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日本経済新聞編集委員・安西巧氏の論説に注目しよう

 「メルマガ金原」アーカイブス・シリーズの1編として、ほぼ1年前(2011年11月15日)に配信したNo.683「日本経済新聞編集委員・安西巧氏の論説に注目しよう」を転載します。この記事を配信した後も、日経BOには、安西巧氏の執筆された以下の記事が掲載されました。
 
2011年11月28日 「電力の財界支配と九電の暴走」
 
2011年12月27日 浜岡原発停止が分けた2人のカリスマ」
 
2012年2月3日 「モチベーション不在の東電値上げ」
 
2012年3月7日 「“チッソ化”で泥沼化する東電処理」
 
 日経BOでの連載「ポストFUKUSHIMAの経営論」は2012年3月で打ち止めになったようで、もしかすると「経済界からの圧力が?」と勘ぐりたくなったりしますが、最近でも、
 
2012年10月23日 ものづくり進化論(日経産業新聞
「今こそ風力発電で『産業立国論』を」
 
という洋上風力発電に直目した署名原稿を発表したり、11月23日には、日本経済新聞出版社から、『さらば国策産業―「電力改革」450日の迷走と失われた60年』という著書を刊行予定であるなど、相変わらず頑張っておられるようです。
 
日本経済新聞編集委員・安西巧氏の論説に注目しよう
 
 日本経済新聞といえば、別名「財界機関紙」とも言われ、ある種の「色眼鏡」で見てしまいがちですが、注意して見ていくと、「日経(あるいはその関連メディア)にこんな記事が載るの?」と驚くようなことがあります。
 たとえば、このメルマガでたびたびご紹介しているジャーナリストの藍原寛子さんの連載「フクシマの視点」を掲載しているのは、日本経済新聞社の子会社である日経BP社が運営するサイト「日経ビジネス・オンライン(日経BO)」です。
 
 去る2011年11月11日、その日経BOに『“原発輸出”再開の愚』という記事が掲載されましたので、読んでみたところ、その末尾にこうありました。
 
 「『新成長戦略』の惰性でずるずると原発リスクを抱え込む野田政権。そこに、いまだ健在の“原子力ムラ”の無責任な蠢(うごめ)きを感じるのは筆者だけだろうか」
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 「よくぞ書いた」と感心し、「執筆者の安西巧という人はどういう人だろう?」と思って調べてみたところ、何と現役の「日本経済新聞社 編集局 産業部 編集委員」というではりませんか。
 ベトナムへの原発輸出についての日経の社説は、「原発輸出に『福島』の教訓を」という甚だ歯切れの悪いものでしたが、「安全な原発輸出で信頼向上を」ともろ手をあげて歓迎の意を表明した読売社説に比べれば、まだしも少しはブレーキがかかっていたという評価が可能かもしれず、その背景には、安西氏のような人の意見があったのかもしれません。
 
 遡って調べてみたところ、安西巧さんは、2011年10月13日、同じく日経BOの「ニュースを斬る」というコーナーに、『東電“延命”のコストとリスク』という記事を書いていました。
 これも非常にうなずける内容の記事でした。
 
 また、ネット検索してみると、日本経済新聞Web刊(2011年4月14日)に、『東電の悪夢、問われる原発の合理性 吹き飛んだ2兆7000億円弱』という署名原稿が掲載されていました。
 
 さらに、残念ながら「会員限定」ですが、2011年6月6日には同紙Web刊に『原発問題、混乱招いた最も聡明な人々』という記事を発表されていました。
 
 あたり前のことですが、記者を志して新聞社に入社した人たちが、みんな「大本営発表の片棒担ぎになりたいと思っているはずはありません。
 1人の記者や編集委員の力で会社の基本方針を変えることは出来ないかもしれませんが、可能な範囲で良心に恥じない仕事をしようとしている人たちは少なくないはずです。
 私たちは、マスメディアに厳しい目を向けるのと同時に、そのような「良心」の存在に注目し、応援することを怠ってはならないと思います。
 
 最後に、安西さんの論説に説得力があるのは、原子力発電所の存在意義を「経済性」の観点から説明することは不可能だ、と見切っているからだろうと思います。つまり、長年の経済記者としての経験で培ってきた見識から自然に導き出される結論を発表しているに過ぎない、ということなのでしょう。