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西郷章さんの『さようなら原発一千万人署名 街頭アピール』

 「メルマガ金原」アーカイブス・シリーズです。今回は、2012年2月29日配信のNo.850「西郷章さんの『さようなら原発一千万人署名 街頭アピール』」です。 
 「憲法を生かす会・和歌山」の西郷章さんには、憲法9条を守る運動を通じて、かねてよりお世話になっていましたが、3.11以後の「脱原発」に向けた意気込みには、まことに瞠目すべきものがあります。
 以下の記事でご紹介したとおり、「さようなら原発1000万人署名」への取り組みには頭が下がりましたし、現在では、毎週金曜日の関西電力和歌山支店前でのアピール行動における「アコーディオンおじさん」として令名をはせておられます。
 なお、西郷さんが「紀州熊五郎」というペンネームで関電和歌山支店前行動をレポートした文章も、ブログでご紹介しています。
 ちなみに、「1000万人署名」の方は、公式サイトによれば、2012年11月14日現在の署名集約数が「8,162,786筆」ということで、「1000万人まで続けます」と書かれていました。
 これからも、「和歌山に西郷あり」という活躍をお伝えできるのではないかと思います。
 
西郷章さんの『さようなら原発一千万人署名 街頭アピール』

 
 「憲法を生かす会・和歌山」の西郷章さんには、常々お世話になっており、その活躍の一は、本メルマガでも何度か取り上げさせていただいたところです。
 特に、昨年(2011年)の11月29日には、西郷さんが、「さようなら原発1000万人アクション」の呼びかけに応え、一千万人署名に協力して最低1000筆を自ら集めようと一念発起し奮闘する様子を詳しく書かれた手記『1千万署名奮戦記』をご紹介したことをご記憶の読者もおられるでしょう(メルマガNo.714)。
 さて、いよいよ本年2月末に署名集約が終わる一千万人署名ですが、西郷さんの目標は達成されたのでしょうか?
 もちろん「達成」です。それも目標を大きく上回る「2300筆」!というのが驚きです。
 そして、このたび西郷さんから、「『もしも街頭署名で最後のアピールをするなら、このような演がしたい』との願望を込めて、自分の思いをまとめてみました」という原稿が送られてきました。
 もちろん、街頭演説の草稿というにしては長過ぎるものであり、実際にこれをこのまま街頭演説された、という訳ではないと思いますが、多くの人々に自分が何を訴えたいのか、ということを再確認するために文章化されたのではないかと推測します。
 私たち一人一人が、原発について関心が薄い人たち、危険だけれどすぐになくす訳にはいかないと思っている人たちをどういう言葉で説得するのかが、今問われていますが、これは、和歌山市の西郷章さんによる1つの回答です。
 もとより、これは西郷さん個人の意見ですから、必ずしも全面的には賛同できないという方もおられるでしょう。
 特に、地球温暖化についての見解や、50歳以上(私も十分有資格者ですが)の者が福島県産の農産物を食べるべきという意見などは、必ずしも多くの人の賛同を得られるとは思えないですが、あえて訂正や削除は求めず、そのまま掲載しています(そういえば、去年西郷さんか貰ったメロンは福島産でしたっけ?いや、茨城産だったかな)。
 また、様々な議論や事実が引用されていますが、一部を除き、一々私の方で出典にあたっ確認することはしていません。
 
 ところで、この文章を送っていただいた同じ2012年2月23日、「さようなら原発1000万人アクション」
事務局から以下のような発表がありました。
(引用開始)
1000万人署名継続のお知らせ 
 最終締め切り日を2月28日に予定していた、「さようなら原発1000万人署名」は、5月日まで締め切りを延期し、署名活動を継続することが決定いたしました。
 これは、現在署名数が目標に達していないこともあり、継続を希望する皆様からのたくさん
声をいただいていることや、今夏にかけて、国のエネルギー政策が議論される情勢を受けたことによります。
 現在集めていただいている署名に関しては、予定どおり28日を目安にお送りください。必着ではありませんので、3月に到着でも問題ありませんが、継続後の締め切りを待たず、先行し提出することも検討されています。まずは署名継続のお知らせを申し上げ、詳細等、追って報告いたします。(事務局)
(引用終わり)
 
 どうやら、さらに3カ月間、西郷さんの奮闘が続くことになりそうです。
 最終締め切りは延長となりましたが、西郷さんの「最後のアピール」は予定通り掲載させてただくことにしました。
 
(付記)
 西郷さんの「街頭アピール」末尾で引用されている伊丹万作氏の文章は、昭和21年8月、「映画春秋」創刊号に掲載された『戦争責任者の問題』という文章の一節です。従来から、「戦争責任」を論じる際には逸することのできない文章とされてきました。現在、最も容易に入手できるのは、『伊丹万作エッセイ集』(大江健三郎編/ちくま文庫/2010年6月10日刊)だと思います。
 さらに、伊丹万作氏は上記文章を発表した年に亡くなっており、著作権切れとなっているため、『戦争責任の問題』もインターネット図書館で読むことができます。例えば、
 是非、全文を読んでいただきたいと思います。
 

                                       2012年2月23日
             
          さようなら原発一千万人署名 街頭アピール   
 
                       憲法を生かす会・和歌山  西 郷    章
 
                 は  じ  め  に
 脱原発一千万署名(さようなら原発一千万人署名)の署名活動について、以前、本メル
マガ(No.714)で取り上げていただいた和歌山市の西郷と申します。
 昨年の6月にスタートした「さようなら原発1000万人アクション」の目的である一千万署名
運動も、この2月末でいよいよ最終集約を迎えることになりました。この間、半年以上にわたってご協力いただいた皆さんには、心からお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。とりわけ「9条ネットわかやま」をはじめとする多くの皆様方の温かいご協力により、私のもとに2,300筆以上の署名を集めることができましたことはまことに感慨深く、大きな喜びを感じていま
す。
 そして私にとって、この署名活動は、原発廃絶のための実践論を学んでいく上で、絶好の原
動力となりました。
 いま最終集約を目前にして、「もしも街頭署名で最後のアピールをするなら、このような演説
がしたい」との願望を込めて、自分の思いをまとめてみました。脱原発1年生として学んでいる中での浅はかな知識ですので、力不足の点につきましてはご容赦のほどをお願いします。
 
  「さようなら原発一千万人署名」最終集約を迎えて
 私たち「憲法を生かす会」も賛同する「さようなら原発1000万人アクション」は、昨年の6月
にスタートしました。大江健三郎さんをはじめ、澤地久枝さん、瀬戸内寂聴さん、落合恵子さんら9名の著名な方々が呼びかけ人となり、さらに多くの著名な方々が賛同人として名乗りを
上げ、一千万人署名運動を柱に集会やデモなど様々な運動を行ってきました。
 そして署名運動につきましては、この2月末で一応の集約となり、9ヶ月間の活動を終えるこ
とになります。この間、皆様方から多くのご支援ご協力を頂きましたことを深く感謝申し上げます。
そして、今日は最後のお願いになりますが、まだ署名をしていない方がおられましたら、子供さんやお孫さんも含めて家族ぐるみでの署名をよろしくお願いします。
 まずはじめに、現在の福島第一原発の復旧状況等について簡単に説明したいと思います。
1号機につきましては、コンテナのようなふたをしましたので大気への放射能汚染は一応食い止められています。しかし、後の3機は依然として野ざらし雨ざらし状態ですので、たとえ微量といえども放射能を放出し続けているのです。2号機ですが、冷温停止状態を保つといって循環型冷却装置なるものを上の方でぐるぐる回しています。それと最近格納容器の配管から内視鏡ようなもので内部を点検しましたが、水滴のようなもので画面が曇ってよくわかりませんでした。また4号機につきましては爆発で3か所ほど天井が破壊したり壁に穴があき、使用済み燃料棒保管プールが宙ぶらりんの状態になり応急的な耐震補強を施しましたが余震によって倒壊の危険があります。それと全体的には配管や地下ピットなどから汚染水が表面に流れ出し、これを食い止めるための工事が何回か行われました。事故以来、危険個所などについてはおおむねこのような安全対策を行いましたが、基本的には以前と変わりなく、収束の目途はいまだに立っていな
いといえます。
 このような中で昨年11月に野田首相は「発電所の事故そのものは収束に至ったと判断をされ
る、との確認を行いました」などといういい加減なことを言ったものですから、多くの国民は怒り、また福島県議会は「あの発言は撤回しろ」と怒りをあらわにしました。このような野田発言に象徴されるように、政府や東電のいい加減な対応や、嘘を平気で言うやり方には企みがあります。彼らの思惑は、まず最初に原発再稼働ありき、そして願わくは事故は小さかった見せたいとの願望があり、そのために過小評価したり、放射能の危害を忘れさせるような世論操作をしているのです。原発再稼働の動きでは、関電の大飯原発3・4号機のストレステストの判定がIAEAの視察を原子力安全・保安院が「妥当」との判定を下しました。これは断じて許せません。なぜストレテストをするようになったのか?それは原発事故が起こったからであり、その事故の原因究明が昧にされ、安全対策も全く打ち出せていない中で、何を根拠に「妥当」などと判断出来るのか、納得できるものでなく断じて許せません。もしこれを許すならば、この機に乗じて他の停止原発一斉稼働に乗り出すチャンスを与えることになるでしょう。ですから、ここはあらゆる手段に訴えて
何としてでも阻止しなければならず、まさに天王山の戦いが求められていると言えます。
 それと、もう一つ許せないのは被害補償の問題です。言うまでもありませんが、事故の全責任
は東電と政府にあり、全身全霊で償いをしなければならないのに、彼らのやることは支払を少なくするために他人事みたいに何かしてあげているというような扱いをする一方で、差別・分断攻撃
をかけてひどい仕打ちをしています。
 事故さえなければ故郷を捨てて他府県に避難することもなく、また逃げたくても生活のためにや
むなく止まったり、故郷をどうしても離れるのは嫌だと言って年間20ミリシーベルトの高い線量をびながら生きることもなかったわけです。高濃度汚染区域を離れた多くの人たちは、もしかしたら二と故郷には帰れないかもしれません。そのような現実を見るときに、自主避難であろうがなかろうが、そのようなことに一切関係なく被害を受けたすべての人たちが今後生きていくうえで、国民として安心して生活できる十分な補償をするのは当然であります。今後この補償をめぐる闘いを私た
ちは全面支援しなければなりません。
 さて、署名期間もいよいよ最後となりましたが、今一度事故の真相や問題点等について私ども
の考えを訴えさせていただきたいと思います。
 先ず、あの事故の本当の原因(根本原因)についてです。皆さんは、あの事故は津波によってす
べての電源が喪失したために、結果的に水素爆発を起こして放射能を拡散したとお考えでしょうか?それとも「いや既にその前に地震によって無数の配管の一部が破断、断裂し、圧力容器の位が低下してあのような事故を起こした」とお考えでしょうか?実は、これらはいずれにしても原であることには違いないのですが、根本原因とはならないと思います。私は事故の根本原因(本の原因)は、ひとことで言いますと東電の今日までの嘘、隠ぺい、そして金で丸めこんでそれでも
ことを聞かないものは権力でねじ伏せるといった傲慢な経営体質、それと自民党結党から現政府まで、一貫した国策として原子力を推進してきた誤った政治が本当の原因であると思ってます。これらのことを歴史的な経緯を紹介しながら考えてみたいと思います。
 まず日本に原子力導入の話が持ち出されたのが1954年、時の改進党の国会議員であった
中曽根康弘が、その前年(1953年)にアメリカCIAから金をもらって渡米して導入の根回しをします。そして帰国すると、原子力関連予算を国会に上程して、これが保守派多数によって可決されました。その後、1955年の自民党の結党によって本格的な推進が行われます。そして、1956年には初代の原子力委員長に読売新聞社主の正力松太郎が就任しますが、彼は非常な野望の持ち主で「自分は将来総理大臣になりたい、そのために取りあえず原子力委員長の席にとどまっておく」という考えを持っていたそうです。そして彼は、別の顔として知る人ぞ知るCIAのエージエントとして暗躍した人物でもありました。この正力松太郎中曽根康弘が車の両輪となって原子力の推進・開発がなされ、1966年に小型ではあるが茨城県東海村に日本最初の商業用原子炉が運転を開始します。次に1969年、福井県の敦賀原発が商業炉として運転を開始します。そして1971年に、今回事故を起こした福島第一原子力発電所1号機が臨界に達して運転を開始します。同じ時期に、静岡県の浜岡原発の稼働をはじめとして、その後は電
力9社がバブル期までに競うように原発建設を行ってきました。
 とりわけ東響電力については、1990年代のバブル崩壊期までに、だいたい2年に1基の割合
で増設しました。しかし、当初から多くの事故やトラブルに見舞われて、その都度、嘘や隠ぺいで国民をはぐらかして自転車操業的な営業をしてきました。だが、そのようなまやかしもついに隠しきれなくなって、1980年代の後半から1990年代にかけて、あまりにもひどい嘘や隠ぺいが発覚し、点検などの為に13基の原発を止めました。また2002年には、安全サボやデータ改ざん等が発覚して17基もの原発を一斉点検などで止め、この時に歴代トップ5名が辞任する騒ぎ
が起こっています。
 ここで注目して頂きたいのは、「17基もの原発を止めたのに停電は起こらなかったのか?」とい
うことですが、後で詳しく申し上げますが、停電は起こらなかった訳です。「なぜ起こらなかったか」
というと、取りあえず「原発とはそうした仕組みの上に成り立っている」と申し上げておきます。
 さらに東電は、福島第一原発事故直前の昨年2月28日には、171もの報告の漏れや遅れ
原子力安全・保安院から指摘されており、事故が起こってからも皆さん周知のように、言うことなすことが嘘といい加減なことばかりで、本当のことは、海外の研究機関やメディア、我が国の民間組織等に指摘されて、仕方なく後で言い訳がましいことを言ったり本当のことを言わざるを得なくなったりしました。取り返しのつかない事態を引き起こしたにもかかわらず、このような極めて悪らつな経営体質ですから、原発がある限りはこの体質は改善されることは絶対にないと断言できます。それから東電は、地震学者等の警告にも一切聞く耳をもたなかったということです。今から17年前に反原発のカリスマと言われた市民科学者・高木仁三郎さんは、「福島の浜通りにメルトスルーが発生する」と警告しました。そしてこれは年数的には少しずれたかもしれませんが、警告通福島原発にメルトスルーが発生したのです。また神戸大学の石橋克彦教授は、1997年に「浜岡原発原発震災が起こる」と警告を発しました。そして、これも14年後に、浜岡ではなく福島でしたが、警告通りの「原発震災」が発生してしまったのです。東電は、このような良心的な学者らによる再三の警告にもかかわらず、これらを一切無視し、ひたすらに金もうけに狂奔してきたのです。つまりこの事故の根本原因は東電の嘘と隠ぺい、金で丸め込み、それでも言うことを聞かないものは権力でねじ伏せる、そして良識ある学者などの警告にも一切聞く耳を持たないといった、
極めて悪らつで傲慢な経営体質こそが本当の事故の原因です。
 さらに、原子力推進を国策として今日まで推進してきた自民党政権とそれを引き継いだ現民
主党政権の誤った政治こそ、今回の破局的事態を招いてしまった究極の原因であることは言う
までもありません。
 つぎに人類史上例のない4基もの原発が爆発を起こすといった取り返しの付かない事態を引き
起こしながら、なおかつ原子力発電を推し進めようとする者たちについてですが、この者たちがどのような立場の者か、また何のためにそうまでして推進するのか、その理由などについて説明したいと
思います。
 原発をなお推進する理由は3つあります。1つは原子力村の存続のためです。2つには核武装
化するため、3つには原発輸出産業の利益確保のためです。小出裕章さんは、「最近は4つあると思うようになってきた」と言っておられますが、立地自治体や特に労働者など原発で生活してい
る人たちは犠牲者という面もありますので、ここでは取り上げないことにします。
 さて、まず1つ目の「原子力村の存続のため」という点ですが、原子力村の構成員をざっとあげ
るとすれば、東電などの電力会社、プラントメーカーやゼネコン、資材会社など、政治家、官僚、御用学者、多額の宣伝費をもらってニセの情報を垂れ流すマスコミ、そしてこれらがしくじった時に裁判の場でこれらに有利な判定を下す裁判官、おおむねこのような者たちが原子力村の構成員で、これらの欲望のため、或いは自らの保身のために原発を存続させたいというのが1つの理由
です。
 2つ目の「核武装化」についてですが、現在の原子力発電を利用した装置では核爆弾の原料
であるプルトニウムを作ることは難しいのですが、いま廃炉が叫ばれている高速増殖炉もんじゅのようなものが仮に動いたとするならば(そういうことはないのですが)、極めて高い(97パーセント以上)純度を持つプルトニウムを抽出ができ、これは簡単に核爆弾(原子爆弾)に転換する事が可能なのです。つまり日本はこの核爆弾を自国で製造して日本列島に張り巡らそうとしているのです。このことについては、昨年の8月16日でしたか、石破元防衛大臣がテレビ朝日からのインタビューに答えて、日本は、周りをロシア、中国、北朝鮮、アメリカ合衆国という核保有国に取り囲まれており、これに対抗するためには、「日本は核を作ろうと思えばいつでも作れる。1年以内に作れる」そういう抑止力を「私は放棄すべきだとは思わない」、従って原発はなくすべきではないと明言しました。支配層の側から、これほどはっきりと核武装化について言及したのは初めてのことで、極めて重大な発言としてとらえなければなりません。
 もう少し核武装の問題について述べたいと思います。本当に核を持てるのか?ということですが、日本は敗戦以来「国是」として「非核3原則」を順守しており、「核を作らない、持たない、持ちこませない」この3つを守り続けた国です。それと世界の決め事である「核拡散防止条約」の加盟国でもあり、ここに加盟した国は核を作ることはもちろん、持つことも出来ません。現在核を持てるのは、第2次世界大戦の戦勝国である米、英、仏、ロ、中国の5カ国のみです。従って仮に日本が核を持としようものなら、中国や北朝鮮どころかアメリカが、かっての広島や長崎の二の舞をしな
いと言う保証は何もありません。そのような現実を考えると、核を持つなどと考えるのは無謀すぎます。だいいち核など持たなくても日本はもうすでに潜在的な核戦争に負けているのも同然と思います。日本には時限爆弾と同じ原発が54基も並んでおり、仮に戦争が起こって、どこかの国が(核弾頭など付いていない)通常ミサイルを何百発も何千発も日本に打ち込み、そのうちの何発かがどこかの原発に命中すれば日本はもうそれで終わりです。そのようなことを考えると、核など作る、持つなどということは本当に非現実的な愚かな考えです。「国防」と言うならば、私は先ず何よりも原発を全廃することこそが本当に国を守ることであり、国民の安全を確保する道だと思います。
 3つ目の「原発輸出産業のもうけのため」についてですが、現在、輸出関連産業としては、電
機産業として日立、東芝、三菱等があり。また機械産業は三菱機械や三菱重工業、川崎重工業等であり、鉄鋼基幹産業として新日鉄グループ(新日鉄、住金、神鋼)とJFEスチールがあります。これらは長年にわたって原発建設と機材、資材の生産にかかわっており、既にライン化しているものの日本では電力が余っているために、あふれる製品の売込先を海外に求め、特にベトナムや中国、インドその他の東南アジアの国々に売り込んで利益を得ようと必死になっているの
です。つまりこれら巨大資本のあくなき利潤追求と販路拡張のためなのです。
 以上、これらの野望や欲望または存続のために、なおかつ原発を推進することが大きな理由
であることがお分かりかと思います。そのために国民の健康や生命、安全は犠牲にされているの
です。
 さて次に、原発を止めれば電力不足になる、停電が起こる、と宣伝されている問題ですが、私
は先に、2002年に東電で17基の原発を一斉停止した時に停電は起こらなかった、それは原発とはそのような仕組みの上に成り立っているからだと言いました。そのような仕組みとは何でしょうか。現在の主力的な発電装置には水力、火力、原子力があり、一頃前までのそれぞれの稼働率は、水力約20%、火力約48%、原子力は約70%言われていました。原子力は今ほとんど動いていませんが、仮に70%稼働としましょう。ではこの70%の原子力を止めれば停電が起こるかといえば、停電は起こりません。なぜ起こらないのか?それは、48%稼働の火力発電を稼働率
70%~80%に引上げればそれだけで十二分に電力は確保できるからです。
 この点について、もう少し関西電力の例をあげて説明します。ここにあるデータは、政府系の電
気事業便覧2010年版によるものです。電力9社でいちばん原発への依存率が高いのは関電で、自らが原発に50%依存していると言っています(実際の原発の設備比率は28%にすぎませんが)。いずれにしても依存率トップの関電原発を止めても停電の心配のないことが証明できれば、
他の電力8社においても全く心配ないことが証明できたことになります。
 今日の関電原発による電力総供給量は976万8千kw/年です。これに対して火力は16
35万7千kw、水力は819万6千kwで、この二つだけでも原発の2・5倍以上の供給力があります。なお揚水式が550万kwありますが、これは原発を止めれば使えなくなりますから外します。さらに関電の管内には大中小の様々な企業が合計1千万キロの自家発電や共同火力を持っていますので、これを合わせると実に原発の3・5倍以上の供給力がある事になります。但し、これらの中には、原発を稼働させるために中長期的に遊休となってきた設備もたくさんあり、これを動かすには、修理や部品交換等メンテナンスが必要な設備もありますが、この問題(金)については、政府が脱原発の方向にかじを切り替え、電力会社がその気になればそれほど大きな負担にはならないと思います。このようにして、関電に全く電力不足の心配がないことで他の電力会社も全く心配のないことがお分かりだと思います。実は、くどくど言いましたが、今は全国で原発は2機しか動いていません。しかし、停電などは全く起こったことはありません。それどころか、関電の発表する毎日の電力供給予想量は原発稼働がゼロになった今日でも「85%~86%と比較的余裕がありそうだ」と言っているではありませんか。このことが何よりも電力不足の心配ないことを証明して
いると言えます。
 このようにして、原発を止めることが可能となりますが、その際、代替発電として火力発電を中
心とした発電設備を使うことになります。今まで電力会社は、「火力発電は地球温暖化の元凶である二酸化炭素(CО2)の発生源ではないか」といって「地球温暖化の原因の95パーセントは二酸化炭素によるものである」と宣伝してきました。しかし、3・11以来「あれは真っ赤なウソである」という良識ある学者や専門家が増えています。そして温暖化の原因については「約80パーセントは太陽放射によるものであり、あとの20パーセント程度が二酸化炭素によるものである」という説を唱える人もいます。このことがあながち嘘でないと思われる歴史学説があります。先ず近年では、1940年代から二酸化炭素の排出量が急激に増えてきますが、ではその時に温暖化が起こったかと言えば、実は1940年~70年代にかけては逆に寒冷化現象が起こっています。また中世の時代、まだガスや石油はおろか石炭も使っていなかった初期の時代に寒かったか(寒冷化現象であったか)と言えば、今以上に温暖化現象が起こったという記録があるそうです。そして長期スパンで見ますと、100万年の間に600回もの温暖化現象が繰り返されているという分析がなされています。このような学説が的を射ているならば、2酸化炭素は温暖化の元凶ではないことになります。大きく譲っても、本当の原因はわからないといえます。そして電力会社などは、二酸化炭素が悪者のように言っていますが、二酸化炭素がなけれが生物は生きていけないことも忘
れてはなりません。
 次に、「火力発電は二酸化炭素の発生源ではないか」と宣伝がなされてきました。これについ
ては、皆さんの周囲を見渡して頂ければ一目瞭然ですが、二酸化炭素の排出源には、住金などからの工場熱、一般家庭からの家庭熱、焼却炉からの燃焼熱、車や飛行機からの排ガス、そして視野を広げて見ますと森林伐採や焼き畑農業、火山噴火や山火事、サンゴの死滅、等々たくさんあります、このようなことを考えますと、火力発電所からの二酸化炭素排出は、あくまでも
その一部にしか過ぎないことがお分かりかと思います。
 以上のことから、火力発電は二酸化炭素発生の元凶ではなく、使っても心配ないことが分か
りましたが、だからと言って、私たちは今後も火力発電を使い続ければ良いとは思っていません。火力発電は、二酸化炭素発生の主要な元凶ではありませんが、二酸化炭素を排出することに変わりはありません。ですが、原発よりはズッとましですので、あくまでも一時的な措置として火力発電を使います。そして将来的には、再生可能エネルギーによる発電装置もしくは自然エネルギーそのものを使った生活環境を目指さなければなりません。私は日本人の英知と勤勉さを結集すれば、近い将来必ずこのことが実現できると思います。ただそのためには日々の研究開発が必要で、そのためのお金もかかります。経費については、まず政府が脱原発を実現して、今度は政策を再生可能エネルギーの方向へと転換するのです。そして今まで国策と称して湯水のごとく血税をつぎ込んでいた原発の増設、高速増殖炉の研究開発、使用済み核廃棄物の中間貯蔵庫や再処理工場の増設などは止めて、そのお金を再生可能エネルギーの研究開発に投資するのです(ただし核廃棄物の保管・管理は今後何百年もの期間が必要であり、そのためのお金は当然かかります)。そのことによって、必ず近い将来、本当の地球にやさしい電力やエネルギーが確保できると思います。この方向こそが未来に開ける電力源とエネルギーの在り方だとい
えます。
 ここで再び、原子炉内部の様子について、事故当時からの特徴等について振り返ってみたい
と思います。基本的には温度が下がった以外は事故当初と何ら変わっていません。昨年の5月16日でしたか、東電がIAEAに報告したことは、一号機については作業員が原子炉内に立ち入ることが出来たので、点検の結果、解けた炉心は圧力容器内から既にメルトスルーしていることがわかりました。そして2号機、3号機については、高濃度に汚染されており、内部に立ち入ることが出来ないので、様子は全くわからないとのことでした。しかし、その後、解けた炉心の一部が圧力容器内に残っていると想定して循環型冷却装置で汚染水をぐるぐる回し始めたのです。4号機については前述したように、爆発によって使用済み燃料棒保管プールが宙ぶらりんになっているために応急的な耐震補強を施したのです(しかし、ひとたび大きな余震が起きれば、倒壊して3機分の放射能が発生する非常に危険な状態と言われています)。IAEAに対してはおおむねこのようなことが報告されましたが、、肝心なことについてはほとんど手つかずの状態です。これに対して京大原子炉実験所の小出裕章さんは、「溶けた炉心は重さ100トンで2800度のウラン熱塊となり、厚さ16センチの圧力容器を溶かし(鉄は1500~1600度で溶ける)、さらに厚さ3センチの格納容器も簡単に溶かして今は地中に食い込んでいるであろう、そして熱塊は最終的には地中5メートルから10メートルの位置に止まるであろう」と推定し、事故当初から、「日本中の生コン車を早急に事故現場に結集してチェルノブイリのような石棺をしなければならない。その時、汚染水に生コンをかぶせると水蒸気爆発の危険性があるから巨大タンカーを埠頭に接岸して、まず汚染水をタンカーにくみ取る必要がある」と提言していましたが、結局、東電・政府は小出さんが提言した措置を何もとりませんでした。それから小出さんは、「高濃度汚泉水が地下水に交じって海に垂れ流されるから事故原発を地下ダム(高さ30メートルの分厚いコンクリート壁)で囲ってしまう必要がある」とも早くから提言していました。そして、政府もそのことを東電に要請したのです。しかし、東電はその当時、株主総会を前にして「1千億円も費用がかかることなので、株主に逃げられ経営破綻をする」と言ってこれを拒否しました。だが一旦は拒否をしたのですが、9月になると地下ダムに代わる構造物を建設する計画を発表したのです。それは11月から着工して2年で完成させるというものでした。ところが驚いたことに、その遮水構造物なるものは、事故原子炉と海側の間だけに設置するというのです。小学生が考えても分かりますが、山側には遮断壁がないために日々刻々と流れる地下水は其のまま高濃度汚泉水と混じって海へと流れていきます。それはある時期までは海側の遮断壁で食い止めることができますが、しかし、やがていつかは必ず溢れてしまうのは火を見るよりも明らかです。恐らく横側からあふれ出るでしょう。一体、東電は何を考えているのか理解に苦しみます。この計画については、その後いつ着工したのやら何をしているのやら全く公表されていません。そのことからすると、恐らく大量被ばくの危険性や技術的な問題で着工できないのではないかと思います。そして地下ダム建設が遅れれば遅れるほど、海の汚染はひどくなっていきます。昨年11月にドイツの調査機関が発表した海中の汚染度は2・71京ベクレルという天文学的数値でした。これは東電の発表した数値の30倍だそうです。あれから既に3か月を経過しましたから、我々の知らない深い地層を伝わってさらに何千兆ベクレル或いは1京ベクレルくらいは流出している可能性はあるのではないでしょうか。この海水汚染によって近辺の底物魚介類や海藻類は恐ろしいほどに高濃度汚染されていることでしょう。また、近海への影響も相当あると思われるので、沿岸および近海漁業は
壊滅的な打撃を受けているに違いありません。
 それと大気の汚染ですが、前述しましたように、1号機は蓋をしましたから大気汚染は一応
食い止められていますが、後の3機からは微量とは言え、日々刻々と放射能が放出されています。このような環境の中で福島県の皆さんは、年間20ミリシーベルトという従来原子炉の専門家しか許容されなかった高い数値の被ばく量を設定されて生活せざるを得なくなったのです。
子どもの健康状態と現地の皆さんの今後の健康が非常に心配されるところです。
 それから農業への影響も深刻です。福島県は農業王国で多くの人が農業で生活をしていま
す。ですからその生産物が売れなければ農業者の生活が成り立ちません。ここで私は皆さんに是非お願いがあります。「皆さん福島県産の生産物を食べましょう」とお願いしたいのです。ただし、それには一定のルールがあります。ルールとは、放射能に対する被害はひたすらゼロ歳に近いほど大きくなります。従って私が「摂取しましょう」とお願いする人は特に50歳以上の高齢者の人たちです。50歳以上になりますと感受性も30歳代に比べて4分の1くらいに低下するそうです。またアメリカの調査結果では、癌による死亡率も50分の1程度に減少して、60歳代になりますと100分の1以下に激減するそうです。従って、私はこの年代の方たちに「福島県産の生産物を食べて福島県民の皆さんを支援しましょう」とお願いしたいのです。一方、幼児や小児そして発育盛りの子供たちには、原則たとえ微量であっても汚染食品は絶対に食べさせてはならないということです。仮にこの子たちが汚染食品を食べて内部被ばくをすれば遺伝子が傷つく恐れがあります。そして、一旦傷ついた遺伝子は細胞の増殖(成長)と共に2倍が4倍と幾何級数的に増えて行き、やがてそれは成長の過程、或いは成長した段階で欠陥部位となって奇形を発症したり甲状腺がんや白血病その他の癌などを引き起こす原因となるそうです。従ってお母さん方は食材はよく吟味してほしいと思います。その上で、くどいようですが50歳以上の高齢者の方はぜひ福島県産の食品を食べてあげて下さい。そして私たち原発に反対してきたものが食べると言っているのですから、原発に賛成してきた人や、特に推進してきたものは私たちの何倍も食べてあげることがせめてもの罪滅ぼしではないでしょうか。
 それから、事故の全責任は東電と歴代政府にあることは言うまでもありませんが、では原発に反対してきた者や知らなかった者、騙された者に全く責任がないかと言えばそうはならないのでないかと思います。原発で作った電気とはいえ、私たちも文明の利便さを享受してきたのですから、それなりの責任はあるのではないでしょうか。そして多少なりとも責任がある以上は、それを果たさなければなりません。つまり、ある意味では原発を容認してきたわけですから、その責任の取り方は原発を日本からなくすために努力をするということではないでしょうか。そのために力を合わせましょう。
 そしてこの際、私たちは電力会社など大資本や政府には騙されない、もう少し賢い国民に
なろうではないかと訴えたいと思います。映画監督、そして『無法松の一生』の脚本家としても知られる伊丹万作氏(伊丹十三は実子。大江健三郎は娘婿)は、戦後の反省の上に立って「『だまされていた』と平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそにだまされ始めているにちがいないのである」と警鐘を鳴らしています。この言葉を教訓として、私たち国民は騙されないために、彼らの言動には絶えず疑いの念を持ってかかり、少なくとも嘘か本当か、いいか悪いかくらいの判別ができるように自分の中で噛み砕いてみる習慣を身につけることが必要ではないでしょうか。そして騙されないだけにとどまらず、子孫の未来に負の遺産を残さないよう、1日でも早く原発を全廃するために、皆さんにも私たちと共に脱原発の道を歩んで頂くことを強くお願いして、一千万署名最後の訴えに替えさせていただきます。ありがとうございました。
 
 
 
 
署名活動スタイルに身を包んだ西郷章さん(JR和歌山駅前にて)