今晩(2013年6月28日)配信した「メルマガ金原No.1401」を転載します。
なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
憲法学習会用標準レジュメ(2013年6月版) 前編
今年の2月9日、和歌山市浜の宮海水浴場前「Cabe ざっか屋 あわたま」を皮切りに始まった私の「憲法学習会講師ツアー」も、いよいよ明日(6月29日)、「輝け9条龍神の会」(和歌山県田辺市龍神村)でとりあえずのファイナルを迎えます。
もちろん、参議院選挙後も、お声がかかれば学習会の講師を引き受けるのにやぶさかではありませんが、この時点で、私が各地の学習会でどういうお話をしてきたかを振り返るのも無駄ではないと思い、この1か月、ほぼ共通に使ってきたレジュメを(分量の関係から)3回に分けてご紹介します。
もっとも、レジュメというには詳しすぎ、「講演用台本」と言った方が適切かもしれず、そのような事情から、各地の学習会では、これを約1/3に圧縮したショートヴァージョンのレジュメをお送りして参加者に配っていただきました。
なお、今回、メルマガで配信するにあたり、少し手を入れています。
また、以下の目次で言うと、「立憲主義の危機」あたりまでは詳しく論じているものの、「9条(平和主義)の危機」以降が手薄であることは否めません。
長々と書いてきて、「立憲主義の危機」を書き終わったあたりで力尽きた、ということもありますし、「9条(平和主義)の危機」については、その前の「集団的自衛権」を論じたところで、最も訴えたい部分は話してしまっているということもあります。
しかし、それにしても「緊急事態」に全然触れていないことなどは、明らかな手抜きですね。
なお、「前編」のうち、「集団的自衛権」について解説した部分の大半は、メルマガ金原No.1396「“集団的自衛権”に関する日本弁護士連合会総会決議と私のレジュメのご紹介」で既に掲載済みであることをお断りします。
憲法学習会用標準レジュメ(2013年6月版)
弁護士 金 原 徹 雄
【本日のお話の構成】
1 はじめに
2 目前に迫る2つの「危機」
(1)集団的自衛権容認の動き(解釈改憲と立法改憲)
(2)憲法96条改悪の動き
1 はじめに
2 目前に迫る2つの「危機」
(1)集団的自衛権容認の動き(解釈改憲と立法改憲)
(2)憲法96条改悪の動き
※以上「前編」
3 自民党「日本国憲法改正草案」は何が問題なのか
3 自民党「日本国憲法改正草案」は何が問題なのか
(2)9条(平和主義)の危機
※以上「中編」
※以上「中編」
※以上「後編」
1 はじめに
① 2012年の衆議院総選挙の結果現出した危機的状況
ⅰ)衆議院(2013年6月3日現在)
「改憲三派連合」の総数
自民294+維新53+みんな18=365
※衆議院の定数480の2/3(320)をはるかに超えている。
※維新から西村眞悟議員が除名された後の数字
ⅱ)参議院
現状での「改憲三派連合」の総数(2013年6月27日現在)
改選 自民34+みんな3+維新2=39
非改選 自民49+みんな10+維新1=60
合計 自民83+みんな13+維新3=99
※参議院の定数242の2/3超は162
② 2つの自民党改憲案
2005年10月 「新憲法草案」
2012年 4月 「日本国憲法改正草案」
この7年で何が変わったのか?
2005年は、主に「9条の危機」だった(「公益及び公の秩序」条項、改正要件緩和条項も既にあったが)。
現在は、それに加えて総体としての「憲法の危機」が迫っている。
③ 政治社会情勢の大きな変化
ⅰ)穏健な「保守主義」が退潮し、過激な「極右主義」が台頭した。自民党にかつて存在した「リベラル派」はほぼ消滅した。これを象徴するのが2012年9月の自民党総裁選挙であり、5人の候補者全員が「集団的自衛権行使容認」「原発廃絶反対」であった。
ⅱ)民主党「リベラル派」(離党者も含め)も2012年選挙によって落選者が続出し、共産党、社民党も支持を伸ばせていない(と言うよりも低落傾向が止まらない)。
ⅲ)規制緩和を推進した新自由主義経済政策は、民主党政権にも受け継がれ、自民党の政権復帰によってさらに加速している。消費税増税、生活保護法改悪、TPP参加、原発再稼働などの「反国民的」政策の数々も、この文脈で理解する必要がある。
ⅳ)以上の経済政策の結果、若い世代から高齢者に至るまで、「国民の窮乏化」が急速に進んでおり、社会に「不満」が鬱積している。日本維新の会の伸張、在特会の人種差別デモ等の背景として、構造的な経済問題は看過し得ない。
ⅴ)今、「憲法を護る」ということは、どのような社会モデルを目指すということなのかについての真剣な議論と決断が求められている。
① 2012年の衆議院総選挙の結果現出した危機的状況
ⅰ)衆議院(2013年6月3日現在)
「改憲三派連合」の総数
自民294+維新53+みんな18=365
※衆議院の定数480の2/3(320)をはるかに超えている。
※維新から西村眞悟議員が除名された後の数字
ⅱ)参議院
現状での「改憲三派連合」の総数(2013年6月27日現在)
改選 自民34+みんな3+維新2=39
非改選 自民49+みんな10+維新1=60
合計 自民83+みんな13+維新3=99
※参議院の定数242の2/3超は162
② 2つの自民党改憲案
2005年10月 「新憲法草案」
2012年 4月 「日本国憲法改正草案」
この7年で何が変わったのか?
2005年は、主に「9条の危機」だった(「公益及び公の秩序」条項、改正要件緩和条項も既にあったが)。
現在は、それに加えて総体としての「憲法の危機」が迫っている。
③ 政治社会情勢の大きな変化
ⅰ)穏健な「保守主義」が退潮し、過激な「極右主義」が台頭した。自民党にかつて存在した「リベラル派」はほぼ消滅した。これを象徴するのが2012年9月の自民党総裁選挙であり、5人の候補者全員が「集団的自衛権行使容認」「原発廃絶反対」であった。
ⅱ)民主党「リベラル派」(離党者も含め)も2012年選挙によって落選者が続出し、共産党、社民党も支持を伸ばせていない(と言うよりも低落傾向が止まらない)。
ⅲ)規制緩和を推進した新自由主義経済政策は、民主党政権にも受け継がれ、自民党の政権復帰によってさらに加速している。消費税増税、生活保護法改悪、TPP参加、原発再稼働などの「反国民的」政策の数々も、この文脈で理解する必要がある。
ⅳ)以上の経済政策の結果、若い世代から高齢者に至るまで、「国民の窮乏化」が急速に進んでおり、社会に「不満」が鬱積している。日本維新の会の伸張、在特会の人種差別デモ等の背景として、構造的な経済問題は看過し得ない。
ⅴ)今、「憲法を護る」ということは、どのような社会モデルを目指すということなのかについての真剣な議論と決断が求められている。
2 目前に迫る2つの「危機」
(1)集団的自衛権容認の動き(解釈改憲と立法改憲)
① 第1次安倍内閣によって設置された「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」が集団的自衛権を容認すべきとの「報告書」を提出したのが2008年。当時の福田康夫首相はこれを無視。ところが・・・
2013年2月、委員の顔ぶれも名称も同一の「懇談会」が復活。はじめから結論ありきの「出来レース」。
年内にも、集団的自衛権の行使を容認すべきとの報告書を提出することが予想されている。その後、内閣としての「憲法解釈」の変更を打ち出す可能性がある。
② 2012年7月 自民党総務会が「国家安全保障基本法案(骨子)」を了解。とりまとめの中心を担った石破茂氏(現幹事長)は、成立に非常に強い意欲を示し続けている(集団的自衛権の行使、多国籍軍への参加、武器輸出の全てにお墨付きを与える「改憲」の先取りのようなとんでもない法案)。
現在伝えられるところによれば、内閣法制局と公明党を「迂回」するためか、議員立法による成立を目指すらしい(自民党以外の改憲勢力との「部分連合」も取りざたされている)。
③ 集団的自衛権とは何かを抽象的に議論しても一般市民に理解してもらうことは難しい。
世界の紛争、戦争で、実際に集団的自衛権を行使すると称して戦争をしている国の実例をこそ学ぶべき。
その前提として、国連憲章上、戦争行為を「合法」と主張できる3類型をしっかりと押さえておく必要がある。
ⅰ)安全保障理事会の承認(国連憲章42条等)
ⅱ)個別的自衛権の行使(国連憲章51条)
ⅲ)集団的自衛権の行使(同上)
④ イラク戦争を想起せよ!
2003年のイラク戦争開戦時に当時の小泉首相は即座にアメリカの軍事行動を「支持」すると明言して陸上自衛隊の施設隊をサマーワに派遣し、その後、航空自衛隊の輸送機も派遣された(後に、名古屋高裁が空自の空輸行為は憲法9条1項に違反するとの判決をくだした)。
ただし、からくも自衛隊が直接の戦闘に参加することだけは回避できた。
ところで、以下の諸国は、イラク戦争において、アメリカ以外で2桁以上の「戦死者」を出した国である。イギリス(3桁)、ポーランド、スペイン、イタリア、ウクライナ、ブルガリア。
※1桁にまで広げれば、デンマーク、オーストラリア、オランダ、タイ、韓国等10数カ国が加わる。
これらの国がイラク戦争に参戦した根拠は「集団的自衛権」である(イラク戦争に安全保障理事会の軍事行動承認決議はなかったし、これらの国がイラクから攻撃された訳でもないのだから)。
2003年当時、日本に集団的自衛権の行使を容認する政府解釈や法律があったとしたらどうなっていたか?
アメリカからの「出兵要請」を拒めたと考える者がいるとすれば、よほどの楽天家であるか、もしくは何も考えていない証拠である。
私たちは国民に訴えなければならない。「日本が攻撃を受けた訳でもないのに、アメリカ軍の指揮下であたら自衛隊員(国防軍兵士?)を戦死させてもよいのか?日本の若者にイラク(イラン、北朝鮮?)で人殺しをさせたいのか?(現代の戦争は市民に多くの犠牲者が出ることが不可避である)」と。集団的自衛権行使を容認するというのはそういうことである。
⑤ 「尖閣」と集団的自衛権は(基本的には)関係ない
尖閣諸島付近で日中両国が軍事衝突することが万一あったとしても、それは「個別的自衛権」を行使できる場合にあたるかどうかの問題であって、「集団的自衛権」とは関係がない。
もしも「集団的自衛権」の問題になり得るとすれば、アメリカが、「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」5条前段の「各締約国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続に従つて共通の危険に対処するように行動することを宣言する。」の規定に基づき、共通の危険に対処するための行動(軍事行動)を起こすかどうかということであって、この場合の集団的自衛権行使の主体は、日本ではなくアメリカである。
※(余談)現在までのところ、「尖閣」の危機がからくも現実の武力衝突にまで発展せずに済んでいるのは、アメリカがそれを決して望んでいないからであるとの逆説的評価が可能かもしれない。
⑥ 後述する「96条改憲論」がややトーンダウンした今日、参議院選挙後の憲法問題の焦点は「集団的自衛権」に移行する可能性が高いと考える。
① 第1次安倍内閣によって設置された「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」が集団的自衛権を容認すべきとの「報告書」を提出したのが2008年。当時の福田康夫首相はこれを無視。ところが・・・
2013年2月、委員の顔ぶれも名称も同一の「懇談会」が復活。はじめから結論ありきの「出来レース」。
年内にも、集団的自衛権の行使を容認すべきとの報告書を提出することが予想されている。その後、内閣としての「憲法解釈」の変更を打ち出す可能性がある。
② 2012年7月 自民党総務会が「国家安全保障基本法案(骨子)」を了解。とりまとめの中心を担った石破茂氏(現幹事長)は、成立に非常に強い意欲を示し続けている(集団的自衛権の行使、多国籍軍への参加、武器輸出の全てにお墨付きを与える「改憲」の先取りのようなとんでもない法案)。
現在伝えられるところによれば、内閣法制局と公明党を「迂回」するためか、議員立法による成立を目指すらしい(自民党以外の改憲勢力との「部分連合」も取りざたされている)。
③ 集団的自衛権とは何かを抽象的に議論しても一般市民に理解してもらうことは難しい。
世界の紛争、戦争で、実際に集団的自衛権を行使すると称して戦争をしている国の実例をこそ学ぶべき。
その前提として、国連憲章上、戦争行為を「合法」と主張できる3類型をしっかりと押さえておく必要がある。
ⅰ)安全保障理事会の承認(国連憲章42条等)
ⅱ)個別的自衛権の行使(国連憲章51条)
ⅲ)集団的自衛権の行使(同上)
④ イラク戦争を想起せよ!
2003年のイラク戦争開戦時に当時の小泉首相は即座にアメリカの軍事行動を「支持」すると明言して陸上自衛隊の施設隊をサマーワに派遣し、その後、航空自衛隊の輸送機も派遣された(後に、名古屋高裁が空自の空輸行為は憲法9条1項に違反するとの判決をくだした)。
ただし、からくも自衛隊が直接の戦闘に参加することだけは回避できた。
ところで、以下の諸国は、イラク戦争において、アメリカ以外で2桁以上の「戦死者」を出した国である。イギリス(3桁)、ポーランド、スペイン、イタリア、ウクライナ、ブルガリア。
※1桁にまで広げれば、デンマーク、オーストラリア、オランダ、タイ、韓国等10数カ国が加わる。
これらの国がイラク戦争に参戦した根拠は「集団的自衛権」である(イラク戦争に安全保障理事会の軍事行動承認決議はなかったし、これらの国がイラクから攻撃された訳でもないのだから)。
2003年当時、日本に集団的自衛権の行使を容認する政府解釈や法律があったとしたらどうなっていたか?
アメリカからの「出兵要請」を拒めたと考える者がいるとすれば、よほどの楽天家であるか、もしくは何も考えていない証拠である。
私たちは国民に訴えなければならない。「日本が攻撃を受けた訳でもないのに、アメリカ軍の指揮下であたら自衛隊員(国防軍兵士?)を戦死させてもよいのか?日本の若者にイラク(イラン、北朝鮮?)で人殺しをさせたいのか?(現代の戦争は市民に多くの犠牲者が出ることが不可避である)」と。集団的自衛権行使を容認するというのはそういうことである。
⑤ 「尖閣」と集団的自衛権は(基本的には)関係ない
尖閣諸島付近で日中両国が軍事衝突することが万一あったとしても、それは「個別的自衛権」を行使できる場合にあたるかどうかの問題であって、「集団的自衛権」とは関係がない。
もしも「集団的自衛権」の問題になり得るとすれば、アメリカが、「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」5条前段の「各締約国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続に従つて共通の危険に対処するように行動することを宣言する。」の規定に基づき、共通の危険に対処するための行動(軍事行動)を起こすかどうかということであって、この場合の集団的自衛権行使の主体は、日本ではなくアメリカである。
※(余談)現在までのところ、「尖閣」の危機がからくも現実の武力衝突にまで発展せずに済んでいるのは、アメリカがそれを決して望んでいないからであるとの逆説的評価が可能かもしれない。
⑥ 後述する「96条改憲論」がややトーンダウンした今日、参議院選挙後の憲法問題の焦点は「集団的自衛権」に移行する可能性が高いと考える。
「96条」について、「9条改憲論者」(代表的な論客は小林節慶應義塾大学教授)との共闘が成功したことが、「潮目を変える」ために非常に有効であったことは間違いない。
そのひそみにならえば、「集団的自衛権」についても、「専守防衛論者」(その中には9条改正を必要と考える者と不要と考える者がいる)との共闘が絶対に必要となる。
自衛隊を海外で戦争のできる軍隊にしては絶対にならない、という「国民統一戦線」の結成が奏功するかどうかが、「9条」の命運を決すると私は考えている。
もっとも、これを和歌山のような地方レベルで実現することは(「県民統一戦線」の結成?)、現実問題として容易なことではない。地方は地方で努力するのは当然であるが、全国的な影響力のある学者、政治家、文化人、ジャーナリスト等を結集する動きが待望される。
「96条」をめぐる世論の動向を検証することも、今後の運動論を考える上で是非とも必要な作業である。
(2)憲法96条改悪の危機
① 「議員定数不均衡」(一票の格差)と憲法
参議院も衆議院も「違憲状態」
そんな衆参両院に「憲法改正発議」をする「正当性」は認められない。
② 日本国憲法の「改正発議」に何故「両院の2/3」を必要としているのか。
時の政権与党の意向で安易に「改憲発議」ができないようにしばりをかけるという「憲法制定権力」の明確な意思が表れている。
欽定憲法である明治憲法ですら、衆議院・貴族院各2/3以上で賛成しなければ改正することができなかった。
③ 日本国憲法は諸外国と比較して著しく改正要件が厳しい訳ではない。
(例)アメリカ合衆国・連邦憲法(1787年制定・1788年発効)
連邦憲法5条→修正条項
連邦議会の上院及び下院の各2/3で修正を提案→全州の3/4以上の州が修正案を批准(基本的には州議会で)すれば修正条項が発効する。
アメリカ連邦憲法は、原条項自体を廃止する「改正」を認めず、「追加修正」のみを認める。従って、5条の修正規定を含めて、1787年に制定された憲法の前文及び1条~7条は現在でも効力を有する現役の規定であるし、修正の手続を定めた「5条」自体の要件を緩和することなど、「革命」か「クーデター」でも起こさぬ限り「あり得ない」。
④ 上記アメリカ連邦憲法の例でも分かるとおり、「改正規定」をどのように定めるかは、「憲法制定権力」(国民主権の原理に立つ憲法であれば「国民」)が、憲法で定めた基本原理を守りながら、なお時勢の推移に応じた手直しが必要となった場合に、どのような手続に従えばそれを容認するかを定めた根本的に重要な規定なのであって、本来「改正」の対象たり得ないという学説が有力である。
アメリカ連邦憲法の5条の要件が厳しすぎるから、上院・下院各1/2で良いことにしようなどということは、「憲法制定権力の意思」を反故にしようというものであるという意味からも「あり得ない」ことなのである。
⑤ 改正規定の「改正」など「あり得ない」ことは、近代市民革命以降、諸外国の中で、改正規定の「改正」を行った国などどこにも存在しないという一事をもってしても知れることである(諸外国の憲法を調査した衆議院・参議院の憲法調査会の資料の中にもそのような先例の記載はない。第一、「96条」改憲論者から、「こういう先例が外国にある」というような指摘がなされたことは全くない)。
なお、言うまでもないが、従前の国家体制を覆して「新憲法を制定する」ということなら、いくらでも「先例」はある(日本国憲法をその一例としてもよい)。つまり、自民党や日本維新の会がやろうとしていることは、法的には「クーデター」としか言いようがないことなのである(9条改憲論者の小林節教授があそこまで本気で「96条改憲は許せない」と発言されているのも、つまりそういうことが背景にあるということを理解すべきである)。
⑥ 分かりやすい決め文句の一例(五十嵐仁法政大学教授が紹介していた)
「96条改憲は、球場を狭くして外野フライをホームランにするようなもの」
そのひそみにならえば、「集団的自衛権」についても、「専守防衛論者」(その中には9条改正を必要と考える者と不要と考える者がいる)との共闘が絶対に必要となる。
自衛隊を海外で戦争のできる軍隊にしては絶対にならない、という「国民統一戦線」の結成が奏功するかどうかが、「9条」の命運を決すると私は考えている。
もっとも、これを和歌山のような地方レベルで実現することは(「県民統一戦線」の結成?)、現実問題として容易なことではない。地方は地方で努力するのは当然であるが、全国的な影響力のある学者、政治家、文化人、ジャーナリスト等を結集する動きが待望される。
「96条」をめぐる世論の動向を検証することも、今後の運動論を考える上で是非とも必要な作業である。
(2)憲法96条改悪の危機
① 「議員定数不均衡」(一票の格差)と憲法
参議院も衆議院も「違憲状態」
そんな衆参両院に「憲法改正発議」をする「正当性」は認められない。
② 日本国憲法の「改正発議」に何故「両院の2/3」を必要としているのか。
時の政権与党の意向で安易に「改憲発議」ができないようにしばりをかけるという「憲法制定権力」の明確な意思が表れている。
欽定憲法である明治憲法ですら、衆議院・貴族院各2/3以上で賛成しなければ改正することができなかった。
③ 日本国憲法は諸外国と比較して著しく改正要件が厳しい訳ではない。
(例)アメリカ合衆国・連邦憲法(1787年制定・1788年発効)
連邦憲法5条→修正条項
連邦議会の上院及び下院の各2/3で修正を提案→全州の3/4以上の州が修正案を批准(基本的には州議会で)すれば修正条項が発効する。
アメリカ連邦憲法は、原条項自体を廃止する「改正」を認めず、「追加修正」のみを認める。従って、5条の修正規定を含めて、1787年に制定された憲法の前文及び1条~7条は現在でも効力を有する現役の規定であるし、修正の手続を定めた「5条」自体の要件を緩和することなど、「革命」か「クーデター」でも起こさぬ限り「あり得ない」。
④ 上記アメリカ連邦憲法の例でも分かるとおり、「改正規定」をどのように定めるかは、「憲法制定権力」(国民主権の原理に立つ憲法であれば「国民」)が、憲法で定めた基本原理を守りながら、なお時勢の推移に応じた手直しが必要となった場合に、どのような手続に従えばそれを容認するかを定めた根本的に重要な規定なのであって、本来「改正」の対象たり得ないという学説が有力である。
アメリカ連邦憲法の5条の要件が厳しすぎるから、上院・下院各1/2で良いことにしようなどということは、「憲法制定権力の意思」を反故にしようというものであるという意味からも「あり得ない」ことなのである。
⑤ 改正規定の「改正」など「あり得ない」ことは、近代市民革命以降、諸外国の中で、改正規定の「改正」を行った国などどこにも存在しないという一事をもってしても知れることである(諸外国の憲法を調査した衆議院・参議院の憲法調査会の資料の中にもそのような先例の記載はない。第一、「96条」改憲論者から、「こういう先例が外国にある」というような指摘がなされたことは全くない)。
なお、言うまでもないが、従前の国家体制を覆して「新憲法を制定する」ということなら、いくらでも「先例」はある(日本国憲法をその一例としてもよい)。つまり、自民党や日本維新の会がやろうとしていることは、法的には「クーデター」としか言いようがないことなのである(9条改憲論者の小林節教授があそこまで本気で「96条改憲は許せない」と発言されているのも、つまりそういうことが背景にあるということを理解すべきである)。
⑥ 分かりやすい決め文句の一例(五十嵐仁法政大学教授が紹介していた)
「96条改憲は、球場を狭くして外野フライをホームランにするようなもの」