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あらためて“9条事始め” 後編

 
 今晩(2013年2月6日)配信した「メルマガ金原No.1256」を転載します。
 
あらためて“9条事始め” 後編
 
 いよいよポツダム宣言を受諾することとなった日本は、1945年9月2日、米国戦艦ミズーリ上において、重光葵外務大臣と梅津三治郎参謀総長が降伏文書に署名することにより、連合国による占領の時代が始まります。
 
 その後の憲法をめぐる動きについては、国立国会図書館WEBサイトの中の「日本国憲法の誕生」コーナーに豊富な資料が集積されており、ほとんど読みやすいテキストも併記されていますので、非常に有用です。
 
 その中の「概説」は、資料を豊富に引用しながら、極力客観的な叙述を心がけた信頼できる解説ですから、初心者は、まずこれを読むところから始めると良いでしょう。
 
 さらに、「論点」において、
 2 戦争放棄
 6 地方自治
という6項目にわたって解説されており、これも是非ご一読ください。
 
 以下に、「日本国憲法の誕生」掲載資料の中から、現行9条に直接つながる条項を抜き書きしてみましょう。
 それぞれの文書の成り立ちについては、各文書が掲載されたページのトップで解説されていますので、是非ご参照ください(特に、マッカーサー・ノートとGHQ草案)。
 
War as a sovereign right of the nation is abolished.
Japan renounces it as an instrumentality for settling its disputes and even for preserving its own security.
It relies upon the higher ideals which are now stirring the world for its defense and its protection.
No Japanese Army, Navy, or Air Force will ever be authorized and no rights of belligerency will ever be conferred upon any Japanese force.
国家の主権としての戦争は廃止される。
日本は、紛争解決の手段としての戦争のみならず、自国の安全を維持する手段としての戦争も放棄する。
日本は、その防衛と保護を、今や世界を動かしつつある崇高な理想に信頼する。
日本が陸海空軍を保有することは、将来ともに許可されることがなく、日本軍に交戦権が与えられることもない。
 
War as a sovereign right of nation is abolished. The threat or use of force is forever renounced as a means for settling disputes with any other nation.
No army, navy, air force, or other war potential will ever be authorized and no rights of belligerency will ever be conferred upon the State.
国民ノ一主権トシテノ戦争ハ之ヲ廃止ス他ノ国民トノ紛争解決ノ手段トシテノ武力ノ威嚇又ハ使用ハ永久ニ之ヲ廃棄ス
陸軍、海軍、空軍又ハ其ノ他ノ戦力ハ決シテ許諾セラルルコト無カルヘク又交戦状態ノ権利ハ決シテ国家ニ授与セラルルコト無カルヘシ
 

国の主権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、他国との間の紛争の解決の手段としては、永久にこれを抛棄する。

陸海空軍その他の戦力は、これを保持してはならない。国の交戦権は、これを認めない。

 

日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 

1947年5月3日 日本国憲法 施行

 

 さて、駆け足で憲法9条誕生までの経緯をたどってきましたが、ここで、なぜ9条が生まれたのか?についての簡単なまとめをしておきましょう。もちろん、これは私個人の限られた知識に基づく私見に過ぎません。

 

1 法的には、ポツダム宣言を受諾した瞬間から、宣言の要求と矛盾する大日本帝国憲法の条項は効力停止状態となっていたと解さねばならず、早晩、改憲は避けられなかった。

2 改憲の方向性を考える際、現に国内では、1945年10月までにポツダム宣言が要求していた武装解除が完了し、「事実として」軍隊がない状態であった。

3 ポツダム宣言自体、占領終了前の日本の「再軍備」を想定していたとは解しにくい。

4 1946年2月の時点では、その年の5月から始まることになっていた極東国際軍事裁判(東京裁判)に天皇が訴追されるか否かが確定しておらず、オーストラリアなどの強硬国を説得するためにも、日本は将来とも近隣諸国を侵略するおそれがないことを示す必要があった。

5 「中編」で述べたアジア諸国に対する贖罪と謝罪のためということが、表立って明示された訳ではなくとも、多くの国民の潜在的な意思に合致していたと考えられる。

6 1946年2月3日のマッカーサー・ノート第2項に示された原則の真の提案者が、その10日ほど前の1月24日にマッカーサーを訪ねた幣原喜重郎首相その人であったという説は、後年、マッカーサーや幣原本人がそのように認めている割には、それほど支持者の多い説ではないが(かなりトリッキーな説には違いない)、なかなか捨て難いところがある(この説を発展させれば、GHQ草案作成の端緒となった毎日新聞の松本案スクープも幣原が仕掛けたリークということに繋がっていき、その「陰謀論」的気配が支持者を増やせない理由かもしれない)。

 ※参考サイト

7 幣原喜重郎も強調しているとおり、原爆が実戦配備されてしまった以上、戦争放棄、軍備撤廃こそが現実政治におけるリアリティをもった選択であった。

 

 
 1946年11月3日の憲法公布までを振り返り、とりあえずの私見をとりまとめてみました。もちろん、もっと多様な意見がある訳で、1人1人がその中から最も適切と考える意見を自らのものにすれば良いのだと思います。