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内田樹氏の“グローバリズムによる国民国家解体論”

 今晩(2013年5月11日)配信した「メルマガ金原No.1352」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
内田樹氏の“グローバリズムによる国民国家解体論”
 
 今年(2013年)の元旦にお送りしたメルマガのタイトルが「元旦に読む『9条どうでしょう』(ちま文庫)」であったことをご記憶でしょうか?
 
 そこでご紹介した『9条どうでしょう』の4人の共著者の1人であり、実質的な編者もある(と思われる)内田樹(うちだ・たつる)さんが、独自の“グローバリズム論”を的に展開されていますので、どこかでその論考や発言をお読みになった方も多いことと思います。
 
 特に、憲法記念日の前後から、改憲問題とのからみで発言を求められる機会も多くなったようで、ご自身のサイト「内田樹の研究室」に、以下の3つの論考やインタビューが立て続けに掲載されました。
 
憲法記念日インタビュー(東京新聞
改憲案の「新しさ」
朝日新聞の「オピニオン」欄に寄稿
 
 上記の内、「改憲案の『新しさ』」がもっとも詳細な論考なので、是非お読みいだきたいのですが、ここでは、その要約版的な東京新聞によるインタビュー記事を抜粋して用することとします。
 
(引用開始)
―96条の意義をどう考えますか。
 「変えるな」という意味だと思います。憲法は国のあるべき形を定めたもの。硬性
であるのが筋です。政権が変わるたびに国のあるべき形がころころ変わっては困る。憲法改正している他の国も立国の理念まで変えているわけではありません。
 改憲論者は、そもそも憲法が硬性であることがよくないという前提に立ちます。国際情勢や市場の変動に伴って国の形も敏速に変わるべきだと思っているから、そういう発言が出てくる。
 これはグローバリスト特有の考え方です。
(略)
 グローバリストたちにとって、市場への最適化を阻む最大の障害は「国民を守る」ために設計された諸制度です。医療、教育、福祉、司法、そういったものは市場の変化に対応しません。だから、邪魔で仕方ない。その惰性的な諸制度を代表するのが憲法なのです。
 国民を守る制度はどれも「急激に変化しない」ように設計されています。これがなんとも邪魔である。ですから、できることなら、これまで国家が担ってきた「国民を守る」事業はすべて市場に丸投げしたい。
(略)
―それには、まず96条改正が手っ取り早いと。
 国民国家の最優先課題は市場への最適化ではなく、現状維持です。市場の
ような変動きわまりない危ないものと一蓮托生するわけにはゆかない。国境線を維持すること、通貨を安定させること、国民の民生を守ること、それが国民国家の仕事です。それが果たせれば上出来。国民国家は「成長」とか「変化」という概念とは本質的になじまないのです。
グローバリズムと「愛国心」などの右寄り思想は、相容れない気もしますが。
 グローバリストはナショナリズムを実に巧妙に利用しています。彼らがよく使うのは
「どうすれば日本は勝てるか?」という問いですが、これは具体的には「どうすれば日本の企業が世界市場のトップシェアを取れるか?」ということを意味しています。
 国際競争力のある日本企業が勝ち残れるために、国民はどれほど自分の資源
を供出できるか、どこまで犠牲を払う覚悟があるか、それを問い詰めてくる。
 でも、ここにトリックがあります。ここで言われる「日本企業」は実は本質的に無国
籍だということです。
 大飯原発の再稼働が良い例でした。原発が動かなければ製造コストが上がる、だから、生産拠点を海外に移すしかない。そうなれば雇用は失われ、地域経済は沈滞し、法人税収入は途切れることになるが、それでもいいのかという企業の恫喝にあのときは政府が屈しました。企業の製造コストの削減のために、原発事故のリスクという国民の健康を犠牲に差し出したのです。
 これが「ナショナリズムの使い方」です。
 「それでは日本が勝てない」という言い分で、国民的資源を私企業の収益に付け替えているのです。でも、製造コストが上がるという理由だけで日本を出て行くと公言する企業を「日本企業」と呼ぶことに僕は同意できません。
 外国の機関投資家が株主で、経営者も従業員も外国人で、海外に工場があり、よその政府に納税している無国籍企業があえて「日本企業」と名乗る理由は何でしょう?
 それは、そうすれば勘違いして、「日本のために」と自己犠牲を惜しまない国民
が出てくるからです。
 中国や韓国の企業との競争で「日本企業」を勝たせるためなら、原発再稼働
も受け容れる、消費増税も受け容れる、TPPによる農林水産業の壊滅も受け容れる、最低賃金制度の廃止も受け容れる・・・この「可憐」なナショナリズムほどグローバル企業にとって好都合なものはありません。
(略)
―占領下の米国による「押しつけ憲法」であることも改憲論の根拠になっています。
 それならまず憲法を「押しつけた」ことについての歴史的謝罪を米政府に求める
のが筋でしょう。そうしないと話の筋目が通らない。
(略)
 自民党の改憲草案は、近代市民革命の経験を通じて先人の労苦の結晶として獲得された民主主義の基本理念を否定する時代錯誤的な改変です。これについても、なぜ歴史の流れに逆らってまで憲法をあえて「退化」させるのかを国際社会に対して弁ずる義務がある。
(略)
 でも、改憲派の人で国連総会でもどこでも「この改憲によって日本の憲法は人類史的に新たな一歩を画した。諸国も日本を範として欲しい」と胸を張って言うだけの勇気のある人がいるのでしょうか?
 それに、中国も韓国もロシアも台湾も、隣国はどこも九条二項の廃止に強い
警戒心を抱くでしょう。改憲が政治日程に上れば、当然ながら強い抗議がなされるはずです。九条二項を廃止するということは、戦争をするフリーハンドを手に入れるということですから、隣国にとってはきわめて不安な改変です。当然、反日デモにとどまらず、日本製品の不買運動、経済的文化的交流の停止、場合によっては大使引き揚げというような本格的な危機にまで立ち至るリスクがある。そういう隣国からの疑念や反発を抑えるために、どれだけの説得材料を日本政府は用意しているのか。それとも「そんな内政干渉には応じない」ということなのでしょうか。
 改憲のせいで東アジアに緊張が高まれば、いずれ米国が調停に出て来ざるを
得ません。
 でも、米国にしてみたら日本が「米国の押しつけ憲法を変える」ということから
起きた国際紛争で汗をかく義理なんかない。九条を弾力的に解釈して、これまで通り米軍の後方支援や軍費負担をしてくれるなら、現状のままでも米軍は別に困らない。
 そう算盤を弾けば、米国がどたん場になって「余計なごたごたを起こすな」とい
って改憲にクレームをつけてくる可能性は高い。
 すると「米国に押しつけられた憲法を改正しようとしたら、米国に『止めろ』と言
れたので止めました」というまことにみっともない話になる。
 そうやって満天下に恥をさらすことで、日本の国益がどう増大することになるの
か。グローバリストに最も欠けているのは、そういう国際的な見通しです。
―参院選で、96条を正面から考える必要がありそうです。
 今度の選挙では国の形そのものが問われます。国民国家を解体して市場に
委ねるのか、効率は悪くても生身の人間の尺度に合わせたシステムを維持するのか、それを選ぶことになる。憲法についての議論が深まり、国家のあるべき形とは何なのかを国民が真剣に考えるようになるなら、改憲が争点であることは少しも悪いことではありません。
 それに、そうなれば、結論は常識的なところに落ち着くと思います。
(略)
(引用終わり)
 
 私には、内田さんの論理が一から十まで正しいと言えるのか、判断するだけの能力の持ち合わせはそもそもありません。
 ただ、現在私たちの目の前で展開している数々の納得しがたい事象に、一本の筋を通すことのできる有力な仮説であるように思われます。
 「消費税増税」、「生活保護基準切下」、「英語の準公用語化」、「原発再稼働」、「TPP加盟」、そして改憲」。
 これら一連の「反国民的」政策の強行を、「国民家を解体し、国民的源をグローバル企業(資本)の利益に付け替えることを目的とした一貫した策」であるとする「解」は、私たちに有益な思考回路を提供してくれます。
 
 内田さんが、東京新聞インタビューの最後で言われたこと、「今度の選挙では国の形そのものが問われます。国民国家を解体して市場に委ねるのか、効率は悪くても生身の人間の尺度に合わせたシステムを維持するのか、それを選ぶことになる」という言葉を1人1人が噛みしめたいと思います。
 
内田樹氏プロフィール)
1950年東京都大田区生まれ。東京大学文学部仏文科卒業。神戸女学院大学名誉教授。2010年7月から2012年11月まで平松邦夫大阪市長のもとで特別顧問。合気道六段、居合道三段、杖道三段の武道家でもあるが、公立中学校での武道の必修化には反対している。