12月8日(開戦記念日)の新聞社説を読む
今晩(12月8日)配信した「メルマガ金原No.1192」を転載します。
12月8日(開戦記念日)の新聞社説を読む
71年前の今日、1941年12月8日(ハワイ時間12月7日)、日本海軍航空隊がハワイ(当時は「準州」という位置付)オアフ島・真珠湾の米海軍太平洋艦隊を攻撃し、ここにいわゆる太平洋戦争(第二次世界大戦のアジア・太平洋地域への拡大)が始まりました。
今時あたかも日本は衆議院議員総選挙のまっただ中。新聞各紙はこの「開戦記念日」をどう伝えたのでしょうか?
ということで、
第1グループ 全国紙5紙
第2グループ ブロック紙
第3グループ 地方紙
第4グループ その他(赤旗など)
に分けて調べてみました。
【全国紙グループ】
読売新聞
公共事業 選択と集中で効果的な投資を
政党紙配布判決 公務員の中立を乱さないか
政党紙配布判決 公務員の中立を乱さないか
朝日新聞
総選挙・防災政策―素通りしていないか
敦賀原発―後回しの活断層リスク
敦賀原発―後回しの活断層リスク
毎日新聞
衆院選・教育 子供を見据えた政策を
公務員政治活動 過剰な摘発への警鐘だ
公務員政治活動 過剰な摘発への警鐘だ
産経新聞
集団的自衛権 行使容認し同盟の信頼を
(抜粋引用開始)
北朝鮮の長距離弾道ミサイル発射に備えるため政府はミサイル防衛(MD)による破壊措置命令を出し、野田佳彦首相は防衛省に配備された地対空誘導弾パトリオット(PAC3)部隊に「冷静かつ毅然(きぜん)と対応してほしい」と訓示した。国民の生命・安全を守るため万全を期すべきだ。
問題は、3回目の迎撃措置となる今回も日本を狙ったミサイルは撃ち落とせても、米国向けミサイルは迎撃できないことにある。
集団的自衛権に関して「わが国を防衛する必要最小限度の範囲を超えるため、憲法上許されない」(内閣法制局)とする憲法解釈を政府が改めようとしないために、「権利はあるが行使できない」という不条理な結果になっていることが原因だ。
集団的自衛権は衆院選の争点の一つでもある。国連憲章にも認められた国家固有の権利であるにもかかわらず、現行の政府解釈を改めないために、日米同盟の深化や日米共同防衛の実効性が阻害されてきた。日米が北のミサイルの脅威に直面している今こそ、この問題を論じ合う必要がある。
集団的自衛権に関して「わが国を防衛する必要最小限度の範囲を超えるため、憲法上許されない」(内閣法制局)とする憲法解釈を政府が改めようとしないために、「権利はあるが行使できない」という不条理な結果になっていることが原因だ。
集団的自衛権は衆院選の争点の一つでもある。国連憲章にも認められた国家固有の権利であるにもかかわらず、現行の政府解釈を改めないために、日米同盟の深化や日米共同防衛の実効性が阻害されてきた。日米が北のミサイルの脅威に直面している今こそ、この問題を論じ合う必要がある。
(引用終わり)
「安全」磨いて自動車の魅力を高めよう
生活保護改革もっと語れ
生活保護改革もっと語れ
【ブロック紙グループ】
2012選択(4) 社会保障 支え合える安心を示せ
政党紙配布判決 言論を封殺せぬように
政党紙配布判決 言論を封殺せぬように
党紙配布判決 公務員にも市民の権利
衆院選 教育政策 首長権限の強化慎重に
衆院選 教育政策 首長権限の強化慎重に
【地方紙グループ】
琉球新報
憲法12衆院選 戦争の教訓踏まえているか
(抜粋引用開始)
戦後行われた国政選挙で、今衆院選ほど憲法改定が主要争点となった選挙はないのではないか。
竹島、尖閣諸島の領有権問題などをめぐり、主要各党で集団的自衛権の発動を可能とするための改憲論議が活発化。国内にいつになく不穏な空気が漂い始めている。
勢いを増す改憲の流れに対し、護憲を掲げる政党の声はかき消されがちだ。「平和憲法」を守り「平和国家」として国際社会の信を得てきた日本は、「戦争可能な国」へと転換していくのか。
竹島、尖閣諸島の領有権問題などをめぐり、主要各党で集団的自衛権の発動を可能とするための改憲論議が活発化。国内にいつになく不穏な空気が漂い始めている。
勢いを増す改憲の流れに対し、護憲を掲げる政党の声はかき消されがちだ。「平和憲法」を守り「平和国家」として国際社会の信を得てきた日本は、「戦争可能な国」へと転換していくのか。
(中略)
71年前のきょう、日本軍のハワイ真珠湾攻撃で日米が開戦し、その後沖縄は地獄絵図のような地上戦が繰り広げられた。戦争がもたらした犠牲は、今も多くの国民の記憶に刻まれ、語り継がれてきたはずだ。作家の城山三郎氏は「戦争で得られたものは憲法だけ」と述べたという。不戦を誓った「平和憲法」をどうするのか、国民全体で考える時ではないか。
(引用終わり)
(引用終わり)
[公約を問う]地位協定 なぜ議論がないのか
(抜粋引用開始)
旧安保条約と行政協定は、朝鮮戦争さなかの1951年9月に署名され、翌52年に発効した。あまりにも不平等だと保守陣営からも強い批判を浴び、旧安保条約は60年に全面改定された。国会論戦が安保に集中したため行政協定に関する突っ込んだ議論はなく、ほとんどの内容が現行地位協定に引き継がれた。
2009年の前回衆院選で、民主党は「日米地位協定の改定を提起する」との公約を掲げた。政権獲得後の社民党、国民新党との3党合意でも、この公約内容の実現を確認した。
だが、民主党はこの3年間、提起のテの字も口に出さず、今回のマニフェストでは「運用改善をすすめる」と大幅に後退した。民主党だけではない。ごく一部の政党を除いて地位協定を公約に掲げた政党はなく、公示後も議論はまったく起きていない。
なぜ、国民的議論に発展しないのか。答えは簡単だ。米軍基地がなく米兵が駐留していない地域にとって、地位協定は、自分たちの問題ではないからである。
過去に沖縄で発生した米兵による事件事故が東京で起きたと仮定し、想像力を働かせてみよう。国会は連日、地位協定の不平等性を取り上げ、保守政治家からも「これが主権国家か」と怒りの声が上がり、住民の抗議行動でついに米軍は東京からの完全撤退を余儀なくされる-間違いなくそうなるはずだ。
地位協定に盛り込まれた各種の米軍優遇と政府の過度の従属的姿勢は、沖縄に住み、日々、事件事故に接していないと、実感としてはなかなか感じとれない。政府は、そこに目をつけて、復帰後も一貫して米軍基地を沖縄に押し込め、基地問題を局地化してきたのである。しかし、その手法はもう通用しない。
2009年の前回衆院選で、民主党は「日米地位協定の改定を提起する」との公約を掲げた。政権獲得後の社民党、国民新党との3党合意でも、この公約内容の実現を確認した。
だが、民主党はこの3年間、提起のテの字も口に出さず、今回のマニフェストでは「運用改善をすすめる」と大幅に後退した。民主党だけではない。ごく一部の政党を除いて地位協定を公約に掲げた政党はなく、公示後も議論はまったく起きていない。
なぜ、国民的議論に発展しないのか。答えは簡単だ。米軍基地がなく米兵が駐留していない地域にとって、地位協定は、自分たちの問題ではないからである。
過去に沖縄で発生した米兵による事件事故が東京で起きたと仮定し、想像力を働かせてみよう。国会は連日、地位協定の不平等性を取り上げ、保守政治家からも「これが主権国家か」と怒りの声が上がり、住民の抗議行動でついに米軍は東京からの完全撤退を余儀なくされる-間違いなくそうなるはずだ。
地位協定に盛り込まれた各種の米軍優遇と政府の過度の従属的姿勢は、沖縄に住み、日々、事件事故に接していないと、実感としてはなかなか感じとれない。政府は、そこに目をつけて、復帰後も一貫して米軍基地を沖縄に押し込め、基地問題を局地化してきたのである。しかし、その手法はもう通用しない。
(引用終わり)
「国防軍」論争 専守防衛の原則に関わる
(抜粋引用開始)
北朝鮮が事実上のミサイル発射実験を準備し、沖縄県・尖閣諸島の領有権をめぐって中国と対立を強める現状のもとでは、軍事力の拡充という主張は、有権者の一定の支持を集めるかもしれない。
ただ、集団的自衛権の行使容認は「わが国を防衛するための必要最小限の範囲」に限って武力の行使を認めてきた政府見解の枠を外し、「専守防衛」の原則を踏み越える可能性をはらむ。
自衛隊は現在の姿と名称のままで、すでに国内でも海外でも十分な信頼を得ていると考える国民も多かろう。
日本の安全保障政策に課せられた制約を外すことで、何が得られ、何を失うのか。綿密な比較検討が必要だ。ムードに流されず、冷静な論議が望まれる。
ただ、集団的自衛権の行使容認は「わが国を防衛するための必要最小限の範囲」に限って武力の行使を認めてきた政府見解の枠を外し、「専守防衛」の原則を踏み越える可能性をはらむ。
自衛隊は現在の姿と名称のままで、すでに国内でも海外でも十分な信頼を得ていると考える国民も多かろう。
日本の安全保障政策に課せられた制約を外すことで、何が得られ、何を失うのか。綿密な比較検討が必要だ。ムードに流されず、冷静な論議が望まれる。
(引用終わり)
憲法9条 平和国家として歩み続けたい
(抜粋引用開始)
戦争を否定し、軍隊を持たないとうたう9条を変える必要はあるのか。改憲は差し迫った課題か。衆院選において極めて重要な投票の判断基準だ。主権者として、各党の示した憲法に関する考え方をしっかり見極めたい。憲法は、権力や武力を持たない国民の側から、国家に縛りをかける道具でもあるのだ。
(中略)
こうした中、衆院選世論調査では、自民が大きく議席を伸ばす公算が大きくなっている。自民は、改憲の発議要件を衆参両院それぞれ過半数に緩和するとしており、来夏の参院選の結果いかんでは、改憲に向けた手続きが現実味を帯びるだろう。
だが、決して忘れまい。憲法9条は、日本の起こした先の戦争で近隣諸国や国内に多大な犠牲を強いたことへの痛切な反省から生まれた。戦後の日本は平和国家であったればこそ世界に認められた。戦争をしない国であり続けるか否か。8日後の衆院選は、その針路に関わる選択だ。
だが、決して忘れまい。憲法9条は、日本の起こした先の戦争で近隣諸国や国内に多大な犠牲を強いたことへの痛切な反省から生まれた。戦後の日本は平和国家であったればこそ世界に認められた。戦争をしない国であり続けるか否か。8日後の衆院選は、その針路に関わる選択だ。
(引用終わり)
臨界前核実験 被爆国なぜ抗議しない
(抜粋引用開始)
核兵器は人道に反するという当たり前のことを再確認しよう―。スイスやノルウェーなど30カ国以上がことしの国連総会で共同声明を発表した。臨界前核実験は、こうした国際社会の潮流に真っ向から対立する行為ともいえる。
なのに、ほかならぬ被爆国日本が、その潮流に背を向けるのはいかがなものか。共同声明への署名を拒否しただけでなく、米国の臨界前核実験には抗議しない姿勢を貫いている。
そのどこが被爆国の平和外交といえるのだろう。くしくも衆院選のさなかだ。各党や候補者はとことん論じてもらいたい。
なのに、ほかならぬ被爆国日本が、その潮流に背を向けるのはいかがなものか。共同声明への署名を拒否しただけでなく、米国の臨界前核実験には抗議しない姿勢を貫いている。
そのどこが被爆国の平和外交といえるのだろう。くしくも衆院選のさなかだ。各党や候補者はとことん論じてもらいたい。
(引用終わり)
【その他グループ】
国公法2事件最高裁判決 国民の基本的人権を保障せよ
農政モニター調査 選挙戦で判断材料示せ
さて、結論を書けば、「新聞各紙はこの『開戦記念日』をどう伝えたのでしょうか?」という問題設定そのものが間違っていた、ということですね。
そもそも、全国紙・ブロック紙については、軍事関連社説すら掲載されておらず、ようやく地方紙数紙に「関連」社説を見つけましたが、「12月8日」が開戦の日であることを明記していたのは、琉球新報だけでした。
たしかに「真珠湾攻撃71周年」というのは「節目の年」とは言えませんし、当時を知る人も少なくなってきたという事情は、日本側にもアメリカ側にもあるでしょう。
しかし、琉球新報や西日本新聞や愛媛新聞が指摘するとおり、1週間後に迫った総選挙の結果次第では、「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し」て(憲法前文)守り続けてきた憲法の平和主義が風前の灯火となろうとしている中での「12月8日」なのですから、もっと歴史を想起しても良さそうなものだと思うのですが。
今年行われた自民党の総裁選挙に立候補した5人の候補者が、全員、集団的自衛権の行使を容認していたことはよく知られていますが(また、全員が原発ゼロに反対しています)、そのような事態に至った原因の一端を推測させるような記事を最近読みましたのでご紹介したいと思います。
神奈川新聞WEB版(12月1日)に掲載された記事です。
(引用開始)
民主・藤井氏が引退「平和と民主主義つぶさないで」
振り絞るような弁舌には、引退の決意が秘められていた。24日、藤井裕久氏はかつての選挙区、相模原市の駅前でマイクを握っていた。齢(よわい)80、戦争を知る最後の世代の政治家が、伝え残したかった最後の訴え-。
後継の候補予定者の応援演説、口火は唐突に切られた。「私はどうしても、あるグループの大将が許せない。この人は偏狭なナショナリストだ」。支持者だけではない、千人を超える聴衆が静まりかえった。
憲法の改正や破棄、国防軍に集団的自衛権の行使容認と、右寄りの姿勢を鮮明に打ち出す政党が勢いを増している。老政治家の訴えには、党として差別化を図るための批判にとどまらない響きがあった。
戦後67年の出発点、負の記憶を呼び起こすのにためらいはなかった。
「自分の国だけが偉いと思うのは間違い。日本には誇れる2千年の文化と伝統がある。だが、この100年、悪いこともした。中国を侵略し、韓国を併合した。アジアの人たちを殺し、どれだけ迷惑を掛けたか」
回顧は自身の戦争体験に向かう。B29爆撃機が日本の戦闘機の体当たりで墜落した。その現場に藤井少年は、いた。
「米兵の手足がちぎれていた。赤いマニキュアを塗った女性の腕もあった。戦勝国も敗戦国もない。一般国民はみな戦争の犠牲者だと、そのとき思った」
経済、金融通でならした藤井氏の原点。7年前から、若手らを集め、近現代史を学ぶ勉強会を開いてきた。
選挙カーの上、人垣を見渡し、語気はより強まった。
「平和をばかにしてはいけない。平和だからこそ社会保障の充実や経済成長が言える」「ここには、私と反対の考えの方もいるだろう。どうぞ反対して結構。それが、民主主義だ」
15分の演説を「戦後築いてきた平和と民主主義をつぶさないでください」と嘆願するようにして、終えた。
候補予定者の名を口にしたのは冒頭に2度だけ、「平和」と繰り返すこと8度、「民主主義」は6度。野田佳彦首相の後見役、消費増税法成立を支えた党税調会長として、陣営が心配していた聴衆からのやじは、ついになかった。
(引用終わり)
昭和7年東京生まれ、昭和30年東京大学法学部から大蔵省入省。昭和52年自民党参議院議員、平成2年自民党衆議院議員。平成5年新生党結党に参加。その後、新進党→自由党→民主党。その間、細川内閣と羽田内閣で大蔵大臣、鳩山由紀夫内閣で財務大臣という経歴の持主である藤井裕久氏は、終始、(大蔵)財務省の代弁者たる政治姿勢で一貫しており、到底評価する気にはならない人ですが、かつての保守政治家の中に存在していた「戦争を知る世代」(たとえば、宮沢喜一氏、後藤田正晴氏など)の最後の1人ということなのでしょう。
思えば、自民党の安倍晋三総裁は1954年生まれの3代目世襲政治家、石破茂幹事長は1957年生まれの2代目世襲政治家、現在の民主党を牛耳る松下政経塾出身グループも似たような世代であり(野田佳彦1957年生、前原誠司1962年生)、それ以前の世代の政治家と決定的に違うのは、戦争を民衆や兵卒の側から見る視点が欠落しているということだと思います(神奈川新聞が伝える藤井裕久氏の街頭演説を読んでまざまざとそう思いました)。
私が敬愛する和歌山弁護士会の大先輩・月山桂弁護士(大正12年生/司法修習2期/「九条の会・わかやま」よびかけ人、「憲法9条を守る和歌山弁護士の会」顧問)は、学徒動員で陸軍に召集され、戦地に送られた経験を持っておられますが、月山先生がかねてから持論として強調しておられるのは、「在野の弁護士たる者、常に戦争の惨禍を被る民衆や戦地に送られる兵卒の側に立ってものごとを考えるべきであって、自分が総理大臣か防衛大臣にでもなったようなつもりで考えるべきではない」ということです(私が勝手に要約していますが、趣旨はほぼ誤りなく伝えていると思います)。
大半の有権者に、自分たちは経済的な「99%」であり、戦争となれば、権力者に操られる「将棋の駒」なのだということを理解してもらうには時間が足りないかもしれませんが、最後まで頑張るしかありませんね。