今晩(2013年7月6日)配信した「メルマガ金原No.1410」を転載します。
なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
ただ、それらの資料を博捜する時間的余裕のある人はそれほど多くはないでしょうから(私を含めて)、新たに公開された資料なども取り入れつつ、1時間15分という、比較的コンパクトにまとめられたTV番組は有益と思われますのでご紹介することとします。
2007年4月29日 放送
このたび、「Peace Philosophy Centre」サイトに、文字書き起こしが掲載されました。視聴する時間的余裕のない方にはお薦めです。
私が一番関心を持った部分を引用します。
(引用開始)
(昭和21年)7月25日、衆議院に設置された『帝国憲法改正案委員小委員会』、13回に亘って、条文の修正を審議しました。秘密会として、行われた小委員会。その議事の内容は戦後50年間、封印されていました。
平成7年に公開された、その速記録。そこからは、条文の修正がGHQの要求だけでなく、日本人自らの発案で実現していたことが浮かび上がってきました。最低限度の生活を保障した生存権の追加や、戦争の放棄を定めた九条の修正が小委員会で行われていました。
小委員会は14人の委員からなり、それぞれの政党が独自の修正案を出し合って、審議を進めていきました。委員の中に、民主的な草案を作り、GHQに注目された『憲法研究会』のメンバーがいました。森戸辰男。森戸は4月の総選挙に、社会党から立候補、衆議院議員となっていました。森戸は憲法研究会の草案にあった、一つの条文に強いこだわりを持っていました。“国民は健康にして、文化的水準の生活を営む権利を有す”。こうした生存権を定めた条文は政府の改正案には、ありませんでした。
7月29日、森戸は生存権の条文を追加するよう提案します。“日本の国民は国民として、生活に対する最小限度の権利を有することが、はっきり出るということが、今日、憲法を作る場合には、特に必要ではないかと私は思います”森戸はなぜ生存権を強く主張したのか。戦前、経済学者として、貧困の問題に取り組んだ森戸は、言論弾圧で大学を追われます。その後、ドイツに留学し、一つの憲法に出会いました。第一次世界大戦後のドイツ国憲法、所謂、ワイマール憲法です。“各人をして、人間に値する生活を得しむることを目的とする”世界で初めて、生存権を規定した憲法でした。敗戦後、焦土と化した日本では、人々の生活は困窮し、餓死者が続出していました。その現実を目の当たりにした森戸は、ワイマール憲法の理想を日本で実現したいと考えたのです。しかし、委員長の芦田均が生存権が無くとも、法律で社会保障を実現できると疑問を呈しました。“文化的水準を維持する最低限度の生活ということは、幸福追求の最小限度でしょう。幸福追求の権利も国政の上で保障される”“それは違う。追求する権利があっても、実は、生活安定を得られない者がたくさんあるというのが、今日の社会の状態です。その状態を何とか、民衆の権利を基礎にして、良くして行くというところに生活権の問題というものが出てく
る”森戸の粘り強い説得によって、委員たちは次第に賛成に傾いて行きます。
8月1日、森戸の提案は採用されました。