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是枝裕和氏インタビュー「二分法の世界観」(朝日新聞)を読む

 今晩(2014年2月17日)配信した「メルマガ金原No.1640」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
是枝裕和氏インタビュー「二分法の世界観」(朝日新聞)を読む
 
 『誰も知らない』(2004年)、『そして父になる』(2013年)などで知られる是枝裕和(これえだ・ひろかず)氏は、著名な劇映画の監督という枠には収まりきらない多彩な活躍をされています。
 もともと、テレビマンユニオンに入社してTV番組のアシスタントディレクターから出発したということもあり、TVドキュメンタリー、コマーシャルフィルム、ミュージックビデオ、さらに最近ではテレビドラマの演出を手がける他、若手監督の作品のプロデューサーなども務めておられます。
 
 その是枝監督の最近の発言で私が注目したのは、日本テレビが半世紀ぶりに大島渚監督のTVドキュメンタリー『忘れられた皇軍』(1963年)を再放送するにあたって制作した「反骨のドキュメンタリスト 大島渚 『忘れられた皇軍』という衝撃」(2014年1月13日放映)という番組の中で、是枝監督が実作者の立場から同作品をどう受け止めたかを語った場面でした。
 
 是枝監督のコメントの一部を文字起こししてメルマガ(ブログ)に掲載しましたので、その部分を再引用します『忘れられた皇軍』(大島渚監督)とTVドキュメンタリーの未来)。
 
(引用開始) 
ナレーション 大島監督同様、テレビドキュメンタリーと映画、2つのフィールドで活躍す是枝裕和氏。『忘れられた皇軍』を見て衝撃を受けた1人だ。
是枝 大島さんが、生涯批判し続けたのは「被害者意識」ってものだったね、多分。「あの戦争は嫌だったね」っていう、「辛かったね」っていうさ、自分たちが何に荷担したのかっていうことに目をつぶって、被害意識だけを語るようになった日本人に対して、「君たちは加害者なのだ」ということを、あの番組で突きつけてるわけですよね。その強さに見入った人間たちは打ち震えたわけじゃないですか。
ナレーション 既成の概念や価値観に対峙し、それに挑み続けた大島渚。是枝監督は、その志をこそ、今のテレビに求めたいと言う。
是枝 社会全体の中で、多様性っていうのが失われてきていて、どんどん、特に今の府になってから、ナショナリズムに、「保守」ではない、もうナショナリズムに改宗させられてきている、人々の信条が。それがある種の「救い」になってしまっているっていう気がしていて、それは非常に危険だなと思うんですね。やはり、多様性。だから、8割の人間を支持するのであれば、2割の側で何が出来るかっていうことを、やはりきちんと考えていくべきだなと僕は思ってるので。そこは、どの位作り手がそれを意識できるかが勝負だなと思ってますけどね。支持されてなくても、視聴率が低くても作る。
ナレーション 日本でテレビが放送を開始して60年余り。未来に残すべきテレビとは?常に問い続けていくことが、大島監督が残した私たちへの宿題なのかもしれない。大島監督は、今のテレビに一体何と言葉をかけるだろうか?
是枝 「そんなことグダグダ言ってないでとにかく作れ」って言われますよ。「作ってから考える」って。とにかく作ると、カメラを回す。そっから何が出てくるかってことを必死で考えるってことじゃないですかね。
(引用終わり)
 
 その是枝裕和氏が、朝日新聞のインタビュー・シリーズ「今こそ政治を話そう」に登場されました。事務所で朝日新聞を購読しているものの、土曜日の紙面に掲載であったために気がついていなかったのですが、映画監督の想田和弘氏のFacebookで教えていただきました。
 
 
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 非常に示唆に富むインタビューだと思います。是非、会員登録をされて(私も無料会員です)、全文をお読みいただければと思いますが、特に感銘深く読んだ部分をご紹介したいと思います。
 
 是枝さんは、貴乃花が大きな怪我を抱えながら武蔵丸との優勝決定戦に勝ち、当時の小泉純一郎首相から「痛みに耐えてよく頑張った。感動した!」と称賛されたシーンを見ながら、「この政治家嫌いだな」と思ったと述懐し、その理由を以下のように敷衍します。
 
(引用開始)
 なぜ武蔵丸に触れないのか、「2人とも頑張った」くらい言ってもいいんじゃないかと。外国出身力士の武蔵丸にとって、けがを押して土俵に上がった国民的ヒーローの貴乃花と戦うのは大変だったはずです。武蔵丸や彼を応援している人はどんな気持ちだったのか。そこに目を配れるか否かは、政治家として非常に大事なところです。しかし現在の日本政治はそういう度量を完全に失っています。 
 例えば得票率6割で当選した政治家は本来、自分に投票しなかった4割の人に思いをはせ、彼らも納得する形で政治を動かしていかなければならないはずです。そういう非常に難しいことにあたるからこそ権力が与えられ、高い歳費が払われているわけでしょ?それがいつからか選挙に勝った人間がやりたいようにやるのが政治だ、となっている。政治の捉え方自体が間違っています。民主主義は多数決とは違います。
 政治家の「本音」がもてはやされ、たとえそれを不快に思う人がいてもひるまず、妥協せずに言い続ける政治家が人気を得る。いつから政治家はこんな楽な商売になってしまったのでしょう。「表現の自由」はあなたがたが享受するものではなくて、あなたが私たちに保障するものです。そのためにはあなたの自己表出には節度が求められるはずです。
(引用終わり)
 
 それからもう1箇所。国から捨てられたはずのブラジル日系移民が、第2次世界大戦が始まると日本人として純化していったという事実を指摘した上で、『忘れられた皇軍』について語った時と同様、以下のように持論を展開されます。
 
(引用開始)
 似ていませんか?いまの日本に。国に棄てられた被害者が加害の側に回る、そこに何があったのかを描いてみたいんです。
 精神科医の野田正彰さんは、加害の歴史も含めて文化だから、次世代にちゃんと受け渡していかなければならないと指摘しています。その通りです。どんな国の歴史にも暗部はある。いま生きている人間は、それを引き受けないといけません。だけど多くの人は引き受けずに、忘れる。東京電力福島第一原発事故もそうでしょう。「アンダーコントロール」だ、東京五輪だって浮かれ始めている。どうかしていますよ。
 いまの日本の問題は、みんなが被害者意識から出発しているということじゃないですか。映画監督の大島渚はかつて、木下恵介監督の『二十四の瞳』を徹底的に批判しました。木下を尊敬するがゆえに、被害者意識を核にして作られた映画と、それに涙する「善良」な日本人を嫌悪したのです。戦争は島の外からやってくるのか?違うだろうと。戦争は自分たちの内側から起こるという自覚を喚起するためにも、被害者感情に寄りかからない、日本の歴史の中にある加害性を撮りたい。みんな忘れていくから。誰かがやらなくてはいけないと思っています。
(引用終わり)

 是枝氏が「
いまの日本の問題は、みんなが被害者意識から出発しているということじゃないですか」と語る時、それは何もネトウヨ靖国派など、極端な歴史修正主義者たちだけを指弾している訳でないことは当然です。私たちの周囲の善男善女、それに私たち自身に(もちろん是枝監督自身にも)突きつけられた言葉であるはずです。  
 
 最後に是枝監督にまつわる話題をもう一つ。実は、私も見ておらず、これからも見る機会があるかどうかはなはだ心許ないのですが、是非見てみたいと思っているTVドキュメンタリーがあります。2005年5月4日にフジテレビで放映された「シリーズ憲法・第9条 戦争放棄『忘却』」という作品です。
 憲法メディアフォーラムというサイトに岩崎貞明さんが書かれた作品評「是枝裕和が憲法9条を撮った」が載っており、そこから番組の内容をうっすらと想像するだけなのですが、以上にご紹介した是枝監督の考え方を実践した作品であることは間違いないと思います。大島渚監督の『忘れられた皇軍』のように、再放送まで半世紀もかかっては、とても寿命が持ちませんので、DVDで出ないかなあと期待しているのですが。
 
(引用開始)
 是枝氏自身のナレーションで、自身の生い立ちと自衛隊や戦争に対する考え方が語られる。番組の軸となるのは、1971年放送のテレビ番組『帰ってきたウルトラマン』の一話。地球に取り残されて隠れ住む異星人が、近隣住民によって無抵抗のまま殺されるという話に、当時9歳の是枝氏は自らの加害性を意識する。それを、戦争の加害責任を忘却していく日本人の心性と重ね合わせて番組が進行する。
 ユダヤ人収容所のあったクラコフ(ポーランド)、「9・11」の現場ニューヨーク、ベトナム戦争記念碑のあるワシントン、「平和の礎」のある沖縄と、戦争の「記憶」と「忘却」をめぐる彼の旅が映像とナレーション、字幕でつづられる。旅は、彼の亡父が育った台湾にたどり着き、シベリア抑留を体験した父親と向き合って戦争体験を聞くことを避けてきた彼自身の「忘却」が、悔恨とともに語られる。
 憲法9条をテーマにしながら、9条の条文が番組に出てくるのは1度だけ。それは、小泉首相がイラク自衛隊派遣を決定した際の記者会見を紹介した場面だった(是枝氏以外の肉声が聞かれるのは番組全編を通じてほぼこの部分だけ)。是枝氏は、憲法前文の一部を引用したこの会見に対して、小泉首相が引用しなかった部分「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」を提示、平和主義の原則から小泉首相の論拠を批判する。
 憲法という国家的なテーマに、是枝氏は徹底したモノローグで自分史を語るというスタ
イルで挑んだ。抑制的な語りが静かに問題提起を投げかける、異色の秀作だ。
(引用終わり)