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母子避難者の思いを通して考える「いのち」(「母と女性教職員の会」に参加して)

 今晩(2014年2月8日)配信した「メルマガ金原No.1631」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
母子避難者の思いを通して考える「いのち」(「母と女性教職員の会」に参加して)
 
 今日(2014年2月8日)午前10時から(午後4時まで)、和歌山県勤労福祉会館プラザホープを会場として開催された「第23回 日本教職員組合近畿ブロック母と女性教職員の会」に参加してきました。
 これまで、和歌山における教職員組合とのお付き合いというと、全日本教職員組合系の組合とのそれが中心であり、私にとって、日教組和歌山(和歌山教職員組合)の企画への参加は初めてのことでした。もっとも、昨秋ビッグホエールで行われた人権フェスタでは、日教組和歌山のテントで美味しい「かすうどん」を食べましたが(執行委員長の中島俊之さんが自らうどんを売っていましたね)。
 今回の「母と女性教職員の会(「ハハジョ」と略称するようです)」には、女性部長の三木康子さんからお誘いいただき、「一般参加」させてもらうことになったものです。
 
 午前中に4Fホールで行われた全体会では、元高校教諭の浅里耕一郎さんが、「和歌山の反原発運動と福島原発事故の教訓」と題して記念講演をされました。
 浅里さんは、脱原発わかやまのメンバーとして、寺井拓也さんらと『原発を拒み続けた和歌山の記録』を分担執筆されており、和歌山県における原発建設阻止運動の歴史を踏まえながら、福島原発事故を経験したことから見えてきたことをお話されました。
 これだけの事故を起こしながら、誰も責任をとらず、反省もせず、原発再稼働や輸出に邁進する国の姿を、「日本の弱さが浮き彫りになっている」と評された浅里さんのことばが印象的でした。
 


 午後から3会場に別れて開かれた分科会では、私は、同じく一般参加の西郷章
さんとともに、「特別分科会 いのちを考える」に参加しました。
 「提案者」のお1人は、兵庫県の小学校で養護教諭をされている方で、2011年7月から翌年3月までの9ヶ月間、宮城県の女川高校に養護教諭の加配として派遣された体験から、被災した子どもたち1人1人の心に寄り添うことの重要性を語られました。
 
 そして、もう1人の「提案者」が、大阪から参加した「お母さん」、森松明希子(もりまつ・あきこ)さんでした。
 森松さんは、郡山市で3.11に遭遇し、2か月後、幼い2人の子どもとともに大阪に母子避難することを決断されたのですが、その間の気持ちの揺れ動き、葛藤などを具体的に伝えてくださいました。
 実は、森松さんについては、このメルマガ(ブログ)でも既に何度かご紹介しています。
 
 
 
日教組近畿ブロック母と女性教職員の会in和歌山 昨年(2014年)9月17日、関西に避難している27世帯80名の原告が、東京電力と国に対し、福島第一原発事故の責任を追及する損害賠償請求訴訟を大阪地方裁判所に提起しましたが(大阪第一次提訴)、森松さんはその原告団代表を引き受けられました。
 そもそも、国を相手に訴訟を起こすということ自体、大きな葛藤の末に決断するのが普通であるのに、その上、「原告団代表」を引き受けるというのは、誰かが引き受けなければならないとはいえ、非常に負担の大きい務めであることを是非ご理解いただきたいと思います。
 実際、訴訟に立ち上がった原告らに対し、信じられないような悪罵を投げつける心ない人間がいるという現実があり、まずその攻撃の矢面に立たざるを得ないのが原告団代表」です。
 「そんなことをする人間がいるのか?」と思われるかもしれませんが、検索サイトを使えば容易に探すことができます(別に探す必要はありません)。
 
 しかし、提訴のわずか2日後、投稿サイト・阿修羅♪にアップされた記事で、何と森松さんと私(金原)がセットで非難されているのを見つけた時は驚きましたね。
 何でも、「(金原徹雄氏は)悪名高い9条の会の関係者のようですが、やはり、背後に極左部落解放同盟連合会がいました。福島集団訴訟を起こしている、福島原発告訴団は、背後に在日の日本基督教団がいましたが、この金原氏もキリスト教や平和フォーラムとつながりがあります。」と断定し、その証拠として、を学習会の講師として招いた団体を紹介してくれているのですが・・・(「福島集団訴訟を起こしている、福島原発告訴団」などという、低レベルの間違いが散見するのも、この手の投稿の常です)。
 たしかに、私は各地の9条の会の他、平和フォーラムやキリスト者9条ネット歌山、それに革新懇(昨年4月には地元の河西革新懇準備会から呼ばれた)など、お招きを受ければ、どこでも出かけて憲法の話をしますがね。この投稿氏に代表される一群の人々は、何でもかんでも「部落解放同盟」と「在日」に結びつけては非難するという「条件反射」の習性を持っているようです(そうか、だから「革新懇」は非難の材料にならなかったのか)。
 もっとも、驚いたと書いたのは、私は弁護団の一員であるにせよ、訴訟提起にあたっての準備には全く関与していない名ばかり弁護団員なのになぜ?ということがあった上に、その時はまだ森松さんにご挨拶もしていなかったからです。
 
 震災(原発事故)発生直後は、福島県での生活をどう再建していくかを考えていた森松さんが、母子避難を決断し、家族全員で訴訟の原告になることを決意するまでのいきさつを詳しく綴った手記が、昨年12月、かもがわ出版から刊行されました。皆様に是非一読をお勧めしたいと思います。
 


 森松さんも言われていたとおり、100人の避難者がいれば100通りの避難の事
情があるはずです。それにもかかわらず、いや、だからこそと言うべきかもしれませんが、それぞれが考え抜いた末に出した結論はみんな正しいのだと思います。それは、避難ではなく、とどまる、あるいは帰還するという結論を出した人にもあてはまることです。
 原発事故・子ども被災者支援法は、そのことを大前提として立法されたはずなのです。
 森松さんご一家をはじめ、東電と国を相手とする訴訟に踏み切った全国の原告の皆さんの思いは、突き詰めればその一点に集約できるのではないかと思います(名ばかり弁護団員の私が言うことですから、もちろんこれは私見です)。
 

(付録)
『平和の橋』 QU-E(クエ) 作詞:TOMY 作曲:SASAGU