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映画『祝(ほうり)の島』上映と纐纈あや監督のお話の集い(in和歌山市)

 「メルマガ金原アーカイブス」として、2011年9月25日に配信したNo.575を載録します。
 ここ最近、様々なドキュメンタリー映画の上映会に足を運ぶ機会が多くなりましたが、その中でも最も深い感銘を受けた作品『祝(ほうり)の島』上映と纐纈(はなぶさ)あや監督のお話の集いに参加した感想を書いたものです。
 『祝の島』は、纐纈さんの監督第一作ですが、日本のドキュメンタリー映画の良き伝統をしっかりと受け継いでいるという印象を持ちました。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
映画『祝(ほうり)の島』上映と纐纈あや監督のお話の集い開催(in和歌山市
 
 昨日(2011年9月24日)、和歌山市小人町の「あいあいセンター」6Fホールにおいて、「小鳥の会」主催により、映画『祝(ほうり)の島』上映と纐纈(はなぶさ)あや監督のお話の集い(午後と夜の2回)があり、私は午後の部に参加してきました(幸い、午後の部は満席でした)。
 私がこの映画を観るのは、今年3月20日の粉河ふるさとセンター(和歌山県紀の川市)についで2回目でしたが、いよいよ感銘深く観ることができました。
 また、最初にこの映画を観た時から感じていた印象が、纐纈(はなぶさ)あや監督のお話を伺うことによって再確認できたことも大きな収穫でした。
 
 このレポートでは、まず、私がこの映画を2回観た上での感想を述べ、次いで、纐纈あや監督のお話の中で、重要と思って私がメモした部分を再現します。
 
(その前に参考サイト)
 
(映画『祝(ほうり)の島』を2度観た私の感想/断章風に)
○まず何より映像が素晴らしい!一つ一つのカットの構図がしっかりと決まっている(中学・高校の美術の時間に習った遠近法の基礎を思い出した)。カメラは(例外はあるが)基本的には固定されており、そのカメラは、まさにそこしか考えられない位置に据えられ、対象を凝視している。
○カメラもインタビュアーも決して出しゃばらない。
○出しゃばらないと言えば、見終わってから気がついたことだが、音響の良さも特筆すべきで、必要な音、声をしっかりと拾いながら、余計な音が気にならない。
色彩設計も素晴らしい。実に深みのある画面。
○編集にも感心した。過不足のない適切なカットの長さ。シーンとシーンを繋ぐカットに、島の高い位置から俯瞰で撮影した瀬戸内海の短い風景ショット。そのいくつかは、上関原発建設予定地の方向が、季節と色彩を変えて何度かとらえられている。この海を殺すのか・・・と。
○映画は、祝島の数名の島民の生活に寄り添いながら、彼らが何を大事にし、何をよりどころにして生きてきたかを自ずから画面に語らせている。 
○映画には、暖かいユーモアがあふれている。もちろん、それは祝島の人々の自然な生き方から生まれたものを、スタッフが見逃さずにすくいとったものだ(女性漁師・民子さんと、恒例の月曜日「島内原発反対」デモに参加する反原発「犬」は特に素晴らしい)。
○映画は、上関原発建設計画自体や、反対闘争の歴史については、必要最低限しか語らない。それは、映画(監督)の狙いからすれば必然なのだが、予備知識の無い者は、やや分かりにくいという印象を持つかもしれない(そういう人は、『ミツバチの羽音と地球の回転』を併せて鑑賞するのが望ましい)。
○この映画は、何度でも観たくなり、観るたびに新たな発見がある。幸いDVDも発売されており、知人の原通範さん(和歌山大学)がロビーでDVDを買って監督のサインを貰っていたから、また機会を見てお借りしよう。
 
(纐纈(はなぶさ)あや監督のお話/私がメモした部分を中心にポイントを要約しましたが、やや潤色した部分があるかもしれません/録音はしていないので確認できない)
○東京生まれの東京育ちの纐纈さんが、祝島と出会ったのは、写真家・映画監督の本橋誠一氏の事務所「ポレポレタイムス社」のスタッフとして、映画『アレクセイの泉』に関与したことがきっかけだった。
○8年前、『アレクセイの泉』上映会のため、本橋監督と下関に行った際、地元の人から「この映画に出てくるベラルーシのお年寄りたちとそっくりな人たちがいる島がある」と聞き、3人で海を渡ったのが、祝島へ行った最初だった。
○最初は緊張していたが、「祝島の人たちの辞書に『無関心』という言葉はない!」と思わされるほどフレンドリーな対応をしてもらい、一気に緊張がほぐれた。月曜デモも、日常生活の一部となっていた。
○それから5年経ち、上関原発反対抗議行動を行う祝島島民を撮影した写真集を見た。そこにいる島の人々の姿は、5年前に自分が見た人々の別の一面であり、状況はさらに悪化しているようだった。その写真集を観て、胸が張り裂けそうになった。 
○写真や映像作品を作りたいと思って「ポレポレタイムス社」に入った訳ではなかったが、祝島の人たちを撮りたいと思うようになった。ただ、島の人々を語るのに、写真集にあるような抗議行動をまず撮影するのは「違うだろう」と思った。島の人たちが大切にしているもの、守りたいと思っているものは何か?をこそまず知らねばならないと考えた。それを知るためには自分で見に行くしかない。そして、見たことをみんなと共有したいと思った。
○島民の「暮らし」を撮るということは難しい。まず、空き家を借りて、自炊生活をしながら、自分たちが島の生活にとけ込んでカメラを回すという生活を2年間続けた。祝島と東京(に行くのは主として金策のため)とを往復する2年間だった。
○島民とともに暮らし、カメラを回し続けた末に見えてきたキーワードをご紹介したい。それは3つの「つながり」である。
  第1は、「場所と人とのつながり」
  第2は、「人と人とのつながり」
  第3は、「過去と現在と未来のつながり」
  この映画を作るということは、目には見えない「つながり」を映像化することだった。
○映画に登場する素晴らしい棚田は、映画に出演してもらった平萬次さんの祖父・亀次郎さんが、子や孫のため独力で作り上げたものだが、亀次郎さんは、「孫の世代まではこの田を作っても、次の世代は承け継ぐ者がいなくなるだろうが、それも世の習いだから、そうなったらこの棚田も原野に還ればよい」と言っていたとのことである。人間の営みは本来ちっぽけなものであ、いずれは自然に還っていくもの。しかし、原発は自然に還らない物質を生み出す。
○インタビューした人たちの答えに共通しているものがあることに編集の段階で気がついた。
 第1→亡くなった身内や友人の話が必ず出てくる。
 第2→子や孫の世代に何を残したいかということが必ず出てくる。
 今、目の前に見えている訳ではない「命の連なり、つながり」が生き方の原理になっている。
○先日、福島県に行き、飯舘村も見てきた。とても美しいところだったが、その山野を見ながら、「被ばくしたのは人間だけではない」ということを思った。
放射能も「目に見えない」。過去と未来をつなぐ「つながり」も「目に見えない」。私たちは、「目に見えない」ものに対する想像力を持つことが絶対に必要である。  
 
(参考映像)
 2011年6月11日に神戸で開かれた「原発の『安全神話』を考える」に出演された纐纈あや監督のお話/3分過ぎころから30分弱話されています。
 
(最後に)
 このような貴重な機会を設けていただいた「小鳥の会」の田村悠紀栄さん、嶋村眞美さん、泉谷祐代さん、吉岡秀紀さん、ありがとうございました。
 監督の纐纈あやさん、分かりやすく心にしみるお話をどうもありがとうございました。また、是非素晴らしい作品を作ってください。
 
(もう一つ最後に)
 ロビーで映画のプログラムを購入し、纐纈監督にサインしてもらったのですが、そのサインに添えられた言葉は「いのちをつなぐ」でした。