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「原発がこわい女たちの会ニュース」第85号が届きました

 今晩(2013年7月20日)配信した「メルマガ金原No.1424」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
原発がこわい女たちの会ニュース」第85号が届きました
 
 「原発がこわい女たちの会」の松浦雅代さんから、ニュース第85号をお送りいただきました。
 今号には、昨年10月に和歌山で講演された橘柳子さん(浪江町から本宮市県内避難)の手記『原発事故と今の福島』も掲載されています。
 是非ご一読ください。
  

(1頁)
 
   原発がこわい女たちの会ニュース NO85号・2013年7月15日発行
事務局〒640-0112和歌山市西庄1024-15 ℡・fax073/451/5960松浦雅代方
 
      福島の原発事故から
           2年4カ月が過ぎました。
    原発を動かすことは止めて下さい。
 
 7月3日、全国で唯一稼働中の関電の大飯原発3.4号機について原子規制委員会は9月まで運転継続を了承しました。7月8日に施行の原発新しい規制基準に照らして「直ちに安全上重大な問題が生じるものではい」と判断した、と報道されました。
 新規制基準では活断層の真上に重要施設を設置する事を禁止しています。大飯原発3.4号機に冷却用海水を送る重要施設「非常用取水路」真下を横切る断層「F-6破砕帯」が活断層かどうかが問われていました。この問題に蓋をして「直ちに安全上重大な問題がない」と言われても、私たちは原発事故への不安と原子力規制委員会に対しての不信感でいっぱいです。
 

(2-3頁)
 
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        原発事故と今の島県
                         橘 柳子
 
 あのいまわしい福島原発事故から二年経過した今、私たち避難者と福島は、何が変わったのだろうか。少なくとも仮設住宅で生活している一人として、日々の暮しに考えめぐらせても、何の変化も感じないのである。
 毎日を自分のスケジュールを見い出して、単に生命(いのち)をつないでいるだけのように思う。日々の生活は単調である。心おどるような意欲をもってとり組むことができるものをもっている人はどのくらいいるのだろう。意欲といわないまでも、心から楽しむことができる気持ちをとりもどしたといった方がいいだろうか。
 単調はいいのかもしれないが、長年住みなれた何げない日常と古くさい文化と歴史をいといながらも、めぐる季節の祭りごとに加わり、集(つど)う食事と会話、愛(いと)をして、汗みずたらした田や畑や庭は、今はない。すべて仮(かり)がつく状況に身をおいて一時(いっとき)、自分が置かれている環境の中で、喜びを見い出せるものを求めているのです。人間の精神がダメになってしまう恐怖をもちます。人々は除染のことばのむなしさも解ってきています。でも語りません。賠償は精神面も含めて、すべて金額に換算されます。古くても大事にしてきた品物も、財物という言葉で基準をもうけられ算出されます。これが本物の人間の幸せだろうか。避難者と福島を置きざりにして、誰かが言う「美しい日本」の姿とは、これか。
 人権も人道もどこかに置いた復興という名のギマンを、のちの歴史家はどう語るのだろう。沖縄の人々の反対を押し切り、原発の避難住民と福島を置きざりにして、何が主権回復の日なのでしょう。我々も又、国から放置され続ける県民となるのでしょうか。
 自然界に目をやれば、二年前より多く見かける虫や鳥が自分たちのすみ家(か)にもどって来ているように思える。四季の花々も元気にみえる。「ミミズとかえるからも放射能が出た・・・」と山奥の湯屋での地元の女性たちの会話でも、それらすべてのものが放射能とどんな闘いをしているかは見えない。語れない。人間が手をかけなければ永遠になぞとなる。海辺のガレキはそのまま、人の居ない町は静かにたたずんでいる。
 一方で、2013年4月から我が浪江町は区域見なおしとやらで、①出入り禁止②許可による一時帰宅③許可証持参で自由に出入り可能の三区分になった。しかし往復5時間もかけ、ねずみの糞の住み家を見るのは悲しい。そしてくやしいことは、区域見直しも国から示されたものを県と各町村が受け入れるというシステムだ。そこに町民の住民の意志は何ら介在(かいざい)されずである。事故をおこした当事者が、勝手に決めて「さあ、いいよ」はないでしょう。と思うのである。
 国民の真の豊かさも考えるいい機会であるはずだ。物や金だけでないものを求めて、これから生きる子どもたちのために残すべきものは「何か」を考えれば、おのずと解ること。放射能を気にすることのない本物の自然あふれた国土の保全だと思う。核種によって半減期がことなるのに、セシウムしかとり上げないのも問題であるが、と
もかく、核で動く原発とはご一緒できません。苦しい息の下からでも言い残したいことばです。
 それにしても国も東電も事故の責任はまだ認めてないのが現実である。
                              2013.4.26 記
 
(橘さんの文章は84号を発行してしまってから届きましたのでブログに先に載せました。 
 
※金原注 2012年10月28日(日)、「原発がこわい女たちの会」主催により、和歌山市で開催された橘柳子さんの講演会「福島原発事故の今を生きる」を伝えた同会ブログの記事
 

(4-5頁)
 
 
                                         陳     述     書
                          2013年5月22日
                           原告 松浦 雅代
 
 私は和歌山市に生まれ育ち、現在も住んでいます。
 1979年アメリカのスリーマイル島の原発事故で和歌山県が原発候補地だという事を知り、原子力の事を学び始めました。スリーマイル島の事故は炉心溶融という重大事故でした。事故から3日後、州知事が半径5マイル(約8km)内の妊婦や幼児の避難を決定しました。この時、初めて事故が起これば大変な事になる事を知りました。一年後まだ原子炉の中がどのようになっているか分からないのに日本の国は安全宣言を出しました。
 スリーマイル事故の7年後にチェルノブイリの事故が起きました。核暴走事故でした。ゴルバチョフ書記長の「我々は核戦争のあとを経験してしまった」と述べている映像が映し出され、私は衝撃を受けました。チェルノブイリ原発から30kmが強制避難地域になりました。
 詳細が分からないうちに、国は原子炉の形が違うから日本の原発は安全だと直ぐさま安全宣言を出しました。和歌山では推進の動きが活発になりました。チェルノブイリから8000km離れた日本にも放射能が飛んできました。地球規模の放射能汚染でした。私たちは環境に放射性物質がばらまかれるとどうする事も出来ないし、人間の手に負えない事を知ることになりました。
 ドイツの大学では生殖器が被ばくするから芝生に座らないようにと学長が注意。フィンランドの女性1000人が子どもを産まないデモを繰り広げました。ヨーロッパからは原発計画の見直しの情報が次々入ってきました。しかし日本では国と電力会社は原発は安全だと言い続けました。
 この時、私は何としても和歌山の原発建設を止めたいと思いました。私一人ではありませんでした。同じ思いのお母さんたちがたくさんいました。
和歌山県の原発立地計画は1967年から4町5か所になりました。しかし現地の人たちは原発の危険性を早くから見抜いていました。「青い空・青い海・青い山を子どもたちに残そう」と故郷を守るために反対を繰り広げました。1968年日高郡の14漁協は県知事への陳情で「県当局は如何に如何様にこの危険物を誘致に、誘導するか。世界最大なる危険物の取扱により人類の抹殺、且つ沿岸漁民を餓死に導くがごときこと、これが施策か(略)かかる世界人類最大の危険物の誘致に対して漁民の真意をよく御諒察頂き,………」とこれは今から45年前のものです。日置川町では1988年、今から25年前「町を荒廃させる原発より過疎の方を選びたい。それが子孫に残してやれる唯一の道」と言った町長候補が勝ちました。和歌山の反対してきた人たちが何を守ってきたのかを知らしめるものです。現在、和歌山県には原発は1基もありません。

2011年3月11日、現実に日本でレベル7の原発事故が起こってしまいました。メルトダウンが起きていたにも関わらず、直ぐに国民に知らせませんでした。ただ一つの予防策ヨウ素剤をほとんどの子どもたちに飲ませませんでした。放射性ヨウ素を子どもたちは体内に取り込んでしまいました。現在日本の法律の基準では当然放射性管理区域になるべきところに子どもが住んでいます。この現実を私たちは直視しなければなりません。
 好むと好まざるに関わらず、私たち関西の人間も福島の事故で被ばくしてしまいました。これからも被ばくは続きます。放射性物質は見えない上に、においも色もついていません、痛くもかゆくもありません。人間の五感には感じることが出来ません。が、環境中にばらまかれた放射能に被ばくし必ず影響を受けます。特に子どもたちについては大人の何倍もの影響があります。半減期が約30年のセシウムは、子どもたちのこれからの人生で影響は避けられません。

 幼い子供を抱えて福島や関東から和歌山にも避難してきたおかあさんたちは、子どもに被ばくさせてしまった親としての苦しさと家族離れ離れによる子どもたちの不安定さに苦しんでいました。
 「こわくて次の子どもが産めない」「安心して子どもを育てたい」というお母さんの声は切実です。なんとしても安心して子どもを生み育てられる環境を未来の子どもたちに引き継がねばなりません。
 まず地殻変動の激しい日本で、原発を稼働させない事。環境汚染と「核のごみ」をこれ以上増やさない事。いま唯一動いている大飯3・4号を未来の子どもたちのために、速やかに停止させて下さる事を求めます。
 
報 告
5月22日 大飯原発3.4号運転停止行政訴訟第5回法廷で私は初めて上の
陳述書を読み上げました。
7月1日 第6回法廷は、今まで運転停止命令を求める法的根拠は電気事業
法でしたが、新法によって根拠法が原子炉等規制法に変わりました。新基準になるため訴えが変わる部分と、新基準になっても訴えが変わらない部分を整理してまとめて提出することになりました。次回第9回法廷は9月25日です。
裁判のあと「ト―コ―シティホテル梅田」で、報告集会がありました。
そこに原発ゼロノミクマさんが参加されました。このあと天神橋商店街や地下鉄に
も乗って来たそうです。
私も京都の坂本さん(実家和歌山)と一緒に記念撮影。後ろの垂れ幕は大飯
原発3.4号の運転停止を求めよう!です。

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 ※金原注 「美浜の会」サイトに7月1日の「大飯原発3・4号運転停止行政訴訟第6回法廷 報告」が掲載されています。
 

(6頁)
 
  福島県 県民健康管理調査(6月5日検討委員会で報告)  
  事故時18歳以下だった子ども約36万人のうち2011年度
  2012年度の一次検査実施済みの合計17万5499人の
  ち甲状腺がんで手術を受けた子どもは12人、疑いは15人
  と報告。
 
しかし調査を担当している福島県立医大は甲状腺がんと原発事故との関連性を否定している。
 
詳しくは福島県のホームページに載っています。
 
※第11回「県民健康管理調査」検討委員会(平成25年6月5日開催)配布資料の内、資料2「県民健康管理調査『甲状腺検査』の実施状況について」(pdf)