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阪田雅裕元内閣法制局長官が語る“集団的自衛権”(9月25日まで全編視聴可能)

 今晩(2013年9月19日)配信した「メルマガ金原No.1487」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
阪田雅裕元内閣法制局長官が語る“集団的自衛権”(9月25日まで全編視聴可能)
 
 参議院議員選挙から間もなく、安倍内閣が、内閣法制局長官に、集団的自衛権行使容認論者として知られる小松一郎駐仏大使を充てる人事を強行した後、この人事のために最高裁判所判事に「栄転」させられた山本庸幸(やまもとつねゆき)氏を筆頭に、何人かの内閣法制局長官経験者が、集団的自衛権使容認への憲法解釈変更に懸念を示す意見を公にしました。
 その中でも、最も積極的に発言しておられるのが阪田雅裕(さかたまさひろ)氏です。
 
 その経歴を、ウイキペディア及び顧問を務めるアンダーソン・毛利・友常法律事務所サイトから抜き出してみます。
 
生家は和歌山の青果物問屋。
和歌山市立城北小、同伏虎中学を経て、
1962年(昭和37年)3月 大阪府立北野高等学校卒業
1965年(昭和40年)9月 国家公務員採用上級甲種試験(法律)合格
1965年(昭和40年)9月 司法試験第二次試験合格
1966年(昭和41年)3月 東京大学法学部卒業
1966年(昭和41年)4月 大蔵省入省
1969年(昭和44年)7月 通産省重工業局電子政策課企画係長
1971年(昭和46年)7月10日 苫小牧税務署長
1972年(昭和47年)7月10日 武蔵府中税務署長
1973年(昭和48年)7月9日 国税庁長官官房総務課課長補佐
1975年(昭和50年) 大蔵省官房調査企画課課長補佐(吉野良彦課長)
1977年(昭和52年)5月 在ロサンゼルス日本総領事領事
1981年(昭和56年)7月11日 内閣法制局第一部参事官
1986年(昭和61年)7月12日 大蔵省銀行局保険部保険第二課長
1987年(昭和62年)7月1日 大蔵省銀行局保険部保険第一課長
1988年(昭和63年)6月15日 国税庁直税部所得税課長
1989年(平成元年)6月23日 国税庁長官官房総務課長
1990年(平成2年)6月29日 国税庁長官官房付
1990年(平成2年)9月13日 大蔵省大臣官房参事官
1992年(平成4年)6月26日 大蔵省大臣官房審議官
1992年(平成4年)7月3日 内閣官房内閣内政審議室内閣審議官併任
1992年(平成4年)12月18日 内閣法制局総務主幹併任第一部参事官
1993年(平成5年)7月30日 内閣法制局第三部長
1999年(平成11年)8月31日 内閣法制局第一部長
2002年(平成14年)8月27日 内閣法制次長
2004年(平成16年)8月31日 内閣法制局長官
2006年(平成18年)9月26日 依願免官
2006年(平成18年)11月21日 弁護士登録(第一東京弁護士会所属)
2006年(平成18年)12月 アンダーソン・毛利・友常法律事務所顧問
2007年(平成19年)4月~2012(平成24年)年3月
明治大学大学院ガバナンス研究科特別招聘教授
2007年(平成19年)6月 東京海上日動火災保険株式会社監査役
2007年(平成19年)6月 株式会社西日本シティ銀行監査役
2008年(平成20年)6月 新日本石油株式会社監査役
2012年(平成24年)10月~2013年(平成25年)3月
大阪大学大学院法学研究科招聘教授
2013年(平成25年)4月 大阪大学大学院法学研究科客員教授
 
 
 なかなか壮観というべき経歴ですね。
 逆に言うと、世間的には「功成り名遂げた」と思われている阪田氏にとって、あえて現政権に異を唱えることによるメリットなど何もないはずだということです。
 退官後に就任された上場企業の監査役を今でも勤めておられるのか、既に退されたのかまでは調べていませんが、仮に、既に全て退任されているとしても、政判を行うには、「黙ってはいられない」という、それなりの決意があってのことにいありません。
 
 その阪田雅裕元内閣法制局長官に対する1時間半以上に及ぶロングインタビューが昨日(2013年9月18日)に行われ、IWJの【政治が動く秋─特別公開】キャンペーンにより、9月25日までの期間限定で、会員以外の方も全編無料視聴できます。
 IWJ会員でない方は、是非大急ぎで(9月25日までに)視聴されることをお薦めします。その上で、IWJに会員登録してくださるのが一番良いのですが。
※会員登録→ http://iwj.co.jp/join/
 
 IWJサイトに掲載された紹介記事を引用します。
 
(引用開始)
 安倍総理の私的諮問機関「安全保障の法的基盤に関する懇談会」(座長・柳井俊二元駐米大使)が9月17日、首相官邸で議論を再開した。会議に出席した安倍総理は、歴代の政府が、憲法解釈上認められないとしてきた集団的自衛権の行使について、「いかなる憲法解釈も、国民の生存や存立を犠牲にするような帰結となってはならない」と述べ、憲法の解釈を変更することで行使を容認することに改めて意欲を示した。
 安倍政権のこのような動きに対し、阪田雅裕元内閣法制局長官は「解釈改憲には理がない」と警鐘を鳴らす。
 「憲法の解釈を変えるということは、歴代の政権が維持してきた解釈は間違っていたということです。間違っているなら、そのことを国民に対して合理的に説明する責任が生じます。憲法解釈は、日米安保とのかね合いといった外交上の問題から、軽々に変更してよいものではありません」。
 日本政府は現在、集団的自衛権に関しては、国際法上は保有しているものの、戦力の不保持を規定した日本国憲法第9条2項とのかね合いから、行使できないとの立場を取っている。この点について阪田氏は「国際法は、権利を規定しているのであって、義務を規定しているのではありません」と説明する。
 「国際法が規定する集団的自衛権は、各国に対して許された権利です。したがって、それを行使するかどうかは、各国の国民が判断することになります。日本は現在のところ、日本国憲法をたてることによって、その権利を選択しない、という立場にあるのです」。
 話題は他にも、集団的自衛権と集団安全保障の違い、シリアへの軍事介入、敵基地攻撃論など、非常に多岐に渡った。(IWJ・平山茂樹)
(引用終わり)
 
 また、中継のtweetまとめを改稿したIWJブログはこちらから。
 
 なお、会員登録をしない限り、9月26日以降はこのハイライト版しか見られなくなります(14分58秒)。
 
 私がこのインタビューを(まだじっくり全編視聴する時間は作れていないのですが)ざっと視聴して、最も関心をいだいたのは、1時間04分以降の部分です。
 そこで阪田氏が説明されたのは、集団的自衛権の行使をいったん認めることとなれば、憲法上は何でもできることになるということでした。
 すなわち、「自国と密接な関係にある外国」とは、条約(軍事同盟)を結んでいる国である必要はなく、その国を守ることが日本にとって利益となる国であれば行使は可能であり、また距離的なしばりもないので、地球の裏側であっても集団的自衛権行使の妨げにはならない、ということでした。
 
 そこで思い出すのは、9月14日に「ウェークアップ!ぷらす」(読売テレビ)で石破茂自民党幹事長が発言したと朝日新聞デジタルが報じた内容です。
 報道によれば、石破幹事長は、「誰も米国だけを相手にするとは言っていないし、攻撃する国が極東と限っていない。集団的自衛権は、国連の概念であって、地理的にどうのこうの、相手がどうのこうのじゃない。必要であれば遠くでも行くし、必要でなければ近くでも行かない」と述べたそうです。
 私は、一昨日書いたメルマガ&ブログで、この発言を批判したのですが、集団的自衛権の「解釈」としては、石破氏の発言は正鵠を射たものであったと訂正しなければならないかもしれません。
 もしかすると、石破氏というのは、一面ではとても「正直」な人なのかもしれません。これからやろうと思っている手の内を、今からあけっぴろげにしていると考えることもできるのですから。
 
 そこで、朝日新聞デジタルが報じた石破発言の後段部分を読み直してみると、例えば東南アジア。フィリピン、マレーシア、どこかの国が攻撃を受けた。そこが日にとって死活的に重要。そういう場合に知らん顔、そういうときは米国が出て行く。そういうことで本当にやれるのか」というものでした。
 阪田元長官から、いったん集団的自衛権の行使を認めたら「憲法上は何でもできる」(法律でどう限定するかという問題)と太鼓判を押されてしまて呆然としたものの、石破発言の中に、「何でも政府の思いのまま」とはいかない、れっきとした「しばり」がることを発見しました。
 解釈改憲後は、その「しばり」は「憲法」ではあり得ません。石破氏が想定してい「しばり」、言うまでもなくそれは「米国」です。
 いかに日本にとって死活的に重要な国が攻撃を受けたとしても、米国が日本の自衛隊の出撃を認めなければ、それまでの話です。石破幹事長の発言の真意をそこまで汲み取って、皆さんは「間違い」だと思いますか?
 現実的にどれだけ可能性があるかは別として、日本が多くの原油を輸入している中東のA国がイスラエルから攻撃を受けて中東戦争が始まったとして、日本が独自の判断でA国を救援するために自衛隊を派遣するって考えられます?米国が同意するはずがないという一点だけで、そういうことにはならないだろうと「安心」できると言われても、ちっとも「慰め」にはなりませんかね?。
 

 

 「集団的自衛権」というのは、考えれば考えるほど、日本の今後の国のありようを根底から変えてしまう問題であることを思わざるを得ません。