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「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」と「4・28政府式典に抗議する『屈辱の日』沖縄大会」

 今晩(2013年4月28日)配信した「メルマガ金原No.1339」を転載します。
 
主権回復・国際社会復帰を記念する式典」と「4・28政府式典に抗議する『屈辱の日』沖縄大会」
 
 本日(2013年4月28日)、東京・憲政記念館では、政府主催による「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」が開かれました。
 政府インターネットテレビで全編の録画を視聴することができます。
 
 そして、同じ時刻(午前11時~)、沖縄県・宜野湾海浜公園屋外劇場において、「4・28政府式典に抗議する『屈辱の日』沖縄大会」が開催されました。
 琉球新報とIWJのUSTRAM中継(IWJの方は大会前後のライブやインタビューもあります)と、併せて琉球新報、沖縄タイムス両紙の号外をご紹介しておきます。
 沖縄タイムス・号外 
 
 政府の式典で私が注目していたのは安倍晋三の式辞の内容などではありません。
 内容的に注目すべきは同時刻に沖縄で開かれていた「『屈辱の日』沖縄大会」の方であって、東京の式典で気になっていたのは、天皇皇后両陛下がどのようなお気持ちで出席されたかという一点であったと書いても、私が以前書いた「『主権回復の日』式典と天皇陛下」という文章を読んでいただいた方にはご理解いただけるでしょう。
 幸いにも、政府インターネットテレビのディレクターは、首相挨拶の途中でも、しばしば首相の方に視線を向ける天皇皇后両陛下の表情をアップで捉えてくれていました。
 それを視て、私が何を思ったかを書くのは控えておきましょう。
 出来れば、読者の皆さん1人1人が映像を視聴しながら考えていただければ嬉しく思います。
 
 宜野湾海浜公園での大会については、じっくりと映像を視聴していただくことにして、ここでは「大会決議」をご紹介しておきます。
 
(引用開始)
        4.28政府式典に抗議する「屈辱の日」沖縄大会決議
 安倍内閣は、サンフランシスコ講和条約が発効した4月28日を「主権回復の日」として、政府主催の式典を本日開催している。われわれは、政府式典に抗議するため怒りを持ってここに結集した。
 沖縄県議会は去る3月29日、「4・28『主権回復・国際社会復帰を記念する式典』に対する抗議決議」を全会一致で可決した。県内市町村でも抗議決議が次々と可決され、全国でも式典に抗議し、中止を求める声が広がっている。
 1952年4月28日発効したサンフランシスコ講話条約によって、沖縄、奄美、小笠原は日本から切り離され、米軍占領下に置かれた。また、同日発効された日米安保条約によって日本には米軍基地が存続することになった。
 米軍占領下の27年間、沖縄では、銃剣とブルドーザーによる強制接収で米軍基地が拡大され、県民には日本国憲法が適用されず、基本的人権や諸権利が奪われ、幾多の残虐非道な米兵犯罪によって人間としての尊厳が踏みにじられてきた。
 ゆえに4・28は、沖縄県民にとって「屈辱の日」にほかならない。
 1972年の復帰以降も県民が求めた基地のない平和で豊かな沖縄の実現にはほど遠く、今日なお、国土面積の0.6%の沖縄に在日米軍専用施設の74%が居座っている。米兵による事件事故や爆音などの基地被害によって県民の平和的生存権、基本的人権は著しく侵害されている。
 県知事、県議会、41市町村の長と議会議長の県民総意の反対を押し切って、昨年、普天間基地に欠陥機オスプレイが強行配備された。さらなる追加配備、手納基地への配備計画の浮上、辺野古新基地kんせつ手続きの強行など、県民総意を否定するこの国のありようは果たして民主主義といえるのか。国民主権国家としての日本の在り方が問われている。
 この現状の中、沖縄が切り捨てられた「屈辱の日」に、「主権回復の日」としての政府式典を開催することは、沖縄県民の心を踏みにじり、再び、沖縄切り捨てを行うものであり、到底許されるものではない。
 よって、われわれ沖縄県民は政府式典に「がってぃんならん」との憤りをもって、強く抗議する。
 以上。決議する。
                                   2013年4月28日
                4.28政府式典に抗議する「屈辱の日」沖縄大会
(引用終わり)
 
 なお、大会冒頭で歌われた(琉球新報で8分~、IWJで58分~)『沖縄に返せ』の原曲『沖縄を返せ』の歌詞をご紹介しておきます。
 
原曲『沖縄を返せ』 作詞:全司法福岡高裁支部 作曲:荒木 栄
 固き土を破りて 
 民族の怒りに燃える島 沖縄よ
 我等と我等の祖先が 血と汗をもて
 守り育てた 沖縄よ
  我等は叫ぶ沖縄よ 我等のものだ沖縄は
  沖縄を返せ 沖縄を返せ
 
 大会では、リフレーンの最後を「沖縄を返せ 沖縄に返せ」と変えて歌われました(「怒りに燃える島」も「怒りに燃ゆる島」になっていましたが、これは意味は一緒です)。
 ちなみに、この歌詞の言い換えは、かなり以前から行われています。
 
(参考/1952年4月28日に発効した3つの条約)
「日本国との平和条約(サンフランシスコ平和条約)」
第三条「日本国は、北緯二十九度以南の南西諸島(琉球諸島及び大東諸島を含む。)孀婦岩の南の南方諸島(小笠原群島、西之島及び火山列島を含む。)並びに沖の鳥島及び南鳥島を合衆国を唯一の施政権者とする信託統治制度の下におくこととする国際連合に対する合衆国のいかなる提案にも同意する。このような提案が行われ且つ可決されるまで、合衆国は、領水を含むこれらの諸島の領域及び住民に対して、行政、立法及び司法上の権力の全部及び一部を行使する権利を有するものとする」
 
「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約(旧日米安保条約)」
 
「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第三条に基く行政協定(日
米行政協定)」※日米地位協定の前身