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紀州熊五郎(西郷章)さんからの「近況報告」と「1千万署名がうまくいったわけについて」

 去る2012年11月28日に配信した「メルマガ金原No.1182」を転載します。好評の「西郷章さんアーカイブス・シリーズ」の最終編です。
 
紀州熊五郎(西郷章)さんからの「近況報告」と「1千万署名がうまくいったわけについて」
 
 本メルマガに、これまでもたびたびご登場いただいている西郷章さん(芸名?紀州熊五郎さん)ですが、このたび、「西郷章さんの『さようなら原発一千万人署名 街頭アピール』」(2012年2月29日配信のメルマガNo.850)をブログに転載しました。
 11月24日アップ
 11月26日再アップ
  ※後編に西郷さんの写真を掲載しています。
 
 すると、早速、西郷さんから以下のような「お礼と近況報告」ならびに「1千万署名がうまくいったわけについて」という文章が送られてきました。とりわけ後者は、「憲法を生かす会」ブロック交流会で報告されたばかりの内容ということです。これから様々な運動を進めていく上で大いに参考になるところがあると思いますので紹介することとしました。是非ご一読ください。
 

 


 

         紀州熊五郎からのお礼と近況報告   
 
                                     2012年11月28日
     
 11月24日(土)~25日と「憲法を生かす会」のブロック交流会を終えて帰宅すると、金
原先生の24日のブログに私のことを紹介していただいていることを知りました。そして紹記事の冒頭には、「和歌山に西郷あり」などとかなり高く持ち上げられているものですから、嬉しいやら興奮するやら一人で喜んでいます。
 しかし、ここまで持ち上げられると何かお礼をしなければいけないという気持ちになります。そこで思いついたのが「憲法を生かす会」で報告してきた偶然にもそのタイトルが「なぜ1千万署名がうまくいったのか」という話をメルマガ金原でも紹介させて頂くという厚かしい考えでした。
 実は「憲法を生かす会」の主催者から、「あなたの経験は署名に限らずほかの運動にも応用できると思うので是非報告をしてください」と言われたもので、「本当にお役に立つのかな」とは思いましたが、せっかくのお誘いですので「少しでも皆さんの参考になるのであれば報告させていただきます」といって話をしてきました。
 それで金原先生のご判断を仰いだうえで、できれば『メルマガ金原』の読者の皆さんにも同じ報告になりますが、させていただければ本当にありがたく思います。もし判定合格でしたらせっかくの機会ですので少しだけ近況報告も兼ねてさせていただければ更にありがたく思います。その前提でまず近況報告から簡単にさせていただきます。
 さて、一人署名を5月11日を最後に一応中断した私は、その後、芸名も新たに「紀州熊五郎」で再デビューすべくその機会をうかがっておりましたが、ついに情熱を発揮する場所を見つけたのです。それは、脱原発市民デモと関電和歌山支店前アクションへの参加でした。
 脱原発市民デモは「ドジョウすくいの熊五郎」の勇壮ないでたちで周囲を盛り上げます。また、関電和歌山支店前アクションではカンテラを頭にかかげてアコーデオンを弾くといった奇妙なスタイルですが、その任務はきわめて重要です。何しろ誰にも頼まれないのにバックミュージックで勝手に参加者を激励する後方支援隊の役目を担っていますから手が抜けません。もうかれこれ20回近くのアクションでアコーデオンを弾くようになって10回は超えるでしょう。振り返ればアコーデオンを持ち込んだそのしょっぱなに、おわりさんに「椅子に座って弾くのは座り込みと同じですからいけません」と注意をされ、以後私は必死になって立って弾く練習をしました。おかげで今ではだいぶ慣れてきました。おまわりさんが注意してくれたおかげです。そして参加する若い奥さんが私の姿を見て「かっこいい」と言ってくれるのです。しかし、このカッコよさは人の言うことを素直に取れない私からすれば、「ドジョウすくい」のカッコよさと同じレベルではないかと思ってます。何しろ暗闇の中で頭にカンテラをつけていい加減な音を出しているわけですから、まともなカッコよさのはずがありません。でもいいのです、肝心なのはかっこよさより脱原発をめざす情熱です。そう自分に言い聞かせて自分を慰めながらこの金曜日も頑張ろうと思っています。以上簡単な近況報告をさせていただき本題に移りたいと思います。
 なお、報告についてはすでに私の1千万署名活動報告をご覧になったとの前提で、
「な
ぜうまくいったのか」その理由のみの感想になりますので予めご了承ください。
 
         「1千万署名がうまくいったわけについて」
 
 1千万署名での一念発起のきっかけは、小出裕章さんの「福島原発事故は戦争
よりも悪い状態だ」との言葉に触発されたことに始まります。
 2011年の盆すぎから2012年の1月までに、友人や知人に署名集めへの協力をお願いしたのは110~120名程度で、その中の約90名の人が快く応じてくださり、1900筆以上集めていただきました。
 さらに2月から5月11日まで街頭1人署名を35回以上行い550筆程集め、一人で合計2460筆程集めたことになります。
 この他に「憲法を生かす会・和歌山」として集めたものが15回以上の街頭署名などで800筆程になります。私は1回だけ他用で参加できなかったものの14回以上参加していますが、ここではそのことには触れずに私のことだけを報告します。
 署名活動もピークを過ぎた今、あえて「署名がうまくいった理由」について皆さんに
報告するわけは、私の経験が今後署名以外の他の活動にも役立つとの助言があったからです。役立つかどうかはいささか自信はありませんが、少しでも何かの参考に
なれば幸せです。
 以下思い当たることを列記します。
 
        「1千万署名がうまくいった理由・10項目」
 
1 戦争より悪い状態ならば自分にできる署名活動にこれまでの持てる力をすべて出し尽くしても悔いはないと決意した。そして、その対象者は長年年賀状を出している110~120名の人を中心とした。
 
2 署名を集めるための下準備(名簿作成等)からの一連の作業「電話―家庭オルグまたは親書の発送―直接または電話・手紙による御礼」を抜かりなく行った。
 署名をしてくれた人のうち70名くらいにはお礼も含めて2回の郵便を送った。

3 多く集めた人は私と同世代の人が多く、この人たちは人間関係も多くて信頼も厚いと思った。一人で100筆以上集めた人は9名で (別図参照)そのうち8名は女性です。最高220筆以上集めた人は「9条ネットわかやま」の女性で、同級生の4名の女性もよく集めています。唯一150筆集めた男性は元職場の同僚で、いま銚子に住んでいます。
 
4 被災地の支援活動が盛んな時期で、原発事故においても国民の多くが何かの支援をしたい、または2度と事故を起こさないために何かをしたいと思っていたところにタイミングよく私がお願いをした。そのためにお願いした人の中には「待ってました。よく声をかけてくれた」と言わんばかりに積極的な人が少なくとも4~5名いました。また、署名が少ない人でも、「やっと署名ができた。感謝しています」という人が街頭署名も含めて7~8名くらいいました。そして署名用紙1枚(10名分)をきっちり書いてくれた人が30名ほどいましたが、これは時間的余裕があったこともありますが、誠意の表れでもあると思いました。また、少ない人にも誠意を感じた人はたくさんいます。
 
5 これまでの奉仕活動(15年前のPTA活動や7年前に近畿同窓会を立ち上げたこと)の関係者に思い切って自分をさらけ出したのがよかった。PTA関係の人は保守的な人が多いと思っていたが私の思い過ごしで、こと原発に関しては全く協力的であった。また、7年前からの9条を守る市民運動からの思わぬ支援があった。
 
6 長い署名期間中には2~3度は躊躇することもあったが、そんなときには小出さんの「戦争よりも悪い状態だ」の言葉を思い出し、悩みながらも「とにかく受話器を手に、とにかく駅前に出よ」と自分を奮い立たせた。その結果「案ずるよりも産むがやすし」で予想外の収穫を得た。同級生の中でも近畿同窓会の14~15名にお願いするのに決断力を必要とした。また最後まで悩んだのは元市PTA役員でしたが、タイミングよく年賀状を利用してワンクッションおいて頼んだのがよかった。役員の方は2人ほどに忘れられたり連絡が届かなかった人はいましたが、頼んだ人には全員もらうことができた。頼むのが遅くなったために「もっと早く言ってくれればもう少し協力できたのに」という人が3人ほどいました。
 
7 署名を余すことなく広めるための十分な時間があったこと。また先方も余裕をもって取り組めたこと(ただしPTAだけは余裕がなかった)、家庭オルグの場合はその日に署名をもらうことは避けて、1筆でも多く書いてもらうために2週間くらい余裕を持たせて再度回収に訪れた。郵送の人にもあわてない旨を伝えた。期間が十分(半年間)あるために、①最初は間違いなく気楽に応じてくれる人に当たり、次に②おそらく協力してくれるであろう人にお願いをして、最後に③協力してくれるかは頼んでみないとわからない人へとすべてを順序立ててやることができたので、まったく悔いを残さずに済んだ。
 
8 たとえ話ですが、「人一倍の魚を釣ろうと思えば人一倍にいい餌をつかえ」(どのような餌によく食いつくか考えよ)といったアジ釣り名人の親の教えも役立った。エサの使い方については人それぞれに創意工夫をすればいいわけですが、私は文字通り沢山のエサを使いました。これ以上言うと品がなくなるのでやめます。

9 西本願寺への質問状や一人署名など一見できそうにないことでも、「とにかくやれば」意外にできるものです。西本願寺への質問状は、活動仲間の金原弁護士が「永平寺は脱原発宣言をしたのにだれか本山に働きかける者はいないのか」の要望に応えて清水の舞台から飛び降りる気持ちで行いました。一人署名については、かつて現場労働者のころ大合理化にひとり同然で反対したり門前ビラを一人でまいた経験が役立ちました。
 
10 当初からの行動をレポートしたことが更なる意欲に結び付いた。また周囲にも奮起を促すきっかけになった。500筆程集めたころ、田辺の寺井拓也さんの助言により、レポートを取ることにした。実践がうまくいくと書くのが楽しくなる、そして次の意欲へとつながる。そして他の人の意欲へもつながる。寺井さんの奥さんは、私のレポートに触発されて2か月の間に600筆も集められたそうです。また徳島の人も私のレポートを見て発奮して1500筆も集めたという報告を聞きました。
 以上、署名がうまくいった理由について思い当たるすべてを列挙しましたが、結果的には周囲の頑張りによって、本来の私の力の何倍もの成果を得たのではないでしょうか。そして私は盛んに一人で何かをしたようなことを言いましたが、決してそうではなく陰に日にみんなの力であることを忘れてはいけないと思いました。また一方でタイミングが良かった、運が向いていたなど好条件に恵まれた点はありますが、「いざ鎌倉へ」に備えて普段からの人間関係や信頼関係を養っておくことが最も大切だと思います。
                              終わり