12月7日&14日放映・ETV特集『戦場で書く~作家 火野葦平の戦争~』
今晩(2013年12月7日)配信した「メルマガ金原No.1566」を転載します。
なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
今日、特定秘密保護法関連の話題を取り上げないことに特に意味はありません。
一昨日、昨日と書いてきたように、闘いはこれからなのですから。
とはいえ、世の中は特定秘密保護法だけで動いている訳ではなく、他にも取り上げたいテーマは様々にあります。
放映予定の番組をご紹介するにしても、何しろ「今晩」というのはあんまりだと我ながら思いますが、再放送もあることなので、あえて取り上げることにしました。
以下に、NHK・Eテレの番組案内を引用します。
(引用開始)
NHK Eテレ(教育TV)
【本放送】2013年12月7日(土)夜11時30分~
【再放送】2013年12月14日(土)午前0時45分~ ※金曜日深夜
『戦場で書く~作家 火野葦平の戦争~』
※放送開始時間がいつもより30分遅くなっています。
日中戦争から太平洋戦争の時代、作家・火野葦平が戦場で克明に記した20冊に及ぶ従軍手帳の全貌が明らかになった。
北九州市若松の石炭荷役労働者・組頭の家に生まれた火野は、庶民への眼差しを生涯手放さなかった作家であった。出征前に発表した「糞尿譚」で芥川賞を受賞し、前代未聞の戦場での授賞式に望んだ火野。陸軍報道部員に抜擢され、戦場で書いた「兵隊三部作」は、大ベストセラーとなり、一躍国民的作家となる。
日中戦争では、杭州湾上陸作戦から、南京、徐州へ。太平洋戦争では、バターン(フィリピン)、インパール・・・激戦地に従軍。フィリピンでは宣撫工作に携わり、大東亜共栄圏の理念をフィリピン人捕虜に説き、南京で開かれた大東亜文学者大会の主要メンバーともなった。
一方で、陸軍の検閲が火野のペンに加えた制限は、大きなものであった。近年公開された父親宛書簡には戦時中公表できなかった中国兵殺害の事実がつづられていた。インパールでは、補給を無視した作戦で多くの兵士が餓死。火野は軍の作戦に疑問をふくらませていった。
敗戦後火野は、戦争協力者として公職追放となる。その後、中国を訪れた火野は、おのれの戦争責任を見つめ、『革命前後』を執筆。昭和35年、53歳でみずから命を絶った。
残された従軍手帳をもとに火野葦平の軌跡を見つめ、作家と戦争の関わりを考える。
【再放送】2013年12月14日(土)午前0時45分~ ※金曜日深夜
『戦場で書く~作家 火野葦平の戦争~』
※放送開始時間がいつもより30分遅くなっています。
日中戦争から太平洋戦争の時代、作家・火野葦平が戦場で克明に記した20冊に及ぶ従軍手帳の全貌が明らかになった。
北九州市若松の石炭荷役労働者・組頭の家に生まれた火野は、庶民への眼差しを生涯手放さなかった作家であった。出征前に発表した「糞尿譚」で芥川賞を受賞し、前代未聞の戦場での授賞式に望んだ火野。陸軍報道部員に抜擢され、戦場で書いた「兵隊三部作」は、大ベストセラーとなり、一躍国民的作家となる。
日中戦争では、杭州湾上陸作戦から、南京、徐州へ。太平洋戦争では、バターン(フィリピン)、インパール・・・激戦地に従軍。フィリピンでは宣撫工作に携わり、大東亜共栄圏の理念をフィリピン人捕虜に説き、南京で開かれた大東亜文学者大会の主要メンバーともなった。
一方で、陸軍の検閲が火野のペンに加えた制限は、大きなものであった。近年公開された父親宛書簡には戦時中公表できなかった中国兵殺害の事実がつづられていた。インパールでは、補給を無視した作戦で多くの兵士が餓死。火野は軍の作戦に疑問をふくらませていった。
敗戦後火野は、戦争協力者として公職追放となる。その後、中国を訪れた火野は、おのれの戦争責任を見つめ、『革命前後』を執筆。昭和35年、53歳でみずから命を絶った。
残された従軍手帳をもとに火野葦平の軌跡を見つめ、作家と戦争の関わりを考える。
(引用終わり)
ペシャワール会現地代表の中村哲医師が、火野葦平の甥(葦平の妹の子)にあたるということを知ったのは、澤地久枝さんとの対談本『人は愛するに足り、真心は信ずるに足る アフガンとの約束』(岩波書店)を読んだ2010年のことだったでしょうか。
それを機に火野葦平について少し調べてみたところ、出会ったのが、上記番組案内でも触れられていた「父親宛書簡」であり、大きな衝撃を受けたものでした。
元々は、「国文学」2000年11月号に掲載された花田俊典氏「新資料 火野葦平の手紙」として発表されたものの一部であったようです。
ここに引用するのもためらわれますので、是非、上記サイトで全文をお読みいただきたいと思います。
それにしても、最近の「中国敵視」世論の高まりは、戦前を知らない私にとっても非常に不気味です。
先日も、和歌山大学大学祭の企画に参加した際、年配の参加者の中で中国脅威論を強調する男性がいたのですが、こういう人が世間にはあふれているのかもしれないと思ったものです。
私がその方に対し、「日本が中国を侵略したのは私たちの父や祖父の世代のことだから、中国の方ではそれをしっかりと記憶しているはず。それに対し、日本がこの前、中国から侵略を受けたのはたしか13世紀の後半のことで、それも、中国が外国に占領されていた時のことだった」ということを指摘したところ、不快そうに黙っておられましたけれど。
このような「加害者としての証言」を、どうすれば日本人一般の共有認識にできるのだろうかということを考える際、テレビの役割はやはりまだまだ重要だと思います。
そうか、だから安倍首相はNHK経営委員に「お友達」や「元家庭教師」を恥ずかしげもなく任命しているんだ。