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『なぜ憲法を守りたいのか?』(2007年に私が考えていたこと)

 今晩(2013年8月1日)配信した「メルマガ金原No.1436」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
なぜ憲法を守りたいのか?』(2007年に私が考えていたこと)
 
 ふとした機会に、何年も前に書いた自分の文章を読み返すことがあります。どうてこういうことを書いたのか?と自分で首を傾げることもありますが、しばらく忘れていた当時の自分の姿がよみがえってきて、新鮮な気持ちを呼び覚まされることもありす。
 以下にご紹介する『なぜ憲法を守りたいのか?』という文章は、青年法律家協会弁護士学者合同部会が発行する機関誌「青年法律家」が、各地の会員に毎号執筆を依頼していた「改憲案をどう見るか[わたしの意見]」という連載の1編として執筆したものです。
 青法協事務局にメールで原稿を送信したのが2007年2月4日のことでしたので、掲載されたのは多分432号あたりだったと思うのですが、その前後のバックナンバーはあるのに、432号だけが見当たりません。
 多分、掲載されたことは掲載されたと思うのですが。
 
 言うまでもなく、この連載のタイトルとなっている「改憲案」というのは、自由民主党が、2005年10月28日に公表した「新憲法草案」のことで、同党が2012年4月27日に公表した日本国憲法改正草案」のベースとなったものです。
 
「新憲法草案」(2005年)
日本国憲法改正草案」(2012年)
 
 青法協本部事務局から執筆依頼を受けて、自民党「新憲法草案」について、「さて何を書こうか?」と考えた結果が、以下のとおりの文章となった訳です。
 私は、当時、「憲法9条を守る和歌山弁護士の会」の2代目事務局長を引き受けていましたが、以下の原稿にも書いたように、それまで特に憲法についてに研究していた訳でもなく、もののはずみで事務局長になってしまったものの、到底「理論派」と言えるほどの知的蓄積はないという自覚がありました。
 かといって、戦後生まれの私に直接の戦争体験があるはずもなく、自分の立ち位置をどのように定めればよいのか、ということは密かな悩みの種でした。
 そして、2006年9月に行われた「和歌山司法9条の会」の設立総会で、簡単な講演を依頼された際、その場の思いつきでしゃべった冒頭の「マクラ」が、「文学派(文章派)護憲論」だったという次第です。
 その後、「青年法律家」への寄稿を含め、公的な場で2~3回は話したような憶がありますが、その後、忘れるともなく忘れてしまっていました。
 次第に、自分なりに憲法について学び直し、憲法を語る自らのことばが増えてったことも、「文学派(文章派)護憲論」を語らなくなった一因でしょう。
 
 そして、私自身、2011年3月11日を境に、憲法よりも原発問題に関わるウェトが増大し、翌2012年1月には「憲法9条を守る和歌山弁護士の会」事務局長職を後進に譲ったのですが、それから間もない同年4月27日、自民党「日国憲法改正草案」に遭遇したという訳です。
 
 今、新たに『なぜ憲法を守りたいのか?』というテーマで文章を書くとすると、6余りと違ったものになるのは当然でしょうが、とはいえ、2012年版改憲案に対しも、2005年版に加えた評価を修正しなければならないとも思えません。
 ただし、今後も自民党「日本国憲法改正草案」を批判する機会はあるはすが、その際「文章がまずいからだめだ」とは多分言わないでしょうね。
 

 
              改憲案をどう見るか[わたしの意見]
             
                               金 原 徹 雄
 
 2005年5月に「憲法9条を守る和歌山弁護士の会」が、当時74名であった和歌山弁護士会会員の半数を超える39名の参加を得て設立されたが(ちなみに、この稿を執筆している2007年2月の段階では84名中46名)、私自身はといえば、青法協和歌山支部の会員として設立準備に協力はしていたものの、自分の意識の中における憲法問題の優先順位が、必ずしも最も高かったという訳ではなかった。
 しかし、同年10月28日に公表された自民党の新憲法草案を読み、さらに、翌2006年1月には、「憲法9条を守る和歌山弁護士の会」の2代目事務局長を引き受けるに及んで、自分自身がもう引き返せないところまで来てしまったとの思いが強い。
 事務局長就任後は、県下の地域や職域の9条の会から講師に呼ばれることも多くなり、新憲法草案や国民投票法案を批判的に解説することを重ねることとなったが、そのうちに、自分が何故日本国憲法を守りたいのかという主題についての一応の答えを自覚するようになった。
 以下は、講師活動の中でようやく自覚するに至った自らのルーツについての紹介である(2006年9月にある職域9条の会の設立総会でお話した内容に若干の手直しを加えたもの)。
 
                 なぜ憲法を守りたいのか?
 

 

私を含め、憲法(とりわけ9条)を守ろうとしている人たちは、なぜ憲法を守りたいと考えているのでしょうか?この問いに対する自分なりの答えを見つけることが、護憲のための活動を継続していく上で最も重要なことだと思います。もちろん、その答えは一様ではあり得ません。
 先ほど挨拶された月山先生(同じ会合に出席された月山桂弁護士。司法修習2期。当会現役最長老の会員であり、八十代になった今も、憲法を守る活動の先頭に立っておられる)は、学徒出陣を経験され、その後の戦争体験から、憲法を守る必要を熱く説いておられます。「戦争体験派」と申し上げて良いでしょう。しかしながら、私は、「ゴジラ」や「七人の侍」、それに「自衛隊」と同じ昭和29年生まれであり、直接の戦争体験はありません。
 また、とても「理論派」と言えるだけの研究などしてきていませんし、どのような党派的立場にも立っていません。
 そんな私が、何故、「憲法9条を守る和歌山弁護士の会」の事務局長など引き受けているのでしょうか?
 最近ようやく気が付いたのですが、おそらく私は「文学派」なのだということです。あるいは「文章派」と言ってもよいでしょう。
 私は、子どものころから本を読むことが大好きで、司法試験の合格が遅くなったのも、受験勉強そっちのけで好きな本を読みまくっていたからに違いありません。そのような50年近い読書歴を経て、「文は人なり」という格言は真実であるといよいよ実感するようになりました。これは、ある程度まとまった文章を読めば、執筆者の人となり、思想、見識などはほぼ正確に判断できるということでしょうが、実は、多数の人間がよってたかって作り上げた文章にも「文は人なり」という格言はあてはまると私は信じています。
 特に、憲法のような根本規範にあっては、集団によって書かれたものであっても、その集団が何に価値を認め、どのような思想を有しているのか、さらに言えば、彼らの「集団としての人格」が尊敬に値するかどうかが露わにならざるを得ません。自民党が昨秋公表した「新憲法草案」を到底容認することができないのも、その文章を一読したときの「何という志の低い文章なのか」という直感が原点でした(特に前文に顕著ですが、九条以下の各条項においても同様です)。もちろん、文章がまずいからダメだということだけで人を説得することは出来ませんから、それなりの理論武装も必要ですが、私の憲法を守りたいという原点は、「文は人なり」というところにあったのです。