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井伏鱒二氏『原発事故のこと』について

 今晩(11月14日)配信した「メルマガ金原No.1168」を転載します。
 
井伏鱒二氏『原発事故のこと』について
 
 1993年(平成5年)7月10日、満95歳の天寿を全うされた文豪・井伏鱒二氏は、も教科書で読んだ『山椒魚』などの短編の名手であるばかりではなく、被爆者・重松静馬氏の『重松日記』及び被爆軍医・岩竹博氏の『岩竹手記』などを基にした『黒い雨』(1966年刊・誌連載開始時の原題『姪の結婚』)の作者としても忘れることができません。
 
 「黒い雨」による二次被爆、入市による残留放射能被爆、被爆者に対するいわれなき差別など、『黒い雨』(今村昌平監督による映画も名作でしたね)が突き付けた問題は今なお現在進行形で私たちの課題であり続けています。
 
 ところで、その井伏鱒二氏が、1986年(昭和61年)、雑誌『新潮』7月号に発表した原発事故のこと』という文章(雑誌掲載直後、当時、新潮社から刊行されていた『井伏鱒二自選全集』第11巻の巻頭に収録されました)の存在を、うかつにも最近になって初めて知りました。
 知ったきっかけは、最近始めた Facebook で、友人がシェアしていた以下の記事を読んだことによります。
※ さらにこれを転載したブログなど
 
 そこで、早速『井伏鱒二自選全集』第11巻をネットで注文しました(新刊ではなかったので、1,000円以内で入手できました)。
 
 全集本でわずか5頁の短いエッセイですが、実は、その大半は、井伏氏の戦友(ともに陸軍報道班員として南方に派遣された)であった松本直治氏の手記『原発死』からの引用なのです(松本直治著『原発死~一人息子を奪われた父親の手記』は2011年8月に増補改訂版が潮出版社から刊行されています)。
 
 戦友であった松本直治氏の息子は、北陸電力に入社し、「『これからの電力マンが事に生き甲斐を求めるのは、近代科学の先端を行く原子力にある』と、若者らしい情熱をたぎらせて、東海村、敦賀の日本原子力発電所へ出向した。さうして能登に開発される原発の技術者としての将来に、いのちをかけたのであった。水力、火力の発電にはもう満足感がない。原発といふ新しい道への誘惑は、松本君にも痛いほど判ったが、それで結果的には、その憧れの原子力発電所で被曝して発病、入退院を繰返しつつ、舌ガンで死亡した。まだ三十一歳の若さであった」(井伏氏の文章冒頭より)というのです。
 
 井伏氏が引用している松本直治氏の文章のさらに一部を引用します。
 
 「短絡的に言ふなれば、原子力発電所で多量の放射線を浴び、ガンに冒され、闘病の末、死亡したことになる。私の思いを率直に云へば、平和利用の原子力の『絶対安全』を信じ、その『安全』に裏切られたことになる。これは私にとって衝撃の出来事であった。」
 「最近、アメリカのペンシルベニア州スリーマイル島で起こったあの“炉心溶融”寸前だったといふ背筋のゾッとするような、恐怖の原子力発電所の大事故があった。この原発事故の背後に横たはるのは、人間の断絶感だ。おかげで日本の原子力の火は一時期、一切がストップした。そして発電能力の最大を誇る関西電力の『大飯一号』の原発までが完全に止まった時、あの原子炉が『どんなバカなやつがやっても絶対安全』といふので『フール・プルーフ』と呼ばれてゐただけに、わたしの原発への不信はもはや動かしがたいものとなった。」
 「原子力発電所は、その後ますます増設され、次々と日本列島を汚染の渦に巻き込んでゐると私は思ってゐる。そのことは、かつて戦争の足音が国民の上に暗く覆いかぶさった過去の思ひに繋がるのだが、一般にはその原発の持つ恐怖が意外に知られてゐない。あたかも戦争への道が、何も知らされないうちに出来上がっていったやうに―」
 
 そして、長い引用の後、井伏鱒二氏は最後を以下のような文章で締めくくります。
 
 「松本君が書いた『原発死』といふ題の手記は、謂はば息子さんへの鎮魂歌である。私は松本君に頼まれて、この手記に対し「まへがき」の意味で、怖るべき原発この地上から取り去ってしまはなくてはいけない、といふことを書いた。「放射能」と書いて「無常の風」とルビを振りたいものだと書いた。
 今度、キエフ地方で原子力発電所に事故があったと新聞で見て、松本君は何と
感じてゐるだらうと思ひを馳せたのであった」
 
 井伏氏が、「キエフ地方で原子力発電所に事故があった」と書いているのは、もちろんチェルノブイリ原発事故のことです。
 松本直治氏の『原発死~一人息子を奪われた父親の手記』の初版が刊行さたのが、スリーマイル島原発事故の起きた1979年であり、さらにその7年後のチェルノブイリ事故の報道に接して、井伏鱒二氏が『原発事故のこと』を執筆したのでした。
 
 井伏氏は1993年に、松本氏も1995年に、いずれも福島第一部原発事故を見ることなく亡くなられました。
 
(余談)
 井伏鱒二氏の『黒い雨』が重松静馬氏の日記を参考にしていたことは、井伏氏自身が認めていたことですが、その井伏氏の業績を「井伏の『黒い雨』は『重松日記』のリライトを中心にしてつくられた」とした上で、執拗にその価値をおとしめようと努めた文筆家がいます『重松日記』出版を歓迎する――『黒い雨』と井伏鱒二の深層」『文学界』2001年8月号掲載)。
 石原慎太郎の眼鏡に適って東京都の副知事を務めている(知事選挙への立候補も取りざたされている)猪瀬直樹という人物です。
 私は、刊行された『重松日記』は未見ですが、猪瀬氏の上記文章を読む限り、そのき手の品位の程度は十分に伝わってきましたので、もうそれで十分かと思いますが、気になる方は以下のサイトなどをご参照ください。
 さらに余談ながら、提供された資料をどれほど生のままで「活用」していようと、『黒い雨』はあくまでもフィクションなのであって、ノンフィクションでは伝えられない「真実」を伝え得たか否かが問題なのであり、これは、実際に『黒い雨』を読んで自ら判断するしかありません。 
 
原発死―一人息子を奪われた父親の手記