(引用開始)
大飯原子力発電所再稼動に関する声明
真宗大谷派は、福島第一原子力発電所の事故以来、一貫して「原子力発電に依存しない社会の実現」を目指してきました。
私たちは、福島第一原子力発電所の事故により、ひとたび放射性物質の拡散が起これば、取り返しのつかない事態に陥ることを、改めて思い知らされました。そして、原子力発電の「安全神話」も「必要神話」も、経済を優先するあまり、人間が創り出した闇であったことを認めなくてはなりません。
今なお、福島第一原子力発電所の事故で多数の苦しんでおられる方がある中で、一旦停止した原子力発電所を再稼動する理由に、人のいのちよりも優先すべきことがあったのでしょうか。
ここに、真宗大谷派は、このたびの野田内閣総理大臣の大飯原子力発電所再稼動を表明されたことに対し、強く遺憾の意を表明いたします。あらためて大飯原子力発電所はもとより、他の原子力発電所も決して再稼動することのないように、念願するものであります。
私たちは、福島第一原子力発電所の事故により、ひとたび放射性物質の拡散が起これば、取り返しのつかない事態に陥ることを、改めて思い知らされました。そして、原子力発電の「安全神話」も「必要神話」も、経済を優先するあまり、人間が創り出した闇であったことを認めなくてはなりません。
今なお、福島第一原子力発電所の事故で多数の苦しんでおられる方がある中で、一旦停止した原子力発電所を再稼動する理由に、人のいのちよりも優先すべきことがあったのでしょうか。
ここに、真宗大谷派は、このたびの野田内閣総理大臣の大飯原子力発電所再稼動を表明されたことに対し、強く遺憾の意を表明いたします。あらためて大飯原子力発電所はもとより、他の原子力発電所も決して再稼動することのないように、念願するものであります。
2012年6月12日
宗務総長 安 原 晃
(引用終わり)
私はうかつにも見逃していたのですが、実は、この声明に先立つ本年4月23日、真宗大谷派は、日本の有力伝統仏教教団の中では最も踏み込んだ以下のような声明を発表していたのです。
(引用開始)
-すべての原子力発電所の運転停止と廃炉を求めます-
真宗大谷派は、昨年末、政府に対して「原子力発電に依存しない社会の実現を目指す」要望書を提出いたしております。あらためて、生きとし生けるもののいのちを脅かすことなく、さらに未来を生きる子どもたちのためにも、一刻も早く原子力発電に依存しない社会の実現を目指すことを求めます。
これまで、大地震にいつ襲われるとも知れない狭い日本の国土に54基もの原子力発電所を作り、電力供給を原子力に依存する生活を私たちは営んで来ました。
原子力発電所は、小さな事故であっても、放射線による被曝によって、取り返しのつかない事態となり、すべてのいのちを奪ってしまう危険性があることを、東京電力福島第一原子力発電所事故で学びました。
原子力発電所の稼働は、原発作業員の被ばく労働に支えられる社会を生み出し、ひとたび放射能に侵されればその地域や国土の風評被害を含め、そこに住む人々までも排除してしまうような「差別社会」を助長します。更に言えば現状の科学では、この地球上で原子力発電所で生じる放射能とは共生することはできず、むしろいのちの根源を奪うものと認識しています。
さらに、このたびの事故により原子力を利用する限り、現在のみならず未来のいのちをも脅かす放射線被曝を避け得ないことが明らかになりました。
私たちは、すべてのいのちを摂めとって捨てない仏の本願を仰いで生きんとする念仏者として、仏智によって照らし出される無明の闇と、事故の厳しい現実から目をそらしてはならないと思っています。
すべての原発の運転停止と廃炉を通して、原子力に依存しない、共に生きあえる社会の実現に向けた取り組みがなされる歩みを進めてまいりたいと意を決しております。
原子力発電所は、小さな事故であっても、放射線による被曝によって、取り返しのつかない事態となり、すべてのいのちを奪ってしまう危険性があることを、東京電力福島第一原子力発電所事故で学びました。
原子力発電所の稼働は、原発作業員の被ばく労働に支えられる社会を生み出し、ひとたび放射能に侵されればその地域や国土の風評被害を含め、そこに住む人々までも排除してしまうような「差別社会」を助長します。更に言えば現状の科学では、この地球上で原子力発電所で生じる放射能とは共生することはできず、むしろいのちの根源を奪うものと認識しています。
さらに、このたびの事故により原子力を利用する限り、現在のみならず未来のいのちをも脅かす放射線被曝を避け得ないことが明らかになりました。
私たちは、すべてのいのちを摂めとって捨てない仏の本願を仰いで生きんとする念仏者として、仏智によって照らし出される無明の闇と、事故の厳しい現実から目をそらしてはならないと思っています。
すべての原発の運転停止と廃炉を通して、原子力に依存しない、共に生きあえる社会の実現に向けた取り組みがなされる歩みを進めてまいりたいと意を決しております。
2012年4月23日
真宗大谷派解放運動推進本部長 林 治
(引用終わり)
もっとも、その真宗大谷派にしても、宗派内で様々な葛藤があったことは、本年1月25日付の毎日新聞の報道を一読すれば明らかです。
(引用開始)
毎日新聞(大阪) 2012年1月25日 朝刊
東京電力福島第1原発事故を受け、約330万人の信徒を持つ真宗大谷派(本山・東本願寺、京都市下京区)が、「脱原発」を巡り揺れている。かねて原発に反対する姿勢を示してきたが、事故後は逆に「原発を悪者にするだけでいいのか」との声が上がっている。主な宗派でつくる「全日本仏教会」による原発問題に関する声明も慎重な言い回しで、仏教教団が原発問題に向き合う難しさが浮き彫りになっている。【田辺佑介】
事故後、福島県いわき市在住の同派住職らが「国内の全54基の廃炉を」と訴えたのを機に、11年6月、僧侶が議員となる「宗議会」で、宗派声明を求める声が上がった。しかし安原晃・宗務総長は、原発の問題点を指摘しつつ、「誰かを悪者にしなければ収まらない状況から離れねばならない」と拒んだ。
「脱原発」を明確に掲げるべきだと考える議員らが提出した「人間は原発と共存できない」とする決議案も、安原総長の意見に近い議員らが「結果的に原発を受け入れ、必要としてきたことへの反省の念を示すべきだ」と主張、否決された。
同派は02年に原発の危険性を訴える冊子を発行するなどしてきただけに、「否決」は関係者に波紋を広げた。大阪府泉大津市の同派「南溟寺」の戸次公正住職は「原発を容認したかのような誤ったメッセージを社会に与えかねない」と嘆く。2月の宗議会での決議を目指す動きはあるが、調整は難航している。
原発問題への立場を鮮明にする仏教宗派は少ない。曹洞宗大本山・永平寺(福井県永平寺町)は11年11月、原発問題のシンポジウムを開いた。福島県の酪農家や反原発運動に携わる僧侶が講演するなど「脱原発」色の濃い内容だったが、宗派としての見解は「現時点で是非を述べるのは難しい。原発への感情的批判は、風評被害を招き、原発で働く人を傷つける心配がある」。全日本仏教会も同12月、原発に関する宣言文を発表したが、「脱」や「反」の言葉は使わず「原発依存を減らす」との表現にした。有田恵宗理事長は「自分たちで責任を持って取り組めることが大切だ」と話している。
(引用終わり)
その後、どのようにして東本願寺内の「反(脱)原発派」が巻き返したのか、詳細は分かりませんが、慎重な姿勢を伝えられた安原晃・宗務総長名で、「大飯原子力発電所はもとより、他の原子力発電所も決して再稼動することのないように、念願するものであります」という宗派声明を発するまでにこぎつけたのですから、素晴らしいことです。
(抜粋引用開始)
2011年4月9日 共同通信
この日は約3200人が参拝し、僧侶とともに念仏を唱和した。大谷門主は参拝者に「自然現象は止められないが、どう対処するかは人間の考え方。原子力発電は経済的豊かさを優先する現代人の生き方と深く関わっている。仏法を伝えられた私たちが子孫へ何を残すことができるか」と語り掛けた。(後略)
(引用終わり)