wakaben6888のブログ

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憲法記念日に考える(立憲主義ということ)

 
 以下は、今年(2012年)の憲法記念日に書いた原稿ですが、一人でも多くの方にお読みいただきたく再録します(「メルマガ金原No.929」より)。 
 
 今日(5月3日)は、日本国憲法が施行されてからちょうど65年目の節目の憲法記念日でした。
 「憲法9条を守る和歌山弁護士の会」が呼びかけて2007年から始まった、憲法9条「改正」に反対する統一街頭署名行動に今年も参加してきました。天候が心配されましたが、JR和歌山駅前は、終始曇り空ではあったものの、午前11時から予定していた1時間半の間、何とか雨に見舞われずにすみました。
 
 さて、憲法といえば、先月末に、めぼしいものだけでも、
  4月25日 たちあがれ日本 自主憲法大綱「案」 公表
  4月27日 自由民主党 日本国憲法改正草案 公表
  同日 衆参対等統合一院制国会実現議員連盟メンバー 憲法改正原案を衆議院議長に    
  提出
などの「改憲案」が公表もしくは提案されています。
 
 このうち、やはり最も影響力が大きいのは、自民党の「日本国憲法改正草案」でしょう。
 これは、2005年10月に公表された同党の「新憲法草案」をブラッシュアップしたというか、グレードアップしたというか、より一層反動的になったというか、要するにそういうものですが、その問題点についてはじっくりと検討し、批判を加えていく必要があると思います。
 時代錯誤としか思えない空疎な「前文」、戦力不保持条項を削除して国防軍をけ、海外派兵も思いのままという「9条、9条の2」、内閣総理大臣に緊急事態宣言を発してオールマイティな力を行使できる権限を付与する「98条、99条」、憲法改正発議のために要する両院の賛成を3分の2から過半数に緩和する「100条」などは、中でも要注意条項ですから、是非、原文でお読みいただきたいと思います。
 
 ところで、今日ここで取り上げるのは、別の条項です。
 私の見るところ、自民党の「日本国憲法改正草案」の本質が、最も端的に現れているのはこの条項だと思います。
 まずは、自民党の「改正草案」からの抜粋をお読みください。
 
(憲法尊重擁護義務)
第102条 全て国民は、この憲法を尊重しなければならない。
2 国会議員、国務大臣、裁判官その他の公務員は、この憲法を擁護する義務を負う。
 
 皆さんは、以上の条項を読んで何らかの「違和感」を感じませんでしたか?もしも、感じたとすれば、「憲法」の本質についての正しい感覚の持ち主であると自負されて良いでしょう。
 上記条項に対応する現行規定は以下のとおりです。
 
第99条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。   
 
 現行規定には、憲法尊重擁護義務を負う主体として「国民」は挙げられていません。起草者や帝国議会議員(日本国憲法案を審議したのは第90回帝国議会)がうっかり忘れていたのでしょうか?とんでもない。明確に、かつ意図的に、「国民」を主体から除いていると解釈するのが、近代憲法史を少しでも学んだことのある者にとっての常識です。
 
 このことを理解するためには、近代立憲主義の幕開け(の最も有力なものの1つ)となったフランス革命(1789年/ちなみに、このちょうど100年後に大日本帝国憲法が発布されています)の際、国民議会によって採択された「人及び市民の権利の宣言」(フランス人権宣言/1789年人権宣言)の特に以下の条項を想起する必要があります。
 
第16条 権利の保障が確保されず、権力の分立が規定されないすべての社会は、憲法をもつものでない。岩波文庫「人権宣言集」の訳による)    
 
 講学上「近代的意義の憲法」といわれる概念の定義を学ぶ学生は、まずフランス人権宣言16条を教えられるという訳です。
 「権力の分立」というのは「権力の制限」と読み替えてもよいので、(国家)権力に制限を加え、国民の権利(基本的人権)を保障するためにこそ憲法が存在する、という思想によって制定された憲法だけが「近代的意義の憲法」というに値する、というのが通説的理解です。
 私が司法試験の受験勉強をしていたのは昭和の時代ですから、最近の憲法学説には疎くなっていますが、憲法の基本理念に大転換があったとも聞いていないので、多分今でも通説でしょう。
 そして、「立憲主義」という概念が使われる時、そこでいう「憲法」とは、上記の「近代的意義の憲法」であることが当然の前提とされているのです。
 
 ところで、フランス人権宣言のちょうど100年後の1889年に制定された「大日本帝国憲法」(いわゆる「明治憲法」)は、元勲・伊藤博文らが中心となって立案された欽定憲法ですが、その制定過程の中で、立憲主義の本質をめぐる議論が闘わされことは明治憲法制定史上、非常に著名なエピソードです(昨日の朝日新聞に掲された憲法学者樋口陽一氏へのインタビューでも言及されていました)。
 
 それは、明治憲法制定の前年(明治21年・1888年)6月22日、憲法草案を審議していた枢密院での、文部大臣森有礼(もりありのり)と枢密院議長・伊藤博文との議論です。
 以下に該当箇所を引用します(枢密院会議録より)。
(引用開始)
十四番(森) 本章ノ臣民權利義務ヲ改メテ臣民ノ分際ト修正セン。今其理由ヲ略述スレハ、權利義務ナル字ハ、法律ニ於テハ記載スヘキモノナレトモ、憲法ニハ之ヲ記載スルコト頗ル穩當ナラサルカ如シ。何トナレハ、臣民トハ英語ニテ「サブゼクト」ト云フモノニシテ、天皇ニ對スルノ語ナリ。臣民ハ天皇ニ對シテハ獨リ分限ヲ有シ、責任ヲ有スルモノニシテ、權利ニアラサルナリ。故ニ憲法ノ如キ重大ナル法典ニハ、只人民ノ天皇ニ對スル分際ヲ書クノミニテ足ル
モノニシテ、其他ノ事ヲ記載スルノ要用ナシ。
番外(井上) 分際トハ英語ニテ如何ナル文字ナルカ。
十四番(森) 分際トハ「レスポンシビリテー」、即チ責任ナリ。分ノミニテ可ナリ。
議長 十四番ノ説ハ憲法及國法學ニ退去ヲ命シタルノ説ト云フヘシ。抑憲法ヲ創設スルノ精神ハ、第一君權ヲ制限シ、第二臣民ノ權利ヲ保護スルニアリ。故ニ若シ憲法ニ於テ臣民ノ權理ヲ列記セス、只責任ノミヲ記載セハ、憲法ヲ設クルノ必要ナシ。又如何ナル國ト雖モ、臣民ノ權理ヲ保護セス、又君主權ヲ制限セサルトキニハ、臣民ニハ無限ノ責任アリ、君主ニハ無限ノ權力アリ。是レ之ヲ稱シテ君主專制國ト云フ。故ニ君主權ヲ制限シ、又臣民ハ如何ナル義務ヲ有シ、如何ナル權理ヲ有ス、ト憲法ニ列記シテ、始テ憲法ノ骨子備ハルモノナリ。又分ノ字ハ支那、日本ニ於テ頻ニ唱ヘル所ナレトモ、本章ニアル憲法上ノ事件ニ相當スル文字ニアラサルナリ。何トナレハ、臣民ノ分トシテ兵役ニ就キ租税ヲ納ムルトハ云ヒ得ヘキモ、臣民ノ分トシテ財産ヲ有シ言論集會ノ自由ヲ有スルトハ云ヒ難シ。一ハ義務ニシテ一ハ權理ナリ。是レ即チ權理ト義務トヲ分別スル所以ナリ。且ツ維新以來今日ニ至ルマテ、本邦ノ法律ハ皆ナ臣民ノ權理義務ニ關係ヲ有シ、現ニ政府ハ之ニ依テ以テ政治ヲ施行シタルニアラスヤ。然ルニ今全ク之ニ反シタル政治ヲ施行スル事ハ如何ナル意ナルカ。森氏ノ修正説ハ憲法ニ反對スル説ト云フヘキナリ。蓋シ憲法ヨリ權理義務ヲ除クトキニハ、憲法ハ人民ノ保護者タル事能ハサルナリ。
(引用終わり/原文には句読点なし)
 
 漢字が読めさえすれば、特に注釈を施す必要もないでしょうが、念のために、青地とした部分のみ、現行の漢及び仮名使いで書き直してみましょう。
 
そもそも、憲法を創設するの精神は、第一君権を制限し、第二臣民の権利を保するにあり。ゆえに、もし憲法において臣民の権利を列記せず、ただ責任のみを記載せば、憲法を設くるの必要なし
 
 伊藤博文が、「近代的意義の憲法」の本質を十分にわきまえた上で、明治憲の制定に携わっていたことは明らかです。
 
 伊藤は、また、この議論があった日の4日前(1888年6月18日)の枢密院での審議においても次のように述べていました(枢密院会議録より)。
 
(引用開始)
抑立憲政體ヲ創定シテ國政ヲ施行セント欲セハ、立憲政體ノ本意ヲ熟知スル事必要ナリ。假令ヒ承認ノ文字ヲ嫌テ議會ニ承認ノ權ヲ與ヘル事ヲ厭忌スルモ、法律制定ナリ豫算ナリ、議會ニ於テ承知スル丈ケノ一點ハ到底此憲法ノ上ニ缺クコト能ハサラントス。議會ノ承認ヲ經スシテ國政ヲ施行スルハ立憲政體ニアラサルナリ。已ニ議會ニ承認ノ權ヲ與ヘタル以上ハ、其承認セサル事件ハ政府ト雖トモ之ヲ施行スルコト能ハサルモノトス。歐州立憲國ノ景況ヲ見ルニ、獨逸風ノ立憲政
體アリ、英國風ノ立憲政體アリテ、其權限ノ解釋或ハ其組織ノ構成ニ至テハ多少差異アルモ、其大體要領ニ至テハ毫モ異ルコトナシ。又立憲政體ヲ創定シテ責任宰相ヲ置クトキハ、宰相ハ一方ニ向テハ君主ニ對シ政治ノ責任ヲ有シ、他ノ一方ニ向テハ議會ニ對シテ同ジク責任ヲ有ス。此二ツノ責任ヲシテ宰相ニ負ハシムルトキニハ、假令ヒ君主ト雖モ宰相外ノ人ヲシテ政治ニ參與シ、又ハ之ヲ施行セシムルコト能ハサルモノナリ。故ニ立憲政體ニ於テハ、君主ニシテ責任宰相ヲ置ク以上ハ、其人ヲ措テ他ニ謀ルコト能ハス。悉ク其人ノ奏問ヲ聞クヘキモノトス。是ニ由テ之ヲ觀レハ、立憲政體ヲ創定スルトキニハ、天皇ハ行政部ニ於テハ責任宰相ヲ置テ、君主行政ノ權モ幾分カ制限サレ、立法部ニ於テハ、議會ノ承認ヲ經サレハ法律ヲ制定スル事能ハス。此二ツノ制限ヲ設クルコト、是レ立憲政體ノ本意ナリ。此二點ヲ缺クハ、立憲政體ニアラス。又此二點ヲ憲法ノ上ニ於テ巧ニ假裝スルモ、亦均シク立憲政體ノ本義ニアラサルナリ。
(引用終わり/原文には句読点なし)
 
 もっとも、先の「臣民權利義務」をめぐる論争だけを読むと、森有礼文部大臣は、とんでもない守旧派だったと誤解する人がいるかもしれないので、若干の補注を加えると、森は、幕末、薩摩藩の命によってイギリスに留学し(その後アメリカにも渡る)、明治維新後に帰国してからは、福沢諭吉らと「明六社」を結成するなど、開明的な啓蒙主義思想の持ち主とみなされており、その意見は時に急進的ですらあったようです(英語を国語にすべきという意見など)。
 森が初代文部大臣に就任したのは第一次伊藤博文内閣(日本初の「内閣」ですね)の時であったことからも伺えるように、伊藤との関係も良好であったようです。
 実際、「臣民權利義務」についての森の発言の真意は、財産の自由や言論の自由などの権利は、そもそも憲法で規定するか否かに関わらず、人民の固有の権利として天賦に保有しているものであり、それをわざわざ憲法で規定するということは、人民の権利は憲法の制定によって初めて生じる、ということになってしまい、逆に憲法によって制限されたり認められなくなってしまう可能性を生み出してしまう、というところにあったという説もあるようです。
 ちなみに、森有礼は、明治22年(1889年)2月11日、大日本帝国憲法発布式典の日に国粋主義者の襲撃に遭い、翌日死去しています。
 
 さて、以上の日本憲法史上のエピソードを踏まえた上で、もう一度、「憲法尊重護義務」についての現行規定と自民党「改正草案」を読み比べてみましょう。
 
現行規定
第99条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務 員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。
 
自民党「改正草案」
(憲法尊重擁護義務)
第102条 全て国民は、この憲法を尊重しなければならない。
2 国会議員、国務大臣、裁判官その他の公務員は、この憲法を擁護する 義務を負う。
 
 「憲法尊重擁護義務」という見出しを付けながら(現行憲法に条文ごとの「見出し」はありません)、いきなり「国民」の憲法尊重義務が出てくること自体が理解できません。
 そもそも、憲法は、国民に何らかの義務を課すための法規範ではありません。国民は、社会に存在する法律、政令、省令、条例、規則などの様々な法規範によって幾重にも義務を課されています。
 国民に新たな義務を課すのであれば、法律を制定すれば十分です。
 憲法は、法律以下の諸規範によっても奪うことのできない権利を保障するためにこそ存在するのです。
 明治21年当時の伊藤博文には自明であったこの原理が、今や曖昧模糊となり、自民党の「日本国憲法改正草案」に至ってついに雲散霧消したと言うべきでしょう。
 なお、憲法の擁護義務を負う主体から「天皇又は摂政」が削除された真意はまた別のところにあるのかもしれません。
 「改正草案」第1条において、天皇を「元首」とし、第3条で「国旗は日章旗とし、国家は君が代とする。2項 日本国民は、国旗及び国家を尊重しなければならない」(第3条で早くも「国民の義務」が出てきます!)としたことと符節を合わせ、天皇を別格化しようということなのでしょう。
 それでいて、「天皇の権能」(「改正草案」4条)については、現行憲法をそのまま踏襲しているのですから、要するに、「天皇」という意匠を利用できるだけ利用しようという底意が透けて見える、というのが私の感想です。
 豊下楢彦関西学院大学教授(名著『安保条約の成立』『集団的自衛権とは何か』『昭和天皇・マッカーサー会見』の著者)が「日本国憲法の申し子」と評した明仁天皇がこの「改正草案」を読めば、一体どう思われるでしょうか。
 
 読者の中には、もっぱら原発関連の情報を獲得するために読んでくださっている方もおられるでしょうが(この文章は私が個人的に発信しているメルマガのために書いたもの)原発を推進する勢力も改憲を推進する勢力も根っこは繋がっているという認識を持たれた上で、「放射能の危機」とともに、「憲法の危機」についても関心を持っていただけることを切望します。
 
(付記)
 余談ですが、大日本帝国憲法制定過程を振り返る時、枢密院会議録は必読の資料ですが、また「よくぞ残してくれていた」と明治の先人に対する感謝の念がしきりです。
 重要な議事録を「作っていない」と言って何ら恥じない現在の政治家・官僚の姿を思い浮かべるたびに、戦前の方が何もかもすぐれていたなどと言うつもりは毛頭ないものの、「明治は遠くなりにけり」という感慨を催さずにはいられません。
 
2012年5月3日 和歌山弁護士会の一会員 記す