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西郷章氏の『1千万署名奮戦記』をご紹介します

 昨晩に引き続き、西郷章さんアーカイブス・シリーズをお送りします。2011年11月29日(ちょうど1年前ですね)に配信した「メルマガ金原No.714」です。
 
西郷章氏の『1千万署名奮戦記』をご紹介します
 
 「憲法を生かす会・和歌山」の西郷章さん(和歌山市)が、「脱原発を実現し、自然エネルギー中心の社会を求める全国署名(さようなら原発1000万人署名)」に協力しようと奮戦されていることは、西郷さんの西本願寺本山への働きかけをご紹介したメルマガNo.689でも少し触れたことがありました。
 西郷さんは、ご自身が署名活動に熱心に取り組まれるだけではなく、1人でも多くの人に署名活動に加わって頑張ってもらおうと、「1千万署名奮戦記」を書かれ、友人・知人に配布されました。
 私も読ませていただき、非常に感銘を受けるとともに、これは是非とも皆さんにも読んでいただくべきだと思い、西郷さんにお願いして、原稿の手直し(時間が経っているのでそのままという訳にはいかない)をしていただいた上で、データを送っていただきました。
 ここにその全文をご紹介します。
 

                                     2011年11月25日
             1 千 万 署 名 奮 戦 記   
 
                      憲法を生かす会・和歌山  西 郷    章
 
時間は十分ある、もうひと踏ん張りだ
 10月18日の『週刊新社会』の”ひとこと”欄には、松山市の中島さんからの報告で、『脱・
原発』署名を一人で3千筆も集めた人が紹介されており、その人は「当初は1千筆を目標にしていたが3千筆になってしまった」と言っていたそうですが、これには脱帽です。そして中島さん自身も「1千筆を目標にしている」との讃えるべき意気込みが述べられていました。私はこれを見て、「中島さんとであれば何とか張り合えるのではないか」と思って、さらなる奮起を試みました。そして、その様子を皆さんに知ってもらうことで「残された期間をみんなでもうひと踏ん張りして、「私たちは脱原発のために自分にできることを精一杯に行った、と胸張って言える
ように悔いのない運動をしましょう」と訴えたいのです。
 以下、私の奮戦記を紹介したいと思います。
 
とにかく電話から始めよう
 私は、盆が終わったころからまず名簿を作り(対象者約100名)、お願いしやすい人から順
番に1日に一人平均のゆっくりしたペースで始めました。先方への接し方ですが、最初は必ず電話で様子伺いをします。そして承知して頂ければ市内など足の運べる範囲は先方が断らない限り直接伺います。その際、ほとんどの人とは久しぶりに会うわけですから、お互いの近況なども交えながら世間話をして、その日は署名用紙とビラなどを置いて「2~3週間後にまた来ます」と言って手ぶらで帰ります。時間的な余裕を持たせることで1筆でも多く書いてもらえるからです。その際、「わざわざ2度も足を運ばなくてもいいです」という人には返信用封筒(切手付き)を置いていきます。
 また遠方の人にお願いする場合も、最初は電話で伺います。承知していただければ大封筒に礼状、署名用紙、ビラ、返信用封筒を入れて発送します。そして、後日出来上がった署名簿を送付してきた人には必ずその日のうちにお礼の電話をするようにしています。
 ここまでが一連の作業となります。
 それらの行動を通じての今日までの成果ですが、11月末までに署名をお願いした人が90
近くで、回収は約63名(約908筆)、未回収10名(約150筆)、断られた人は10名程度となり、これとは別に市民運動「9条ネットわかやま」の仲間4~5名の関係で既に140筆ほどもらっていますが、あと感触としては200筆位はもらえると思っています。さらに何とか頑張って声
をかけたい人も15名近く残っています。
 これらの数字を見て気付かれたと思いますが、お願いした人数が少ない割には筆数が多いの
は、私が頑張っているというよりも頼んだ人が頑張っていることを表していると言えます。
 さて、次にこの活動の中で特に印象に残っている人たちを紹介したいと思います。
 
思い切って同級生にも声を
 私の協力者で一番活躍してくれたのは、幼なじみや高校の同級生です。大分県に住む幼な
じみの奥さんは、これまでにも何かにつけて力になってくれた人で、「100でも200でも集めてあげるよ」と言って、それに近い署名を集めてくれました。また紀伊半島に台風12号が押し寄せて大水害が起きた時にT君から心配の電話があり、その話は原発事故に及び、「三陸の親友と連絡が取れない、心配だ。臼杵(大分県)と伊方原発(愛媛県佐田岬)は目と鼻の先のようなもの、事故があれば30分もしないうちに放射能が飛んでくる、かなわん」と言って彼は立場がある
にもかかわらず、よく頑張って集めてくれました。
 私たちは2006年の還暦を記念して近畿在住・臼杵商業高校の同級生、約27~28名を
対象に同窓会を立ち上げました。これまでに4回の同窓会を開きましたが、その会へ常時出席する14~15名の人にお願いをすると、ほぼ全員に快く応じてもらえ、沢山書いてくれました。
中でも大阪のA子さんは妹さん(尼崎在住)と2人で200筆以上も集めてくれ、あらためて2人の姉妹としての絆を感じました。それから大分市内の同窓会、約20名の幹事さんにもお願いをしたところ「11月の同窓会で皆さんにも頼んで上げます」と快く言ってくれ、この人も沢山集めてくました。本当に持つべきは同級生、ここだけでも予定の半分近くの500筆以上が集まりまし
 それから銚子(千葉県)の友人は「銚子でも昔、原発誘致反対の戦いをやり抜いたことがあっ
た」と言って近所や親しい人など多くの人にお願いをしてくれました。そして「まだ期間があるなら出来
るだけ集めます」と言って2回目に挑戦して頂いています。
 それと以前「大逆事件」に関する小冊子の出版で大変お世話になった旦那寺にもお願いを
たところ、秋の彼岸の法要の勤めのあと「西郷さんに5分ほど原発について話をしてもらいます」と急に言われ、皆さんが椅子に座っているその前で、私は皆さんより一段低いところからしゃべること
の難しさを経験させてもらいました。
 
石の上にも6年
 また市民運動「小鳥の会」の4名が主催した『祝(ほうり)の島』の上映会場で、主催者の方
ら「署名をしていただいてもいいですよ」と勧められたのがきっかけで、Kさんなど「9条ネットかやま」の仲間4~5名の皆さんが署名集めに協力してくれるようになりました。中でもSさんは家族ぐるみで協力して下さり、おばあちゃんは近所を走り回るほど熱心に頑張ってくれているそうです。また、Sさんは義理の妹さんも紹介してくれました。妹さんは生まれたところに原発があり、嫁に行ったところにも原発があり、原発が近くにあるのは当たり前だと思っていたそうです。しかし、今回の事故で初めて原発の恐ろしさを知り、「脱・原発」の署名にも積極的に協力してくれるようになり、今は2度目の署名に取り組んでくれています。私はこの若い奥さんに子供の被ばくに関する資料など事故情報をできるだけ提供するようにしています。このように、少しの
きっかけが段々と膨らんできているように感じました。
 思えば、私が「9条ネットわかやま」に入会したのは6年前でした。活動内容は講演会や映
画など中心ですので、私は専門知識もなく何もできないために皆さんには申し訳ない気持ちがありました。しかし、実行委員会だけは極力欠かさず出席するように努めました。そして、今回「9条ネットわかやま」の方々に暖かい協力をいただいたことで、これまで辛抱した甲斐があ
った、本当に良かった、と心から思っています。
 うれしかったことはまだあります。友人の奥さんは佐賀県玄海町の出身で、ご多聞にもれず
実家は玄海原発の影響下にあるとのことですが、それでも「原発はいや」と言って協力をしてくれたこと。また多くの人が1行も余すところなく10名分書いているのは誠意の表れで、その人の気持ちが伝わってきました。そして、短い文章ではあるが沢山の激励の手紙をいただき、こ
れらを見ると本当に勇気を出してお願いをして良かったと感じています。
 
良いことばかりではないが、すべて勉強
 ここまでは、特に印象に残っている良いことを報告しましたが、当然おもわしくなかったことも
あり、断られた人も10名程います。
 その理由は、「すでに署名を済ませた人」、「署名には一切応じない主義の人」、「立場上、
協力できない人」、「原発関連の仕事のため」等、その他に原発賛成が3名ほどいました。いくら説明しても「電力は不足する」と思い込んでいる人、「核兵器は持った方が良い」といった人、一番シヨックだったのは、これまでたいがいのことに協力してくれた人との出来事です。この人は広島生まれの被爆2世でしたので必ず協力してくれると思って電話をしたところ、「わしは原発賛成だ。なんやかや言うても、やっぱり原発がなけりゃいかん、原発のおかげで電灯のチカチカもなくなったと電力会社の社員が言っていた」と信じられないことを言うので、私は「原発も火力も蒸気でタービンを回すのは…」と言いかけたときに電話を切られてしまいました。私はこの時に「彼は自分が被爆2世ということが影響しているのでないか」と変な詮索をしてしまいました。しかし、後日Tさんから「広島には意外とそのようなひとが多い。それは、かつて中曽根康弘が原爆は悪いが原発は平和利用できる(良いものだ)と言って一番先に洗脳に乗り出したのが広島です」と教えられたので、そのせいなのかと思いましたが、このことで彼との関係は原発事故のよ
うに吹っ飛んでしまいました。
 
組織力も大切
 私たち「憲法を生かす会・和歌山」の街頭行動は、少し出足が遅れましたが、過日和歌山
駅前に繰り出して署名活動を行い、1時間ほどで76筆集めました。仲間はこれに気を良くして「今後も頑張ってやろう」と意思統一しました。組織として「脱・原発」のための街頭行動は非常に大事であることは言うまでもありません。街頭での署名は、個人にお願いするように「待てば何十筆も帰って来る」ようなことはありません。ひとり捕まえてやっと1筆です。そのために例えば5~6人の運動員が1時間必死で働きかけても20~30筆程度しか集まらないこともしばしばあります。しかし、この行動は多くの署名を集めることが目的ではありますが、それ以上に市民の皆さんに私たちの顔を知ってもらうことに意義があります。「憲法を生かす会・和歌山」とはこんな良いことをする会なのかと市民の皆さんに広く信頼と支持を得るまたとない機会でもあると思います。もちろん1回や2回で信頼されるはずがありません。長い時間と忍耐が必要で
す。この努力をやらない限り本物の組織には成長できないのでないかと思います。
 活動は楽しく、と言いますが、本当の楽しさをかみしめたいなら本当の辛さを乗り越える必要
があると思います。少し厳しいと思う点は差し引いていただいて結構です。そして、共に絶え間
ない努力をしましょう。
 
一つのことからいろいろ広がる
 それから署名とは直接関係はないのですが、貴重な経験もついでに報告させていただきます。
 「憲法9条を守る和歌山弁護士の会」事務局長の金原先生は、自身のメールマガジン『メ
ルマガ金原』(読者180名)で原発関連情報を、ほぼ毎日発信しています(これはすごいことです)。私は署名活動などで説得力を身につけるために『メルマガ金原』からもたくさん学んでいます。最近、新社会党兵庫県本部にもこのメールマガジンを紹介したところ、あまりにも豊富な情報に驚い
ていました。そして『メルマガ金原』のおかげでアピールできたことがいくつもあります。
 10月27日から29日まで、「原発いらない福島の女たち」が経産省前で座り込みを行うこと
になり、これに連帯するため、和歌山でも「原発いらない和歌山の女たち」が急きょ結成され、10月27日にJR和歌山駅前で緊急アピール行動が行われるということが『メルマガ金原』に表されており、問い合わせたところ、「男性の支援も歓迎です」というので、私は応援団として参加して垂れ幕を持ちました。和歌山駅前での1時間ほどのビラまき等の行動は、最初、参は7~8名と思っていましたが、福島から避難している女性が訴えるなか、若い人もたくさ参加
をして20名以上に膨らみ、警察が駆けつけるほどの盛り上がりようでした。
 また同じ時期に『メルマガ金原』には、曹洞宗・永平寺が「ふげん」や「もんじゅ」の命名にか
わったことをざんげして「脱・原発宣言」をしたことが紹介されており、「和歌山には高野山あり、市内には西本願寺の末寺がやたらと多い、本山に何か働きかける方法はないものか」と提案れていましたので、私は2~3日後に西本願寺・本山にあてた手紙を書き、「永平寺は「脱・発宣言」を行いましたが、貴本山はこの事故をどうとらえ、今後の対応などをどう考えていますか」等の簡単なお伺いをたてました。そして2週間を過ぎたころに返書が届きました。それは永平寺の「脱・原発宣言」のようなわけにはいきませんが、しかし、宗教者の立場から、人間の能力には限界があり、欲望は限りがないという特性から、原発の扱いについて警鐘を発続けなければならないと述べられており、具体的な考えの表明について今後学習会を始める等、前向きで真摯な姿勢を感じました。日本最大の仏教団体(末寺数10497寺、門徒数694万人)が私の質
問に答えてくれたと思うと勇気がわいてきます。
 それと、10月30日に近畿社会主義セミナーの主催で「橋下流『ハシズム』にどう対抗する
か」が講演された際に、講演の模様がインターネットの映像でも観れるために、橋下を何とし落とさねば大変なことになると思って『メルマガ金原』でも是非紹介してほしいとお願いをたところ、「非常にだいじなことです」といって本来は原発関係が中心の情報源にもかかわらず、これを採用して頂くことができました。この金原先生の包容力に深く感謝しています。(しかし、せっかく紹介して頂いたのに、11月27日、私たちの願いは裏切られ、大阪市も大阪府も両方『ハシズム』に乗っ取られてしまいました。今後が大変です)
 
より運動を広げるために
 もう一点、和歌山の「脱・原発」市民運動とのかかわりですが、「和歌山県平和フォーラム」の藤原慎一郎さんとは旧知の仲で親しくしていただいており、講演会や街頭デモにも参加させていただいています。また「原発がこわい女たちの会」は、日高の原発誘致を阻止した中心的なグループで、5~6年前から講演会等にもときどき足を運んでおり、2年くらい前から会費を払って学習会等にも出席しています。そして、「脱原発わかやま」代表の寺井拓也さんとは市民運動「9条ネットわかやま」の中で知り合い、何かにつけお世話になり、時に刺激しあう良い関係を与えていただいています。寺井さんは、先日も仁坂知事に対して東日本の「がれき」の受け入れについて「県は拒否してほしい」との要請書を提出する等大変がんばっています。らに、先ほども述べましたが、「原発いらない福島の女たち」の経産省前での座り込みに連して結成された「原発いらない和歌山の女たち」の街頭行動にも応援団として参加をしました。私は、これらの組織が全労連系の「原発をゼロにする和歌山県民の会」などと共に、共通目標に向かって切磋琢磨し、やがて一つの大きな炎となることを心から望んでいます。
    
女も男も力を合わせて
 さて最後に署名活動の最中ですが、この間の感想を述べます。
 福島の佐藤幸子さんたちは、「男社会が原発事故を招いた。女は原発はいらない、未来
に命を伝える母性が許さない。女は世界を変える!」と頼もしく訴えています。私も署名活動の感触を通じて女性パワーのすごさは感じていますが、はたして「男はたいして役に立たないのか?」、念のためにこれまでお願いした署名の性別と筆数を分類して確かめることにしました。その結果、回収見込み数も含めて11月末現在、男性35名(303筆+未回収約30筆)、
女性31名+未12名(768筆+未回収約200筆)で、これを一人当たりに換算すると男性約10筆に対して女性約22.5筆で女性は男性の倍以上集める計算になります。
 私はこのことを単に「さすが女性力」と片づけるのではなく、男は仕事で時間を奪われ、地域での人間関係を作るにも不器用であることを考えれば、むしろ良く頑張ってくれているとさえ思います。そして女性が主導権を持つことは大いに歓迎ですが、やはり「いざ鎌倉!ここ一番!」の時は男の存在をはっきりと示すことが大切ではないかと思い、「男たちよ負けるな」と世の男性を激励したいのです。そして男も女も切磋琢磨して最終的には総合力で日本から原発を全廃することができればこれは最高の形での勝利です。
 いま脱・原発アクションは大きく動きだしました。これを更に巨大なアクションに育て上げ、全ての原発を廃炉に追い込むまで、みんなの力を一つにして粘り強く闘いましょう。
 さあ"今日から、また再出発だ!