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帰村宣言から間もなく2年-川内村に帰れない人々

 今晩(2013年12月29日)配信した「メルマガ金原No.1589」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
帰村宣言から間もなく2年-川内村に帰れない人々
 
 政府の原子力災害対策本部が、警戒区域及び避難指示区域の見直しに関する基本的考え方を発表したのは、今からちょうど2年前の2011年12月26日のことでした。
 野田佳彦首相による怒りと失笑を買った「収束宣言」は、この基本方針を出すめの前提として必要とされた「嘘」だった訳です。
 
ステップ2の完了を受けた警戒区域及び避難指示区域の見直しに関する基本的考え方及び今後の検討課題について(原子力災害対策本部)
 
(抜粋引用開始)
「ステップ2の完了により、原子力発電所の安全性が確認され、今後、同原子力発所から大量の放射性物質が放出され、住民の生命又は身体が緊急かつ重大な危険にさらされるおそれはなくなったものと判断されることから、警戒区域は、基本的には解除の手続きに入ることが妥当である。」
「ステップ2の完了により原子力発電所の安全性が確認されたことから、現在設定されている避難指示区域(①発電所半径20kmの区域及び②半径20km以遠の計画的避難区域)を一体として見直すこととする。今後速やかに県や市町村など関係者と協議を開始し、来年3月末を一つの目途に、新たな避難指示区域を設定することを目指す。」
「現在の避難指示区域のうち、年間積算線量20ミリシーベルト以下となることが確実であることが確認された地域を「避難指示解除準備区域」に設定する。同区域は、当面の間は、引き続き避難指示が継続されることとなるが、除染、インフラ復旧、用対策など復旧・復興のための支援策を迅速に実施し、住民の一日でも早い帰を目指す区域である。」
「現在の避難指示区域のうち、現時点からの年間積算線量が20ミリシーベルトを超えるおそれがあり、住民の被ばく線量を低減する観点から引き続き避難を継続することを求める地域を「居住制限区域」に設定する。同区域においては、将来的に住民が帰還し、コミュニティを再建することを目指し、除染やインフラ復旧などを計画的に実施する。」
長期間、帰還が困難であることが予想される区域を「帰還困難区域」として特定し関連する市町村や住民と緊密な意見交換を行いながら、長期化する避難生活や生活再建のあり方、自治体機能の維持などについて、国として責任を持って対応していくこととする。
(区域の定義及び性格)
(i)
長期間、具体的には5年間を経過してもなお、年間積算線量が20ミリシーベルトを下回らないおそれのある、現時点で年間積算線量が50ミリシーベルト超の地域を「帰還困難区域」に設定する
(ii)
同区域においては、将来にわたって居住を制限することを原則とし、線引きは少なくとも5年間は固定することとする。」
(引用終わり)
 
 このプレスリリースが発表されてほぼ1か月経過した2012年1月末、他の双葉郡の町村に先駆けて「帰村宣言」を発表したのが川内村(かわうちむら)でした。
 
村の復興に向けた「帰村宣言」(川内村長 遠藤雄幸)
 
 そして、その宣言通り、川内村は、2012年4月から行政機能を避難先の郡山市ら元の村役場に戻しました。
 その取組を報道したTV番組がありました。
 
2012年4月25日 NHK クローズアップ現代
始まった住民帰還~福島・川内村の模索~
 
 今年(2013年)の1月末には、「帰村宣言1年」を振り返る報道がいくつか目につきました。
 
2013年1月31日 読売オンライン
川内村 帰村宣言1年…買い物、通学に残る不便
 
2013年1月31日 福島民報
【川内村帰村宣言から1年】買い物は?通院は?村内の施設充実など課題
 
2013年1月31日 河北新報
川内村・遠藤村長に聞く 帰村宣言1年課題と展望
 
 それからさらに1年近くが経ちました。住民の「帰還率」は50%を超えたとのことです。
 「帰村宣言」から間もなく2年。
 現在の状況を語る映像を2つご紹介します。
 はじめは、日本記者クラブで行われた遠藤村長の記者会見の模様です。
 
2013年11月19日 遠藤雄幸 川内村村長 記者会見(日本記者クラブ
 
 もう一つは、OurPlanet-TVが製作した短いドキュメンタリーです。
 
OurPlanet-TV 2013年12月27日 アップロード
「復興」から置き去り~川内村仮設住民・3回目の年越し
 
(番組案内・引用開始)
 福島第一原発30キロ圏内にあり一時「全村避難」をしていた川内村。他の自治体に先駆けて「帰村宣言」が出され、賠償金などは既に打ち切られている。仮設住宅で自治会長をしてきた志田篤さんは、年越しを前に、全国に「米の緊急支援」を呼びかけ、クリスマスに仮設住民に配布した。家族とバラバラになり村に戻ることができない高齢者や障害者たち。政府が帰還促進政策を進める中で、取り残されたまま置き去りにされている川内村、仮設住民の今を取材した。
賠償打ち切りが生活弱者の台所直撃
 川内村は、2012年1月に、村長が他の自治体に先駆けて「帰村宣言」を行
い、4月には、川内村役場機能・小中学校が川内村に戻った。避難解除に伴い、8月には一人当たり月10万円の損害賠償が打ち切られ、更に今年3月には、20万円の生活保障も打ち切られている。
 しかし、完全に村に戻っている人は必ずしも多くない。現在でも、完全に川内
村に居住場所を戻している帰村者は約535名、週4日滞在している帰村者は約920名、村外で借上げ住宅に生活している人が約1600名、仮設住宅らしが約680名となっている。なかでも仮設住宅で暮らしている世帯は、高齢者や障がい者など、仕事がなく、年金暮らしの世帯が大半だ。
 川内村に帰りたくとも、家族がバラバラになる中で、車がない、お金がないなど
といった理由で、帰還することは難しい状況に置かれている。賠償金は使い果たし、年金や貯金を切り崩しての厳しい生活。人間関係も厳しくなっている。
3回目の年越し前に米の緊急支援呼びかけ
 震災後、仮設住宅で自治会長をやってきた志田篤さんは、NPO法人昭和横
丁を立ち上げ、住民たちの相談に乗り、支援活動をし続けて来た。生活支援が打ち切られ、仮設住宅の住民の生活状況が悪化している中、年越し前に、全国に「米の緊急支援」を呼びかけた。
 もともとそれほど豊かではなかった川内村。しかし、震災前は、どこの世帯も自
宅には田畑があり、秋の収穫を終えると、1年分の米が蓄えられていた。しかし、仮設暮らしとなり、自分たちで米や野菜を作ることもできず、心細い暮らしとなっている。
 緊急支援を呼びかけた志田さんはこう話す。「そんなに生活が困窮しているな
ら、村に帰って生活すればと考えるかもしれないが、地域の崩壊、教育の崩壊、医療の崩壊、高齢者は村に帰っても単独で通院できない」「解除して、住民が帰らない解除て意味があるのか」
支援に関する連絡先
郡山市南1丁目94 南仮設住宅A-4-10 南仮設住宅自治会 志田篤
080−1387−2302(志田さん)
(引用終わり)
 
 国や村の「帰還政策」については、様々な意見があり得るところですが、帰還することにした1人1人の住民の決断について、私たちがあれこれと批判がましいこを言うのは間違っていると思いますので、その点についてコメントする気はありません。
 しかし、OurPlanet-TVが伝えた高齢者の方々のように、「家に帰りたい」と思っても「帰れない」という現実がそこにある以上、それを前提としたきめ細かな支援が必要であり、それこそが「子ども被災者支援法」の理念ではなかったのか?ということだけは言いたいと思います。
 
東京電力原子力事故により被災した子どもをはじめとする住民等の生活を守り支えるための被災者の生活支援等に関する施策の推進に関する法
第二条
2 被災者生活支援等施策は、被災者一人一人が第八条第一項の支援象地域における居住、他の地域への移動及び移動前の地域への帰還についての選択を自らの意思によって行うことができるよう、被災者がそのいずれを選択した場合であっても適切に支援するものでなければならない。
 

 

(付記)
 今年の8月31日、大阪弁護士会が主催した以下のシンポジウムに参加してメルマガ(ブログ)にその感想を書きました。
8/31シンポ「区域外避難者は今 放射能汚染に安全の境はありますか」(大阪弁護士会)に参加して
 私はそこで聞いたパネリストの除本理史(よけもと。まさふみ)大阪市立大学大学院教授の以下の発言を特に書きとめていました。
政府による恣意的な区域設定がなされているが、被害は来連続的である上に、いずれ避難指示の解除ということが展望されるため、将的には全員が自主避難という時期が来る。従って、今、区域外避難者の権利援ということをしっかりと確立していくことが非常に重要となる
 まさに、除本教授が展望されている「全員が自主避難」になるという事態の先頭を川内村が走っている、という風に私は受け止めました。