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wakaben6888のブログ

憲法を大事にし、音楽を愛し、原発を無くしたいと願う多くの人と繋がれるブログを目指します

西郷章さん『“あさこはうす”と“福島”を訪ねて~大間・福島交流旅行報告記~』

原発 文学

 今晩(2013年10月6日)配信した「メルマガ金原No.1504」を転載します。

 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
西郷章さん『“あさこはうす”と“福島”を訪ねて~大間・福島交流旅行報告~』
 
 「メルマガ金原」の初期のころからの読者にはお馴染みと思いますが、和歌山市の西章さん(紀州熊五郎と名乗ることもあり)の脱原発にかける思いと行動力には、本当頭が下がります。
 以前は、色々と楽しい手記を書いては「メルマガ金原」で発表していただいていたのですが、1年ほど前から、西郷さん自身がFacebookを始められ、連日、積極的に発信されるようになりましたので、「メルマガ金原」ではしばらくご無沙汰となっていました。
 
 その西郷さんが、この9月下旬、和歌山県田辺市の寺井拓也さんらと一緒に「あこはうす」に小笠原厚子さんを訪ね、さらに福島県各地(浪江町の「希望の牧場」も)を見学して「ふくしま共同診療所」を立ち上げた椎名千恵子さんや佐藤幸子さんらと交流された報告記を送ってくださいました。
 
 「百聞は一見に如かず」というありふれたことわざが適切かどうかはともかく、現場にたねば見えてこないことというのは確かにあると思います。
 私たちも、今すぐ現場に立てないまでも、西郷さんの目を通して見えてきたものから真摯に何事かを感じ取れればと思います。
 西郷さん、ご寄稿ありがとうございました。
 
(過去にメルマガ金原で紹介した西郷さんの手記)
「西本願寺原発問題についての考え方(西郷章氏の質問に答えて)」
「西郷章氏の『1千万署名奮戦記』をご紹介します」
「西郷章さんの『さようなら原発一千万人署名 街頭アピール』(前編)」
「西郷章さんの『さようなら原発一千万人署名 街頭アピール』(後編)」
「西郷章さん『1千万人署名 一人街頭物語』」
「関電和歌山支店前・脱原発アクションのご報告(紀州熊五郎さん)」
「紀州熊五郎(西郷章)さんからの「近況報告」と「1千万署名がうまくいったわけにいて」
 
(参考サイト)
原発55基目は絶対に作らせない!-『あさこはうす』の闘い-」(JANJANブログ)
「あさこはうす応援プロジェクト」
「警戒区域内『希望の牧場』と代表の吉沢正己さん」(山本宗補の雑記帳)
「『希望の牧場』Part2:警戒区域内の『生と死の狭間』。警戒区域の現実3」(山本宗補の雑記帳)
「さんどパーク 施設案内」(福島市
「ふくしま共同診療所」
 
(西郷章さんのFacebookから~今回の交流旅行について)
「あさこはうす」にて①
「あさこはうす」にて②
「希望の牧場」にて①
「希望の牧場」にて②
見学
交流会①
交流会②
 

 
     “あさこはうす”と“福島”を訪ねて
         ~大間・福島交流旅行報告記~
 
                        西郷  章
 
東北を目指して
 9月20日(金)、関西電力和歌山支店前行動(いつものように18時~19時)を終えると、その足で私たちの大間~福島交流の旅の始まりです。紀南から車で参加した4人の仲間と共に、当日の宿泊地・福井県敦賀市に向けて和歌山インターを出発しました。
 ところが途中、大阪市内で早速緊急の道路工事に直面して3時間の大渋滞です。この道路工事は緊急とは言い逃れで、普通の道路工事で事前告知もしていなかったものですから、皆さんは「高い料金を支払って何のための高速だ。これだったら一般道を通ったほうがよほど早い。もし飛行機や新幹線に乗り遅れたり、約束の時間に間に合わなかったらどうするのだ。大きな社会問題だ」と大怒りです。この渋滞で、おそらく15時ころ串本を出発したであろう運転担当者は一挙に疲れが出た様子です。
 ようやく長時間渋滞を潜り抜けた後、更に進んで北陸自動車道に入り福井県内に差し掛かると、今度は大雨による土砂崩れで通行禁止に出会います。これは自然の仕業だから仕方がないとあきらめて、一般道路を1時間くらい余分に走り目的地の敦賀宿泊所についたのはなんと夜中の3時で、予定より4時間も遅れてしまいました。か
くして出発から旅の不安を予期させる一日となりました。
 あくる朝は時間を遅らせて9時出発です。この日は佐渡の海を見ながら北陸道~上越道~東北道とひたすら走り続け、その日の宿である八戸についたのは夜の12時ころでした。運転を交代しながらでも走行距離約1千キロは1日の距離としては限界であろうと思います。
 
「あさこはうす」訪問

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 さて、ようやく3日目(9月22日)にして交流の本番です。大間原発にひとりで抵抗している小笠原厚子さんの「あさこはうす」を訪れるために朝8時に宿を出ると、下北半島を4時間かけて走行しました。下北半島は北海道の原野に似て広大です。その原野を眺めながら「あさこはうす」に到着した時刻は予定通りの12時頃でした。しかし、
「あさこはうす」は大間原発所有地のほぼ真ん中にあるために両側に有刺鉄線を張った通路の入り口の監視所をくぐり抜けて400~500メートルほど進入しなければなりません。
 すると、そこには小笠原厚子さんが笑顔で私たちを迎えてくれました。「あさこはうす」は、支援する皆さんの手作りの家を中心に小型の風力・太陽光発電設備や雨水の貯水槽、それから電力会社の仕業で沢水が枯渇したために仲間が送ってくれるペットポトル水があり、庭の丸太木の椅子の周囲にはアヒルや猫がのんびりと遊んでいました。
 厚子さんの第一印象ですが、とても大間原発にひとりで立ち向かう闘士には見えず、普通のおばちゃんといった感じです。厚子さんから昼食をとりながら2時間ほど話を聞きました。終始笑顔の中にも、お母さん(あさ子さん)が電力側や地元推進側の連日の説得工作や嫌がらせに耐え続け、そのために精神疾患など体を壊しながらも電力側の買収にはガンとして応じなかったこと。しかし、その後に地元にいるはずのない虫にかまれて医者に行って解熱剤を注射したことが原因で命を落としたことや、その遺志を引き継いだ厚子さんにも次々に襲いかかる電力資本の謀略にも決してくじけなかったのはお母さんが戦後この土地で食べ物のない村民に野菜を作って与えたことで「土地さえあれば何とでも生きていける。金はそのうち減ってしまう」との遺言代わりの母の言葉を守り通したからです。そのために親しい人や住民から孤立させられた時もありましたが、仲間の一人が「今でも街中で出会う人が嫌な目で見るのですか?」と聞くと厚子さんはにっこり笑って、差し出した人差し指を少し細めた口元で左右に「ノンノン」と動かしながら、「確かに嫌みな顔をする人もまだいますが。しかし、今は私のことを理解してくれる人がずいぶん増えて、言葉をかけてくれたり手を振ったりしてくれます」とうれしそうに語ってくれたのが印象的でした。
 そして「私はここにもっとたくさんの動物を飼って、いろんな遊具を作って福島の子供たちの保養の場所にしたいのです」と近い将来の夢を語ってくれました。現在、大間原発は建設を中断したままですから、放射線量は、和歌山で9月20日に測定した0・12マイクロシーベルトに比べると0・06~0・08マイクロシーベルトと低いために、この状態が保持できれば保養地としても最適だと思いました。
 帰り間際には、原発を立地させないために連日奮闘しておられる厚子さんに、たまには息抜きも必要だと考えて、娘さんとともに後日、和歌山に招待の約束を交わして「あさこはうす」を後にしました。
 下北半島には再処理工場など多くの原発関連施設が林立しており、なぜかしら近くには沢山の風力発電も建設しています。米軍厚木基地の広大な住宅などを車窓から見学しながら3日目の宿泊地の福島駅近くのホテルに着いたのは21時ころで、3日目にして、ようやく予定のペースを取り戻しました。
 
「希望の牧場」訪問
 9月23日(月)の最終日は朝からスケジュールが盛りだくさんです。吉澤正巳さんが管理する「希望の牧場」(浪江町)を訪れました。吉澤さんは以前はこの牧場を経営する社長のもとで従業員として長年働いてきましたが、福島事故後も放射能汚染でまったく資産価値のなくなったこの牧場に生きる牛たちから離れることができず、他の牧
場の牛たちもここに集めて、300頭以上の牛たちと共に生きることで自分なりの生きる答えを出そうとしているように思えました。吉澤さんはこれまでの東電や行政とのやり取りから自らの生きざまなど2時間以上にわたって克明に話されました。そして夢は「牛たちを元気にして、せま苦しい仮設住宅で希望をなくして暮らしている高齢者を中心に
希望する人たちには元の広い故郷に帰ってもらって牛たちと共にささやかでも夢のあるのんびりとした余生を送らせてあげたいこと。そして、放射能が下がれば沢山の子供たちと観光客などを招き入れて牛たちと遊ばせてあげたいこと。また「原発とは何なのか」を考える場所にもしたいと言っていました。何故そこまでして牛と共に生きるのかを考え
ると、むなしさと切なさに心が痛みます。吉澤さんはむなしさ、くやしさを怒りに変えて敵と闘う力にする一方で、お年寄りや子供たちには大きな愛情を注ごうとしているのだと思います。
 吉澤さんと「希望の牧場」について書かれた『原発一揆~警戒区域で闘い続ける“ベコ屋"の記録』(針谷勉)という本に、吉澤さんの次のような言葉が紹介されていました。「家畜でもなければペットでもない。それじゃ、動物園の動物なのか?違うよね、でも、俺には分からないんだよ。被爆した牛の生きる意味が…そのことは、みんなにも正直に問わなければならない」
 吉澤さんは、絶望の淵から希望を見出すために必死に闘っているのだと思いながら「希望の牧場」をあとにしました(牧場内線量1・49マイクロシーベルト)。
 
見学そして交流
 さて、正午近くまで牧場で話を聞いた後に昼食を済ませると、14時から椎名千恵子さん(3・11福島行動代表)や仲間の案内で除染廃棄物の仮置き場や避難者共同住宅、さんどパーク(室内子供遊技場)、そして椎名さん達が中心になって立ち上げたふくしま共同診療所と見学させていただきました。
 まず除染廃棄物置き場は飯館村には何か所もあり、除染物が山のように積まれていましたが、これらの最終処分場は全く決まらない状態で放置されたままです。ここに線量計が設置されており、線量は0・48マイクロシーベルトを示していました。私たちが持ち込んだ線量計の数値と一致したことから、私たちの線量計の正確性もある程度裏付けられたといえます。
 避難者の共同住宅ですが、同じ方向に向いて縦並びに作られて、緑が全くないところもあり、血の通ったコミュニティーとしての配慮がなされていないところや、緑がたくさんある長屋風のところなど様々でした。しかし、この人たちは7~8回転居した人が大半で本当につらい思いをしていることが伺えました。
 さんどパーク(室内子供遊技場)は福島市民会館内にあります。私たちが行った時
には幼児や小児20名くらいが飛んだり跳ねたり楽しそうに遊んでいました。一日4回の入れ替え制で定員があるようですから、希望者はいつでも希望の時間に遊べるとは限らないのかもしれません。ただ室内に砂を置いたりして遊ぶ姿はあまり見慣れない光景で何か不自然さを覚え、外で思い切り遊べる保養地であればもっといいのにと思いました。
 最後は、椎名さんや佐藤幸子さんたちが全国からの支援を得ながら作ったふくしま共同診療所です。4千万円くらいかけたと言っていましたが、最新の甲状腺がん検査?の器械も備わっていることに皆さんの熱意と頼もしさを感じました。今後はこの診療所によって多くの子供の健康が守れることに期待したいと思います。
 夕食時は私たちのためにわざわざ懇親会の席を設けていただき交流会の最後にふさわしい楽しいひと時をプレゼントしてくれました。特にふくしまの酒は少ししか飲めない私も思わず5合くらい飲むほどおいしかったです。次は私たちが厚子さんはじめ皆さんに来ていただくために頑張らなければなりません。皆さん本当にありがとうございました。
おわり

 

2013年9月25日(記)