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あれから60年~1954年(昭和29年)に何があったのか?これからどうなるのか?~(付・2014年3・1ビキニデー和歌山県原水協からのお知らせ)

 今晩(2014年1月21日)配信した「メルマガ金原No.1612」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
あれから60年~1954年(昭和29年)に何があったのか?これからどうなるのか?~(付・2014年3・1ビキニデー和歌山県原水協からのお知らせ)
 
 「和歌山県原水協」事務局長の白井春樹さんから、「2014年3・1ビキニデー」に向けた企画のご案内がありましたので、以下に案内文を引用してご紹介します。
 
(引用開始)
2014年3・1ビキニデー
=2015年NPT 核兵器全面禁止へ 非核と9条輝く日
を=
1954年3月1日、アメリカが太平洋マーシャル諸島ビキニ環礁でおこなった水爆実験
によるビキニ被災をきっかけに、毎年3月1日を中心に世界で核兵器廃絶に向けた行動が行われている「ビキニデー」。今年は被災から60年となります。2月27日から3月1日まで、静岡市焼津市で国際政治の流れをいっそう核兵器廃絶へと動かしていくための一大決起の場となります。
○2月28日(金)
13:00 日本原水協全国集会・全体会[静岡グランシップ・中ホール]
15:30 日本原水協全国集会・分科会[グランシップ内]
第1分科会:2015年へ、「核兵器全面禁止」を圧倒的な草の根の力で
第2分科会:東アジアの平和・憲法・日本の役割
第3分科会:基地とくらし
第4分科会:被爆の実相普及、被爆者援護・連帯、運動の継承
第5分科会:原発ゼロ、被害地支援、自然エネルギーへの転換めざして
第6分科会:国民的共同の前進へ、国民平和大行進の新たな発展を
第7分科会:草の根運動を強めようー地域原水協の役割と活動
第8分科会:被災60年・ビキニ事件の全容解明と原水爆禁止のたたかい
19:00 青年企画 Ring!Link!Zero in 静岡 
○3月1日(土)
9:15 献花墓参行進 JR焼津駅南口集合→弘徳院へ
10:30 久保山愛吉氏墓前祭
13:00 被災60年2014年3・1ビキニデー集会[焼津市文化センター]
★参加費用 34,000円位
[一般大人/交通費(JR和歌山駅)・参加費・宿泊費・1昼食弁当代含む]
★申込締切日:2014年2月21日(木)
★申し込み先:和歌山県原水協TEL(FAX)073-424-6533
(引用終わり)
 
 以上は、原水協原水爆禁止日本協議会)の企画であり、詳細は原水協公式サイト内「ビキニデー」コーナーをご覧ください。
 
 ちなみに、原水協は、3月1日(土)ビキニデー当日、上記のとおり、焼津市焼津市文化センター)において「被災60年2014年3・1ビキニデー集会」を開くのですが(主催は実行委員会)、同じ3月1日、原水禁原水爆禁止日本国民会議)の方は、静岡市において「被災60周年 3・1ビキニ・デー全国集会」を開催することが予告されています。
 私は、このようなことに全然詳しくないのですが、例年、原水協原水禁は、焼津市と静岡市に別れてビキニデー集会を開催しているのでしょうか?もしそうだとすると、何と言ったら良いのか・・・。
 
 ところで、白井さんからお知らせいただき、第五福竜丸のビキニ環礁での被爆からちょうど今年で60年が経過するということを思い出すことになりました。
 今年2014年は、世界的に見れば、「第一次世界大戦開戦100年」の節目の年だろうと思いますが、干支が普及した東アジアの漢字文化圏では、干支が一巡りする「60年」を節目ととらえる考え方が、今でもそれなりに有力ではないかと思います。
 
 今から60年前の1954年(昭和29年)、日本ではどんなことがあったのか?年表には様々な事象が記録されています。例えばウイキペディアの「1954年」の項などをご参ください。
 
 以下に、私が「ビキニデー」に触発されて想起した「1954年(昭和29年)」の出来事を4つ挙げたいと思います。
 その内の2つは、現在の政治情勢を考える上で、絶対に避けては通れない問題であり、残る2つは、上記の問題と時代の空気を共有した象徴的な文化現象(映画の公開)です。
 
3月1日 日本の遠洋マグロ漁船第五福竜丸などが米国のビキニ環礁での水爆実験によって発生した多量の放射性降下物(いわゆる死の灰)を浴びる。
 
4月26日 映画『七人の侍』(黒澤明監督)公開される。
 
7月1日 自衛隊法が施行される(保安隊から陸上自衛隊に、海上警備隊ら海上自衛隊に、航空自衛隊は新設)。
 
11月3日 映画『ゴジラ』(本多猪四郎監督)公開される。
 
 第二次世界大戦が、日本の降伏によって終結してから9年、玄界灘をはさんで向かい合う日本の隣国が戦場となった朝鮮戦争(1950年~)は、ようやく前年(1953年)に休戦となっていたものの、米ソの核兵器開発競争(原爆から水爆へ)が続く中、発生したが「第五福竜丸事件」でした。
 そして、その8か月後に公開された映画『ゴジラ』のポスターには、「水爆大怪獣映画」という角書(つのがき)が冠されていました。
 
 他方、朝鮮戦争の勃発を機に誕生した警察予備隊(1950年~)は、1952年に保安隊に改組され、そして1954年7月には「陸海空」を備えた自衛隊が発足し、日本国民は、自衛隊の存在と憲法9条2項との整合性にどう向き合うかという難問を抱え込まざるを得なくなりました。
 そのような政治的動きとは無関係に(当然そうでしょう)、前年から難航を重ねて製作が続いていた黒澤明監督の『七人の侍』が封切られたのが4月26日。作家・小林彦氏の証言でも空前の大ヒットであったことが分かります(『黒澤明という時代』文春文庫)。
 野武士の襲撃に悩む一村落の農民たちが、村を防衛するために七人の侍を雇うという卓抜なセントラルアイデアが、封切当時、「再軍備賛美」という文脈で批判されたという話は何度も読んだことがあるものの、肝心の批判したという文章の原典を読んだことがないため、私にとっては一種の「伝説」のようなものです。
 とはいえ、『ゴジラ』が時代の空気を(かなり意図的に)反映した作品であったのと同様、『七人の侍』も同じ時代の空気の中で作られたものに違いありません。黒澤監督をはじめ、農民が侍を雇うというアイデアを提供したとされるプロデューサー(本木荘二郎)、ストーリーを練り上げた脚本家(橋本忍小国英雄黒澤明)らに、「再軍備に共感する気持ちなど全然なかったとしても(多分そうだと思いますが)、全く無関係であったとも言い切れないのではないかという気がします。
 
 そして、60年後の現在です。
 自衛隊は着々と装備・編成を充実させ、今や“空母”艦隊まで編成しようという段階まで来てしまっています。
 昨年夏に浸水した護衛艦「いずも」を上空から撮影した映像はある種衝撃的です
 このような装備の充実を単純に喜ぶ「軍事オタク」や「ネトウヨ」はともかくとして(今やその種の人間政府や与党を牛耳っているのが我が国が抱える最大の問題でが)、の60年間の自衛隊の歩みをどう総括するのかということが、全ての日本国民に否応なく問われているというのが、2014年の状況でしょう。
 
 また、ビキニデーとの関連で言えば、「原子力発電というのがそもそも、原子力潜水艦から始まったものですのでね。日本以外のすべての国は、原子力政策というのは核政策とセットなわけですね。ですけども、日本は核を持つべきだと私は思っておりません。しかし同時に、日本は(核を)作ろうと思えばいつでも作れる。1年以内に作れると。それはひとつの抑止力ではあるのでしょう。それを本当に放棄していいですかということは、それこそもっと突き詰めた議論が必要だと思うし、私は放棄すべきだとは思わない」と堂々と公言(2011年8月16日・報道ステーション原発 私はこう考える」での
石破自民党政調会長(当時)の発言)する人物が圧倒的な議席を保有する与党の幹事長なのだということを肝に銘じる必要があります。
 「専守防衛」や「武器輸出三原則」を投げ捨てようとしている政権が、「非核三原則」だけは守ってくれるなどと考えるのは「愚者の惰眠」と言わざるを得ません。
 
 現在の私たちの国は、「ひどい」と思っていた民主党権時代の2011年や2012年と比べても、とても同一には論じられないほどの危機的段階を迎えています。
 「ビキニデー60年」「自衛隊60年」の今年、1人1人が、将来に何を遺せるかを真剣に考え、自分の責任を果たすことが求められています。
 
(付記)

 

 1954年(昭和29年)ということでもう一つ付け加えると、この年の12月に私がこの世に生をうけたのでした。