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西郷章さんの『さようなら原発一千万人署名 街頭アピール』(前編)/再アップ

 「メルマガ金原」アーカイブス・シリーズです。今回は、2012年2月29日配信のNo.850「西郷章さんの『さようなら原発一千万人署名 街頭アピール』」です。 
 「憲法を生かす会・和歌山」の西郷章さんには、憲法9条を守る運動を通じて、かねてよりお世話になっていましたが、3.11以後の「脱原発」に向けた意気込みには、まことに瞠目すべきものがあります。
 以下の記事でご紹介したとおり、「さようなら原発1000万人署名」への取り組みには頭が下がりましたし、現在では、毎週金曜日の関西電力和歌山支店前でのアピール行動における「アコーディオンおじさん」として令名をはせておられます。
 なお、西郷さんが「紀州熊五郎」というペンネームで関電和歌山支店前行動をレポートした文章も、ブログでご紹介しています。
 ちなみに、「1000万人署名」の方は、公式サイトによれば、2012年11月14日現在の署名集約数が「8,162,786筆」ということで、「1000万人まで続けます」と書かれていました。
 これからも、「和歌山に西郷あり」という活躍をお伝えできるのではないかと思います。
(付記)
 この記事は、2012年11月24日にアップしたものと同内容を再アップするものです。24日に掲載した記事に追加・修正を要する箇所があったのですが、技術上の問題から修正できず、やむなく再度アップすることにしました。なお、前後編に二分したのは、技術上の問題を回避するためです。 
 
西郷章さんの『さようなら原発一千万人署名 街頭アピール』(前編)

 

 「憲法を生かす会・和歌山」の西郷章さんには、常々お世話になっており、その活躍の一は、本メルマガでも何度か取り上げさせていただいたところです。
 特に、昨年(2011年)の11月29日には、西郷さんが、「さようなら原発1000万人アクション」の呼びかけに応え、一千万人署名に協力して最低1000筆を自ら集めようと一念発起し奮闘する様子を詳しく書かれた手記『1千万署名奮戦記』をご紹介したことをご記憶の読者もおられるでしょう(メルマガNo.714)。
 さて、いよいよ本年2月末に署名集約が終わる一千万人署名ですが、西郷さんの目標は達成されたのでしょうか?
 もちろん「達成」です。それも目標を大きく上回る「2300筆」!というのが驚きです。
 そして、このたび西郷さんから、「『もしも街頭署名で最後のアピールをするなら、このような演がしたい』との願望を込めて、自分の思いをまとめてみました」という原稿が送られてきました。
 もちろん、街頭演説の草稿というにしては長過ぎるものであり、実際にこれをこのまま街頭演説された、という訳ではないと思いますが、多くの人々に自分が何を訴えたいのか、ということを再確認するために文章化されたのではないかと推測します。
 私たち一人一人が、原発について関心が薄い人たち、危険だけれどすぐになくす訳にはいかないと思っている人たちをどういう言葉で説得するのかが、今問われていますが、これは、和歌山市の西郷章さんによる1つの回答です。
 もとより、これは西郷さん個人の意見ですから、必ずしも全面的には賛同できないという方もおられるでしょう。
 特に、地球温暖化についての見解や、50歳以上(私も十分有資格者ですが)の者が福島県産の農産物を食べるべきという意見などは、必ずしも多くの人の賛同を得られるとは思えないですが、あえて訂正や削除は求めず、そのまま掲載しています(そういえば、去年西郷さんか貰ったメロンは福島産でしたっけ?いや、茨城産だったかな)。
 また、様々な議論や事実が引用されていますが、一部を除き、一々私の方で出典にあたっ確認することはしていません。
 
 ところで、この文章を送っていただいた同じ2012年2月23日、「さようなら原発1000万人アクション」事務局から以下のような発表がありました。
(引用開始)
1000万人署名継続のお知らせ 
 最終締め切り日を2月28日に予定していた、「さようなら原発1000万人署名」は、5月日まで締め切りを延期し、署名活動を継続することが決定いたしました。
 これは、現在署名数が目標に達していないこともあり、継続を希望する皆様からのたくさん
声をいただいていることや、今夏にかけて、国のエネルギー政策が議論される情勢を受けたことによります。
 現在集めていただいている署名に関しては、予定どおり28日を目安にお送りください。必着ではありませんので、3月に到着でも問題ありませんが、継続後の締め切りを待たず、先行し提出することも検討されています。まずは署名継続のお知らせを申し上げ、詳細等、追って報告いたします。(事務局)
(引用終わり)
 
 どうやら、さらに3カ月間、西郷さんの奮闘が続くことになりそうです。
 最終締め切りは延長となりましたが、西郷さんの「最後のアピール」は予定通り掲載させてただくことにしました。
 
(付記)
 西郷さんの「街頭アピール」末尾で引用されている伊丹万作氏の文章は、昭和21年8月、「映画春秋」創刊号に掲載された『戦争責任者の問題』という文章の一節です。従来から、「戦争責任」を論じる際には逸することのできない文章とされてきました。現在、最も容易に入手できるのは、『伊丹万作エッセイ集』(大江健三郎編/ちくま文庫/2010年6月10日刊)だと思います。
 さらに、伊丹万作氏は上記文章を発表した年に亡くなっており、著作権切れとなっているため、『戦争責任の問題』もインターネット図書館で読むことができます。例えば、
 是非、全文を読んでいただきたいと思います。
 

                                       2012年2月23日
             
          さようなら原発一千万人署名 街頭アピール   
 
                       憲法を生かす会・和歌山  西 郷    章
 
                 は  じ  め  に
 脱原発一千万署名(さようなら原発一千万人署名)の署名活動について、以前、本メル
マガ(No.714)で取り上げていただいた和歌山市の西郷と申します。
 昨年の6月にスタートした「さようなら原発1000万人アクション」の目的である一千万署名
運動も、この2月末でいよいよ最終集約を迎えることになりました。この間、半年以上にわたってご協力いただいた皆さんには、心からお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。とりわけ「9条ネットわかやま」をはじめとする多くの皆様方の温かいご協力により、私のもとに2,300筆以上の署名を集めることができましたことはまことに感慨深く、大きな喜びを感じていま
す。
 そして私にとって、この署名活動は、原発廃絶のための実践論を学んでいく上で、絶好の原動力となりました。
 いま最終集約を目前にして、「もしも街頭署名で最後のアピールをするなら、このような演説
がしたい」との願望を込めて、自分の思いをまとめてみました。脱原発1年生として学んでいる中での浅はかな知識ですので、力不足の点につきましてはご容赦のほどをお願いします。
 
         「さようなら原発一千万人署名」最終集約を迎えて
 私たち「憲法を生かす会」も賛同する「さようなら原発1000万人アクション」は、昨年の6月
にスタートしました。大江健三郎さんをはじめ、澤地久枝さん、瀬戸内寂聴さん、落合恵子さんら9名の著名な方々が呼びかけ人となり、さらに多くの著名な方々が賛同人として名乗りを
上げ、一千万人署名運動を柱に集会やデモなど様々な運動を行ってきました。
 そして署名運動につきましては、この2月末で一応の集約となり、9ヶ月間の活動を終えるこ
とになります。この間、皆様方から多くのご支援ご協力を頂きましたことを深く感謝申し上げます。
そして、今日は最後のお願いになりますが、まだ署名をしていない方がおられましたら、子供さんやお孫さんも含めて家族ぐるみでの署名をよろしくお願いします。
 まずはじめに、現在の福島第一原発の復旧状況等について簡単に説明したいと思います。1号機につきましては、コンテナのようなふたをしましたので大気への放射能汚染は一応食い止められています。しかし、後の3機は依然として野ざらし雨ざらし状態ですので、たとえ微量といえども放射能を放出し続けているのです。2号機ですが、冷温停止状態を保つといって循環型冷却装置なるものを上の方でぐるぐる回しています。それと最近格納容器の配管から内視鏡ようなもので内部を点検しましたが、水滴のようなもので画面が曇ってよくわかりませんでした。また4号機につきましては爆発で3か所ほど天井が破壊したり壁に穴があき、使用済み燃料棒保管プールが宙ぶらりんの状態になり応急的な耐震補強を施しましたが余震によって倒壊の危険があります。それと全体的には配管や地下ピットなどから汚染水が表面に流れ出し、これを食い止めるための工事が何回か行われました。事故以来、危険個所などについてはおおむねこのような安全対策を行いましたが、基本的には以前と変わりなく、収束の目途はいまだに立っていないといえます。
 このような中で昨年11月に野田首相は「発電所の事故そのものは収束に至ったと判断をされる、との確認を行いました」などといういい加減なことを言ったものですから、多くの国民は怒り、また福島県議会は「あの発言は撤回しろ」と怒りをあらわにしました。このような野田発言に象徴されるように、政府や東電のいい加減な対応や、嘘を平気で言うやり方には企みがあります。彼らの思惑は、まず最初に原発再稼働ありき、そして願わくは事故は小さかった見せたいとの願望があり、そのために過小評価したり、放射能の危害を忘れさせるような世論操作をしているのです。原発再稼働の動きでは、関電の大飯原発3・4号機のストレステストの判定がIAEAの視察を原子力安全・保安院が「妥当」との判定を下しました。これは断じて許せません。なぜストレテストをするようになったのか?それは原発事故が起こったからであり、その事故の原因究明が昧にされ、安全対策も全く打ち出せていない中で、何を根拠に「妥当」などと判断出来るのか、納得できるものでなく断じて許せません。もしこれを許すならば、この機に乗じて他の停止原発一斉稼働に乗り出すチャンスを与えることになるでしょう。ですから、ここはあらゆる手段に訴えて何としてでも阻止しなければならず、まさに天王山の戦いが求められていると言えます。
 それと、もう一つ許せないのは被害補償の問題です。言うまでもありませんが、事故の全責任
は東電と政府にあり、全身全霊で償いをしなければならないのに、彼らのやることは支払を少なくするために他人事みたいに何かしてあげているというような扱いをする一方で、差別・分断攻撃
をかけてひどい仕打ちをしています。
 事故さえなければ故郷を捨てて他府県に避難することもなく、また逃げたくても生活のためにや
むなく止まったり、故郷をどうしても離れるのは嫌だと言って年間20ミリシーベルトの高い線量をびながら生きることもなかったわけです。高濃度汚染区域を離れた多くの人たちは、もしかしたら二と故郷には帰れないかもしれません。そのような現実を見るときに、自主避難であろうがなかろうが、そのようなことに一切関係なく被害を受けたすべての人たちが今後生きていくうえで、国民として安心して生活できる十分な補償をするのは当然であります。今後この補償をめぐる闘いを私た
ちは全面支援しなければなりません。
 さて、署名期間もいよいよ最後となりましたが、今一度事故の真相や問題点等について私ども
の考えを訴えさせていただきたいと思います。
 先ず、あの事故の本当の原因(根本原因)についてです。皆さんは、あの事故は津波によってす
べての電源が喪失したために、結果的に水素爆発を起こして放射能を拡散したとお考えでしょうか?それとも「いや既にその前に地震によって無数の配管の一部が破断、断裂し、圧力容器の位が低下してあのような事故を起こした」とお考えでしょうか?実は、これらはいずれにしても原であることには違いないのですが、根本原因とはならないと思います。私は事故の根本原因(本の原因)は、ひとことで言いますと東電の今日までの嘘、隠ぺい、そして金で丸めこんでそれでも
ことを聞かないものは権力でねじ伏せるといった傲慢な経営体質、それと自民党結党から現政府まで、一貫した国策として原子力を推進してきた誤った政治が本当の原因であると思ってます。これらのことを歴史的な経緯を紹介しながら考えてみたいと思います。
 まず日本に原子力導入の話が持ち出されたのが1954年、時の改進党の国会議員であった中曽根康弘が、その前年(1953年)にアメリカCIAから金をもらって渡米して導入の根回しをします。そして帰国すると、原子力関連予算を国会に上程して、これが保守派多数によって可決されました。その後、1955年の自民党の結党によって本格的な推進が行われます。そして、1956年には初代の原子力委員長に読売新聞社主の正力松太郎が就任しますが、彼は非常な野望の持ち主で「自分は将来総理大臣になりたい、そのために取りあえず原子力委員長の席にとどまっておく」という考えを持っていたそうです。そして彼は、別の顔として知る人ぞ知るCIAのエージエントとして暗躍した人物でもありました。この正力松太郎中曽根康弘が車の両輪となって原子力の推進・開発がなされ、1966年に小型ではあるが茨城県東海村に日本最初の商業用原子炉が運転を開始します。次に1969年、福井県の敦賀原発が商業炉として運転を開始します。そして1971年に、今回事故を起こした福島第一原子力発電所1号機が臨界に達して運転を開始します。同じ時期に、静岡県の浜岡原発の稼働をはじめとして、その後は電力9社がバブル期までに競うように原発建設を行ってきました。
 とりわけ東響電力については、1990年代のバブル崩壊期までに、だいたい2年に1基の割合
で増設しました。しかし、当初から多くの事故やトラブルに見舞われて、その都度、嘘や隠ぺいで国民をはぐらかして自転車操業的な営業をしてきました。だが、そのようなまやかしもついに隠しきれなくなって、1980年代の後半から1990年代にかけて、あまりにもひどい嘘や隠ぺいが発覚し、点検などの為に13基の原発を止めました。また2002年には、安全サボやデータ改ざん等が発覚して17基もの原発を一斉点検などで止め、この時に歴代トップ5名が辞任する騒ぎ
が起こっています。
 ここで注目して頂きたいのは、「17基もの原発を止めたのに停電は起こらなかったのか?」とい
うことですが、後で詳しく申し上げますが、停電は起こらなかった訳です。「なぜ起こらなかったか」
というと、取りあえず「原発とはそうした仕組みの上に成り立っている」と申し上げておきます。
 さらに東電は、福島第一原発事故直前の昨年2月28日には、171もの報告の漏れや遅れ
原子力安全・保安院から指摘されており、事故が起こってからも皆さん周知のように、言うことなすことが嘘といい加減なことばかりで、本当のことは、海外の研究機関やメディア、我が国の民間組織等に指摘されて、仕方なく後で言い訳がましいことを言ったり本当のことを言わざるを得なくなったりしました。取り返しのつかない事態を引き起こしたにもかかわらず、このような極めて悪らつな経営体質ですから、原発がある限りはこの体質は改善されることは絶対にないと断言できます。それから東電は、地震学者等の警告にも一切聞く耳をもたなかったということです。今から17年前に反原発のカリスマと言われた市民科学者・高木仁三郎さんは、「福島の浜通りにメルトスルーが発生する」と警告しました。そしてこれは年数的には少しずれたかもしれませんが、警告通福島原発にメルトスルーが発生したのです。また神戸大学の石橋克彦教授は、1997年に「浜岡原発原発震災が起こる」と警告を発しました。そして、これも14年後に、浜岡ではなく福島でしたが、警告通りの「原発震災」が発生してしまったのです。東電は、このような良心的な学者らによる再三の警告にもかかわらず、これらを一切無視し、ひたすらに金もうけに狂奔してきたのです。つまりこの事故の根本原因は東電の嘘と隠ぺい、金で丸め込み、それでも言うことを聞かないものは権力でねじ伏せる、そして良識ある学者などの警告にも一切聞く耳を持たないといった、
極めて悪らつで傲慢な経営体質こそが本当の事故の原因です。
 さらに、原子力推進を国策として今日まで推進してきた自民党政権とそれを引き継いだ現民
主党政権の誤った政治こそ、今回の破局的事態を招いてしまった究極の原因であることは言う
までもありません。