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開催予告!橘柳子氏講演会10/27(田辺市)&10/28(和歌山市)

 配信したばかりの「メルマガ金原No.1136」を転載します。

 

開催予告!橘柳子氏講演会10/27(田辺市)&10/28(和歌山市)
 
 「原発がこわい女たちの会ニュース」第82号(メルマガNo.1114)でご紹介したところですが、福島県から橘柳子さんをお招きした講演会の日程が迫ってきましたので、再度お知らせします。
 10月27日(土)は和歌山県田辺市で、翌28日(日)は和歌山市での開催です。
 
橘 柳子 (たちばな りゅうこ) 氏 講演会
 
田辺講演会
 日時 2012年10月27日(土)午後1時30分~
 場所 紀南文化会館3階 会議室
      和歌山県田辺市新屋敷町1番地
 参加費無料(会場カンパをお願いします) 
 主催 脱原発わかやま
 連絡先 寺井(℡:080-5315-5586)
 
和歌山講演会
 日時 2012年10月28日(日)午後1時00分~
 場所 和歌山市あいあいセンター4階 6・7会議室
      和歌山市小人町29番地
 参加協力費 500円
 主催 原発がこわい女たちの会
 連絡先 松浦(℡:073-451-5960)
 
原発がこわい女たちの会」ブログに掲載された開催の趣旨
(引用開始)
一年半経った福島からの証言
 2011年3月の東日本大震災に端を発した東京電力福島第一原発事故から「一
年半」が過ぎました。福島県では、いまだ16万人の方が、放射能汚染を避けて県外や県内各地に避難され、また多くの方は不安を抱えながら避難しないで地元に留まっておられます。いずれにしても、それぞれに抱える苦難は並み大抵なものではないでしょう。
 それらの情報について私たちは、TVや新聞、ネット上からも大量に見聞することは
できます。もっといいのは、現地にでかけて目の当たりに体験してみること、とは思いつつなかなか果せないでいます。そこで、いま現に福島に暮らす被災者の方をお招きし、当事者からみた福島からの生の声を直かにお聞きする機会をもちたいと考えました。いま、福島ではどのような状況なのか、健康被害は、家族は、仕事は、住まいは、食べ物は、学校は、インフラは、・・・当事者から震災と避難生活について証言していただき、原発事故の現実についての認識を深めたいと思います。そして、被災された方々の思いを受けとめ、いま私たちにできること、心しておきたいことは何かを学び、これからどうなるのかどうしたらいいのか、私たちに突きつけられていることを考え、そこに向けて一歩でも進んでいけたらいいなと、思います。
(引用終わり)
 
橘柳子氏プロフィール
1939年旧満州大連生まれ。
1945年ハルピンで終戦を迎え、帰国。
大学卒業後、福島県で教師(英語)。
1980年代に県教職員組合中央執行委員として専従活動。その後現場に復
して、2000年に富岡町にて定年退職。
「退職女性教職員あけぼの会」双葉支部会長。
震災時は浪江町在住。転々と避難して現在10か所目の福島県本宮市(もと
やし)の仮設住宅住まい。
 
「百人百話」
 橘柳子さんは、IWJ(岩上安身さん)によるインタビューシリーズ「百人百話」にも場されています。IWJの映像自体は有料会員でなければ視聴できなくなっていますが、「ぼちぼちいこか。。。」で文字起こしされたものを読むことができます。
 
原発がこわい女たちの会ニュース」第82号から
橘柳子さんの講演会を企画するに至ったいきさつ
 月刊「むすぶ」(月刊「地域闘争」という名で昔発行していました)491号に福島俣町から和歌山に避難してきた新田育子さんの避難記録が載りました。それを松は何人かの人に買ってもらいました。その一人が有田川町の古田伊公子さんでした。同じ号に橘柳子さんの手記もありました。いつの間にか橘さんと古田さんがお友達になられていたので、古田さんから連絡をして頂き、今回和歌山に来て頂くことになりました。(松浦雅代)。
橘柳子さんとの出会い     
 月刊「むすぶ」は3.11以降は特に福島原発特集が今も続いていて―。その一つ
手記に自分を重ね、迷いに迷った挙句、どうしてもの思いで手紙を書き、発行元のシナンテ社に転送依頼。それから橘柳子さんと文通が始まって、脱原発間として友達に。
 テレビ等では復興に向けてと、1年半も経ってくると、明るい話題を流しがちです
が、とるものもとりあえず、ご自宅を後にして、そのまま帰ることも出来ず、町の再生もままらぬまま、波板トタン屋根の応急仮設住宅住まいを余儀なくされ、寒い冬、暑い夏をそれぞれ2回も越さねばならぬ暮らし。放射能を大気へ海へたれ流し続けるのか。多くの作業員の方々の犠牲の上にも、尚方策のないまま“除染”でごまかし、子どもたちまで住まわせている日本という国は、日本国民の一人である自分を含めて情けない。せめて総理大臣は世界に向って一度はあやまって欲しい。
 アメリカ西海岸にいよいよ多くの“ガレキ”が流れているようですし、放射能による被
もこれから深刻さを増すのは「チェルノブイリ」で立証済み。食生活、保養などで免力を高め、少しでもリスクを回避する方法も同時に検証、実践されてもいるようですが。
 細くても長―く福島に目を向けつつ自分の暮らしも見つめ直していこうと思っていま
す。(古田伊公子)

 

月刊「むすぶ」No.491に掲載された橘柳子さんの手記から
(抜粋引用開始)
3・11から9ヶ月、そして今―原発とは共存できない―
 3・11から時は残酷すぎるほど早く過ぎ、すでに9ヶ月になんなんとしています。「避難してください。」のみの町内放送で、身一つで町を離れ、そのまま帰ることのできない状態になるとは、ほとんどの人々は思ってもいなかっただろう。避難所を転々としたあげく、借上げ住宅や仮設住宅に移ると、今度は、日々の生活が、否応なしに、それぞれの家族にせまります。当初の原発事故への怒りは、そんな中で薄れていくのではないだろうかと自分も含め思わざるを得ない。何故なら、日々命を継ぐことを優先せざるを得ないのだから。
(中略)
 今後は、福島のみならず、原発立地県の行政の責任者・担当者・県民は、より掘り下げた、多くの課題を課せられているということだと思っている。今回の原発事故による原子力の制御のむずかしさと、日本のみならず、全世界にわたる放射能の被害の甚大さを知らしめた今だからこそ、重要視されるべきだと考える。チェルノブイリ他国のことではないのです。何もちがっていないのです。空気も水も大地も海も、すべて汚染されつくすのです。
 「除染」?あり得るのだろうか。
(中略)
 営々と積み上げてきた、公共の、個人の歴史や文化、そして財産をかえせとさけびたい。政府と東電は、我々を棄民にしてはいけない。棄民にされるのは「戦争」ときだけでたくさんだ。二度も棄民にしてはいけないのだと強く訴える。国と東電は「責任」とは何かを深く深く考えて避難の民とむきあっていくことこそが、真の責任。原発は、地震国・日本では、共存できないのだと認め、故郷をうばわれた人々のことを胸に刻むことだ。
(後略)
(引用終わり)