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浦部法穂氏が説く“憲法解釈の変更と立憲主義”(非嫡出子相続差別と集団的自衛権)

 今晩(2013年9月26日)配信した「メルマガ金原No.1494」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
浦部法穂氏が説く“憲法解釈の変更と立憲主義”(非嫡出子相続差別と集団的自衛権)
 
 去る(2013年)9月4日、最高裁判所大法廷が、非嫡出子の相続分を嫡出子の2分の1と定める民法900条4号但書の規定について、憲法14条が定める法の下の平等に違反して違憲無効であるとする決定を言い渡したことは、皆さまもニュース等で目にされたことと思います。
 
民法
「第九百条 同順位の相続人が数人あるときは、その相続分は、次の各号の定めるところによる。
一 子及び配偶者が相続人であるときは、子の相続分及び配偶者の相続分は、各
二分の一とする。
二 配偶者及び直系尊属が相続人であるときは、配偶者の相続分は、三分の二と
し、直系尊属の相続分は、三分の一とする。
三 配偶者及び兄弟姉妹が相続人であるときは、配偶者の相続分は、四分の三と
し、兄弟姉妹の相続分は、四分の一とする。
四 子、直系尊属又は兄弟姉妹が数人あるときは、各自の相続分は、相等しいもの
とする。ただし、嫡出でない子の相続分は、嫡出である子の相続分の二分の一とし父母の一方のみを同じくする兄弟姉妹の相続分は、父母の双方を同じくする兄弟姉妹の相続分の二分の一とする。」
 
「第十四条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
2 華族その他の貴族の制度は、これを認めない。
3 栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現
にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。」
 
 この違憲決定を受けて、非嫡出子側の代理人を務めた弁護団による記者会見が行われました。ビデオニュース・ドットコムの映像をご紹介しておきます(29分52秒)。
 3名の弁護士が出席していますが、団長の岡本浩先生がもっぱら記者からの質問に答えておられますね。
 
 この事件の代理人は、双方とも和歌山弁護士会の会員でよく知っている人たちばかりなので、あえて、判決そのものに対するコメントは差し控えようと思います。
 
 そもそも、今日のメルマガ&ブログで非嫡出子相続差別違憲決定を持ち出したのは、法学館憲法研究所サイト連載中の「浦部法穂(うらべ・のりほ)の憲法時評」に、『非嫡出子相続差別と集団的自衛権』という論考が掲載され(9月23日アップロード)、一読大変感心したためです。
 
 この一見何の関係もなさそうな2つの問題を並べて論じることの意味がお分かりでしょうか?
 この2つの問題の共通点は何でしょうか?
 そうです、「憲法解釈の変更」ということです。
 
 最高裁判所は、従前、民法900条4号但書の規定は合憲であるという判断を示していましたので、今回の決定は判例変更(だからこそ大法廷で審理されたのですが)であるとともに、憲法解釈の変更でもあったのですが、この最高裁決定と、現在、安倍政権が推進しようとしている集団的自衛権行使容認への憲法解釈の変更との間にどのような違いがあるのか?という対比を通じて、「憲法解釈の変更」と「立憲主義」の関係に説き至るという、浦部先生ならではの鋭い着眼点をもった「時評」です。
 
 それでは、「非嫡出子相続差別」最高裁違憲決定と、集団的自衛権の行使を容認しようとする憲法解釈の変更とは、どこが違うのでしょうか?浦部先生は、2つの大きな違いを指摘されます。
 まずその1つは「憲法解釈の変更」を行った(行う)のが、最高裁か政府かという違いす。
 浦部先生は、立憲主義を成り立たせるためには、政府や国会から独立した機関によ違憲審査の制度が不可欠であることを説いた上で、以下のように論じられます。
 最高裁が憲法解釈を変えるのと政府が(国会も同じ)憲法解釈を変えるのとでは、意味が全然ちがうのである。前者は、法的には確定的な効果をもつが、後者は、憲法の意味内容を確定的に変更するような法的効果をもつものではない。したがって、政府が憲法解釈を変えるだけで集団的自衛権の行使が可能になるなどということは、法理論的に成り立たない」
 
 もう1つの大きな違いについては、浦部先生の論述全体を引用しましょう(非常に重な部分です)。
 
(引用開始)
 第二に、従来合憲としてきたものを違憲にするのと、違憲としてきたものを合憲にするのとでは、同じ憲法解釈の変更といっても、その意味は大きくちがう。従来合憲としてきたものを違憲だとして変更するのは、基本的に、統治権に対する制限の内容や幅を広げることを意味する。これに対して、従来違憲としてきたものを合憲と変更するのは、逆に、統治権に対する制限を緩めることを意味する。要するに、制限を厳しくする方向での変更か、緩くする方向での変更か、というちがいである。これを、とくに政府や国会による変更として考えたとき、前者であれば、基本的には、憲法による制限をより厳格に受け止めて権力行使にあたるということであるから、政府や国会がそのような憲法解釈の変更を行っても、ただちに立憲主義に反するということにはならないだろう。しかし、後者の場合には、政府や国会が、これまでの憲法上の制約を自分たちで勝手に緩めたりなくしてしまう、ということにほかならないから、正面から立憲主義に反するものとなる。統治権に対する「憲法上の制約」である以上、それが明文上の制約であっても解釈上導き出された制約であっても、統治権の主体である政府や国会が自分たちで勝手にその制約を緩めたりなくしたりしてしまうのは、明らかに立憲主義に反すること、言うまでもなかろう。その制約を緩めたりなくしたりできるのは、憲法制定権者である国民だけであり、唯一可能な道は憲法改正の手続を踏むことだけである。
(引用終わり)
 
 以上のように論じた上で、最後にもう一度以下のように繰り返してこの「時評」は終わります。
 集団的自衛権の問題は、政府による憲法解釈の変更であり、しかもこれまで違憲してきたものを合憲とする変更である。このような解釈変更に確定的な効果をもたせ、それによって集団的自衛権の行使を認めるということになれば、それは立憲主義の完全な破壊を意味することになる」
 
 政府がやろうとしている「集団的自衛権」に関する「憲法解釈の変更」が、実は96条の「改正規定」改憲論と同様の問題(「立憲主義」の破壊)をはらんでいるのだという指摘は、非常に重要だと思い、ご紹介することとしました。
 
(過去に取り上げた浦部法穂氏関係の記事)
浦部法穂氏が説く『憲法尊重擁護義務』(法学館憲法研究所)」
浦部法穂先生の『憲法時評』を読む」
「きかんし放送局で視聴する浦部法穂氏講演会『浦部先生に聞いてみよう!憲法は変えなきゃダメですか』」