wakaben6888のブログ

憲法を大事にし、音楽を愛し、原発を無くしたいと願う多くの人と繋がれるブログを目指します

あらためて“9条事始め” 前編

 今晩(2013年2月4日)配信した「メルマガ金原No.1254」を転載します。

あらためて“9条事始め” 前編
 
 今週末、2月9日(土)午後7時から、和歌山市浜の宮海水浴場前の「Cafe ざっ屋 あたま」(和歌山市毛見996-2/℡:073-444-2239)において、「9(ナイン)ギャザリング@あわたま」の第1回として、私が「日本国憲法9条」のお話をすることになりました。
 
 「あわたま」さんのブログから抜粋して引用します。
 
(引用開始)
「9(ナイン)ギャザリング@あわたま」
2月9日(土)
START PM19:00
場所 Cafe ざっか屋 あわたま
料金300円(祝島のびわ茶つき)+お気持ち
日本国憲法第2章 戦争の放棄
第九条
(戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認)
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権はこれを認めない。
 世界に拡げる価値のある日本が誇る平和憲法9条の9に因んで毎月9日にあわたまでは平和に向けての集い「9(ナイン)ギャザリング」を開催します。
 毎回9条について、平和について、戦争について、政治について、などなどいろいろな方のお話を聞いたり、何かに取り組んでみたり、平和を思い、平和の鐘を打ち鳴らすにしたい、そして平和憲法9条の大切さをみなさんで分かち合いたいと考えます。 
 第一回目は2011年8月15日OLDTIMEで行われた「PROJECT FUKUSHIMA」にてうちの奥さんと対談していただき、メルマガやブログでも日々、平和に向けての発信をされている和歌山弁護士会、金原徹雄法律事務所の金原徹雄さんをお招きしてお話を聞かせていただきます。
(引用終わり)
 
 私の話はともかくとして、このような企画を立ててくれた「あわたま」の高橋伸明さん・さんご夫婦に心から感謝します。
 
 ということで、そろそろ2月9日の準備をしなければと思っていたところ、高橋さんから絡があり、前半の1時間は、私が9条がどうして出来てきたかという歴史的な経緯などを中心にお話し、後半1時間は、参加者の皆さんで意見交換できればということでした。
 
 実は土曜日(2月2日)からインフルエンザのために自宅静養を余儀なくされていまので、その間の時間を利用して、私がお話するための資料集めをしておこうと思いつた次第です(メルマガの材料にもなる)。
 題して「9条事始め」です。
 
 ・・・とはいえ、あらためて「何故、日本国憲法に“9条”が規定されたのか?」と問れてみると、間単に「こうだ」と答えられるものではないですよね。
 そこで、回りくどいようですが、少し歴史を遡ってみましょう。
 
 1914年から1918年にかけての足かけ5年にわたり、当初ヨーロッパを主戦場としれた第一次世界大戦は、機関銃や航空機、戦車をはじめとする新しい大殺りく兵器の出現や、戦線の全世界への拡大により、開戦当時には予想もしなかった膨大な犠牲者を生み出しました。
 正確な犠牲者数を算出するのは困難ですが、一説には、戦闘員の戦死者が900万人、非戦闘員の死者は1,000万人、負傷者は2,200万人と言われています(第二次世界大戦がこれをはるかに上回る規模の犠牲者を出したことは言うまでもありません)。
 
 国際社会において、戦争を「非合法化」する動きが急速に進んだのは、第一次世界大戦以降のことですが、その一つの到達点が、1928年の「不戦条約(戦争抛棄ニ関スル条約)」です。
 日本も署名した翌年(1929年)に批准しています。
 そんなに長いものではないので(本文は3箇条しかなく、前文の方が長い位です)、以下に本文のみ引用してみましょう。
 
(引用開始)
第一條 締約國ハ國際紛爭解決ノ爲戰爭ニ訴フルコトヲ非トシ且其ノ相互關係ニ於テ國家ノ政策ノ手段トシテノ戰爭ヲ抛棄スルコトヲ其ノ各自ノ人民ノ名ニ於テ嚴肅ニ宣言ス
第二條 締約國ハ相互間ニ起ルコトアルヘキ一切ノ紛爭又ハ紛議ハ其ノ性質又ハ起因ノ如何ヲ問ハス平和的手段ニ依ルノ外之カ處理又ハ解決ヲ求メサルコトヲ約ス
第三條 本條約ハ前文ニ掲ケラルル締約國ニ依リ其ノ各自ノ憲法上ノ要件ニ從ヒ批准セラルヘク且各國ノ批准書カ總テ「ワシントン」ニ於テ寄託セラレタル後直ニ締約國間ニ實施セラルヘシ
千九百二十八年八月二十七日巴里ニ於テ作成ス
(引用終わり)
 
 ちなみに、日本(当時は「大日本帝国」ですね)政府は、批准にあたり、「帝國政府ハ千九百二十八年八月二十七日巴里ニ於テ署名セラレタル戰爭抛棄ニ關スル條約第一條中ノ「其ノ各自ノ人民ノ名ニ於テ」ナル字句ハ帝國憲法ノ條章ヨリ觀テ日本國ニ限リ適用ナキモノト了解スルコトヲ宣言ス」という留保を付していました。
 
 一読されればお分かりのとおり、日本国憲法第9条1項「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」は、まさに不戦条約(戦争抛棄ニ関スル条約)を下敷きにした規定であって、日本も批准していた国際条約の内容を、憲法に取り入れたという位置付けの条項です。
 
 大日本帝国憲法(明治憲法)には、以下のような条項がありました(帝国陸海軍についての憲法上の規定というのはほぼこれだけでした)。
 
第11条 天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス
第12条 天皇ハ陸海軍ノ編制及常備兵額ヲ定ム
第13条 天皇ハ戦ヲ宣シ和ヲ講シ及諸般ノ条約ヲ締結ス
 
 1889年に制定された大日本帝国憲法第13条に「戦ヲ宣シ」とある中には、「際紛爭解決ノ爲戰爭ニ訴フルコト」が当然に含まれていたと解されますが、1929年に「戦争抛棄ニ関スル条約」を批准した後は、明治憲法13条の解釈は当然更され、条約の条項と整合性をもったものになっていたはずです。
 
(以下「中編」に続く)