自民党「日本国憲法改正草案Q&A」の呆れた内容(天賦人権説の否定)
今晩(12月6日)配信したばかりの「メルマガ金原No.1190」を転載します。
自民党「日本国憲法改正草案Q&A」の呆れた内容(天賦人権説の否定)
私の若き友人、さすらいのシンガー・ソングライターは封印し、今は和歌山市浜の宮の「Cafeざっか屋あわたま」のマスターを務める「のぶさん」こと高橋伸明さんがシェアしていた Facebook の情報で教えてもらうまで、私としたことが(?)全く気がついていませんでした。
「日本国憲法改正草案」の条項自体は、今年の4月27日に公表された直後に通読していたのですが、「Q&A」は見過ごしていました。
自民党ホームページ(「改正草案」を紹介したページ)
自民党「日本国憲法改正草案」(pdf)
自民党「日本国憲法改正草案Q&A」(pdf)
Q13 「日本国憲法改正草案」では、国民の権利義務について、どのような方針で規定したのですか?
A 国民の権利義務については、現行憲法が制定されてからの時代の変化に的確に対応するため、国民の権利の保障を充実していくということを考えました。そのため、新しい人権に関する規定を幾つか設けました。
また、権利は、共同体の歴史、伝統、文化の中で徐々に生成されてきたものです。したがって、人権規定も、我が国の歴史、文化、伝統を踏まえたものであることも必要だと考えます。現行憲法の規定の中には、西欧の天賦人権説に基づいて規定されていると思われるものが散見されることから、こうした規定は改める必要があると考えました。例えば、憲法11条の「基本的人権は、……現在及び将来の国民に与へられる」という規定は、「基本的人権は侵すことのできない永久の権利である」と改めました。
また、権利は、共同体の歴史、伝統、文化の中で徐々に生成されてきたものです。したがって、人権規定も、我が国の歴史、文化、伝統を踏まえたものであることも必要だと考えます。現行憲法の規定の中には、西欧の天賦人権説に基づいて規定されていると思われるものが散見されることから、こうした規定は改める必要があると考えました。例えば、憲法11条の「基本的人権は、……現在及び将来の国民に与へられる」という規定は、「基本的人権は侵すことのできない永久の権利である」と改めました。
上記のアンダーラインは、私が(ひどいところを)強調しようとして付したものではありません。「Q&A」の原文自体に付されているのです。びっくりしますよね。「改正草案」の起草者にとっても、「人権規定も、我が国の歴史、文化、伝統を踏まえたものであることも必要だと考えます。現行憲法の規定の中には、西欧の天賦人権説に基づいて規定されていると思われるものが散見されることから、こうした規定は改める必要があると考えました」というところは、よほど自慢すべき箇所として強調したかったのでしょう。
僭越ながら、私も以下の2つの小文を書いていますので、ご参照いただければ幸いです。
「憲法記念日に考える(立憲主義ということ)」
「『立憲主義』を聴いたことがないという参議院憲法審査会委員」
「立憲主義」を無視しようというくらいですから、「天賦人権説」を否定することなど何でもないことなのでしょう。しかし、「立憲主義」と「天賦人権説」の両者を否定した「憲法」を、いかに保守的・右寄りと言われる憲法学者であっても、もはやそれを「憲法」とは呼ばない(呼べない)でしょう。
岩波文庫の『人権宣言集』、『世界憲法集』の2冊をお持ちの方は是非参照していただきたいのですが、世界の多くの国々の「憲法」は、「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」(日本国憲法97条)として存在しているのです。
ちなみに、自民党「改正草案」では、この97条は「完全削除」されています。
その「努力」の若干を引用します。
ヴァジニアの権利章典(1776年)
「すべて人は生来ひとしく自由かつ独立しており、一定の生来の権利を有するものである。これらの権利は人民が社会を組織するに当り、いかなる契約によっても、人民の子孫からこれを奪うことのできないものである」
アメリカ独立宣言(1776年)
「われわれは、自明の原理として、すべての人は平等に造られ、造物主によって、一定の奪いがたい天賦の権利を付与され、そのなかに生命、自由および幸福の追求の含まれることを信ずる」
人および市民の権利宣言(1789年/フランス人権宣言)
「人は、自由かつ権利において平等なものとして出生し、かつ生存する。社会的差別は、共同の利益の上にのみ設けることができる」
日本国憲法が、その直系の子孫であることは、「Q&A」が指摘するとおりです。
日本国憲法(1946年)11条
「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる」
日本国憲法が制定された後の動向にも目を配っておきましょう。
国際連合・世界人権宣言(1948年)
「すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない」
特にその「第三部」において詳細な権利が規定されています。
それから、隣国の憲法にも注目しておきましょう。
大韓民国憲法(1987年/第六共和国憲法)10条
「すべての国民は、人間としての尊厳および価値を有し、幸福を追及する権利を有する。国家は、個人の有する不可侵の基本的人権を確認し、これを保護する義務を負う」
朝鮮民主種主義人民共和国憲法(1998年-2012年)63条
「朝鮮民主主義人民共和国において公民の権利と義務は、『1人はみんなのため、みんなは1人のために』という集団主義の原則に基づく」
そこで、自民党が作ろうとしている「憲法」(のようなもの)はどうなっているのでしょうか。
「全て国民は、人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公益及び公の秩序に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大限に尊重されなければならない」
上記の条項の解釈にあたっては、「Q&A」の、Q14を参照する必要があります。その答えにはこう書かれています。
「今回の改正では、このように意味が曖昧である「公共の福祉」という文言を「公益及び公の秩序」と改正することにより、憲法によって保障される基本的人権の制約は、人権相互の衝突の場合に限られるものではないことを明らかにしたものです」
やはり、アンダーラインは、自民党の「Q&A」担当者自身が付したものです。
最新の憲法学会の状況には不分明ですが、少なくとも私が司法試験の受験勉強をしていたころの通説は、「公共の福祉」とは「人権相互の衝突の(調整原理として用いられる)場合に限られる」というものでした(この解釈は、フランス人権宣言に淵源を有するものです)。
「Q&A」は、これに続けて、以下のように延べます。
「なお、「公の秩序」と規定したのは、「反国家的な行動を取り締まる」ことを意図したものではありません。「公の秩序」とは「社会秩序」のことであり、平穏な社会生活のことを意味します。個人が人権を主張する場合に、他人に迷惑を掛けてはいけないのは、当然のことです。そのことをより明示的に規定しただけであり、これにより人権が大きく制約されるものではありません」
この説明に納得する人がいれとすれば、自分で考えるということを放棄したよほど「素直な」人というべきでしょう。
そこで、最後に皆さんに質問です。
自民党が考える「憲法」で保障すべき国民の「権利義務」の内容は、お隣の韓国と北朝鮮のうちの、どちらの憲法により似ているでしょうか?
(私の意見は、色分けによって容易に推測がつくとは思いますが)
(付記その1)
自民党の「Q&A」Q13に書かれている「現行憲法の規定の中には、西欧の天賦人権説に基づいて規定されていると思われるものが散見されることから、こうした規定は改める必要があると考えました」にいう「こうした規定」とは、例としてあげられている現行11条のように、欧文脈が顕著な規定という意味であり、こうした規定を自然な日本語に「改める」という趣旨だと限定的に解釈することも不可能ではありません。
しかし、それに引き続くQ14や草案・前文などとと併せ読めば、そして現行97条の削除などを見れば、「天賦人権思想」そのものに対する敵意は明瞭であり、上に記した意見を改める必要は全く感じません。
(付記その2)