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島薗進氏『チェルノブイリ事故後の旧ソ連医学者と日本の医学者―イリーンと重松の連携が3.11後の放射線対策にもたらしたもの―』

 今晩(11月19日)配信した「メルマガ金原No.1173」を転載します。
  
島薗進氏『チェルノブイリ事故後の旧ソ連医学者と日本の医学者―イリーンと重松の連携が3.11後の放射線対策にもたらしたもの―』
  
 東京大学大学院教授(宗教学)・島薗進氏の論考、特に、山下俊一氏に連なる日本の放射線防護学の歩みの検証は、これまでも何度かご紹介してきました。
 その島薗氏による新たな論考が、同氏のブログ「宗教学とその周辺」に連載されていましたのでご紹介します。
 現在、第4回までが掲載されており、果たして完結したかどうかが不明なのですが、ここまででもまとまりのある論考となっていますので、ひとまずここでご紹介することとしました。
  
(1)レオニード・イリーン、重松逸造、山下俊一(2012年10月15日)
(2)チェルノブイリ事故以前の状況と直後の対応(10月18日)
(3)しきい値あり論者イリーンの350mSv基準の主張(10月26日)
(4)イリーンに協力した重松逸造の系譜の医学者(11月2日)
  
 今回の論考は、総タイトル『チェルノブイリ事故後の旧ソ連医学者と日本の医学者―イリーンと重松の連携が3.11後の放射線対策にもたらしたもの-』が端的にその内容を語っていますが、島薗氏は、1冊の訳書に注目し、その内容を読み解いていきます。それは、
  『チェルノブイリ:虚偽と真実』
   LA.イリーン著
   翻訳監修:重松逸造・長瀧重信
   翻訳:山下俊一他7名
   原書1994年刊、日本語版1998年刊(長崎・ヒバクシャ医療国際協力会)
という書籍です。
 
 レオニード・イリーンはチェルノブイリ後のソ連の放射能対策で指導的な役割を果たした医学者であり、彼と重松逸造との密接な連携、そして重松→長瀧→山下と連なる系譜(現在の「福島県県民健康管理調査」にまで直結している)を、島薗氏は解き明かしていきます。
 そして、第4回の末尾をこう締めくくっています。
 
(引用開始)
 イリーンの『チェルノブイリ:虚偽と真実』は、(略)原発推進側に立ち、放射能被害を被る人々の立場を軽視する経緯をソ連政府側当事者の立場から描くことで、図らずも核大国と原発推進勢力の利益を守ろうとする国際的な「専門家集団」の結束のあり方を浮彫にしてくれている。
(引用終わり)
  
 なお、連載第4回でも触れられていますが、2001年6月のキエフ会議を取り上げた以下の映像作品(スイス)は必見ですので、再度ご紹介しておきます。
 邦題『真実はどこに?-WHOとIAEA 放射能汚染を巡って-』
  
(付記)
 「宗教学とその周辺」に掲載された島薗進教授による過去の論考を未読の方は、是非目を通していただきたいと思います。
  
中川保雄『放射線被曝の歴史』に学ぶ
※ 『放射線被曝の歴史』はその後増補版が再刊されました。 
  
低線量被ばくリスクWG主査長瀧重信氏の科学論を批判する
  
日本の放射線影響・防護専門家がICRP以上の安全論に傾いてきた経緯
―ICRPの低線量被ばく基準を緩和しようという動きの担い手は誰か?―
  
放射線のリスク・コミュニケーションと合意形成はなぜうまくいかないのか?
 
増補 放射線被曝の歴史―アメリカ原爆開発から福島原発事故まで―