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西郷章さん『1千万人署名 一人街頭物語』

 3日連続の西郷章さんアーカイブス・シリーズです。今晩は、2012年5月2日に配信した「メルマガ金原No.927」を転載します。
 
西郷章さん『1千万人署名 一人街頭物語』
 
 和歌山市在住の西郷章さん(憲法を生かす会・和歌山)が、「さようなら原発1000万人署名」への協力を一念発起され、今年の2月までに優に2,000筆を超える署名を集められことは、過去2回にわたり、西郷さん自身によるレポートを本メルマガに掲載させていただきまたので、皆様よくご存知のことと思います。
 
2011年11月29日 No.714 西郷章氏の『1千万署名奮戦記』をご紹介します
2012年 2月29日 No.850 西郷章さんの『さようなら原発一千万人署名 街頭アピール』
 
 当初、「さようなら原発1000万人署名」の最終集約が今年の2月末と予告されていたため、西郷さんとしても、活動の掉尾を飾るつもりで「街頭アピール」を書かれたものと思いますが、脱稿後、署名集約が5月末に延期されたため、西郷さんの活動も「延長戦」に突入することになりました。
 その活動レポート『1千万人署名 一人街頭物語』が届きましたので、早速ご紹介することにします。
 今後の様々な署名活動のための有益な示唆が得られると思います。
 

                                          2012年5月1日
                1千万人署名 一人街頭物語    
                                        西郷  章
 
 「さようなら原発1千万人署名」の署名集約締め切りが5月末まで延長されたことで考えついたのが街頭での一人署名です。そして、一人署名をやっているうちに思いついたのが、名者がいろんな思いを聞かせてくれるので、これを記録して皆様にご紹介することでした。
 その理由ですが、一つには、たとえ少しでも脱原発のための参考にしていただきたいこと、また残りの期間(5月末まで)に皆様ご自身が署名活動にもうひと踏ん張りしてもらいたい、それからイベントなど人がたくさん集まるところなどを紹介して頂ければありがたいとの思いからです。
 このような目的を持ったことも手伝って、2月末から4月末までの2か月少しの期間です
が、和歌山駅和歌山市駅を中心に、ビッグホエールなどのイベント会場や花見時の和歌山
城などで30回以上、約400筆の署名を得ることができました。
 少し余談になりますが、この際、私の署名活動のスタイルについてご紹介します。
 私自身は「脱原発の署名にご協力を」の手書きの大きなゼッケンをサンドイッチマンのよ
にかぶり、署名の画板を持ちます。次に「脱原発の署名にご協力ください」と書かれた旗木などにくくりつけます。そして「さよなら原発1千万人アクション」の街宣用音声をカセットテープから流すと準備万端です。
 さらに署名してもらう際には、股を少し広げ腰はやや落とし気味にして揺らさないように安定を心がけました。
 以下、署名に協力してくださった方々との会話の中から、特に印象に残っているものを
ご紹介したいと思いま
す。

☆ 和歌山駅で予定の時間(1時間)を過ぎたので片づけをしていたところ、20歳くらい
の娘さんが2人「署名します」と言ってこられたので、「貴女たちのような若者がもっと署名に協力してくれれば嬉しいのですが」と言うと、「みんな気には止めているが面倒くさがっているのだと思います」と言ってくれたので少し元気が出てきました。
 
☆ 元自衛隊の幹部と称する大阪のお兄さんは、東電や政府の悪口をさんざん言うので意気投合したのはいいが、帰りにたばこのポイ捨てをやってしまいました。署名をしてくれたことだし、私は仕方なく拾ってあげました。確か旅田市長の時に「ポイ捨ては1万円の罰金」になったと思いますが、そういえば旅田さんは今どうしているのでしょうかね?
※ 金原・注
 「和歌山市美化推進及び美観の保護に関する条例」の中にポイ捨て禁止条項はあるものの(4条)、罰則規定まではないようです。
 
☆ ユニセフの人たちが募金活動をしていたので気持ちだけカンパをしたところ、30分くらい後に5~6名のユニセフの奥さんが署名をしてくれました(善意の贈り物ですな)。何日か後に学生が別の募金活動をしていたので迷わずに気持ちだけカンパして「署名をしてください」とお願いしたところ、「就活中ですので」とあっさり断られました(柳の下に・・・)。そして4月の末にまたその学生のグループに出会い、彼女たちの「私もお母さんをなくするとは…」の一言に同情して今度は何も言わずに紙幣を1枚はたきました(気分すっきり、財布はすっかり)。
 
☆ 男性が近寄ってきたので「お願いします」と言ったところ、「わしは原発賛成だ。日本は技術が優れているから大丈夫だ。韓国やあっちの方が危ない」と言うので「福島の事故はどうなんですか?」と言うと慌てて逃げて行きました。
 
☆ 30歳くらいの男性は、「怖い、怖い」と言いながら近寄ってきて「怖い、怖い」と言いながら署名してくれて「怖い、怖い」と言いながら去って行きました。
 
☆ 若いカップルは、九州から旅行に来たという。「私も九州です。名前は西郷と言います」と言うと「握手して下さい」とぎゅっと握りしめられ、思わずスター気分に。九州男児のさわやかさを見た思いでした。
 
☆ 某宗教団体の人が私の家に布教に立寄ったので、「先日あなたの団体の人3名に署名をお願いしましたが、応じてもらえませんでした」と言うと、「私の団体は政教分離を貫いていますので組織として原発云々ということはやっていません。でも私は脱原発です」と言われました。しかし、良く考えてみると、脱原発運動は市民運動ではないのか。以前、別の宗教団体の人にも「9条を守る」署名のお願いをした際に、「政治には関与しません」と言っていたがこれも市民運動ではないのか。
 
☆ 小学高学年の子供が署名をしてくれたので「僕これからはしっかりと放射能の勉強をしてね」と諭(さと)したところ、「僕はもうお家で勉強しています」と反対に言われ、何とかしこい子供(いや親かな?)だろうと思いました。また後日○○中学の女の子が2名署名をする際にいろいろと聞いてくるので、「おっちやんも○○中学のPTAの会長をやったことがあります。しっかり勉強して下さい」とついつい先生の気分になってしまいました。
 
☆ 中年のおばはんが近寄ってきて、「攻められたらどうすんのよ」といきなり言うので、「日本は今まで攻められたことなどない。ただ、700年前の大昔に元寇に攻められそうになったことはあるが、それ以外に一度もない」と言い返すとぶつぶつ言いながら去って行った。攻められたことはないが、攻めた(侵略)ことはいくらでもあります。豊臣秀吉加藤清正日清、日露、日中、第1次大戦、第2次大戦、武力ではないが朝鮮、ベトナム特需、最近ではイラク、アフガン侵略の片棒を担ぐなど、自分の国はどうなんだ。それと今度会ったら言ってやりたいことがある。「攻められたらと言うなら、沖縄はどうなんだ、県民は65年以上前から『出ていってくれ』と叫んでいるのに、アメリカに攻められっぱなしではないのか。攻められるとか言う前に、アメリカをたたき出してから言ったらどうなんだ」と私の血圧はあがったままです。
 
☆ 中年女性に「署名で本当に原発がなくなるのでしょうか?」と聞かれたので即答に困ったが、「澤地久枝さんは、1千万の署名が集まれば政府を動かす力になる、政府は動かざるを得なくなる、と言っていますので、私たちはその言葉を信じて頑張っているのです」と返答しましたが、次の人には「たとえ、署名自体で原発をなくすることができなくても、1千万近い人たちの思いが今後の脱原発の底力になるのは間違いなと思います」と言ったところ、「そうですね」とうなずいてくれました。
 
☆ 女子高生が3名署名してくれている時に、彼女達の顔を見ながら「おっちゃんは君たちの将来のためにこんなことをしているんだよ。君たちも放射能の勉強をしっかりやりなさい・・・」と例のように得意げにしゃべったのはいいが、立ち去った後に署名用紙を見ると3人とも名前だけしか書いていないのに気づいた。おまけに次の女性に「住所は書かなくてもいいのですか?」と聞かれたので、気を利かせて「適当に書いてください」と言ったところ「適当なら書きません」といわれて直ぐに逃げられてしまいました。「ああ失敗!今後は2度と『適当』などという言葉は使うまい」と反省しました。
 
☆ 桜の花も満開、お城の正門前に立った。さすがに人の波が続く、客待ちのタクシーの運転手さんが署名をしてくれたので「かき入れ時ですな!」と言うと、「お宅もかき入れ時ですな!」と言って二人で笑いました。おかげで50筆くらい集まったので、明日から桜の花が散るまでここでやろうと決めたのはいいが、次の日はどしゃ降りの大雨になってしまった。仕方なく翌日に行くと桜の花と同じように見物客もまばらになっており、この時ばかりは「天は薄情だな」と思いました。
 
☆ 南海和歌山市駅で、戦時中ソ満国境の戦車部隊に所属していたという人に出会った。ソ連軍の圧倒的な軍事力に押されて森の中に逃げ込んで捕虜にならずに済んだのだそうです。その人は、「原発はいらん、政府は嘘ばかり言う、騙されていつも損をするのは国民だ」と言っていました。戦争を経験した人の言葉には重みがある(全くその通りだ)。
 
☆ 4月に入って3組のドイツ人に出会った。ひと組はお城の正門で、奥さんは日本人ですが「ドイツのメルケル首相は、はじめは原発推進でしたが福島の事故が起こってから科学者としての判断で、ドイツで同じ事故が起これば100万人の犠牲者が出ると推定して原発を2020年までに全廃することを決定した」と言っていました。また和歌山駅で出会ったもう一組も奥さんは日本人でしたが、「日本は科学者がいないから駄目です。ドイツには規制委員会の中にたくさんの科学者がいます。日本の安全委員会の中に科学者を入れることが絶対必要です」と言っていました。そして3人目は女性一人でしたが、彼女は「昨日まで陸前高田市にいました。明日帰国します」と言って署名をして一旦は立ち去ろうとしましたが、また引き返して「日本は電気の無駄が多すぎます。たとえばあの自販機、あれはたくさんの電気を使います。それからトイレもです、それと・・・」と言ったので「仲間に伝えておきます」とお礼を言いましたが、この際、日本人は科学の先進国のドイツにもっと学ぶべきだと感じました。後日、和歌山市駅であった大阪のおっちゃんも、「電気の使いすぎだ。昼間の電車は30分に1回くらいで十分だ」と言っていましたね。
 
☆ 通りすがりの男がわざわざ近寄ってきて、「わしは原発賛成。こんな署名に反対だ!」と嫌味を言って去って行く。私はあのような人間には必ず天罰が下るだろうと思った。それにしても最近調子がいまいちだ。以前は「署名させてください」「署名します」「署名の機会に巡り合えてよかった」などという声が聞かれたが、このごろ署名する人が少なくなってきて、「署名したろか」「署名したらいいんやな」など言われると少しこたえる。縁起をかついで100円ショップで買ってきた白い帽子をかぶったが7筆しか集まらないので、次の日は200円の帽子に替えたら3筆と余計悪くなった。翌日は黄砂で曇りの天候でもあり帽子をかぶらず店開きをすると、10秒もしないうちに2人が署名してくれ、この日は18筆と好調であったことから縁起の帽子はあまり関係ないと悟った。
 
☆ 4月の下旬2日間で17筆集めたときの4名は橋下さんのファンで大阪の人が大半、それも中年以上のおばさんで「橋下さんなら何かやってくれそう」「人が手をつけないところにメスを入れるから好き」などと言っていた。そういえば花見時に同伴者を待つおばさんが20分くらい手伝ってくれたことがあったが、大阪から来た橋下ファンの話を聞いていて、あとで「あの人らは上辺だけしか見ていない。何にも考えていない。だまされているのに」と言っていたことを思い出しました(でも私にとっては有難いお客さん、複雑な心境です)。
 
☆ 街頭に30回以上も立つと知り合いの人にも出会う。元職場の人、昔私に逢ったと言う人、松浦さん、内海さん、松永さん、住金の議員さん、組合長さん、9条の会の人、元PTAの仲間、赤木弁護士さん、芝野弁護士さん、島村さん・・・。和歌山も狭いなぁーと思いながら5月1日も和歌山駅に立ちましたが、今日もなかなか思うように集まりません。そんな時に向うの方からスタイルの良い子供連れの奥さんがにっこりとほほ笑みながら近づいてきたのです。K.Iさんです。Iさんとは瓦礫の活動で3~4回は会っていますが、それとは別に署名の場所でも3回くらい会っているのです。彼女は子供を抱えながら私の横に立ってくれました。すると、いきなり若い夫婦が署名をしてくれて空気が一変したのです。私は即座に「これだ!」と思いました。可愛い子供と若い奥さんが呼びかければ、その年代の人も関心を寄せて署名をしてくれるのだと。若い子供連れの奥さん!私に手伝ってください。その代わりにその日の署名はすべてあなたに差し上げます(私は一人で2,600以上も集めたのでいりません)。5月の月、水、金はJR和歌山駅。火、木は南海和歌山市駅、いずれも11時~12時くらいまでやる予定です。
 
☆ 最近11時前になると、何かに引き寄せられるように街頭に出て行く。出て行かないと体調がおかしいのです。何かに取りつかれたのか?でも、なんに取りつかれようが私は皆さんの安全、命、健康を守るために自分に出来ることをやっているのです。とりわけ後に続く子孫の未来の為にささやかながら一人でも出来ることを精一杯にやっているのです。私たちの「憲法を生かす会」の集約は4月末まで終わりですが、「さよなら原発1千万人署名」の集約は5月末までですので、ここまできた以上は5月末までやろうと思っています。そう思うと血圧が上がりっぱなしですが、健康に配慮しながらこつこつとやります。私の信条は「1個ずつコツコツと」です。
                        
                    憲法を生かす会・和歌山 さいごう あきら