今晩(2013年8月24日)配信した「メルマガ金原No.1461」を転載します。
なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
8月17日付の中国新聞の記事から一部引用してみましょう。
(抜粋引用開始)
原爆の悲惨さを描いた漫画「はだしのゲン」の描写が過激であるとして、松江市教委が昨年12月、市内の小中学校に学校図書館での子どもの閲覧を制限し、貸し出しもやめるよう要請していたことが16日、分かった。出版物の表現の自由に行政が介入する異例の事態といえ、議論を呼びそうだ。
「はだしのゲン」は、昨年12月に亡くなった広島市出身の漫画家中沢啓治さんの代表作。松江市教委が「子どもの発達上、悪影響を及ぼす」と判断したのは、汐文社(東京)発行の「はだしのゲン愛蔵版」1~10巻のうち、後半の6~10巻。中国大陸での旧日本軍の行動を描いたシーンでは、中国人女性の首を切ったり性的
暴行を加えたりする場面があった。
市教委によると、昨年12月に小学校全35校、中学校全17校を対象に開いた校長会で、本棚に置かず倉庫に収める「閉架」とするよう口頭で求めた。同時に、貸し出しもしないよう伝えた。作品を所有する各校は要請を受け入れ、閲覧を制限しているという。
(引用終わり)
松江市教育委員会によるこの措置と、それ以前の在特会関西支部による同教育委員会に対する執拗な『はだしのゲン』撤去要求行動との関係を指摘する向きも多く、その可能性も否定しがたいとは思いますが、確言できるだけの材料の持ち合わせもないので、比較的フェアに色々な情報を集めていると思われるサイトを1つご紹介しておきますので、関心のある方は、ご自分で情報収集した上でご検討ください。
参考までに、この問題を取り上げた新聞社説を、NPJ(News for the People in Japan)サイトでの紹介を基に、末尾にまとめておきました。
ところで、この『はだしのゲン』騒動に触発されて立ち上げられたサイトがあります(以前から準備はしていたのかもしれませんが)。
それは、「父のアルバムが語る日中戦争」というサイトです。
ただし、すぐにクリックしてこのサイトのホームページを閲覧するのではなく、「残酷な光景が撮影されている写真」が(その種の写真は1枚だけですが)掲載されているということを十分認識された上で閲覧されるようにお願いします。
サイト開設者から星野さん宛に送られたメールには、このように公開の趣旨が語られています。
「○○です。
『はだしのゲン』をめぐって日本軍の加害行為が話題になっている
この機会に父の残したアルバムを公開することといたしました。
父の作品(?)がお役にたてば嬉しいです。
拡散歓迎です。写真は分かり易いです。
父のアルバムが語る日中戦争
立ち上げられて間のないサイトなので、これからおいおい掲載写真も増えていくのかもしれませんが、現在のところ、以下の3つのコーナーで構成されています。
ホーム(アルバムが語る加害行為と平凡な日常生活)
※このページの最初の1枚(「試し切り」)が上に指摘した写真です。
戦場の子どもたち
行軍
残虐な写真は1枚だけであり、地元の子どもたちとの「記念写真」とおぼしい写真などもあります。
しかし、これらの写真から何を「想像」するか、1人1人が自らの内なる「戦争観」と否応なく向き合わざるを得ないと感じました。
皆さんも、1枚ずつじっくりと見ながら、写真に切り取られた日本兵や中国人のそれぞれの人生に思いをはせていただければと思います。
最後に、サイト開設者が、「父のアルバムが語る日中戦争」の中に書かれた文章の一部を引用します。
(引用開始)
父は一言も語らなかった(語れなかった)
(1)生前、父は私(現在60歳代)に中国での戦争体験について一言も語らなかった。とても家族に言えないような事をしたのであろうと、私は後に悟った。同世代の友人の父親も日中戦争についてはほとんど語っていない。いくら国の命令とは云え、他国を蹂躙し人命を奪った非道な行為をわが子には言えないであろう。世論操作に騙されたとか最高責任者が加害責任を取らなかったという言い訳で良心が免罪されるとは思えない。
(2)父の唯一の趣味は写真だった。日中戦争の頃は規制も緩かったようで、写真撮影は部隊の中でも重宝された様子が窺える。父は一言も語らなかったが、アルバムは日中戦争の真実を残してくれた。
(3)はだしのゲンの首切り場面が残虐だから子どもに見せないという。違う違う、70数年前に何百万人の男達が、子どもに言えないような加害行為を国の命令で行った事実を知らせるべきだ。
「過去に眼を閉ざす者は、未来に対してもやはり盲目となる」(ヴァイツゼッカー元大統領)
(4)ダウンロード、リンク自由:本サイトの目的は、父の残した日中戦争の写真を平和に役立てることです。この目的に沿うものであればダウンロード、リンクは自由です。
(1)生前、父は私(現在60歳代)に中国での戦争体験について一言も語らなかった。とても家族に言えないような事をしたのであろうと、私は後に悟った。同世代の友人の父親も日中戦争についてはほとんど語っていない。いくら国の命令とは云え、他国を蹂躙し人命を奪った非道な行為をわが子には言えないであろう。世論操作に騙されたとか最高責任者が加害責任を取らなかったという言い訳で良心が免罪されるとは思えない。
(2)父の唯一の趣味は写真だった。日中戦争の頃は規制も緩かったようで、写真撮影は部隊の中でも重宝された様子が窺える。父は一言も語らなかったが、アルバムは日中戦争の真実を残してくれた。
(3)はだしのゲンの首切り場面が残虐だから子どもに見せないという。違う違う、70数年前に何百万人の男達が、子どもに言えないような加害行為を国の命令で行った事実を知らせるべきだ。
「過去に眼を閉ざす者は、未来に対してもやはり盲目となる」(ヴァイツゼッカー元大統領)
(4)ダウンロード、リンク自由:本サイトの目的は、父の残した日中戦争の写真を平和に役立てることです。この目的に沿うものであればダウンロード、リンクは自由です。
1937年 南京
父のアルバムに「1937年12月南京」の文字を見た時は体がこわばった。父があの時あの場所に居たとは知らなかった。
父があの時南京に居たことはショックであったが、砲兵であったので直接残虐行為に関わっていないことを願うのが子の心情である。
父のアルバムに「1937年12月南京」の文字を見た時は体がこわばった。父があの時あの場所に居たとは知らなかった。
父があの時南京に居たことはショックであったが、砲兵であったので直接残虐行為に関わっていないことを願うのが子の心情である。
戦争が始まってしまってからでは手遅れ
父のアルバムを見て不思議に思うのは、集団で殺しを働きながら、一方では子どもに優しくしたり、運動会をする日常生活が共存していることである。現在から見ると理解し難い矛盾であるが、多くの人はどんなに理屈に合わない状況下でも、生きるために折り合いを付けて慣れてしまうもののようである。
しかし、戦争が終った後、父はこの悪夢の数年間について一生口にすることはできなかった。日中戦争から復員した後、父は必死に勉強し造兵廠の技術者となることで太平洋戦争へ徴用されることを回避し、戦後は兵器とは無縁の会社員として過ごした。
戦争が始まってしまってからでは遅い。戦争とはどんなものであったか伝えることに、このアルバムが少しでも役立てば、70数年前に父が写真を撮った甲斐があるというものだ。
(引用終わり)
父のアルバムを見て不思議に思うのは、集団で殺しを働きながら、一方では子どもに優しくしたり、運動会をする日常生活が共存していることである。現在から見ると理解し難い矛盾であるが、多くの人はどんなに理屈に合わない状況下でも、生きるために折り合いを付けて慣れてしまうもののようである。
しかし、戦争が終った後、父はこの悪夢の数年間について一生口にすることはできなかった。日中戦争から復員した後、父は必死に勉強し造兵廠の技術者となることで太平洋戦争へ徴用されることを回避し、戦後は兵器とは無縁の会社員として過ごした。
戦争が始まってしまってからでは遅い。戦争とはどんなものであったか伝えることに、このアルバムが少しでも役立てば、70数年前に父が写真を撮った甲斐があるというものだ。
(引用終わり)
(『はだしのゲン』閲覧制限をめぐる新聞社説)
2013年8月20日 毎日新聞
はだしのゲン 戦争知る貴重な作品だ
2013年8月20日 朝日新聞
はだしのゲン―閲覧制限はすぐ撤回を
※「朝日新聞デジタル・無料会員登録」→ http://digital.asahi.com/info/information/free_member/
2013年8月21日 信濃毎日新聞
はだしのゲン 子どもに目隠しするな
2013年8月21日 神戸新聞
はだしのゲン/閲覧の制限が教育なのか
2013年8月21日 東京新聞
はだしのゲン 彼に平和を教わった
2013年8月22日 高知新聞
【はだしのゲン】納得できない閲覧制限
2013年8月22日 琉球新報
はだしのゲン 目隠しをして何になろう
2013年8月22日 山陰中央新報
2013年8月23日 中国新聞
「はだしのゲン」閲覧制限 戦争から目を背けるな
2013年8月23日 沖縄タイムス
[はだしのゲン 「閉架」] 平和考える機会奪うな
2013年8月24日 京都新聞
はだしのゲン 閲覧制限すべきでない
2013年8月24日 愛媛新聞
「はだしのゲン」 公による閲覧制限許されない
2013年8月24日 西日本新聞
はだしのゲン 「事なかれ」では守れない