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東京新聞社説(10/23)「PKO撤収の見極め時」を読む

 今晩(2016年10月23日)配信した「メルマガ金原No.2608」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
東京新聞社説(10/23)「PKO撤収の見極め時」を読む

 日曜日の東京新聞社説は、「週のはじめに考える」と題し、本文は「ですます調」(日曜日以外は「である調」)で書かれています。
 正直、最初のうちは、この文体に違和感を憶えていましたが、まあ慣れましたね。問題は中身ですから。
 
 さて、今日(10月23日)の「週のはじめに考える」は、「PKO撤収の見極め時」というタイトルで、「過去に一度だけ、途中で撤収した」「ゴラン高原PKO」の事例を紹介しつつ、南スーダンでは、「人々の移動の妨げになっている雨期は来月には終わります。(略)警戒が必要なのはこれからなのです。」と指摘し、「必要とあれば大胆に撤収を命じる気骨が政治家には求められます。」と主張する内容となっています。
 
 
 全文は、リンク先の東京新聞サイトでお読みいただくとして、以下には、ゴラン高原PKO撤収に関わる部分を引用したいと思います。
 
(引用開始)
 PKO協力法にもとづく自衛隊の海外派遣は一九九二年から始まり、南スーダンで十四回目。任務達成によって活動は終わりますが、過去に一度だけ、途中で撤収した例があります。中東シリアのゴラン高原
PKOです。
 派遣されていたのは食料品などを運ぶ輸送隊と司令部要員。活動は十七年近くに及び、自衛隊内部で「
PKOの学校」と呼ばれるほど安定した海外活動でした。
◆ゴラン派遣では決断
 二〇一二年十二月になってシリア内戦が激化し、まともな活動ができなくなり、防衛庁防衛省)と派
遣部隊との間で何度もテレビ電話会議が開かれました。
 「『大丈夫か』と聞けば隊長は『大丈夫です』と答えます。そこで『こんな事件があったようだが…』
と聞けば『ありました』と認めます。現場の意見は重要です。しかし、任務をまっとうしたい思いがあるのでうのみにはできない」と防衛政務官だった大野元裕参院議員は振り返ります。
 中東問題の専門家でもある大野氏は現地へ飛び、PKOの司令官らと会って情報を集めました。「すべ
ては話せませんが、想定していない勢力が台頭し、現地情勢は変化していました」
 政府は大野氏の情報をもとに「停戦の合意」を含む参加五原則は維持されているとする一方、隊員の安全を確保できない可能性があるとして閣議で撤収を決めました。参加国で最初の撤収となりましたが、直後に複数国のPKO隊員が拘束されるなど急速に治安状況が悪化、間もなく主力のオーストリア軍も撤収
し、賢明な政府判断だったと証明されました。
(引用終わり)
 
 この社説には明記されていませんが、大野元裕氏は外務省で中東スペシャリストとしての経歴を積んだ民進党参議院議員(埼玉選挙区)であり、民主党野田佳彦内閣で防衛政務官を務めた方です。
 大野氏のオフィシャルブログに掲載された「参議院1期目の任期を終えるにあたり」にも、ゴラン高原PKO撤退に関する記述がありました。
 
(引用開始)
 前半(金原注:与党時代という意)の一年生としてただ一人政務官に任命いただいた、防衛大臣政務官内閣府大臣政務官時代には、ゴラン高原からの自衛隊部隊撤収や、北朝鮮のミサイル発射対処、防衛大学看護学部設立決定等、責任ある立場から多くの仕事を担わさせていただきました。特に関係各省の説得に尽力したゴラン高原部隊の撤収は、中東専門家としての知見を元に、縦割り行政の壁を越えて実現させたもので、この決定直後には、ゴラン派遣部隊で初の被害者としてオーストリア部隊の二名が襲撃されて重傷となり、その数か月後にはフィリピン部隊が部隊ごと武装勢力に拘束される等、結果としてぎりぎり
の決断となりました。
(引用終わり)
 
 このゴラン高原撤収にいて、防衛省ホームページではどう説明されているか調べてみました。
 
防衛省統合幕僚監部 活動情報
ゴラン高原派遣輸送隊 活動終了

(引用開始)
 シリア・アラブ共和国情勢悪化が、ゴラン高原地域にも深刻な影響を及ぼし、国連兵力引き離し監視隊(以下「UNDOF」という。)の活動にも支障が生じているため、政府は、ゴラン高原派遣輸送隊等が現下の状況において行いうる活動の内容等を総合的に検討した結果、ゴラン高原派遣輸送隊等の安全を確
保しつつ活動を行うことが困難であると判断しました。
 これを受け、平成24年12月21日(金)、安全保障会議が開かれるとともに、内閣官房長官記者会見において、UNDOFに派遣中の輸送部隊及び司令部要員を速やかに撤収させることを表明、防衛大臣より部隊等に対して「ゴラン高原国際平和協力業務の終結に関する自衛隊行動命令」が発出され、速やか
に部隊を帰国させることになりました。
(引用終わり)
 
 防衛大臣が撤収命令を出した日付に注目してください。「平成24年12月21日」といえば、与党・民主党が惨敗を喫し、政権から転落することとなった衆議院総選挙が行われた12月16日の5日後、間もなく自民党(+公明党)に政権を引き継がなければならないことが確定している時期になされた決断でした。
 これがそれほど緊急性のない政策課題であれば、決定は次期政権に委ねるのが当然ということになるのでしょうが、ことは自衛隊員の「生き死に」に関わる問題ですから、野田政権最後の仕事として、森本敏防衛大臣による「ゴラン高原国際平和協力業務の終結に関する自衛隊行動命令」発出という決定がなされたのでしょう。

 野田政権の業績として特筆すべきことは何か?と問われて、すぐに答えられる国民はさぞ少なかろうと思いますが、政権の座を去ってから4年近く、東京新聞社説によって、ようやく私のような一介の市民も、野田政権の業績として数えるべき事績を知ることができたのでした。
 
 さて、問題は南スーダンです。現地情勢が悪化する中、新任務を付与された部隊が交替要員として派遣されれば、いつ何時、「交戦権なき」自衛隊が、交戦状態に入ってしまうか知れません。撤収の時期として今が最も適当なのかを判断する能力は私にはありませんが、「状況によって撤収さなければならないので、その状況についてできる限りの情報を集めて分析する」という姿勢が(官僚はやっているのかもしれませんが)安倍内閣には見受けられず、「撤収はさせない」という結論ありきなのではないかという疑念をいだかざるを得ません。
 
 おそらく、論説室の中で今日の社説執筆の中心を担った(単独執筆かも)と推測される半田滋さんが、ご自身のFacebookで以下のように述べておられましたので、これを最後にご紹介します(「公開」設定なので、引用しても許されるでしょう)。
 
(引用開始)
本日(23日)の東京新聞社説です。「PKO撤収の見極め時」。安倍政権は南スーダンPKOに派遣している陸上自衛隊に「駆け付け警護」「宿営地の共同防衛」という新任務を付与する方針です。先日、稲田防衛相が首都ジュバに7時間滞在しただけで安全宣言を出しました。部族対立が続く現地は11月には雨期が明け、武装集団の移動が可能になります。積極的平和主義を掲げ、安保法を強行成立させた以上、ここで引くわけにはいかないのでしょう。無責任な政治家の犠牲になる自衛隊、こんな構図は悲劇以外の何ものでもありません。ゴラン高原PKOを潔く、撤収させた民主党政権の教訓を学習してもらわなけれ
ばなりません。
(引用終わり)