関する公文書が、誰でもアクセスでき、集約的にまとめたアーカイブをつくることが、明確に見通せない20年後、30年後でも、少しでも多く事故後に作られた公文書類にアクセスできる環境を
作ることが、多くの人の力になることを願っています。
 福島原発事故情報公開アーカイブは2011年5月に最初の構想が作られ、同年7月からまずは直接の被災地ではない東京都への情報公開請求からはじまりました。その後、同年9月からは国への情報公開請求を始め
ました。
 なお、このアーカイブをつくるための情報公開請求費用や作業に必要な人件費の一部は、以下から拠出しました。
 
  一般寄付
  高木仁三郎市民科学基金の助成金
  情報流通促進基金賞の2013年度大賞の賞金
  情報公開クリアリングハウス
 
 なお、アーカイブのシステム構築、情報公開請求費用、アーカイブの立ち上げと情報公開請求に必要な調査研究は、JSPS科研費情報公開法放射能についての研究」24530035の一環として行われたものです
 現在のサイトの管理者は特定非営利活動法人情報公開クリアリングハウスです。
(引用終わり)
 
 どのような文書が主に収蔵されているかについては「収蔵公文書」のページで説明されています。
 
(引用開始)
アーカイブに収蔵されている公文書
 福島原子力発電所事故情報公開アーカイブには、2011年9月以降、国の行政機関、自治体に対して、福島
原発事故に関連する公文書の公開請求を行った結果、公開あるいは部分公開された情報を中心に収蔵して
います。
 主に収蔵されている公文書は、以下の行政機関から公開されたものです。
 
 
 公文書は、①情報公開請求により公開されたもの、②各行政機関のホームページで公表されているもの、③福島原発事故に関連して情報公開請求を行った個人・団体から提供を受けたもの、を収蔵しています。②については、いわゆる第三者機関等の関係資料など、通常の公表情報のほか、原子力規制委員会原子力安全委員会に関しては、情報公開請求の結果公開した情報を、請求者の同意のもとで一部公表をしていますので、それも収蔵しています。
 
公開請求している公文書の傾向
 公文書として存在する原発事故関係の情報は膨大で多岐にわたるため、すべての公文書を公開請求することはできません。そのため、このアーカイブでは、系統的あるいはシリーズで収集できるものを中心にこれまでのところ集めており、具体的には以下のものは系統的に収集されています。
 
  ①政府東電合同記者会見の議事録・資料
  ②東電記者会見の議事概要
  ③原子力安全・保安院東電から情報公開に関して提供を受けた情報
  ④事故当時に現地原子力保安員から原子力安全・保安院に送付された情報
  ⑤原子力災害対策本部の検討チームの資料
  ⑥環境省の実施している原発事故に関連する委託調査研究
  ⑦福島県立医科大の健康管理調査に関して設置されている専門委員会の記録・資料
  ⑧福島県立医科大放射線健康管理センターの事務局会議の記録
  ⑨除染にかかる検討、調整などの記録・資料
  ⑩モニタリングポスト、リアルタイム線量測定システムの設置に関する資料
  ⑪特定避難勧奨地点の指定にかかる情報
  ⑫除染対象地域の小中学校の学校健診結果
  ⑬東京都に原発事故後に国から送付された資料類
 
 その他にも、生活環境、健康にかかわる情報を中心に情報公開請求を行っています。また、情報公開請求して公開された文書の寄贈も受けており、一部収蔵されています。
(引用終わり)

 ここまで読んだだけでも、従来のアーカイブとは相当に違うらしいということが伝わってきます。
 実際のアーカイブの利用方法については、「使い方・調べ方」のページで説明されています。
 引用はしませんが、正直、「何か興味深そうな情報はないかな」という程度の漠然とした気持ちで立ち
寄るサイトではないという気がします。
 しかし、以上に引用した説明を読んで、こういう情報が欲しかったという項目があれば、実に貴重な情報の宝庫となるでしょう。
 この「福島原発事故情報公開アーカイブ」が開設されたということを、1人でも多くの人に知っていただきたく、是非情報拡散にご協力ください。
 なお、本アーカイブに関する問い合わせ先は以下のとおりです。
 
   特定非営利活動法人情報公開クリアリングハウス
   〒160-0008 東京都新宿区三栄町16-4 芝本マンション403
    TEL.03-5269-1846 FAX.03-5269-0944
    E-Mail icj[a]clearing-house.org ※[a]を@に変更

「原発がこわい女たちの会ニュース」第94号が届きました

 今晩(2015年6月18日)配信した「メルマガ金原No.2125」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
原発がこわい女たちの会ニュース」第94号が届きました

 松浦雅代さんから、「原発がこわい女たちの会ニュース」の第94号が届きました。今号では、5月10日に開催された結成28年のつどいでの佐藤栄佐久福島県知事のお話が詳しく紹介されています。その
著書紹介といい、松浦さんのこのたびの講演会に対する思い入れの深さを再認識しました。
 私も当日買ったものの、まだ読む時間のない『日本劣化の正体』を何とか読まなければ。
 

原発がこわい女たちの会ニュース NO94号・2015年06月15日発行
事務局 〒640-0112和歌山市西庄1024-15 TEL・FAX073/451/5960松浦雅代方
原発がこわい女たちの会ブログ 
http://blog.zaq.ne.jp/g-kowai-wakayama/
2013年の9月15日から
日本の原発はすべて止まっています

未来のない再稼働を許さない!
そのための活動を個人個人が考えて行動しましょう。
 川内原発鹿児島県)・伊方原発愛媛県)・大飯原発福井県)が原子力規制委員会の「新規制基準
」の適合審査に通り、再稼働に向けた動きを強めています。
 「何もしなのは推進しているのと同じ」になると合言葉のようにして私たちは活動してきました。それは本当に小さな力かもしれません。福島の事故が起きてしまいました。何も収束していません。甲状腺ガンが増え続けています。私たちは黙ってはいられません。
 
創刊号 会の結成当時のニュースが出てきました(←)。世話人代表の一人、泉谷富子さんは2001年5月5日に亡くなられました.もう14年も前になりますが、泉谷さんは日本の右傾化に危機感を持ち1997年3月17日「第9条の会わかやま」を和歌山で発会させました。
 亡くなる少し前に朝日新聞の朝刊に「戦後の平和―安保の力か、九条の力か―」というテーマで、「憲法を考える特集」に泉谷富子さんと桜井よし子さんの対立する意見が大きく取り上げられました。その記
事での私の言い分が正確ではないと、気にしておられました。
 81歳の泉谷さんとの最後の話でした。
 

高浜発電所3号機及び4号機の原子炉は 運転してはならない
~2015年4月14日、福井地裁で出された高浜原発3・4号運転差し止仮処分の決定~
 
 4月29日、大阪市にて「高浜原発3・4号仮処分裁判勝利 報告集会」が開催されました。集会のゲスト・弁護団の海渡雄一弁護士の話から―
 昨年5月21日の大飯勝訴判決と今回の4月14日の仮処分判決こそが、人格権を根底に据え、原発事故は「万が一にもあってはならない」と云う歴史的な判決であり、「新規制基準は緩やかにすぎ、これに適合しても本件原発の安全性は確保されていない。新規制基準は合理性を欠くものである。」として、規制委員会の審査を根底から批判し、「運転してはならない」との効力が現実に発揮されたものであること。
 4月22日の川内原発の仮処分決定については、事故のリスクを認めながらも行政に追随したものだと厳しく批判された。川内の決定は「今後、原子力施設についてさらに厳しく安全性を求めるという社会的合意が形成されたと認められる場合」には、そのような判断をする必要性を認めているということです。
 上記報告会に松浦雅代も参加。仁坂知事が高浜仮処分決定を「原発だけなぜゼロリスクなのか」等と4月20日の知事定例記者会見で批判をしたのを受けて、<4月22日>仁坂和歌山県知事に抗議に行きました。大阪の勝利報告集会では、和歌山の原発を止めた人たちが、命をかけて何を守ったのか。福島の事故を経験しても分からない和歌山県知事の批判をして来ました。(知事宛抗議文同封しています)
※金原注 4月22日に知事宛に提出された抗議文を2通ご紹介しておきます。
脱原発わかやま
子どもたちの未来と被ばくを考える会
 
海渡弁護士から知+情+意の話
脱原発の実現のため、①原子力ムラの論理に打ち克つ知識を体得し、②福島の被害を肌感覚で知り、繰り返してはならないと心で感じること、③この闘いは勝てると云う意識・確信を共有すること。
 この「知情意」の結合で脱原発は必ず実現すると話されました。」
 

福島県甲状腺がん及び疑い 福島県全体で126人
第19回「県民健康調査検討委員会」が5月18日に開かれました。103人が手術をしました。それでもまだ福島の事故での影響は考えられないのだそうです。
 

原子力おことわり 政府自民党は、選挙の時「原発依存度については可能な限り低減させる」と言いながら福島の事故を忘れたように再稼働の動きを急いでいます。
*2030年に向けての長期エネルギ―需給見通し(案)が出されました。電力の電源構成は原子力は20~22%だそうです。<これによって、東日本大震災前に約3割を占めていた原発依存度は大きく低減する>と書かれています。
 国民の意見募集しています。
 原発事故を起こしてはならない。原発はゼロにするように是非ともあなたの意見を書いて送ってください。再生可能なエネルギーをもっと多くする、等。
 郵送とFAX兼用の用紙を同封しています。
宛先・〒100-8931東京都千代田区霞が関1-3-1
資源エネルギー庁長官官房総合政策課・パブリックコメント受付担当宛 
*FAXは03-3501-2305宛  7月1日必着
※金原注 パブコメ告知「長期エネルギー需給見通し策定に向けた御意見の募集について」はこちらです。
意見提出フォームから送信することもできます。
 

少し先です。
2015年さよなら原発全国集会(京都と東京の2か所で開催されます。)
★9/6京都集会は 京都・梅小路公園
★9/23 東京集会 東京・代々木公園
 

緊急です。<主催>戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会
とめよう戦争法、集まろう国会へ。
6月24日(水)18:30~20:00国会議事堂周辺
※金原注 チラシはこちらです()。
 

<報告>5月10日― 原発がこわい女たちの会結成28年のつどい
あいあいセンター6階「センターみらい」に於いて
原発問題と地方の論理」佐藤栄佐久氏講演会(元福島県知事)
 
 「原発がこわい女たちの会結成28年のつどい」に佐藤栄佐久さんをお呼びしようと考えたのは、次のようなことからでした。
 チェルノブイリ原発事故後、和歌山の原発を止めたいとの思いで本会を結成し28年が経過したのですが、私たちは、4年前、福島の事故を経験し、その未曾有の事故にこれから長時間、向き合わざるを得なくなってしまいました。
 そして、18年間福島県知事の座にあった佐藤さん。初めから原発に反対していた訳ではなかった人が、県民の立場に立って国や電力会社に対峙し、2006年に逮捕され、収賄額ゼロと云う前代未聞の収賄罪で有罪になりました(2012年)。
 何故抹殺されたのかも含めて、佐藤さんの考え方と実践を一人でも多くの人に知って貰うと共に、私たちのこれからの活動に活かしたいと考えました
佐藤栄佐久氏講演会1 当日の講演では、長い政治活動の豊富な経験を包括的にお話しいただきました。
 まず、知事になる前に日本の民主主義があぶないと思った、それは、私の尊敬する知事さんたちがコロコロと取り替えられた事です、との話から始められました。
 地方の論理として、政治家にとって不可欠なものは哲学・理念であり、政策施策個々の事業にそれが貫徹すること、政治理念のない政治家などいらないと喝破して、複数主義(プルーラリズム)と政治のベクトルという氏の2つの政治理念を語られました。
 非効率であっても集中を排し地域の個性を尊重する、政治のベクトルを現状とは真逆の<住民⇒市町村⇒県⇒国>へと変える、ということです。例えば「平成の大合併」の際にも福島県では住民600名の村を残したこと、道州制に反対し全国の知事会で導入を潰したことなどがそれです。
 そのためには地方の首長は、国の言うがままではなく自分の頭で判断することが前提であって、地方自治体を力ずくでも国策に従わせるという霞ヶ関官僚たちとの交戦も必要となるのでしょう。
 講演のテーマである原発問題についてもまったく同根・同質です。住民の安全と安心を守るためには、この<国⇒県⇒市町村⇒住民>という情報伝達の流れを変えていかないといけないということです。
 知事就任直後1989年に起きた福島第2原発3号機の事故に直面したとき、東電からの情報伝達の順序が逆転していることに気づいたそうです。冷却水ポンプが外れて30㎏もの部品が原子炉内に落下するという重大事故でしたが、最も影響を受ける地元へ伝えられたのは、国、県の後で1週間もたってからのこと。
佐藤栄佐久氏講演会2 同時にこの事故で、国や東電の隠ぺい体質に気づかせられたといいます。「原発には事故があるのだ」という認識、つまり「安全神話」から解かれたときに、「都合の悪いことを隠そう」とする原子力ムラの体質もみえてくるのでしょう。
 スリーマイル島チェルノブイリをはじめ、国内でも福井の高速増殖炉もんじゅで、東海村JCOで、美浜で、柏崎刈羽で…死傷者の出る原発事故は枚挙にいとまがないほど起きたし、トラブル隠しにデータ改ざん、内部告発の不当な扱い、県からの申入れを無視・反故。どれもこれも原発への懐疑心、東電と国への不信感を増幅するものでした。
 佐藤さんは、立地県知事として原発問題に真摯に向き合い、徹底的に闘いました。
 県民主体で原子力を考えるため、「福島県エネルギー政策検討会」を立ち上げて小冊子「あなたはどう考えますか?~日本のエネルギー政策」にまとめ(2001年)、情報公開。(対抗するかのようにエネルギー庁が「プルサーマル原子力安全」を双葉郡内全戸に配布)
 県庁内の勉強会「核燃料サイクル懇話会」を設置し、県主催の国際シンポジウム「核燃サイクルを考える」を東京で開催、原子力学会や原子力委員会での発言、など情報発信を縦横無尽に行ってきました。
 とりわけ、核燃料サイクルについては当初から強い危惧を持ち続けてきました。プルサーマルは国策だからやむなし、と東電に対しいったんは実施の事前了解を与えていたが(1998年)、MOX燃料データ改ざんなどが明るみにでたため、2001年受入れを撤回。これは結局、後任の佐藤雄平知事のもとで受入れ、2010年福島第1原発3号機で発電開始となりましたが。
○注;核燃料サイクル
使用済み核燃料の再処理により抽出されるプルトニウムを、ウランと混ぜてMOX燃料として原発で消費・再利用するのがプルサーマル発電である。危険性が大きいことから導入実績は進んでいない。核燃料サイクルという原子力政策の基本的な方向変更を国民の幅広い合意形成をはからぬまま、1997年「プルサーマル計画の積極的推進」が閣議決定された。

 地方行政のトップとして粉骨砕身の歳月をバックグラウンドに、話したいことが続々と山ほど、おありだったと思います。最後の話を「地方の論理」の共生の話で締めくくられました。事故後、飯舘村ではイノシシとブタの「共生」でイノブタが生まれている写真を見せながら、自然界はこのような共生だが、福島原発事故後、人と人の世代間の共生を損なってしまった、原発共生出来ない、と訴えられました。佐藤さんが培ってきた地方の論理が原発事故により破壊されたことに一番傷ついているのは佐藤栄佐久氏本人だろうと思いました。
 これは、どこかに書いておられたご自身の言葉だが、「ドン・キホーテが風車に向かってたたかっているようなもの」。…とすると、全国には大小さまざまな「ドン・キホーテ」がいてもいいし、いるだろうと思います。
 実のところ、チケットの売れ行きが芳しくなかったので気をもんでいたのですが、会場(153席)が満席になるほど大勢の方に参加いただいくことができました。
 みなさまありがとうございました。
 
○当日の佐藤栄佐久講演録がYou Tubeにアップされています。


佐藤 栄佐久氏の本の紹介
◆『日本劣化の正体』(ビジネス社)2015/3/19 
佐藤 栄佐久 (著)

 一言でいうと、日本はこと原子力政策に関するかぎり、とうてい民主主義国家とは言えない。日本は「原子力帝国」なのである。そしてその植民地は原発の立地する全国の過疎地である。それは米国基地の七割以上が集中する沖縄の構造とまったく同じだ。政治家の「地元の声が大切だ」という言葉はパフォーマンスにすぎない。原発推進は国策であり、反対の民意は基本的に無視される。川内原発の再稼働は、事故後鳴りを潜めていた原子力ムラが本格的に復活したことを意味する」(はじめに より)

◆『知事抹殺―つくられた福島県汚職事件』(平凡社) 2009/9/10 

佐藤 栄佐久 (著)

 東京一極集中に異議を唱え、原発問題、道州制などに関して政府の方針と真っ向から対立、「闘う知事」として名を馳せ、県内で圧倒的支持を得た。第五期一八年目の二〇〇六年九月、県発注のダム工事をめぐる汚職事件で追及を受け、知事辞職、その後逮捕される。〇八年八月、第一審で有罪判決を受けるが、控訴。(「BOOK」データベースより)

◆『地方の論理―フクシマから考える日本の未来』(青土社) 2012/3/14
佐藤栄佐久(著)、開沼博 (著)

 元福島県知事と気鋭の社会学者が、これからの「日本」について徹底討議する。あらゆる「中央の論理」から自立し、「地方」だからこそ可能な未来を展望し、道州制から環境問題、地域格差まで、3・11以後の社会のありかたを考えるいま必読の書。(「BOOK」データベースより)
開沼 博:1984年福島県いわき市生まれ。東京大学大学院修了。専攻は社会学。著書『「フクシマ」論』(青土社、2011年)

◆『この国はどこで間違えたのか―沖縄と福島から見えた日本』(徳間書店) 2012/11/21

内田樹小熊英二開沼博佐藤栄佐久佐野眞一・清水修二・広井良典辺見庸 (著)徳間書店出版局 (編集)
 原発事故、オスプレイ配備、米軍基地問題、地方の犠牲―。今こそ問い直そう。ニッポンが沈没してしまう前に。(「BOOK」データベースより)インタビューという形での編集。インタビュアーは沖縄タイムスの渡辺豪氏          
                                         (松浦雅代 & sora)
 

<お知らせ>
脱原発わかやまの総会と講演会
○6月21日(日)総会 12時30分~
○講演会 13時30分~15時30分
福井地裁の勝訴判決&仮処分決定とこれから」 
  講師・中嶌哲演氏(福井から原発を止める裁判の会代表・明通寺住職)
○会場・田辺市民総合センター・2階青少年ホール(田辺市高雄1-23-1)
○参加費・無料 誰でも参加できます。
○主催「脱原発わかやま」
※金原注 中嶌哲演氏が坂村真民『あとから来る者のために』という詩を朗読されている3年以上前の動画(東条雅之さん撮影)があります。

 
この詩をめぐるエピソードに触れた私のブログ(坂村真民『あとから来る者のために』)もご紹介しておきます。
 
*上映会:「チェルノブイリ・28年目の子どもたち~低線量長期被曝の現場から」
     (Ourplanet-TV製作DVD2014年/43分)
 映画解説と福島の現状報告 山崎知行氏(医師)
○6月28日(日)14時30分~
○会場・和歌山ビック愛9階・会議室A(和歌山市手平2-1-2)
○参加費・無料 誰でも参加できます。
○主催「子どもたちの未来と被ばくを考える会」
※私のブログに掲載した開催案内です。
 
◆2014年度の会計報告を同封します。佐藤栄佐久氏講演会の会計は別にしています。
◆2015年度の会費を納入して下さい。(振り込み用紙同封しています)6月中に。
◆年会費一口1200円 いく口でも可
 
<記>集団的自衛権閣議決定されてから実感したこと。権力を持つと人は変わる。こわいものが無くなるのだ。多数決で何でもできてしまう。憲法も骨抜きに出来てしまう。このような人が今国会で多数。戦争法案を議論しているのをテレビで長時間見ていたが、自民党はまともに答えない。こちらが恥ずかしくなるくらい。彼らは的外れでも何でもいい。あとは多数決なんだから。民主主義なんか考えたことない、と言ってもよい。侵略戦争も戦後も塗り替えようとしている。自分たちで自分たちの都合のよい日本をつくる為に国民をだまし、嘘の説明をしていてもみんなでやればこわくないのだ。日本を取り巻く世界状況が危機的だと言うが、安倍自民党はわれわれにとって一番危険だ。                 
                                              (松浦雅代)

ブログ「ぼちぼちいこか。。。」の更新再開を祝し、初心を思い起こす。

 今晩(2015年6月17日)配信した「メルマガ金原No.2124」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
ブログ「ぼちぼちいこか。。。」の更新再開を祝し、初心を思い起こす。

 皆さんは、「お気に入り」や「ブックマーク」に登録して毎日のように最新記事をチェックしているブ
ログはありませんか?
 仮にそういうブログがあったとして、ある時からバッタリと更新が途絶え、いつかは再開してくれるのではないかと思いながら、何度訪問してもやはり更新されておらず、そうこうするうちに1年が経ち、1年半が過ぎても、「お気に入り」から削除するふんぎりもつかず、何ヶ月かごとにふとクリックしてみる
、そういう経験はないでしょうか?

 私にとって、どうしても気になるそういうブログを今日たまたま(何ヶ月ぶりでしょうか)クリックし
たところ、何と新しい記事がアップされていたのです!
 2013年2月13日を最後に全く更新されていなかったそのブログが、今年の5月19日12時26分に、実に2年3ヶ月ぶりに更新されていました。その後、5月20日、6月2日と、ほとんど連日更新を続けていた時に比べればゆったりしたペースでの更新ではありますが、3本とも、おしどりマコさんの講演やTV出演時の発言を文字起こししたもので、取り上げる素材を絞り込み、無理せぬ範囲でやってい
こう、ということなのかもしれません。
 そのブログというのは、3.11以降、原発関連の情報、特に有益な動画の文字起こしを素早く掲載してくれるサイトとして知られていた「ぼちぼちいこか。。。」というブログです。
 
 最新の、おしどりマコさんについての記事は以下のとおりです。
 
2015年5月14日分 おしどりマコさんが語る福島第一原発の危険な状況-錆びた排気筒&外洋に漏れる汚染 

 私自身、2011年3月28日から「毎日配信」を続けている「メルマガ金原」を転載する「弁護士・金原徹雄のブログ」をスタートし、「毎日更新」するブロガーとなったのは2013年1月24日のことですが、実は、その前年9月に、「wakaben6888のブログ」というものを試験的に立ち上げていました。そして、そのブログで「ぼちぼちいこか。。。」を取り上げてご紹介したことがありました。
 
2012年10月6日(wakaben6888のブログ)
「ぼちぼちいこか。。。」が自選する必読記事15選

 そこでご紹介した《必読記事一覧》に2本を増補した改訂版のアップを最後として、「ぼち
ぼちいこか。。。」の更新が止まることになったのですが。
 
 3.11以降、原発関連記事の紹介や動画の文字起こしということに関しては、
「みんな楽しくHappy♡がいい♪」がずば抜けたスピードと分量で多くの情報を提供してくれており、実はそれが現在まで途切れることなく続いているというのがすごいことですが、一時期、「ぼちぼちいこか。。。」も、それに近いペースで更新が行われていました。
 2010年8月にスタートした頃の記事を読めば、ご主人の米国勤務に同行した奥様で、その頃にはお子さんもまだおらず、ご夫婦2人だけの生活を満喫されている様子でしたが、「みんな楽しくHappy♡がいい♪」のきいこちゃんと同様、3.11がタニガキトキコさんの生活を一変させることになりました。
 
 スタートしてから2ヶ月で中断していたブログを半年ぶりに再開させる原動力が何であったか、3.11後最初の記事を読んでみましょう。
 
2011年04月19日06:20
3.11からの自分
(引用開始)
3.11ですべてが変わった。
私の中のすべてがひっくり返された。
3.11地震発生当時、私はピアノを弾いていた。もちろんアメリカに居たわけだから、揺れなどは感じない

フッとネットのトップニュースを見て、血の気が引いた。
ゾッとした。
それからは、UstreamでUpされていたNHKの生放送をずっと、食い入るように見ていた。あの空撮の津波
映像も。
「終わった・・・。」
飲み込まれていく家や車。人の力では到底抗うことができない自然の力。
それから1週間はずっとネットに張り付いて、日本の情報を集めまくった。
特に、福島第一原発事故
これは、一報が入ってすぐに、「大変なことになる」と感じた。今日現在も放射性物質を封じ込める見通
しはまだ立てられていない。
私は、某巨大掲示板で情報を集めるようになり、東電・保安員・官房長官の会見をはしごして、できるだけ誰がどのようなことを言ったかを記憶するようにした。その他の時間は、原子力情報資料室のUstream
後藤先生はじめ、山崎先生の講義を聴き、さらに京都大学の小出先生の話も聞くようにした。
さらに、Youtubeでは、チェルノブイリ関連のドキュメンタリー見て、さらに原発について、深く考えるよ
うになった。
その情報とは反対に、日本の報道は酷いものだった。民放やNHKですら「ただちに影響はない」を連発し、
風評被害の名の下、国民の不安をさらに煽っているように見える。日本のメディアには、絶望した。
そんな中でも、各所会見(特に東電会見)で、フリーのジャーナリストの方々が奮闘している姿が生で見
ることができ、
「こういう方々がいるなら、まだいけるかもしれない」
と、少し希望を持った。特に、Ustream配信を続けて下さっている岩上さん、上杉さん、日本インターネット新聞社など、彼らが居なければ、私たち一般市民があのゆる~い会見を生でみる機会はなかっただろう


ちょっと話がそれるが、みなさんは斉藤和義さんの「ずっとうそだった」をごらんになりましたか?

これは、4月7日にそっくりさんとしてゲリラ的にUpされた動画を海外向けに加工したものです。当日、ツ
イッターや掲示板で急激に広まり、祭り状態になりました。私もその中で、激しく興奮したのを覚えてい
ます。
彼は、本物のロックミュージシャンです。
やらなければならないときに、やる。
今の日本では簡単そうで、非常に難しいことをやってのけました。
オリジナルの動画は、ビクターに削除されてしまいましたが、彼の意思をついで再upが続いています。
4月8日には、Usteamで斉藤和義さんご本人が登場し、最後には「ずっと好きだった」と「ずっとうそだっ
た」ともに歌いきりました。
「~うそだった」の途中、あまりのアクセス数でサーバーダウンというハプニングがありましたが、きち
んと歌いあげました。
次の記事で、こういう状況の中で、私が考え、行動したことをご紹介します。
(引用終わり)
 
 「次の記事」も一部引用しましょう。
 
2011年04月19日07:07
自分は何ができるのか。(NHK/憲法改正・国民投票への働きかけ)
(抜粋引用開始)
今までの自分を振り返る。
3.11までの自分は、ぬる~く幸せに生きていた。
原発のことは、知ってはいたけれど、所詮他人事。自分には関係のないものと思っていた。
しかし、3.11起因の福島第一原発事故が発生。
私は、ひどく責任を感じた。
私たち全員の無関心が起こした事故。そう認識した。
さきほどいった某掲示板でも、いろいろな意見が出ていた。
「政府・政治家が全部わるい」
東電がちゃんと作業しないから悪い」
保安院が定めた安全基準が悪かった」
人のせい。
もちろん、この3方の責任は計り知れない。たたかれて当然のことを現在進行形で行っている。
しかし、ベースにあるのは、私たち日本人の無知・無関心。
(すでに反原発等活動されていた方には、申し訳ありません。)
それをひしひしと感じ、これからどうしていくべきか、思い悩んだ。
私ができること。一市民で、なんの権力もないただの主婦。
たどり着いたのは、問題提起。
今までずっとスルーしてきた問題をちゃんと受け止めて考えよう。
(引用終わり)
 
 そういえば、「みんな楽しくHappy♡がいい♪」のタイトルページには、今も「2011年3月11日。その後私は変わりました。」という文章が掲げられています。
 そうなのです。私が2011年3月28日から、友人・知人にささやかなメルマガの配信を始めたのも、「ぼちぼちいこか。。。」のタニガキトキコさんや「みんな楽しくHappy?がいい♪」のきいこちゃんと
同じことなのだと思います。
 東京電力福島第一原発事故について、自分に責任があると考えるか否かということなのです。責任を自覚すれば、次は「何をしなければいけないのか」と考えるはずです。
 
 「ぼちぼちいこか。。。」の更新が2年以上途絶えていた理由は分かりません。もしかしたら、お子さんが出来て、出産・育児に忙殺されているのかも、などと想像したりしたこともありましたが・・・。
 理由は分からぬながら、ブログ「毎日更新」などを続けていると、様々なしわ寄せが生活全般に押し寄せてくることは避けがたい私自身のことを省みても、よんどころない事情があったのだろうと推測
していました。
 「ぼちぼちいこか。。。」が再び更新を開始したことを祝すとともに、私自身、第二次安倍政権の登場とともに本格化した「憲法の危機」への対応に手一杯となり、原発問題についてのフォローが手薄になっていたことをあらためて思い出させてくれたことに感謝したいと思います。
 これからも、ブログ・タイトルのように無理をせず、その上で、しっかりとした情報発信を続けていっていただきたいと思います。
 
 
(弁護士・金原徹雄のブログから)
2012年3月11日(2013年1月26日にブログに再録)
3.11に思う(「原発問題」と「倫理」について)
2013年3月11日
もう一度「原発と倫理」(3.11から2年を迎えて)
2013年10月2日
メルマガ配信1500号到達!ありがとうございました(付・米国政府と安倍政権の微妙な関係)

「原発がこわい女たちの会ニュース」第93号が届きました

 今晩(2015年4月2日)配信した「メルマガ金原No.2048」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
原発がこわい女たちの会ニュース」第93号が届きました

 「原発がこわい女たちの会」松浦雅代さんから、同会ニュース第93号をお送りいただきましたのでご紹介します。
 掲載記事は以下のとおりです。
 今号も、読み応えのある貴重な原稿が揃いました。
 是非じっくりとお読みください。
 
巻頭記事 原発5基が廃炉になる。
原発がこわい女たちの会28年のつどい 佐藤栄佐久氏講演会
命ど宝(橘柳子氏寄稿)
福島のお百姓・根本洸一さんをお迎えしてお話を聞く機会がありました。(付・鈴木静枝さん訪問記)
小出裕章さん 今年3月末で京都大学原子炉実験所を退官
お知らせと編集後記
 

原発がこわい女たちの会ニュース NO93号・2015年03月29日発行
事務局〒640-0112和歌山市西庄1024-15 TEL&FAX:073-451-5960松浦雅代方
原発がこわい女たちの会ブログ 
http://blog.zaq.ne.jp/g-kowai-wakayama/
原発5基が廃炉になる。

 ○日本原電敦賀一号(運転年数45年) 
 ○関西電力美浜一号(運転年数44年)、美浜2号(運転年数42年) 
 ○中国電力島根1号(運転年数40年) 
 ○九州電力玄海1号(運転年数39年)

廃炉は、経営的には当然だ。国が会計制度などのルールを変え、経営的にはノーリスクになった。国の保護策があっての判断だ。原子力に依存してきた会社は、採算が合う原発を生きながらえさせようとするだろう。電力自由化にする以上、保護策は取り払うべきだ。」(朝日新聞2015/3/18・大島堅一立命館大学教授)
 2014年4月の自民党政府のエネルギ―政策は、その後も具体的な論議はさけて来ました。「原発依存度については可能な限り低減させる」と言いながら「原発は重要なベースロード電源」としています。この中で具体化した廃炉。このあとも廃炉が続くことを願います。
 学術の立場から国に政策提言など行う日本学術会議が、原発から出る「核のごみ」対策を政府と電力会社が明確化することを原発再稼働の条件にすべきだとする政策提言をまとめている。(そのような対策もなく原発を再稼働することは)「将来世代に対する無責任」と批判しており、新増設も容認できないと強調しています。(共同通信2015/2/15)
 福島原発事故は何も収束していない。避難者は約12万人のまま、仮設住宅に放置されている人たち。汚染水もコントロールされていません。 このような中で、再稼働は許してはいけない。
 

原発がこわい女たちの会28年のつどい
佐藤栄佐久氏講演会「原発問題と地方の論理」
◎日時5月10日(日)14:00~
◎場所あいあいセンター6階・センターみらい/参加費500円
チラシとチケット同封します。
(金原注)
 元福島県知事・佐藤栄佐久氏の講演会については、私のブログでも詳しく紹介していますのでご参照く
ださい。
 

命ど宝     2015・3・11 本宮にて  橘 柳子
 
 もう?又の再びの3.11だ。「時のたつのは早いというけれど」その時とは何をさしているのだろうか。東日本大震災東京電力福島原発事故で強制避難により故郷を追われた避難の民はその中味と思いは千差万別である。私個人に限って言えば長くもあり短くもある。そのようなことよりも、人々の心が福島を離れてはいないだろうか。わあーこわい、もう―?とおもうとき、心が波立つ。
 2011・3・11の状況と避難経路は「忘れてしまいたい」と思う人々と「いや忘れてはいけないし、後世の人たちにつたえていかなければ」と考える人。そして「どっちでもいいじゃん」と心の中で思い、黙っている人、その他かな…?じゃ「お前は」といわれれば、忘れてはいけない、苦しくとも語るべき、伝えるべきと考える一人である。そんな中で思いを共有しようとしてる方と出会うことは励みである。
 遠い和歌山から放射能測定器持参で福島を訪れ状況を伝えてくださる松浦さん。その彼女の悩みは、測定器がはげしく反応する福島と反応もなく数値の低い和歌山で、原発と被害そして課題をどう語ればいいのかと思いあぐねるという。加えて人々の関心度もあるのだろう。事故当時と現在の人々の心の推移は不安を感ずる。福島は自宅に一時帰宅する時、今でも測定器をもち、首からはガラスバッジ下げる。でもほとんどの避難者は「そんなことしてもなんにもならない」と心の中で思ってる。仮設住宅周辺も含め、周りのモニタリングポストの変化も横目でみて、そのことは話題にしない。何故って?機器自体を信じられなくなってきているからだ。来仮する人々が持参する機器の数値を見て、その違いを考えているからだ。本物はなにかと…?一方4年間仮設住宅で生活した人々が業を煮やして新たに自宅を建設。あるいは中古家屋を購入、転居を開始。狭い仮設では我慢も限度。もう待てないのだ。
 復興のかけ声は声だけでじぶんたちのところには届かないと思いはじめている。各市町村の行政は努力はしているが、復興住宅はわずかしか建たない。何故って人員も資材もすべて不足である。何故不足しているかも解っている。
 国に抗議したら、答弁席からヤジを飛ばしても、メディアも世論も沈黙を決め込むのも解ってるからに他ならない。でもでも「沈黙は金なり」等と云って黙ってる時だろうか。時々の経過は心を静めるどころか、表現しがたい不安と疑念が澱のようにたまってくる。このような時、「命ど宝」の沖縄のことばが浮かぶ。日本の命は安いものだ。「事故の責任も反省」の弁はおろか謝罪のことばすらもないのだから…。
浪江駅 静かな朝、仮設の窓から電柱にとまっているすずめの一群(5~6羽)をたまたま見かけた。原発事故当時、避難の地でさえすずめもからすも目にすることはなかった。このすずめたちも放射能の影響は受けているだろうに。何んと健気に生きていることか。すずめと人間命は同じよと思いながら…。たまに上京する折、車窓から連続する美しい自然をながめる。でも心からその自然を満喫もできず、安心してながめることもできない。「事故がおきたら全部ダメに」一種のトラウマ、低線量被曝を受け続ける地で生き、展望の開けない中、願望と現実のギヤップに心を病む。人間の営みを根底からうばってしまう「原発事故」罪なき市井の人々を苦しめていることに目をそらしてはいけない。「座して黙してはいられない」と思う日々である。
(写真は4年前のままで一見何事もなかったようにたたずむ浪江駅。2014年11月18日撮影)

 追伸
 2015年3月11日の本宮の朝は雪におおわれていました。3月の雪。
 避難途上の16日。朝一面雪で覆われていました。その中を私が運転して親友宅にむかったことを思い出しています。つらかったよ…。
 
※3.11に橘さんからFAXで届きました。福島原発事故から4年目の3月11日、和歌山でも雪がちらつく寒い日でした。(松浦雅代)
 

福島のお百姓・根本洸一さんをお迎えして
お話を聞く機会がありました。
 
 根本洸一さんは、福島県南相馬市小高区で長らく有機農業に取り組んでこられた篤農家です。女の会会員の古田伊公子さんが福島で知り合われた根本さんご夫妻を個人的に関西・和歌山(波満乃家のクエ料理)に招待されたので、ならばわれらもお会いしたいヮと便乗した次第です。(女の会ニュース86号「南相馬市小高より」は、お連れ合いの根本幸子さんの古田さん宛の手紙を転載させていただいたもの。残念ながら諸般の都合で洸一さんお1人になりました)
根本さん&鈴木静枝さん 午後には晴天となったこの日は浜さんの案内で、日の岬から紀伊水道の眺めを満喫していただいたそう。その後わたしたちと合流してまずは、町内の施設に入所されている鈴木静枝さんのもとをお訪ねしました。
(写真:根本洸一さんは後列右から2人目)
 鈴木静枝さんはおかわりなくお元気でした。
 小学校の師弟関係だった鈴木静枝さんと浜一己さん。「鈴木先生」は、それはキビしかったそうで、よく忘れ物をして遠くの家まで取りに帰らされたなどと思い出を語る浜さんだが、のちにお二人は反原発運動の同志になるのだから面白い。
 原発を拒んで作らせなかった和歌山の現地の人たちと、原発を拒みながら近隣立地の東京電力福島原発の事故のため、理不尽な被害を被らざるを得なかった南相馬の根本さんたち。両者の交流は感慨ふかいものでした。
東北電力による浪江・小高原子力発電所の計画は、反対して建てさせなかった。2013年3月東北電力は正式に撤退)
 98歳になられる鈴木静枝さん、「七十や八十はまだまだ若い、これからや」には、77歳の根本さんはじめ「一同(笑)」でした。また、「それで、原発は止まるんかいの?」
 もちろん、全国の原発はこのまま再稼働しないでおれるか、このさき廃炉に追い込めるか、という意味です。大先輩からはっぱをかけられることしきりでした(ご本人はそんなおつもりでなかったかもしれないが)。
 さて、根本さんだが、南相馬市小高区で、農業に励んでおられます。
 ここは東電福島第一原発から十数キロ、当初は避難指示区域(警戒区域)で立ち入りが禁止。1か月ほど避難生活を送ったのち、相馬市に仮住まい(借り上げ住宅)。敷地周辺にて野菜作りに励み、喜んでくれる人に配った。体を動かしていないと苦痛なのだ。
 2012年、小高区が避難解除準備区域に再編されると、相馬市の仮住まいから通いで農業再開。行政から多くの栽培規制や出荷規制を受けながら3年間「試験栽培」に打ち込んで来られたのです。2015年度の作付け計画は、有機農業水田30アール、餌米販売用24アール、みんなの田んぼ10アールの水稲を中心に、ジャガイモなど野菜の栽培です。「みんなの田んぼ」は体験農業用の圃場で、播種から田植え、稲刈り、脱穀、籾摺りと、口に入るまでの一連の行程に参加し体験することを目論むもの。
 とはいえ根本さんの事故以前の耕作面積6.5ヘクタールからすると、これはごく一部にすぎないです。昨年栽培した有機米は全袋検査の結果すべて、10Bq/㎏以下(県が測定下限値と定めた25Bq/㎏以下(玄米))だったそうで、ほんとうによかったです。
 元もと福島県は、有機農業推進室を立ち上げ県で有機認証を行うなど、有機農業の先進地のようです。根本さんはそんな福島県で有機農業ネットワークの初代会長をつとめられた方。有機農業者は、農地を大切に育てておられるので、それが放射能で汚される悲憤は人一倍と推察しますが、都会の消費者や流通組織、県内外の大学の研究者や学生など再建支援に関わっていくグループ・個人のつながりも大きいようです。
 「自分の農業と暮らしだけではなく、みんなとともに小高へ帰りたい」という地域の復興を大目標に、頑張っておられるが、状況はたいへんきびしい。除染も遅々として進まないまま(住宅2015年、農地2016年の予定)、周りの人々が小高への帰還を諦めた、別のところに家を建てたという話が多くなり根本さんの耕作地以外は雑草に覆われたまま。小高区の農業・生活の再開は見通しが見えないとのことです。
 放射能汚染でさっぱり売れなくなった収穫物。風評被害に対抗し安全性を確かめるには、とにかく放射線量を測定することだと生産物の測定に片っ端から取り組んだ。結果は「検出せず」の連続。根本さん曰く「それでもダメだよねぇ」
 今まで消費者には有機農業の安全性に安心を求めて購入してもらっていただけで、生産者と消費者の関係性は希薄であった、と思い至られたようだ。
 「南相馬市小高区の農業・生活再建支援の会」が「おだかつうしん」に記されているように、「根本さん応援団としても(中略)まわりの状況はどうであれ、根本さんと共に歩き、小高の現地で農業や農家らしい暮らしを体験し、学び、継承していく活動を、前向きに、自由に、明るく取り組むこと」に新たな方向性を求めておられるのも肯けるところです。
 途方もない環境汚染をもたらした東京電力福島原発事故原発に反対し再稼働を許さない運動とともに、私たちは消費者として被災された生産者とどう向き合うのか、重要な課題を突き付けられた根本さんとの出会いでした。
 
注)本稿は、根本さんのお話のほか、「おだかつうしん」第13号(作成・南相馬市小高地区の農業・生活再建支援の会 発行・根本洸一)、『放射能に克つ農の営み』(菅野正寿・長谷川浩編著 コモンズ)を参考にしました。(sora)
 

小出裕章さん
今年3月末で京都大学原子炉実験所を退官
ご苦労さまでした。
そしてありがとうございました。
 
 2015年2月27日(金)熊取町の京大原子炉実験所に於いて(写真掲載)、14:00から第111回目の京大原子力安全問題ゼミが開かれました。小出さんが在職中の最後の講義を聞きに行ってきました。小出裕章氏今まで安全ゼミに参加した人に連絡があり、(会場の収容人数に合わせて)申し込み先着順に100名と云う事でした。が当日は140名になったようです。別室を設けていました。
 私たちは、小出裕章さんとの関係というより熊取グループの人たちに教えて頂いたのは「ペンペン草」の時からです。黄ばんだレジメが残っていました。丁度30年前1985年1月17日(木)で、勉強会はその当時はほとんど「紀の国会館」の会議室を使用していたと思います。小出さんの講演はNHKの夕方のニュースで報道されたことだけは覚えています。テーマは「原子力発電所から出るゴミ(放射性廃(棄)物)のゆくへ」と書いていますね。小出さんは原子力の廃(棄)物が専門でした。
 この翌年チェノブイリの事故が起きました。私たちは「原発がこわい女たちの会」を結成しました。原子力の専門家として、和歌山県各地の女の会でも、つぎつぎと講演をお願いしてきました。呑み込みのよくない私たちに嫌がらずに教えて頂いたことは感謝です。退官後は仙人になると言っていましたけど、福島原発事故が起こってしまているからそういう訳にもいかないでしょうね。
 2015年2月27日の第111回原子力安全ゼミの小出さんの演題は「原子力廃絶までの道程」でした。基本は30年前のレジメも同じです。(あらためて読んでみました)
 当日は、今中哲二さん(一年後に退官予定)の司会で、最初に川野眞治さんが「伊方原発訴訟の頃」として熊取の仲間のこと、伊方訴訟で指摘した殆どの事故が起きていること、つまり伊方訴訟の先見性を話されました。
 小林圭二さん、海老澤徹さん、全員揃ってお元気な姿だったのはうれしかったですね。
 
間違った人生、
それでも恵まれた人生だった
若い時に、愚かにも原子力に夢を抱いてしまった。
原子力は私がかけた夢とは正反対の世界であった。
原子力を進める組織はあまりに巨大で、私は敗北し続けた。
ついに福島第一原子力発電所事故も起きてしまった。
でも、私はずっと自分のやりたいことをやることができた。
誰からも命令されなかったし、誰にも命令しなかった。
全国で反原発を闘う仲間たち、6人組の仲間にも恵まれた。
私を見守ってくださった方々に感謝します。
 
 小出裕章さん講演最後のことばです。(松浦雅代)
 
(金原注)
 3.11直後の2011年3月18日に第110回ゼミが開かれてからほぼ4年ぶりに、小出裕章さん
の定年退職を機に熊取で開かれた第111回原子力安全問題ゼミ。
 原子力安全研究グループのホームページ(貴重な資料が集積されていますが、京都大学URLに間借り
(?)しているようなので、来年、今中哲二さんが定年退職するまでに引っ越し先を確保しなければならないでしょうね)に、松浦さんの記事でも紹介されている小出さんと川野さんの講演(講義)で使用されたパワーポイント資料がアップされていましたのでご紹介
します。
「伊方原発訴訟の頃」川野眞治(原子力安全研究グループ)
「原子力廃絶までの道程」小出裕章(京都大学原子炉実験所)
 

福島県甲状腺がん及び疑い 福島県全体で117人
 2年前異状なしの8人が甲状腺がん(2015年2月12日発表)
 先行検査(2011年から2013年度まで)本格検査(2014年から2015年度に実施している2巡目の本格検査)事故当時18歳未満だった子ども38万人を対象に実施している甲状腺検査で計118人の子どもが甲状腺がんの「悪性・悪性疑い」と診断され、その内88人が手術を行い一人を除く87人が甲状腺がんと確定しました。
(詳しくは福島県「県民健康調査」検討委員会第6回甲状腺検査評価部会・27/3/24)
(金原注)
 「県民健康調査」検討委員会 第6回「甲状腺検査評価部会」(平成27年3月24日開催)の資料は
以下のページからダウンロードできます。
 

原発事故被害者の救済を求める全国運動 第二期署名が始まっています。
 「原発事故被害者の住宅・健康・保養支援の立法化と完全賠償の実現を求める請願署名」
 第二次集約日5月末日までにお願いします。署名用紙同封します。
(金原注)
 「原発事故被害者の救済を求める全国運動」ホームページから、
「原発事故被害者の住宅・健康・保養支援の立法化と完全賠償の実現を求める請願署名」署名用紙リーフレットをダウンロードできます。
 なお、同サイトによると、「第一次集約日:2015 年 3 月末日、第二次集約日:2015 年 5 月15日」となっています。
 

◎福井の原発の避難計画では住民の安全は守れない!リーフレットを同封します。
 避難計画を案ずる関西連絡会のメンバーが避難元や避難先の各市町村に申し入れをし、避難計画の実態をチェックしたものです。和歌山は滋賀の広域避難先になっています。
(金原注)
 リーフレット「避難計画では住民の安全は守れない」は以下のページからダウンロードできます。
 

◎A4判で、厚さ一センチまで82円で配達出来たヤマト運輸クロネコメール便がこの3月で廃止になります。今後は郵便局から定型郵便物の大きさで、ニュースをお送りします。
 
<記>
 女の会ニュース92号を発行した1月18日前後から2月1日の後藤健二さんの殺害動画が公開されるまで、緊張する日が続いていました。後藤さんのお母さんの姿が痛々しかった。結果的に日本政府は後藤さんを殺してしまった。
 理解できなかったのはイスラエル訪問中だった安倍総理が、日の丸だけではなくイスラエル国旗をバックに「テロには屈しない」と宣言したというニュース。あぜんとしました。安倍総理は何故中東を、それも親米国だけ訪問していたのかも。しかし、今、日本で集団的自衛権閣議決定後の動きや憲法改正への動きを見ていると、アメリカに忠誠を誓い、いっきに憲法を変えようとしている人たちがいることがわかった。何んとしても止めたい。と思う。しかし特効薬はない。
 今のところ、私は是非5月10日の佐藤栄佐久氏講演会を聞きに来て下さい!と言うしかありません。何故「知事抹殺」されたのか是非ご本人からお聞きください。福島県の郡山にお住まいです。
 友人や知人にチケットを すすめてください。(松浦雅代)
◎女の定例会(仮称)は4月11日(土)14:00~ボランティアサロン(旧丸正)にて
 テーマは憲法です。参加自由。

映画『祝福(いのり)の海』(東条雅之監督)完成への期待と私がお薦めする「スナメリチャンネル」の10本+1

 今晩(2015年3月4日)配信した「メルマガ金原No.2019」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
映画『祝福(いのり)の海』(東条雅之監督)完成への期待と私がお薦めする「スナメリチャンネル」の10本+1

 「いつ観られるんだろう?」と多くの人が長らくその完成を待ち望んでいた映画『祝福(いのり)の海』
(東条雅之監督)が、いよいよ、本当に、間もなく観られそうです。
 先月(2015年2月)6日に久々に更新された東条さんのブログの冒頭に次のように書かれていたか
らです(映画、追い込み作業中です!)。

(引用開始)
僕は、連日、部屋にこもって映画の追い込み作業に没頭しています。
3月11日に、初めに祝島で上映させて頂くことを目指しています。
2011年の東日本大震災から4年になろうとしています。
撮影させて頂いた方々や応援して頂いている皆さんのことを考えると早く完成させたいと思いながらも、
納得のいくものをつくりたいという思いもあり、制作が長期となってしまっています。お待ち下さってい
る皆さん、申し訳ありません。
祝島でお披露目させて頂いた後、撮影させて頂いた方々に観てもらいながら、最終的な完成を迎えられれ
ばと考えています。
(引用開始)
 
 もっとも、東条さんのこの書きぶりからすると、祝島での上映は「完成披露試写会」というよりは、関係者を集めた「初号試写」であり、今後まだ最終的な手直しがあり得るような気もします。
 まさかその「手直し」に1年もかかることはないだろうなあ?という懸念が皆無という訳ではないのですが、とりあえず東条さんの地元・和歌山県では、半年以内には観られるだろうと(希望を交えて)予想しておきます。
 
 ところで、ここまで東条雅之さんや映画『祝福(いのり)の海』について何の説明もしていませんでしたから、知らない方のために、公式サイト「スナメリチャンネル」~みんなが笑って暮らせる世界へ~から、参考ページを(少し長くなりますが)ご紹介します。
 
プロフィール
(引用開始)
はじめまして、東条雅之です。
「スナメリチャンネル」での発信と
ドキュメンタリー映画を制作しています。
  1984年生まれ、大阪出身。北海道大学農学部卒業。
2007年から7ヶ月半に渡り、アジア・アフリカの10数ヵ国を旅し、
世界は「でっかい宝島だ」と実感しました。
  2009年より、自然と共生する人達を巡る中で、山口県の「祝島」に出会いました。
  海と山と共にある暮らしに感銘を受けると同時に、
  対岸の海を埋め立てて建てられようとしている原発計画に問題を感じ、
  映像を撮り、「スナメリチャンネル」で発信を始めました。
2011年の東日本大震災福島原発の事故以降は福島にも通うようになり、
これまでの出来事をドキュメンタリー映画としてまとめようと決めました。
  テーマはいのち。
いのちの誕生(出産)から始まり、海や大地とつながり生きる人々を追います。
奇跡のようないのちのつながりをどこまで描けるか。
「祝福(いのり)の海」現在制作中です。
  2013年、結婚を機に和歌山県田辺市高原に移住。
  家で自然食のお店「虹の花(このはな)食堂」を妻が中心で運営しています。
自然の一員として、いのちを生かし合える暮らし・世界を
仲間と共につくっていきたいと思っています。
ご覧頂きありがとうございます。
どこかでお会いする日を楽しみにしています。
(引用終わり)
 
映画『祝福(いのり)の海』について
(引用開始)
<映画の内容>
「いのちはどこから来て、どこに行くのだろう」「この地球の上で平和に生きるにはどうすればいいのか

そんな問いを持っていた僕は2009年、山口県長門市で塩づくりをしている「百姓庵」の井上さんに出会った。「海は全ての生物(いのち)のお母さん」「生物は自分の体内に海をつくることで陸に上がってきた。母なる海と僕たちをつなぐへその緒の役割をしているのが塩なんだ」。海に生きる井上さんの言
葉には実感がこもっていた。
同時期に出会ったのが、対岸に原発計画がある「祝島」の人たちだ。海や山の恵みで生きてきた島民は「海は売っていない!」と体を張って、それこそ命をかけて原発予定地で抵抗していた。そこには、祝島の人たちと共に海を守ろうとする冒険家でカヤックガイドの原さんや全国から集まった多くの人たちの姿も
あった。
祝島や予定地から映像の発信を続けて1年半が経った頃、埋め立て工事が強行されようとしていた矢先に、東日本大震災福島原発の事故は起きた。いてもたってもいられず福島に赴くと、放射能に汚染された
海を前にして「身を切られた想い…」と語る漁師さんがいた。
祝島の「海」と福島の「海」。そして自分たちの中にある「海」。本来つながっているはずのこれらの「海」を、命のつながりを、この映画で描きたい。それは僕たちが忘れてしまった大切なものを呼び起こす
旅に他ならないと思っています。皆さんに応援して頂けると、これ程うれしいことはありません。
資金協力について>
口座番号 00910-6-201437(店番号099)名義 スナメリチャンネル
※一口1000円より、よろしくお願い致します。
※映画のエンドロールにお名前を掲載させて頂きたいと思います。通信欄に、OKならば(名前可)NGなら
ば(名前不可)とお書き下さい。メッセージがあれば合わせてお書き下さい。このブログの「応援する」
のページにお名前のイニシャルとメッセージを掲載させて頂きます。
※協力金は全額映画の製作費(主に交通費、他機材など)に充てさせて頂きます。
※「こんなことで映画に関りたい、協力したい!」という方がいらっしゃいましたらお気軽にご連絡下さ
い。
<お問い合わせ先>
「スナメリチャンネル」東条雅之
Tel: 080-3809-6791 Mail:
sunamerichannel@yahoo.co.jp
(引用終わり)
 
 東条さんが活動の柱として、ドキュメンタリー映画の制作とともに挙げていた「スナメリチャンネル」での発信についてもご紹介しておきます。
 私が、東条さんとまだ一度もお会いしていない頃から、祝島の現地の状況を伝えてくれる「スナメリチ
ャンネル」には、とてもお世話になっていました。
 今や、そのアーカイブ映像は200本を超えたとか。
 YouTubeにアップされた動画一覧はこちらから。
 これらを眺めていると、あれも、これもメルマガ(ブログ)で紹介したとか、これは『祝福(いのり)
の海』にも使われるだろうなと想像したり、様々な感慨が浮かんできます。
 ここでは、特に印象に残っている最近の数本をご紹介するにとどめますが(と言いながら結局10本になってしまった)、いずれも、東条さんが何を伝えたいのか、ということがしっかりと受け手に届く作品
になっています。
 東条さんの作品からは、撮影した素材を丸ごと投げ出せば良いというような、楽観的というか、ある種
不遜な態度とは対極にある、撮影した対象に対する敬意を感じます。
 そのような敬意があればこそ、より正確に映像の受け手に、伝えたいことを過ちなく届けるた
めにはどう編集するのが最適か?という表現者としての葛藤と決断が不可欠になるのだろうと思います。
 『祝福(いのり)の海』がなかなか完成しない原因の一端は、私が「スナメリチャンネル」の映像の数
々を視聴しながら感じた、そのような東条さんの姿勢にあるのかな、などと思っています。
 それでは、金原お薦めの「スナメリチャンネル」セレクション10本をご紹介します。
 
91歳現役の助産師 坂本フジヱさんのお話 「平和でこその命」 2014.7.13
 
平和を祈り歩く「命の行進」 2014
 
大地といのちの祈り2013~Sunrise Ceremony in 南会津~2013.11.24
 
アーサー・ビナードさん 核と命めぐる祝島の旅 2013.8.19~20
 
警戒区域に生きる 松村直登さん
 
それでも世界は美しい 佐藤幸子さん(子ども福島代表) 2013.2.20
 
大間原発のあさこはうすより祝島へ 2012.9.24
 
中島哲演さん「あとからくる者のために」@びわこ集会 2012.2.4
 
「確率的殺人に加担したくない」福島の漁師・新妻竹彦さんの苦渋の選択
 
拡散希望被曝医師・肥田舜太郎さんが語る『真実の原子力
 

 最後に、YouTubeにアップされている200本以上の動画の中で、最初にアップされたのはどれかと探し
てみました。
 2009年11月8日に撮影した上関原発建設のための埋立工事に抗議する祝島の女性を捉えた2分余りの短い映像です。撮影機材の性能もあるのかもしれませんが、ピントは甘く、拾った音声も明瞭とは言えませんが、工事関係者に何度も頭を下げながら「どうか帰ってください。お願いします。でないと私たちをここに埋めてください」と言う島民の声を社会(世界)に向けて発信したこの動画が、東条雅之さんの表現
者としての出発点なのだと思います。
 上に推奨した金原セレクション10本とは技術的にはとても比べものになりませんが、カメラを通して対象を見つめる撮影者の身の置き所は、最初から一貫している、そうは思いませんか?
 
「私をここに埋めてください」 上関原発 抗議行動 2009.11.8

(映像説明)
「2009年9月10日より、上関原発建設のための海の埋め立て工事に対する抗議行動が始まった。11月5日より、舞台が原発建設予定地「田ノ浦」に移った後も、毎日続けられている。計画が欺瞞に満ちたまま進められる時、人はどう行動するのか。汚濁防止幕の上で座り込-む祝島の女性の声。」
 

(付録)
死の灰を浴びる前に』 作詞・作曲・演奏:NO∞無(撮影:東条雅之/2011.4.16)