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集団的自衛権の「定義」について

 今晩(2013年8月14日)配信した「メルマガ金原No.1451」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
集団的自衛権の「定義」について
 
 事前報道のとおり、去る8月8日(木)午前の閣議において、新たな内閣法制局官に小松一郎フランス国駐箚(ちゅうさつ)特命全権大使を充てる人事が決定され、菅義偉(すがよしひで)官房長官によって直ちに発表されました。
 既に閣議前から、この「禁じ手」の強行を批判する声が各方面からあげられていましたが、正式決定以降、多くの新聞(大半が地方紙)が、集団的自衛権行使を容認する憲法解釈の変更に突き進む安倍政権に対して強く警鐘を鳴らす社説を掲載しています。
 末尾に、NPJ(News for the People in Japan)で紹介された情報を基に、この人事を批判した新聞社説(論説)をご紹介しておきます(各紙において長短はありますが大半が期間限定掲載と思われます)。
 
 この人事がなぜ「禁じ手」かということについては、以下の文章を読んでいただくのが早道だと思います。
 
(引用開始)
ところで安倍首相は、集団的自衛権に関する「有識者懇談か」の設置に前後して、内閣法制局に対し憲法解釈の変更を求めたと報じられているが、仮にこうしたことが許されるならば、政権交代がおきる度ごとに、政権の圧力によって解釈が変更されていくという、異常な事態が生じることになるであろう。
(引用終わり)
 
 私見によれば、以上の「政権交代がおきる度ごとに」は、「総理大臣が代わる度ごとに」と言い換えた方が良いのではないかと思いますが、それはさておき、以上の文章は最近書かれたものではありません。2007年7月に発行された『集団的自衛権とは何か』(岩波新書)という著書の「はじめに」において、著者の豊下楢彦(とよしたならひこ)氏が書かれたものです。
 いかに碩学の豊下先生でも、6年後の今日の事態を正確に予測されていた訳ではないと思いますが、何らかの虫の知らせがあったのでしょうか、上記の文章は「はじめに」の末尾に印象的に記されていました。
 
 今日は、末尾に一覧を掲げた全国の新聞社説に目を通した上で、私が一番気になったことを書いてみたいと思います。   
 それは、集団的自衛権の「定義」についてです。この点について各紙がどう書いているかというと、「同盟国が攻撃を受けたときに自国が攻撃されていなくても反撃できる権利」(8/9信濃毎日)、「自国と密接な関係にある外国への武力攻撃を実力をもって阻止する集団的自衛権」(8/9東京)、「自国が直接攻撃を受けていなくても
同盟国への武力攻撃を実力で阻止できる権利」(8/9熊本日日)と、ほとんど同じですね。
 この定義は、現在に至る歴代内閣の集団的自衛権に関する公権解釈の基礎となった、1972年10月14日に政府(田中角栄内閣)が参議院決算委員会に提出した「資料」に記載されていた集団的自衛権の定義「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止すること」を踏まえたものと思われます。
 
 そして、この「定義」は、単なる政治学の用語としての「集団的自衛権」に与えられた「定義」ではなく、国連憲章2条4項によって武力行使が一般的に禁止された国連加盟国にとって、例外的に武力行使が容認される3類型の1つとしての「集団的自衛権」(憲章51条)を意識した「定義」であることは明らかです。
 
(参考条項)
国際連合憲章(国連広報センター日本語サイトより)
第2条
4 すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使
を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない。
第42条
安全保障理事会は、第41条に定める措置では不充分であろうと認め、又は不充
分なことが判明したと認めるときは、国際の平和及び安全の維持又は回復に必要な空軍、海軍または陸軍の行動をとることができる。この行動は、国際連合加盟国の空軍、海軍又は陸軍による示威、封鎖その他の行動を含むことができる。
第51条
この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合
には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当って加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。また、この措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持または回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの憲章に基く権能及び責任に対しては、いかなる影響も及ぼすものではない。 
 
 1972年に日本政府が示した集団的自衛権の「定義」は、国連憲章51条を踏まえたものであって、その限りではもちろん「正しい定義」なのですが、現在の時点において、私たち日本人が「集団的自衛権」を論じる場合の「定義」としては、誤りとは言えないまでも、明らかに「不十分」であろうと思います。
 それは、日本にとって「密接な関係にある外国」、すなわちアメリカ合衆国の「同盟国」が、過去「集団的自衛権」の名の下に、米国に対する「攻撃」に対し、どのように「実力をもって阻止」する行動をとったのかを歴史的に検証したならば、この「定義」が実質的に破綻していることが明らかになると思うからです。
 
 古い例と新しい例を1つずつ考えてみましょう。
 まず、ベトナム戦争に参戦した韓国の場合です。
 韓国は、1964年から1972年にかけて、最も多い時期には5万人もの兵員をベトナムに派兵していましたが、韓国がベトナム民族解放戦線や北ベトナムから攻撃を受けたという話は聞いたことがありませんから、国連憲章51条の個別的自衛権の行使でないことは言うまでもありません。また、北朝鮮の侵攻を侵略と認定した安保理決議があった朝鮮戦争とは異なり(当時、ソ連は安保理をボイコットしていたため拒否権を行使できなかった)、ベトナム戦争には武力行使を容認する安保理決議はありませんでした。ということは、消去法で結論が出る訳で、韓国のベトナム戦争参戦国連憲章上の根拠は集団的自衛権です。
 参戦の見返りとして、米国からの経済援助や同国への移民枠の獲得など、その後の経済発展の重要な緒をつかんだとも評されますが、約5000人の戦死者を出し、帰還兵士が枯れ葉剤を浴びた後遺症で苦しみ、現地ベトナムでの韓国軍による虐殺事件が語り継がれるなど、韓国やベトナムに大きな傷跡を残した参戦でした。
※朝日新聞アーカイブ「歴史は生きている 韓国 軍も企業もベトナム参戦」
 
 ところで、この韓国のベトナム戦争参戦は、「韓国と密接な関係にある米国に対する武力攻撃を、韓国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止する」ためのものだったことになるのですが(1972年の日本政府の定義を借用)、この「定義」でしっくりきますか?
 しっくりこないとすれば、それは「米国に対する武力攻撃」の部分でしょう。誰が考えても、ベトナム戦争は、米国が「介入」して拡大していったのであって、北ベトナムやベトナム民族解放戦線が「米国に対する武力攻撃」をしかけたことで始まった戦争ではないですからね。
 もっとも、当時の米国は、まだ国連憲章51条の規定を表面上は尊重しており、そうであればこそ、米海軍駆逐艦が北ベトナム哨戒艇から魚雷攻撃を受けたという事件をねつ造(1964年のトンキン湾事件)までする必要を感じていたのですから。ところが・・・。
 
 2003年3月、米軍が主体となり、これにイギリス軍、オーストラリア軍、ポーランド軍が加わってイラク戦争が始まりました。ところで、米国はこの戦争を、どのような理論によって合法と主張したのでしょうか。
 米国は、イラクから「武力攻撃」を受けたわけではありませんから、本来、国連憲章51条に基づく個別的自衛権も集団的自衛権も、発動できる要件を欠いていたはずです。
 そうであればこそ、米国は、最後まで国連安全保障理事会による軍事行動承認決議を得ようと理事国に働きかけていましたが(何と日本も協力していたとか)、常任理事国のフランスが拒否権行使を明言していただけではなく、非常任理事国多数の支持を得る見通しも立たず、結局、安保理決議は断念し、開戦に踏み切りました。
 それでは、米国等の有志連合によるイラク攻撃は違法な「侵略」であったのか?ということですが、私はそう言うしかないと思います。もっとも、それを国際社会に訴えるべきフセイン政権は軍事的に打倒されてしまったため、米国の「犯罪」が公的に裁かれることはないでしょうが。
 集団的自衛権との関係で重要なことは、米国がイラク戦争を正当化するために使ったロジックにこそあります。これは、前掲の豊下楢彦氏著『集団的自衛権とは何か』(36頁)からの孫引きですが、2003年3月17日、米国のジョージ・ブッシュ大統領は、イラクに対して最後通牒を突きつけた演説において、以下のように述べたそうです。
 
(引用開始)
われわれは行動を起す。行動しないリスクの方が極めて大きいからだ。すべての自由な国家に危害を加えるイラクの力は、1年、あるいは5年後に何倍にもなるだろう。この力を得れば、サダム・フセインと彼のテロリスト連合は、最強となったときに破壊的な紛争の機会を得ることができる。この脅威が突然、われわれの空や都市を脅かす前に、われわれは今、脅威が発生する場所で、脅威に立ち向かうことを選択する。
(引用終わり)
 
 この論理を(認めるか否かは別として)「先制的自衛権」という概念で説明することが一般的だと思うのですが、豊下先生は、端的に「予防戦争」「先制攻撃論」という、より適切な概念で説明しておられます。
 さて、そこでイラク戦争集団的自衛権です。
 開戦後、イラク戦争に参戦した国はさらに増加し(ここに「日本」をカウントするかどうかが問題ですが)、(ウイキペディアからの孫引きで申し訳ないのですが)「陸戦研究」誌2008年8月号が集計した同年4月までの参加国戦死者統計によると、米国(4桁)、英国(3桁)以外の国で、2桁の戦死者を出した国がイタリア、ポーランド、ウクライナ、ブルガリア、スペインの5カ国にのぼっています(1桁は14カ国)。
 どの国も、「集団的自衛権の行使」として自国兵士を派兵したのでしょう(そうとしか説明のしようがありませんから)。つまり、「(例えば)イタリアと密接な関係にある米国に対する武力攻撃を(何年先にそうなるか分からない単なる想定であるが)、イタリアが直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止すること」ということになるの
ですが、これって「言葉遊び」にもなりませんよね。
 しかし、冗談ではなく、れっきとした「戦死者」を出しているのですからね。
 そして、日本です。
 小泉純一郎首相(当時)は、イラク開戦直後に「アメリカの武力行使を理解し、支持いたします」と表明し、イラク南部のサマーワに陸上自衛隊の施設隊を派遣し、さらにその後、航空自衛隊の輸送隊を派遣しました。
 その派遣根拠は、イラク特措法に基づく「人道復興支援活動」と「安全確保支援活動」ということになっていました。
 今、第2次安倍晋三政権は、第1次政権当時に実現できなかった集団的自衛権行使容認の解釈改憲に向かって突き進んでいます。
 
 そこで、冒頭の問題意識に戻ります。集団的自衛権の「定義」は今のままでいいのですか?ということです。
 何度も引用しますが、豊下楢彦先生は、2007年の著書『集団的事件とは何か』の第1章「憲章51条と『ブッシュ・ドクトリン』」の末尾で既に次のように述べておられました。
 
(引用開始)
日本も先制攻撃に加わるのか
 「ブッシュ・ドクトリン」以来、自衛権概念をめぐる状況は大きく変化した。ところがこの間、日本において集団的自衛権が論じられるとき、そこでの自衛権概念が憲章51条に基づいたものなのか、「ブッシュ・ドクトリン」に基づいたものなのか、この根本的な問題が完全に素通りされているのである。そもそも、この点を明らかにしないままに議論を展開することは、全く意味をなさないのである。
(引用終わり)
 
 私は、日本の自衛隊が、ベトナム戦争における韓国軍のような「参戦」をすることは絶対に容認できないし、イラク戦争におけるイタリアやポーランド(というよりは英国でしょうね)のような「参戦」をすることも許せません。
 それは、明確に日本国憲法が禁じていることであるし、あえて言えば、歴代政権や自衛隊員らの努力・献身をさえ無にしようとする許し難い「暴挙」であると確信するからです。
 集団的自衛権については、他にも色々書きたいことがありますが、長くなり過ぎるのでこの辺にしておきます。
 ただ、最後に一言。
 もしもまだ豊下先生の『集団的自衛権とは何か』を読んでいない人がいれば、絶対に読んでください。全国民必読の書です!
 
 
(新聞各紙の社説に掲載された内閣法制長官人事と集団的自衛権に関する論説)
 
2013年8月3日 信濃毎日新聞
法制局長官 見過ごせない交代人事
2013年8月3日 朝日新聞
集団的自衛権―まず人事権の行使とは
2013年8月5日 愛媛新聞
内閣法制局長官人事 集団的自衛権行使への禁じ手
2013年8月7日 岩手日報
集団的自衛権 「容認ありき」は危うい
2013年8月7日 南日本新聞
[法制局長官人事] 憲法論議は真正面から
2013年8月7日 琉球新報
法制局長官人事 「法治」の原則捨てるのか
2013年8月8日 北海道新聞 
集団的自衛権 行使容認は禍根を残す
2013年8月8日 秋田魁新報 
集団的自衛権 拙速を避け議論重ねよ
2013年8月9日 茨城新聞 
集団的自衛権 憲法解釈の変更で済むのか
 (掲載期間終了)
2013年8月9日 信濃毎日新聞 
法制局長官 憲法解釈の一貫性を守れ
2013年8月9日 京都新聞 
法制局長官交代  容認できぬ強引な手法
2013年8月9日 高知新聞 
集団的自衛権】国民的議論が欠かせない
2013年8月9日 熊本日日新聞 
法制局長官人事 平和憲法の歯止め外すのか
2013年8月9日 東京新聞 
なし崩し変更許されぬ 集団的自衛権を考える
2013年8月9日 毎日新聞 
集団的自衛権 なし崩しはいけない
2013年8月9日 山陰中央新報 
集団的自衛権」/憲法解釈の変更で済むのか
2013年8月10日 福井新聞 
集団的自衛権 国民が納得いく議論必要
2013年8月10日 徳島新聞 
集団的自衛権 解釈変更での容認疑問だ
2013年8月10日 西日本新聞 
集団的自衛権 人事で変更は強引すぎる
2013年8月10日 沖縄タイムス 
[法制局長官人事]解釈改憲は許されない
2013年8月11日 宮崎日日新聞 
2013年8月13日 岐阜新聞 
集団的自衛権 憲法解釈変更で済むのか

 

 (掲載期間終了)