“潮目”を変えるために~この好機を逃してはならない~
今晩(2014年2月15日)配信した「メルマガ金原No.1638」を転載します。
なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
“潮目”を変えるために~この好機を逃してはならない~
弁護士・金原徹雄のブログ(2014年2月13日)
安倍首相の「暴言」なら、これまで何度も(思い出せないくらい)ありました。そして、これまでであれば、大きなスペースを割いて批判記事を載せるのは(地方紙以外では)せいぜい東京新聞だけで、ソーシャルメディアの世界でこそいっとき話題になるものの、世間的にはいつしか忘れ去られていくのがいつものパターンでした。
しかし、今回の「最高責任者は私だ」発言には、単に呆れるというよりは、多くの人が恐怖心を抱いたのではないかと思うのです。私のように、実際に答弁する安倍首相の4分余りの映像を見た者にとってはなおさらです。あのような「正常でない」人間が今の地位にとどまることほど恐ろしいことはありません。
13日以降の首相発言批判の動きのうちのいくつかについては、メルマガでは臨時増刊号として配信し、ブログでは「こういう人間に支配される国であってはならない」のページに(追記)として付け加えました。
このような批判の動きは、いずれ海外メディアからも伝わってくると予想します。
そこで、この状況をどうとらえるべきかについての私見を書いてみたいと思います。
ご存知のとおり、安倍政権は安保法制懇からの報告書を4月頃に受け取った上で、公明党に対する与党間調整を経て(おそらく安倍首相は「公明党は必ず折れる」と確信していることでしょう。これまで常にそうだったのですから)、集団的自衛権を行使できるとの憲法解釈の変更を「閣議決定」するとされています。
そして、その後に「国家安全保障基本法案」の閣法としての国会上程が控えているという訳です。憲法解釈変更の閣議決定で妥協してしまえば、公明党に同法案提出を阻止する力も意欲もあるはずがなく、法律が憲法を変更するという、本来あり得ない「クーデター」が成立する公算が非常に高くなってしまいます。
また、仮に公明党(と創価学会)が最後の一線で踏みとどまり、閣僚を引き上げるという措置に出た場合でも、日本維新の会やみんなの党の協力を得て強行突破することも、当然、安倍首相の視野に入っているに違いありません(自民党は参議院では過半数をわずかに下回っている)。
では、このような事態を食い止める手立てはあるのでしょうか?
私は「ある」と思っています。
ただし、そのようなお題目を唱えているだけでは事態は絶対に好転しません。
そのためには、“潮目”を変えるための“きっかけ”が必要です。
そして、そのような“きっかけ”となり得る状況が生じた場合には、絶対にそれを見逃さず、徹底的にその好機を拡大する戦略が求められます。
1つめは、2013年12月26日の安倍首相による靖国神社参拝です。
これにより、安倍政権は、主として対外的な「正統性」を喪失したのだと思います。
詳細については、今年の元旦に私が書いた「なぜ総理大臣が靖国神社に参拝してはいけないのか?(基礎的な問題)」をご参照いただきたいのですが、要は、平和に対する罪によって処断された戦争指導者を「神霊」として祀り、先の戦争が正当なものであったと主張する神社に日本の総理大臣が参拝するということは、日本が公式に国際社会に復帰するために連合国と締結した平和条約における約束(東京裁判等の戦犯裁判の受諾)を、日本が公然と否定することを意味すると(当然のことながら)受け取られた訳です。
ただしこの問題は、安倍政権にとって、対外的にはもしかすると致命的なダメージになるかもしれない「失点」ですが、残念ながら、国内的には必ずしもそうとは言えません。
こちらの方は、主として対内的な「正統性」を喪失させる事由です。
今さら言うまでもありませんが、内閣が行政権を行使できるのは、日本国憲法第5章「行政権は、内閣に属する」(65条)以下の諸規定によって授権されているからです。その「内閣を代表して議案を国会に提出し、一般国務及び外交関係について国会に報告し、並びに行政各部を指揮監督する」(72条)権限を与えられた内閣総理大臣が、選挙で勝ちさえすれば憲法を好きなように解釈できると国会で答弁するような国がどこの世界にあるでしょうか?
日本国憲法99条の憲法尊重擁護義務(天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ)を持ち出すまでもない、というか、それ以前の問題として、このような「無教養な人間」(小林節慶応大学教授なら必ずこう言うでしょう)が総理大臣の地位にあること自体を危機と言わずして何を危機と言うのでしょうか。
あとは、このことを1日でも早く「国民的常識」とするのが私たちに与えられた責務であると信じます。そう思えばこそ、今この文章を書いているのです。
1人でも多くの方が、この好機を逸することなく、安倍政権打倒のために力を尽くされますように。