wakaben6888のブログ

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3.11に思う(「原発問題」と「倫理」について)

 「メルマガ金原」アーカイブス・シリーズです。
 2012年3月11日に配信した「メルマガ金原No.866」を再録します。
 
 今日3月11日は、東北大震災から1年、そして福島第一原子力発電所事故から1年の節目の日。和歌山でも様々な催しが行われ、私も和歌山城西の丸広場の「いのち守ろう!3.11和歌山県民大集会」に参加した後、和歌山市内のライブハウス「OLDTIME」で開かれた「東日本大震災・紀伊半島大水害チャリティー・イベント『「わ(和・輪・我・話)』」で約20分のトークを行ってきました。
 以下の文章は、昨晩、トークのための草稿として書きとめたものです。
 もとよりこのとおり話した訳ではありませんが、この1年の自分自身を振り返るつもりで書いものなので、修正せず、草稿のまま掲載することとしました。
 
 
 皆さん、こんにちは。和歌山の金原と申します。
 ここ「OLDTIME」でお話させていただくのは、昨年の8月15日、「PROJECT FUKUSHIMA!」に連帯したイベントの時以来ですから、約7か月ぶりとなります。
 昨年8月の時には、「にんにこ被災者支援ネットワーク・和歌山」の難波泉さんとの対談したが、今回は1人でトークするようにとのオーナー松本さんからのご指定で、一体何を話したものかと、かなり悩みました。
 ご存知の方もいらっしゃると思いますが、私は和歌山市で20年以上弁護士をしています。
 「原発問題」には、実に様々な切り口がありますから、私の専門分野である法律上の観から原発問題」を考えることももちろん可能です。
 原子力発電所を作ろうとすれば、その立地から設計、建設、運転、検査という全ての段について行政法規による網がかぶされています。かなり「ゆるい」網ですが。
 また、いったん事故が発生した場合の損害賠償の枠組みを定める法律もあります。
 しかし、今日は、そのような法律上の問題点についてお話することが期待されている訳でないと思いますし、私自身もそのようなお話をするつもりはありません。
 原発について、特別に深い知識がある訳でもないただの一市民が、この1年間何を考えきて、今何を思っているのかをお話したいと思います。
 従って、これを聞いている皆さんのお役には多分少しも立たない「トーク」になると思います。
 ただ、自らの1年を振り返り、これを「言語化」することは、私自身にとって、今後の自分自身がとるべき行動の針路を定めるために、非常に有益な作業となることは疑いなく、このよう貴重な機会を与えていただいた松本さんに大変感謝しております。
 
 さて、ここからが本論なのですが、私には、原子力工学や放射線防護学などの専門知識ち合わせはありませんから、福島第一原発の事故原因や現在の状況、今後の見通し、また、放射能飛散による健康障害や今後の対処方法などについて述べる能力はありません。
 私が、昨年の3月28日以来、「毎日配信」をモットーに「メルマガ金原」の配信を始めたのも、私と同じように専門的な知識など持たない普通の市民のために、真に信頼に値する科学者やジャナリストの知見を探求し、それを1人でも多くの人と共有したいという思いに突き動かさてのことでした。
 そのようなメルマガ配信を続けている中で、段々分かってきたことがあります。
 それは、先ほども少し述べましたが、「原発問題」というのは、実に間口の広い問題であり、々な切り口があり得るということです。
 例えば、核分裂反応のメカニズムやそれを応用した「原爆」「原発」のシステムなどは、自然科学及び応用科学の問題です。
 端的に言えば、福島第一原発で発生したメルトダウンとそれに伴う水素爆発や核生成物質の環境への飛散などの事象は、一定の条件から想定された結果が必然的に生じたというに過ぎず、その過程について、自然科学的な探求がなされるべき領域です。
 これに対し、日本の電力会社に地域独占が認められてきた理由や、原発が国策として推進されてきた理由、原子力発電の本当のコストはどれだけか?などの探求は、政治学、学などの社会科学的アプローチが必要な分野です。
 1年前の福島第一原発事故発生後の政府の対応の検証については、様々な機関が報告を出し始めていますが、これは、行政学あるいは危機管理学などの領域からのアプローチが問題となるでしょう。
 放射能汚染地域の「避難」と「除染」については、自然科学的アプローチ(医学や工学)と社会科学的アプローチとが交錯する典型的な場面でしょう。
 
 ただ、そのように多くの切り口がある中でも、最近、私がいつも念頭に置かざるを得なくなってきているのが、「倫理」の問題です。
 私には、アリストテレスやカントに遡って「倫理」の本質を論じる素養はありませんから、ここで言う「倫理」とは、ごく素朴に、「人として、やって良いことと悪いことがあるだろう」ということだ理解してください。
 思い起こせば、核分裂反応という物理現象の発見から、最初に応用に「成功」したのが、広島と長崎に投下された「原爆」であったことは象徴的です。
 「原子力」は誕生の瞬間から、厳しく「倫理」と対峙する宿命を背負っていたと言うべきでしょう。
 「原子力の平和利用」というスローガンの下に推進された「原子力発電」についても、
   ウラン採掘に際しての労働者の被ばく、採掘地周辺の汚染
   危険を過疎地に押しつける原発立地指針
   原発労働者の過酷な条件下の被ばく労働
   原発周辺環境への放射能放出、温排水放流による環境破壊
   処理不可能な放射性廃棄物の大量産出と将来世代への負担転嫁
などの「反倫理性」が日常的に問われており、さらにチェルノブイリ、福島などの破局的事故による想像を絶する取り返しのつかない被害の実態など、様々な側面から「原子力発電などやって良いことなのか?」という「倫理」が厳しく問われているはずなのです。 
 ところが・・・。
 原発を推進する政治家、官僚、科学者、財界人、それにジャーナリストなどの口から、以上の素朴な倫理上の疑問に真摯に答えた言葉を聞いたことがあるでしょうか?
 私はありません。
 第一、福島第一原発事故の発生から既に1年、この間に自らの事故前の発言を恥じて謝罪し、責任をとって職を辞した者が1人でもいましたっけ?
 およそ彼らの辞書には「責任」という言葉も「倫理」という言葉もないのだ、と思わざるを得ません。
 推進派の言動をそのまま受け取れば、「原発を稼働すればたくさんの電力が得られるのに、何故動かしてはいけないのか?事故については、それなりの対策を講ずれば良いのだ」とうことだろうと思います。
 そこで、私は考えます。
 「出来るということと、やって良いということとは別の問題だ」と。
 極端な例かもしれませんが、「人を殺すこと」は子どもにでも出来ます。けれど、「殺人は、人倫にもとる(人としてやってはいけないことだ)」と大半の人は考え、その「倫理」を守っているのです。  
 「倫理」で全てが律されるというつもりはなく、また、あまり「倫理」を強調しすぎるのも情緒に流れて客観性が犠牲になるおそれがあることは承知しておく必要がありますが、原発進勢力との決定的な対立点は「倫理」の問題であろう、というのが現時点での私の考えです。
 
 ここで、最後に、1冊の本をご紹介したいと思います。
 実は、昨日、和歌山市のあいあいセンターで、「原発がこわい女たちの会」結成25年のつどいがあり、映画『チェルノブイリ・ハート』の上映と今中哲二さんの講演会が開かれ、私も参加しました。
 その「原発がこわい女たちの会」の中心となって和歌山における反原発運動の先頭に立ってこられた松浦さんご夫婦から、26年前の1986年に発行された『バラが枯れる時 原子発電・夢と現実』という貴重な冊子を1冊頂戴しました。
 この本は、1986年初頭、原発を推進するために県が予算案の中に300万円の原発連費を計上したことに対抗して出版が企画されたものだそうです。
 早速、一読させていただき、非常に感銘を受けました。様々な方が県外からも寄稿されていますが、今中哲二さんの同僚である京都大学原子炉実験所の小出裕章さんも『原発の寿命が来ても、放射能は無くならない』という一文を寄せておられました。
 小出さんのこの文章の最後の部分を引用して、本日のトークを終わりたいと思います。
 
「紀伊半島にどの位昔から人々が生活を営んでいたのか、私は詳しく知りません。おそらく数千年前から営々と生活を育んできたのだと思います。日本は特に第二次世界大戦後のこの四十年間に、急速な進歩を遂げて来たかのうように言われています。しかし、その進歩というのは、非常に見かけだけのものであり、はかないものであることが、原発のことを考えると良く解ります、一時的には大量のカネがバラ蒔かれるとはいうものの、原発寿命などたかだか数十年であり、寿命が尽きた後に残るのは、人為的に消し去ることが出来ない放射能なのです。私達が目先の欲望に溺れることによって、これからの世代が背負うものは埋め尽くされた海と、破壊し尽くされた自然環境です」
 
 そして、原稿を書き終えた日付が末尾に書かれていました。
 
 「一九八六年三月十一日」と。
 
 チェルノブイリ原発事故のわずか1か月半前、そして、福島第一原発事故発生のちょうど25年前に小出さんがこの文章を書かれたことに、私は不思議な感慨を覚えずにはいられませんでした。
 
 本日は、つたないトークを聞いていただき、ありがとうございました。