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安倍晋三首相の“歴史認識”と加藤陽子氏の“歴史家としての役割の自覚”

 今晩(2013年8月18日)配信した「メルマガ金原No.1455」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
安倍晋三首相の“歴史認識”と加藤陽子氏の“歴史家としての役割の自覚”
 
 NHKテレビ(平日に総合と教育で1回ずつ放送)「視点・論点」という10分番組には、非常に興味深い論者が出演されることもありますが、平日の早朝と昼間という間帯での放送のため、なかなか視聴する機会がない方が多いと思います。
 
 さて、今日取り上げようと思うのは、去る8月15日の「視点・論点」に出演した加藤陽子東京大学教授による「“終戦の日”と歴史家の役割」ですが、これをお読いただく前提として、5月15日に開催された参議院予算委員会における安倍晋総理大臣の発言を、議事録から抜粋してご紹介します。これは、安倍総理の「歴史認識」について質した民主党小川敏夫議員に対する答弁です。
 
(引用開始)
〈日本が中国を「侵略」したという認識を持っているかと質されて〉
 私は今まで日本が侵略しなかったと言ったことは一度もないわけでございますが、し
かし、言わば歴史認識において私がここで述べることは、まさにそれは外交問題政治問題に発展をしていくわけでございます。言わば私は行政府の長として、言わば権力を持つ者として歴史に対して謙虚でなければならない、このように考えているわけでありまして、言わばそうした歴史認識に踏み込むことは、これは抑制するべきであろうと、このように考えているわけでございます。つまり、歴史認識については歴
史家に任せるべき問題であると、このように思うところでございます。
(略)
 つまり、それは、今委員が議論しようとされていることこそ歴史認識の問題であって、
そこに言わば踏み込んでいくべきではないというのが私の見識であります。つまり、ここで議論することによって外交問題あるいは政治問題に発展をしていくわけであります。つまり、歴史家が冷静な目を持って、そしてそれは歴史の中で、まさに長い歴史とそして試練にさらされる中において確定をしていくものでもあるということだろうと思い
ますが、つまりそれは歴史家に任せたいと、こういうことでございます。
〈日本が韓国を「植民地支配」したという認識を持っているかと質されて〉
 韓国あるいは朝鮮半島の人々に対して日本は過去大変な被害を与え、そして苦
しみを与え、まさにその痛惜の念、反省の上に立って今日の日本があるわけでございまして、その上に立って、自由で民主主義な、そして基本的人権を尊ぶ、法の支配を守る国としての今日の歩みがあるわけでございます。その中において、まさに我々は、
今申し上げましたように、国際社会において大いなる貢献をしてきたところでございます。
 先ほども申し上げましたように、言わば歴史認識にかかわることについては、私がここで様々なことを申し上げることは、これは政治問題、外交問題に発展をしていくわけでございますから、これはまさに歴史家に任せる問題であろうと、このように思います。
(引用終わり)
 
 この答弁に至るまでには色々な経緯があったのですが、政治家は(少なくとも行政府の長、権力を持つ者は)「歴史認識」を述べるべきではないと主張する国家指導者って、外国にもいるのでしょうかね?いたら是非教えてもらいたいものですが。
 
 さて、中国を「侵略」したのかどうか、韓国を「植民地支配」したのかどうか、安倍首相から「任せたい」と言われてしまった歴史家は、どういう風に応えているのでしょうね。歴史学会の動きなど全くフォローしていないので何とも分かりかねますが、少なくも、ここにはっきりと「任せられてしまった歴史家は、それでは何をなすべきなのでしょか」という問を自らに発し、一つの答えを公にしたのが加藤陽子さんです。
 8月15日に放送された「“終戦の日”と歴史家の役割」がそれです。
 「視点・論点」では、放送内容を文字化したアーカイブスが「NHK解説委員室」のサイトに一定期間掲載されます(現在は2011年3月21日以降分を読むことができます)。
 
 加藤教授は、「歴史家の最も重要な役割の一つは」「死者と生者とをつなぐ仲介者としての役割にある」とした上で、戦没者を追悼する」と言った場合、「生きている者の都合によって戦没者の思いを忖度する態度ではなく、多様な戦没者の声の中味それ自体を知ろうとする態度が大切」であることを指摘し、「8月15日という日の意義」が、「戦後68年の間、平和を積み重ねてきた国民の長きにわたる努力を噛みしめる日」であることを強調します。
 そして、歴史家のもう一つの役割が、「過去の日本の戦争に関して言えば、戦争が起こされた本当の原因と、国家が国民に対して行った説明が異なっていたということ、この歴史の事実を伝えること」であるとして、以下のとおり、満州事変を例として、歴史家として述べなければならない「歴史認識」を明らかにします。
 
(引用開始)
 1931年9月に関東軍が起こした満州事変を例に取って話をしますと、事変の計画者・石原莞爾が事変を計画した理由は次のようなものでした。
 図をご覧ください。日露戦争後、日本とロシアが、中国東北部、すなわち満州南北の勢力範囲で分けた線が、黒の太線になります。この境界線は、満州平野穀倉地帯を横切りますので、石原は、ここで再び日ソ両軍が戦うのは、鉄道輸送と食糧調達という点でソ連軍に有利になると判断しました。そこで、日ソが対峙する線を北に上げること、すなわち、防衛線を中国とソ連の国境線である赤の太まで上げようと考えます。そうすれば、西側と北側にある大山脈が天然の要害となってくれるからです。これが、全満州の占領を計画した石原なりの理由でした。
 一見すると満州事変は、中国のナショナリズムの昂揚に対して、日本の満蒙権
を擁護しなければならないとする危機感から起こされたように見えます。しかし、事変の計画者の念頭には中国の姿はなく、将来的に予想されるアメリカとの戦争の際の基地とするため、また、ソ連の脅威に対抗するための全満州の軍事占領だけがありました。
 軍の計画立案者の真意は、まさにそこでしたが、このような真の意図については、国民の前には決して明らかにされませんでした。軍や在郷軍人会は、満州事変前の年、国防思想普及運動というものを全国展開します。ある軍人が農民に向って演説した内容を、後に満鉄調査部に勤務する石堂清倫が聴き取ったものから再現しておきましょう。
 「諸君は五反歩の土地をもって、息子を中学にやれるか、日本は土地が狭くて口が過剰である。このことを左翼は忘れている。だから、国内の土地所有制度を根本的に改革することでは改革はできない。ここでわれわれは、国内から外部へ眼を転じなければならない。満蒙の沃野を見よ。〔中略〕諸君は五反歩ではなしに一躍十町歩の地主になれる。つまり旦那衆になれる」。
 こう述べて、世界恐慌の影響で疲弊していた農民に、満州の価値を説きました。そのあとには、中国が条約を守らない国だとの批判を続けるのが常でした。日本が日露戦争の勝利によって得た権益を、中国側は侵害していると、軍や在郷軍人会は強調しました。その最たる例が、満鉄の平行線禁止をめぐる問題でした。満鉄の利益を確保するため、満鉄に並行して走るような鉄道は作らない、このような秘密議定書の取決めがあるのに、中国側はそれを守らず自分たちの鉄道を引いてしまった、と批判していたのです。
 しかし、この取決めは、実のところ、条約でも、秘密議定書でもなく、単なる会録中の発言に過ぎないものでした。この取決めが正規の条約などではなかったことについて、明治時代の日本側の当局者は自覚しておりました。しかし、明治も遠くなりますと、こうした過去の正確な事実関係を知らない、あるいは故意に知らないふりをする人々が登場します。彼らは、満州の土地に対する農民の欲望を掻き立て、中国という国家への日本人の敵意を増幅しました。
 私たちは現在を捉え、将来を予測する際に、無意識に過去の事例と対比しつ
判断を下します。その、対比を行うためのファイルを良質で豊かなものにするお手伝いをする、これこそが歴史家の務めだと考えています。
(引用終わり)
 
 自民党が、憲法96条先行改憲を目論んでいるということが明らかになって以降、多くの「志」ある憲法学者は、その「非」を訴えて声をあげました。
 はたして、歴史学者はどうなんでしょうか?
 
(参考サイト)