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映画『朝日のあたる家』を観て考えたこと

 今晩(2013年9月22日)配信した「メルマガ金原No.1490」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
映画『朝日のあたる家』を観て考えたこと
 
 和歌山県田辺市出身の映画監督・太田隆文さんの新作映画『朝日のあたる家』については、これまで私のブログで2回ご紹介してきました。
 
2013年8月30日 「弁護士・金原徹雄のブログ」に掲載(「メルマガ金原No.1467」を転載したもの)
「映画『朝日のあたる家』9/21から大阪公開!(シアターセブン)」
 
2013年9月7日 「あしたの朝 目がさめたら(弁護士・金原徹雄のブログ2)」に掲載太田隆文監督作品『朝日のあたる家』を観に行こう(関西の人は9/21から大阪十三「シアターセブン」で)
 
 そして、いよいよ先週9月14日(土)から、愛知県豊川市の「豊川コロナシネマ」で全国公開のスタートが切られ、今週9月21日(土)からは大阪の「シアターセブン」での上映が始まりました。
 初日の昨日はよんどころない所用のために大阪に行けませんでしたので、今日(9月22日)は万難を排して(?)、午前11時からの第1回上映を観るべく和歌山を出発し、十三(じゅうそう)のシアターセブンに着いたのが午前10時10分。受付の女性から、「入場券は上映開始の20分前から販売しますので、それまで非常階段に並
んでお待ちください」と指示されて並んだところ、私が「2番目」でやや拍子抜け。何ろ、初日の昨日は、監督の出身地である和歌山県田辺市から駆けつけた若いグループが、何と上映開始の2時間前から並んでいたと聞いていたもので。
 しかしまあ、今日が「普通」かと思いながら待っていると、徐々に列の後方に並ぶ人が増えてきて、入場券販売開始時点では20人余りの人が並んでいましたかね。
 
 昨日・今日の2日間は、各回上映開始前に太田隆文監督による舞台挨拶があり、その内容をご紹介すべきところですが、私の拙い文章よりも、大阪初日舞台挨拶(第1回上映時と第2回上映時)の模様がIWJ大阪によって撮影され、録画が公開されていますから、それを視聴していただく方が良いでしょう。
 
IWJ 2013/09/21 【大阪】「朝日のあたる家」太田隆文監督 舞台挨拶
 
 以上の舞台挨拶の中で、「原発映画は客入らないからね」とつぶやく映画館主さんの「断り文句」など、興味深い話はいろいろあるのですが、一番大事なポイントは、「TVや新聞は『情報』であり、映画は『体験』だ」という太田監督のことばでしょう。
 
 約2時間の映画を観た上での私の感想を書いてみたいと思いますが、それを読んでいただく前に、公式サイト掲載の「ストーリー」と予告編(NO.3)を再度ご紹介しておきます。
 
 静岡県、湖西市。自然に囲まれた美しい町。その町に住む平田一家。お父さん並樹史朗)はいちごを栽培。お母さん(斉藤とも子)は主婦。長女(平沢いずみは大学生。妹(橋本わかな)は中学生。日本のどこにでもいる平凡な家族。ただ、長女のあかねは、この町が好きではなかった。大きなショッピングセンターや映画館やコンサートホールがない。就職後は都会で一人暮らしを夢見ていた。そんな時、起こった大きな地震。原子力発電所が爆発。避難勧告。1日で帰れると思っていたら、何ヶ月も避難所から帰れない。父は職を失い、母はノイローゼ、妹は病気になる。ようやく許可された一時帰宅も1時間の制限付き。荷物を取ってくることしか許可されない。福島と同じ事態だ。あかねたちの家族もまた、大きな悲しみの渦に巻き込まれて行く・・・・・・。
 
予告編 NO3
 
(映画『朝日のあたる家』を観た私の感想/断章風に)
○映画の冒頭、姉娘あかね(平沢いずみ)のナレーションとともに、舞台となる町(ロケ地・湖西市)の四季の風景がスクリーンに次々と写し出されると、うっすらと目に涙がにじんできたのには我ながら驚いた。いずれ涙をぬぐわなければならないシーンが出てくるだろうと覚悟はしていたが、まだ本筋のストーリーも始まっていない、登場人物が画面に姿をあらわす前の風景ショットで涙がにじむとは思っていなかった(多分、監督も「想定」していないだろう)。もちろん、映画の中で間もなく原発事故が起こり、この美しい故郷を追われる人たちが主人公だという予備知識があればこそ、この風景を「いつまた見られるか分からない」という思いがこみ上げてきたのが涙の原因だと説明しようと思えばできるのだけれど、ここは、「カメラマンが写し撮った風景があまりに美し過ぎたからだ」と思いたい。
 
○主人公・平田一家を演じた俳優陣(父親役:並樹史朗、母親役:斉藤とも子、姉娘あかね役:平沢いずみ、妹娘舞役:橋本わかな)がいずれも好演で、感情移入しにくい登場人物がいない、ということは特筆したい。いしだ壱成、山本太郎という、実人生とだぶる役柄で出演した2人の俳優も、しっかりと「役柄」を演じており、「プロパガンダのために出ている」というような印象は一切受けなかった。みんな、しっかりしたプロの役者だと感心した。もちろん、一貫した演技のアンサンブルに浸れたのも、(全くの素人の感想ながら)太田隆文監督の演出力のたまものなの
だろうと思う。
 
○監督の演出力といえば、避難所の体育館のシーンが印象的だった(特に平田一家が最初に避難してきた夜のシーン)。平田一家を演じるプロの役者さんが、周りのエキストラの中に入って浮き上がっていない!
 
○ストーリー展開については、実際に福島で起きた様々な事象を「平田一家」(及びその周辺)に「集約」するため、やや「強引」な展開となっていたり、「不自然」ではないかと思われる点が全くない訳ではない。たとえば「舞の発病」、「岡本のおばちゃの自死」など(余談だが、息子役のいしだ壱成が母親の縊死体を発見して泣き崩れるシーンでは、「泣くよりまず母親の身体を下ろすのが先だろう」と思ってしまった)。母親の弟役(山本太郎)が「舞」の見舞いにやってきて、父親(義兄)に一家揃っての沖縄への避難を勧めるところでも、彼の役柄の設定から言えば、事故後もっと早い段階で避難を勧めていたはずではないかという気がした(「フクシマ後」という設定なのだし)。
 とはいえ、オリジナル脚本を書いた太田監督にしてみれば、以上のようなことは全て知の上ということかもしれない。ドラマの構成にあたっては、ひたすら自然に、ありそうな展開を心がければ良いというものでもないだろうし。
 
○見終わって、「映画は『体験』だ」という太田監督のことばをもう一度かみしめたい。3.11以降、福島や関東から避難された方と親しく接する機会のあった私のような者でさえ、住み慣れた土地を心ならずも離れなければならない、もしかすると二度と帰れないかもしれない、ということがどういうことなのか、決して自らの「体験」として実感できている訳ではないのだということに気付かせてくれる映画だと思った。
 そして、これは、ドキュメンタリーでは伝えることが出来ず、フィクション(劇映画)であってこそ、はじめて観客に伝えられる真実があるということなのだ。もちろん、劇映画での「体験」は「疑似体験」に過ぎないと言えばそのとおりなのだが、時に優れたフィクションは、実際の「体験」よりも、より真実に肉薄した「疑似体験」を我々に経験させてくれることがあることを私たちは知っている。
 『朝日のあたる家』を1人でも多くの人に観ていただきたいと思うのは、この作品が私たちにかけがえのない「体験」を約束してくれる映画であるということ、その「体験」をすることによって、その人の今後の人生における「ものの見方」に必ずや影響があるだろうと確信するからである。
 
○最後に、一家で転居を決意した平田家が、車で街を走りながら別れを告げるラストシーンの中に、原発事故後、行方不明となっていた岡本のおばゃちゃんのところのブルドッグ「ブルース」が走っているカットが挿入されていた(岡本一家は気付いてない)。「何とかブルースは生き延びているよ」という監督の心優しきメッセージだったのだろうか?
 
(参考サイト)
○「シアターセブン」での上映予定
○今後の全国での上映予定

 

※来週(9月28日)からいよいよ東京(渋谷アップリンク)公開です。是非上映を成させたいですね。このメルマガ&ブログをご覧になった:方は、是非「拡散」にご協力をお願いします。