今晩(2013年8月31日)配信した「メルマガ金原No.1468」を転載します。
なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
『20年後のあなたへ-東日本大震災避難ママ体験手記集-』を読んで
今日(2013年8月31日)午後1時から、大阪弁護士会館で開かれた「第56回 日本弁護士連合会人権擁護大会プレシンポジウム 区域外避難者は今 放射能汚染に安全の境はありますか―低線量被曝被害による分断の構造―」に参加してきました。
島薗進さん(上智大学教授)のお話を一度伺いたいということが主目的であったのですが、4時半までの長時間のシンポに参加して、最も印象に残ったのは、お2人の避難者の方からの発言でした。郡山市から母子避難されている女性(先日、大阪市立大学除本ゼミで講演された方)と、一家で相馬市から滋賀県栗東市に避難されている男性のお話は、それぞれ、日々「避難」という現実と格闘されている方でなければ語れない珠玉の言葉の連続であり、圧倒されました。
シンポでも急遽取り上げられていましたが、昨日(8月30日)、復興庁が公表してパブコメ(期限9月13日まで)を募集することになった「被災者生活支援等施策の推進に関する基本的な方針(案)」が全く私たちの心にひびかないのは、内容が不十分ということはもとより、何よりも、「避難された方」「避難せずにとどまっている方」「避難したが戻られた方」など、当事者の声に真摯に向き合い、その立場に寄り添って支援策を考えた、という痕跡が全く感じられないことによると思います。
そもそも被災者支援法(東京電力原子力事故により被災した子どもをはじめとする住民等の生活を守り支えるための被災者の生活支援等に関する施策の推進に関する法律)の立法者たちは、その5条3項において、「政府は、基本方針を策定しようとするときは、あらかじめ、その内容に東京電力原子力事故の影響を受けた地域の住民、当該地域から避難している者等の意見を反映させるために必要な措置を講ずるものとする」との規定を置き、支援の内容が、真に被災者のためになるための道筋を指し示していたはずなのですが、政府はそれを真面目に実行する気は毛頭ないようです。
昨日公表された「基本的な方針(案)」については、いずれパブコメ期限内に取り上げねばと思っていますが、とりあえず、今日は、私たちが避難者の声にどうやって耳を傾けるかということとの関連で、1冊の冊子をご紹介したいと思います。
実は、私の3つめのブログ「あしたの朝 目がさめたら(弁護士・金原徹雄のブログ2)」には、だいぶ前にご案内の記事をアップしていたのですが、今日、ようやく現物を入手し(「避難ママのお茶べり会」世話人の吉岡さんがシンポ会場で直接手売りされていました)、一気に読了したものです。
発行に至った経緯などは、以下の私のブログをご参照いただければと思います。
「20年後のあなたへ
東日本大震災避難ママ体験手記集」
2013年3月11日 初版発行
発行 避難ママのお茶べり会
頒価 500円(税込)
この手記集には、千葉県から2人の娘さんを連れて大阪の実家に避難された方、息子さんを連れて福島県から大阪に避難された方、息子さんを連れて東京から大阪の実家に避難された方、以上3人の母子避難された方の手記と「20年後の我が子への手紙」で構成されています。
私は、大阪から和歌山へ帰る電車の中で半分ほど読んだのですが、何度ハンカチで涙をぬぐったかしれません。乗客の少ない指定席を買っておいて良かったと思いました。
一々内容をご紹介する訳にもいきませんが、一つだけどうしても書いておきたいエピソードがあります。
それは、福島県から避難された方の手記の中に書かれていたことです。
Aさんは、福島第一原発から65㎞ほどのところにあった自宅が地震で損壊して住めなくなり、原発から約40㎞にあった自分の実家に1歳の息子を連れて避難していたのですが、実家のある町で40歳未満の全町民に安定ヨウ素剤が配布されることになったものの、自分と息子は既にその町の住民ではないため、配布対象とはならず、せめて息子の分だけでも何とか配布して欲しいとお願いし、いろいろなところに電話で要請したりしたもののどうしても息子のために入手してあげることができなかったというのです。
Aさんは手記に書いています。
「幼い息子が被曝するかもしれないという状況の中で薬をもらえないのは、親としては本当に辛かった、としか言いようがありません。被曝していく息子を目の前に、何もしてやれない悔しさ・・悲しさ・・憤り。今でもその時の光景が鮮明によみがえってきて、夜中にうなされたり寝付けなかったりすることがあります。私は親なのに我が子を守ってやることができなかった、という不甲斐なさが今でも頭から離れません」
本来、万一原発事故が起こった際の対処基準を作るというのであれば、このAさんのような思いを全ての母親に二度とさせてはならない、ということが教訓になっていなければならないはずですが、実際にはどうなのでしょうか?
この他、母子避難したママと離れて暮らす夫との関係など、避けては通れない問題についても、様々な示唆に富む体験談が率直に綴られています。
通読して思うのは、避難体験は1人1人が個別の事情の中で決断したものであって、その後の経過も独自のものであるのは当然ですが、母親の我が子に対する無私の愛情は全てに共通だということです。
そして、母の無私の愛情というものは、原発による「避難ママ」だけには限らない、より普遍性のあるものだということに気がつくと思います。
私たちは、母の愛情なくしては育つことができなかった者が大半でしょう。
原発事故の風化、避難者への無理解が懸念される昨今ですが、「避難ママ」たち1人1人の体験は、全ての人の心にきっと届くと思います。
そして、それが、原発や避難などを「我がこと」として受け止める第一歩になるのだと思いました。
是非この冊子を手にとってお読みいただきたいと思います。
そして、1人でも多くの周りの方にお薦めいただければと思います。
この冊子を入手するためには、「避難ママのお茶べり会」公式サイトの以下のページの申込フォームからお申し込みください。