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半田滋氏 「『国防軍』をつくる」の愚かさ 今週の一言(法学館憲法研究所)

 今晩(2013年6月13日)配信した「メルマガ金原No.1386」を転載します。 
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
半田滋氏 「『国防軍』をつくる」の愚かさ 今週の一言(法学館憲法研究所)
 
 『STOP戦争への道~続 戦争をしない国 日本~』というDVDが完成し、私の事務所にも1枚届きました。
 1口1万円の出資者を1,000人募り、それを製作費の原資にしようというプロジェクトのようで、5月末に完成しました。
 私のところにも届いたということは、法学館憲法研究所からのお誘いで1口出資していたからですが、30分のDVDで1万円は高いとは思うものの、通常の上映会であれば(大規模・営利目的を除く)上映権付きということなので、やむを得ないところでしょうか。
 ということで、去る6月10日(月)、和歌山弁護士会館で伊藤真弁護士の語りおろしDVD『憲法ってなあに?憲法改正ってどういうこと?』(55分)の上映会を行った際、『STOP戦争への道~続 戦争をしない国 日本~』も引き続いて上映しまた。
 視聴しての感想は・・・。
 『STOP戦争への道』にも伊藤真さんは少しだけ登場されていますが、その伊藤さんが情熱的に実に分かりやすく憲法を語るDVDを視た直後というのは、このDVDを視聴するタイミングとして相応しいといは決して言えないでしょうね(正直印象が薄くなる)。
 ただし、私としては、『STOP戦争への道』に登場された半田滋(はんだしげる)さん(東京新聞論説兼編集委員)の発言には深く共感しましたので、どこか、半田さんのロングインタビューを廉価なDVDにしてくれるところはないだろうか、と思いました。
 
 その半田滋さんが、法学館憲法研究所サイトの「今週の一言」コーナーに登場されました(2013年6月10日アップ)。同サイトが付けたタイトルは、
というものです。
 一部を抜粋して引用します。
 
(引用開始)
(前略)
 なぜ自衛隊国防軍にする必要があるのか、私にはどうしても理解できない。自衛隊を取材して25年目。興味を持ったきっかけは1991年のペルシャ湾掃海艇派遣だった。海外活動は憲法違反ではないのか、との激しい国会論戦があった。
 翌92年には国連平和維持活動(PKO)協力法が制定され、陸上自衛隊がカンボジアへ派遣された。旧日本軍の飛行場があった南部のタケオ市に宿営地がつくられ、600人の隊員が派遣された。これ以降、自衛隊の海外活動は常態化していく。
(中略)
 現在に至るまで守られているのは、憲法で禁じた「海外における武力行使」をしないことである。戦火くすぶるイラクでの活動は自衛隊の宿営地にロケット弾が撃ち込まれ、相手を傷つけることより、隊員に犠牲者が出るおそれもあったが無事だった。
 振り返れば、丸腰の派遣にあたる国際緊急援助隊を含め、22回で延べ4万人自衛官が海外へ派遣された。1発の銃弾を撃つことなく、1人の地元民を殺傷することもなかったのは憲法の制約があったからだ。PKOでは道路・橋の補修、宿舎の建設、輸送といった後方支援活動に徹し、国連や派遣先国から「礼儀正しい」「技術力が高い」と評価されている。
 国会議員の中には、PKOでもより危険度の高い「平和維持軍(PKF)に参加すべきだ」との声があり、政府は凍結されていたPKFの参加を2001年に解除した。それでもPKF参加が1度もないのは、どの活動に参加するか決めているのが事実上、制服組だからだ。彼らが危険な活動を慎重に避けている。日本の「シビリアンコントロール」とは、制服組の意向に政治家が従うことであり、実体は「逆シビリアンコントロール」となっている。
 PKFに参加しているのは、バングラデシュ、パキスタンなど発展途上国ばかりで、国連から支払われる兵士への日当を外貨獲得の手段にしている国々である。その列に割り込めというのだから、日本の政治家はどうかしている。
 勇ましいことを主張する政治家ほど自衛隊の実態を知ろうとしない。5月にあったイベントで迷彩服を着て戦車に乗り、ポーズをとった安倍首相も例外ではない。
 「国防軍」をつくると主張する前に自分の立ち位置を確認したほうがいい。2月の訪米で、勇んで「集団的自衛権の行使容認の検討を始めた」と伝えたものの、オバマ大統領からそっけなく扱われたのはなぜか考えた方がいい。歴史認識を見直し、「国防軍」つくるでは戦前への回帰そのものだ。そんな日本は危険極まりないと警戒されるのは自明である。
(引用終わり)
 
 先日(6月2日)、和歌山県田辺市であった「田辺9条の会」総会での講演において、自民党の「日本国憲法改正草案」の中の9条関連の規定の説明をした際、私は概略以下のようなお話をしました。
イラクに派遣された陸上自衛隊は施設隊、航空自衛隊は輸送隊であって、戦闘には直接参加しなかった。空自の空輸活動は憲法9条1項違反という名古屋高裁判決が出たが、それでもぎりぎり直接の戦闘は行わずに済み、自隊員に1人の戦死者も出すことなく帰国した。憲法9条イラクに派遣された自衛隊員を守ったのだ。もしもあなたがイラクに派遣された自衛隊員の家族であったとしたら、9条のしばりがあることを残念に思い、自衛隊国防軍にして、第一線で息子や夫や父に米軍とともに闘って欲しいと願うだろうか?願うはずなどない、と私は思う」
 
 実は、私の母方の血縁の叔父のうち2人まで元自衛隊員でした。叔父たち自衛隊に在職中は、自衛隊の海外派遣などなかった時代でしたが、仮に当時叔父たちが危険な海外に派遣されていたとしたら、私の祖母や母は、息子や弟の無事な帰還を心から祈り、憲法9条があるために戦闘行動に参しないのだということを知れば、それをどれほどありがたく思ったことでしょう。
 
 半田さんが指摘されている「勇ましいことを主張する政治家に、戦地に派遣される1人1人の隊員やその家族の姿が具体的に想像されているとは到底思えません。
 彼らにとって、自衛隊員や国防軍兵士は、政治家の都合で動かすことのできる「コマ」としか映っていないのでしょう。ましてや、派遣される1人1人の隊の背後の妻、子、父、母、祖父、祖母などの姿は視野にも入っていないことでしょう。
 「憲法9条」への共感者の裾野は、実は非常に広いはずだということに自信を持つべきなのかもしれません。