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半田滋さんの論説『条約無視して解釈改憲か』を読む

 今晩(2013年9月25日)配信した「メルマガ金原No.1493」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
半田滋さんの論説『条約無視して解釈改憲か』を読む
 
 東京新聞論説兼編集委員の半田滋(はんだしげる)さんは、20年を超える防衛庁(省)、自衛隊の取材を通じて培った「現場感覚」を背景として、的確に我が国の安全保障問題を論じることのできるジャーナリストとして、高い声望を勝ち得ておられます。
 来る10月3日(木)に広島市で開催される第56回日本弁護士連合会人権擁護大会第2分科会「なぜ、今『国防軍』なのか-日本国憲法における安全保障と人権保障を考える-」のパネルディスカッション登壇者の1人でもあります。
 
 その半田滋さんが、今日(2013年9月25日)の東京新聞の「私説・論説室から」のコーナーに、「条約無視して解釈改憲か」という短い文章を発表されました。
 
 このような短い文章に注釈を施すのも差し出がましい話ですが、非常に重要な指摘だと思いますので、私自身の勉強もかねて、参照すべき報告書や条文などにリンクを貼っておきます。
 以下、引用する半田さんの文章は青字、私が書き加えた注は黒字、私が独自に引用した文章は茶色で表記しています。
 

【私説・論説室から】2013年9月25日
条約無視して解釈改憲か

 集団的自衛権の行使容認を目指す安倍晋三首相。有識者懇談会の議
七カ月ぶりに再開させた。
 懇談会は「公海での米艦艇の防護」「米国に向かう弾道ミサイルの迎撃」に
ついて、憲法解釈では禁止されているが、踏み切らなければ日米同盟は崩壊すると結論づけている。個別的自衛権で対処できる、ミサイル迎撃は技術的に無理などの指摘はどこ吹く風だ。
 
 基本的に現在の「有識者懇談会」と同じメンバーで構成された、その名も同じ「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」が平成20年6月24日に提出した「報告書」(4類型に関する提言)には以下のように書かれていました。
 
(引用開始)
「(1)公海における米艦の防護
(略)厳しさを増す21世紀の安全保障環境の中で、我が国の国民の生命・財
産を守るためには、日米同盟の効果的機能が一層重要であり、日米が共同で活動している際に米艦に危険が及んだ場合にこれを防護し得るようにすることは、同盟国相互の信頼関係の維持・強化のために不可欠である。(略)よって、この
場合には、集団的自衛権の行使を認める必要がある。
(2)米国に向かうかもしれない弾道ミサイルの迎撃
 (略)ミサイル防衛システムは、これまで以上に日米間の緊密な連携関係を前
提として成り立っており、そこから我が国の防衛だけを切り取ることは、事実上不可能である。米国に向かうかもしれない弾道ミサイルを我が国が撃ち落す能力を有するにもかかわらず撃ち落さないことは、我が国の安全保障の基盤たる日米同盟を根幹から揺るがすことになるので、絶対に避けなければならない。(略)よって、この場合も集団的自衛権の行使によらざるを得ない」
(引用終わり)
 
 要するに、日米同盟の維持強化が必要だから集団的自衛権を認めるべきだ、という結論ありきであって、なぜそういう法解釈が可能なのかという論拠がさっぱり分からないという「報告書」でした。
 現在審議中の懇談会が作る「報告書」は、もう少し彼らなりの「理論武装」の衣装をまとうかもしれませんが、本質が変わるはずはありません。
 
 これらの議論は肝心なことを棚上げしている。日米安全保障条約の第五条は「日本の施政下にある領域のいずれか一方に対する武力攻撃への日米共同対処」を定めている。
 集団的自衛権が行使できるとなれば、日本を守るだけでなく、米国も守
れることになって条約を踏み越えるため、条約改定が必要となる。そして米国が第五条で日本防衛の義務を負う見返りとして、米国への基地提供義務を定めた第六条の見直しを主張しなければ、日本の負担が一方的に増すことになる。
 
 1960年に締結された現行の「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」は、前文及び本文10条からなる比較的短いものですが、その中核となる条項は、半田さんが指摘されている第5条と第6条です。
 
第五条 各締約国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続に従つて共通の危険に対処するように行動することを宣言する。
 前記の武力攻撃及びその結果として執つたすべての措置は、国際連合憲章
第五十一条の規定に従つて直ちに国際連合安全保障理事会に報告しなければならない。その措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全を回復し及
び維持するために必要な措置を執つたときは、終止しなければならない。
第六条 日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の
維持に寄与するため、アメリカ合衆国は、その陸軍、空軍及び海軍が日本国に
おいて施設及び区域を使用することを許される。
 前記の施設及び区域の使用並びに日本国における合衆国軍隊の地位は、千
九百五十二年二月二十八日に東京で署名された日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第三条に基く行政協定(改正を含む。)に代わる別個の協定及び合意される他の取極により規律される。
 
 そもそも「日米同盟」、より正確に言えば「日米安全保障条約体制」は、「日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃」があったことを大前提としているのであって、「そうではない事態」について「共通の危険に対処するように行動する」というのであれば、それは日米安全保障条約が規律する範囲を逸脱することになるのです。
 そして、第6条で米軍による日本国内の「施設及び区域」の使用権が認められたのが、第5条で「日本防衛の義務を負う見返り」であったことは、現行安保条約締結の経緯から見て公知の事実というべきでしょう。
 半田さんが、日本が集団的自衛権の行使を認める憲法解釈の変更を行いながら、他方で「米国への基地提供義務を定めた第六条の見直しを主張しなければ、日本の負担が一方的に増すことになる」と主張されるのも当然ということになります。
 
 「日米同盟の強化」を掲げる安倍首相としては、米軍基地の撤去を持ち出したくないのか、条約改定に踏み込もうとはしない。
 日米で議論を進めているのは日本有事における日米の役割分担を定め
た日ガイドラインの改定だが、そもそもガイドライン日米安保条約を前提にしている。日米関係の見直しを抜きに集団的自衛権の行使だけ認めようというのは筋が通らない。(半田滋)
 
 「日米防衛協力のための指針」いわゆる「ガイドライン」は、1978年に初めて制定され、その後、1997年に最初の改訂が行われ(いわゆる「周辺事態」に対処するため)、現在、再改訂に着手しているという状況です。
 
 
 上記1997年版「ガイドライン」の「II 基本的な前提及び考え方」は以下のように規定しています。
 
指針及びその下で行われる取組みは、以下の基本的な前提及び考え方にう。
1 日米安全保障条約及びその関連取極に基づく権利及び義務並びに日米同盟関係の基本的な枠組みは、変更されない。(以下略)
 
 半田さんが「日米関係の見直しを抜きに集団的自衛権の行使だけ認めようというのは筋が通らない」と指摘されるのは、改憲論者のあまりといえばあまりな、知性や論理性を無視した「ご都合主義」に我慢がならない、ということだろうと思います。
 

(過去私が取り上げた半田滋さん関係の記事)