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若いお母さんのための憲法9条入門~かけがえのない価値と今、目の前にある危機~

 今晩(2014年2月22日)配信した「メルマガ金原No.1645」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
若いお母さんのための憲法9条入門~かけがえのない価値と今、目の前にある危機~
 
 今年最初の憲法学習会の講師依頼(2014年2月13日・和歌山県平和フォーラム)のために書いた講演用台本は、2回に分けて本メルマガ(ブログ)に掲載しました。
 
集団的自衛権と国家安全保障基本法案(憲法法治主義を守るために)
自民党日本国憲法改正草案」の思想(憲法法治主義を守るために)
 
 振り返ってみると、実際の講演では、この台本にはほとんど目を落とさずに話しましたので、書いてあることの1/3も話さなかったかもしれませんが、それでも、台本を書いておくことの効用は十分にあったと思います。何より、自分自身の頭の整理になりますからね。
 
 さて、以上が今年第1回目の講師活動でしたが、今のところ、3月15日(土)と4月5日(土)、いずれも小規模な学習会の講師を引き受けています。
 今日は、そのうちの4月5日(土)の学習会用に書いたレジュメ(第1稿)を掲載します(これを書いていたため、他の文章を書いている時間が無くなってしまった)。
 ただし、依頼のメールには、「時間は全体で1時間半を考えています。1時間弱のお話と、その後は質問タイムかな?」と書かれており、書き上げた台本は、どう考えても最低2時間はかかるものだし、「中学生に語りかけるかのような内容でお願いしたい」とい注文にもそぐわない内容になってしまいましたので、依頼団体には、大幅に短縮した第2稿を送ろうかと考えています。もっとも、短くするとかえって「分かりにくくなる」かもしれ
ず、「短くて分かりやすい」文章というのは至難ですね。
 なお、テーマが「若いお母さんのための憲法9条入門」としたのは、「集まるのはみんな普通のお母さんです」「お茶を飲みながら、10人までの人数で、じっくりお話を聞く」ということから来ています。
 ここまで書いたら「どの団体」からの依頼か、和歌山の人ならすぐ分かってしまうかもしれませんが、まあ「ある依頼団体」としておきます。

 

 

      若いお母さんのための憲法9条入門
       ~かけがえのない価値と今、目の前にある危機~
 
                              弁護士 金 原 徹 雄
 
1 自己紹介
 昭和29年(1954年)に和歌山市で生まれました。もう今年で還暦なんですね。自
分でもびっくりします。
 地元の市立小学校、国立中学校、県立高校を経て、大阪市立大学法学部を卒
業するまで、ずっと自宅から通学できる国公立の学校で通しました。家にお金がなかったからですが、奨学金を申請せずに大学を卒業できたのは、大阪市立大学の学費が卒業するまで年間1万2000円で済んだからです。今の学生やその親御さんは大変です。子どもが頑張れば、親にそれほど負担をかけずに大学教育が受けられる国であるべきだと思います。
 大学であまり勉強していなかったために思いのほか時間がかかりましたが、何とか司
法試験に合格することができ、司法研修所を終えて、平成元年(1989年)から和歌山で弁護士をしています。
 本来の弁護士としての業務以外では、2006年から2012年まで「憲法9条を守る和
歌山弁護士の会」事務局長、2005年から現在まで「守ろう9条 紀の川 市民の会」運営委員などを務めており、今日の学習会の講師にお招きいただいたのも、そのような関係からでしょう。また、「子どもたちの未来と被ばくを考える会」の世話人を務めるなど、原発放射能の問題にも関心を持っており、3.11以降、メルマガやブログでの情報発信も行っています。

2 今日のお話の概要
 今日の学習会のテーマを「若いお母さんのための憲法9条入門~かけがえのない価
値と今、目の前にある危機~」としました。
 そこで、憲法9条の「かけがえのない価値」を前半に、「今、目の前にある危機」につ
いて後半に、以下のような項目順でお話しようと思います。
(1)まず条文を読んでみよう(前文と9条)
(2)憲法9条の歴史的意義
(3)憲法9条があると「何ができないのか?」(特に集団的自衛権について)
(4)かけがえのない価値
(5)もう一度条文を読んでみよう(自民党改憲案と対比して)
(6)今、目の前にある危機
(7)危機を克服するために
 なお、念のために言っておきますと、「お母さん」だけを対象にして「お父さん」を除け者
にするつもりは全然ありません。ただ、これまで私が参加した○○○○○9条の会の企画で、「お父さん」にお目にかかったことがほとんどないもので(学習会の講師をした時にAさんの旦那さんからお茶を出していただいたことはありますが、会場がAさんの自宅だったものなあ)。

3 まず条文を読んでみよう
 最初にBさんからご依頼があった際のメールには、「中学生に語りかけるかのような内
容でお願いしたい」とありました。
 これを読んで私がまず考えたのは、やや不謹慎ながら、「これまでのレジュメの使い回
しがしにくいな」というものでした。
 実際に中学生に対して憲法の授業をしたことはないのですが、そのような心構えでや
るのは良いとしても、「時間は全体で1時間半を考えています。1時間弱のお話と、その後は質問タイムかな?」という時間配分の中で、一体どうすればいいんだ?と悩んだ末、考えたのが今回の学習会のサブテーマ「かけがえのない価値と今、目の前にある危機」でした。要するに、二つのことだけお話すれば良いのだと開き直ったのです。
 とはいえ、そのお話をするにはそれなりの段取りが必要なので、レジュメならぬ台本を書
いているのです(これだけの時間で話しきれる訳がないので、学習会が終わった後で読んでもらうためです)。
 まずは、条文です。中学や高校の公民の授業で読んだはずだけれど、もはやうろ覚え
というのが普通でしょう(大学教養課程の「憲法」を受講した人でも似たようなものだと思います)。ただし、条文を読む際には、9条だけではなく、是非、前文も一緒にお読みください。
 
(前文)
 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれ
らの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深
く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないの
であつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
 
   第二章 戦争の放棄
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の
発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交
戦権は、これを認めない。
 
 今の仮名遣いと違う部分があるのは、戦後、内閣から旧「現代仮名づかい」が告示されたのが、日本国憲法が公布された直後の昭和21年(1946年)11月16日のことであり、法律の文章を戦前の文語体から新しい文体に移行させる移行期であったため、仮名遣いの原則も確立していなかったことによります。
 問題は仮名遣いではなく内容です。
 前文第一段落で「日本国民は、(略)政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起る
ことのないやうにすることを決意し」た上で、第二段落において、「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」と詳細に「平和主義」の理念を表明しています。
 そして、その理念を具体化するための規定が9条です。
 多くの諸外国の憲法がそうであるように、前文が理念を語り、本文(条項)がそれを
具体化するのです。
 
4 憲法9条の歴史的意義
 この項目で語るべきことは山のようにありますが、その中でも、「戦争の放棄に関する
条約」(パリ不戦条約/1928年)を逸することはできません。第一次大戦後、日本を含む世界の主要国(当時は列強と言われた)15カ国が署名し、その後、ソ連など60カ国以上も署名するに至った多国間条約であり、人類史上初の戦争放棄条項を含み、戦争を違法とみなす国際法上の原則の起点となったものです。
 
第一條 締約國ハ國際紛爭解決ノ爲戰爭ニ訴フルコトヲ非トシ且其ノ相互關係ニ於テ國家ノ政策ノ手段トシテノ戰爭ヲ抛棄スルコトヲ其ノ各自ノ人民ノ名ニ於テ嚴肅ニ宣言ス
 
第二條 締約國ハ相互間ニ起ルコトアルヘキ一切ノ紛爭又ハ紛議ハ其ノ性質又ハ起因ノ如何ヲ問ハス平和的手段ニ依ルノ外之カ處理又ハ解決ヲ求メサルコトヲ約ス
 
 ただし、この不戦条約においても、自衛戦争を行う権利は認められるということが当然の前提として再三確認されています。
 この条文を日本国憲法9条と読み比べてください。現憲法9条1項が、この不戦条
約を直接の淵源としていることが読み取れると思います。
 従って、9条1項は、「人類の叡智」を継承した条項と考えられますが、その独自性
9条2項にこそあります。そこでは、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」(戦力の付保持)と「国の交戦権は、これを認めない」(交戦権の否認)という2つのことが定められ、1項で宣言された「戦争の放棄」をさらに一歩進め、戦争を行うための物的基礎(陸海空軍その他の戦力)と法的権利(交戦権)の双方を否定することにより、「戦争をしたくてもできない」ようにしているのです。
 ちなみに、「交戦権」とは、一般には、交戦当事国に認められた戦時国際法上の諸
権利の集合体と解されており、その中核にあるのは、敵国兵士を「殺傷する権利」です。
 ただし、この9条2項が、自衛のための戦力保持や交戦権まで否定していると解する
かどうか(否定していると解釈すれば自衛隊違憲の存在になります)については説が分かれます。

5 憲法9条があると「何ができないのか?」(特に集団的自衛権について)
 ところで、日本には自衛隊という組織があります(1954年創設/ちなみに私と自衛隊
は「同い年」で、お互い今年還暦を迎えます。ついでに言うと、「ゴジラ」も同い年です)。
 当然、日本政府は、自衛隊憲法9条に違反するものではないとの立場を貫いてきました。一見すると、陸海空の3自衛隊は、どう考えても「軍隊」そのもの(憲法9条2項が言うところの「戦力」)ですよね。諸外国には、自衛隊よりも貧弱な装備人員の「軍隊」がいくらでもあります。私は「軍事オタク」ではありませんが、間違いなくそうでしょう。日本には、今や護衛艦という名前の軽空母まであるのですから。
 それでは、政府はどのようにして自衛隊が合憲であるという理論付けを行ってきたので
しょうか?これは、今最も差し迫った政治課題となっている「集団的自衛権」を考えるための大前提ですから、やや長くなりますが、防衛省自衛隊ホームページの中の「憲法自衛権」という箇所を全文引用しますので、お読みください。
 
(引用開始)
憲法自衛権
1.憲法自衛権

 わが国は、第二次世界大戦後、再び戦争の惨禍(さんか)を繰り返すことのないよう
決意し、平和国家の建設を目指して努力を重ねてきました。恒久(こうきゅう)の平和は、日本国民の念願です。この平和主義の理想を掲げる日本国憲法は、第9条に戦争放棄、戦力不保持及び交戦権の否認に関する規定を置いています。もとより、わが国が独立国である以上、この規定は主権国家としての固有の自衛権を否定するものではありません。
 政府は、このようにわが国の自衛権が否定されない以上、その行使を裏付ける自衛の
ための必要最小限度の実力を保持することは、憲法上認められると解しています。このような考えの下に、わが国は、日本国憲法の下、専守防衛をわが国の防衛の基本的な方針として、実力組織としての自衛隊を保持し、その整備を推進し、運用を図ってきています。
2.憲法第9条の趣旨についての政府見解
(1) 保持し得る自衛力
 わが国が憲法上保持し得る自衛力は、自衛のための必要最小限度のものでなけれ
ばならないと考えています。
 自衛のための必要最小限度の実力の具体的な限度は、その時々の国際情勢、軍
事技術の水準その他の諸条件により変わり得る相対的な面を有していますが、憲法9条第2項で保持が禁止されている「戦力」に当たるか否かは、わが国が保持する全体の実力についての問題です。自衛隊の保有する個々の兵器については、これを保有することにより、わが国の保持する実力の全体がこの限度を超えることとなるか否かによって、その保有の可否が決められます。
 しかしながら、個々の兵器のうちでも、性能上専(もっぱ)ら相手国の国土の壊滅的破
壊のためにのみ用いられる、いわゆる攻撃的兵器を保有することは、これにより直ちに自衛のための必要最小限度の範囲を超えることとなるため、いかなる場合にも許されません。したがって、例えば、ICBM(Intercontinental Ballistic Missile)(大陸間弾道ミサイル)、長距離戦略爆撃機、あるいは攻撃型空母自衛隊が保有することは許されないと考えています。
(2)自衛権発動の要件
 憲法第9条の下において認められる自衛権の発動としての武力の行使については、政
府は、従来から、
①わが国に対する急迫不正の侵害があること
②この場合にこれを排除するために他に適当な手段がないこと
③必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと
という三要件に該当する場合に限られると解しています。
(3)自衛権を行使できる地理的範囲
 わが国が自衛権の行使としてわが国を防衛するため必要最小限度の実力を行使でき
る地理的範囲は、必ずしもわが国の領土、領海、領空に限られませんが、それが具体的にどこまで及ぶかは個々の状況に応じて異なるので、一概には言えません。
 しかしながら、武力行使の目的をもって武装した部隊を他国の領土、領海、領空に派
遣するいわゆる海外派兵は、一般に自衛のための必要最小限度を超えるものであって、憲法上許されないと考えています。
(4)集団的自衛権
 国際法上、国家は、集団的自衛権、すなわち、自国と密接な関係にある外国に対す
る武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利を有しているとされています。わが国が、国際法上、このような集団的自衛権を有していることは、主権国家である以上当然です。しかしながら、憲法第9条の下において許容されている自衛権の行使は、わが国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきものであり、他国に加えられた武力攻撃を実力をもって阻止することを内容とする集団的自衛権の行使は、これを超えるものであって、憲法上許されないと考えています。
(5)交戦権
 憲法第9条第2項では、「国の交戦権は、これを認めない。」と規定していますが、ここ
でいう交戦権とは、戦いを交える権利という意味ではなく、交戦国が国際法上有する種々の権利の総称であって、相手国兵力の殺傷及び破壊、相手国の領土の占領などの権能(けんのう)を含むものです。
 一方、自衛権の行使に当たっては、わが国を防衛するため必要最小限度の実力を行
使することは当然のことと認められており、その行使は、交戦権の行使とは別のものです。
(引用終わり)
 
 以上が、長年日本政府が貫いてきた憲法解釈(大半の期間自民党が政権与党だった)です(これが今や「風前の灯火」状態になっているのですが)。
 長々と書かれていますが、特に集団的自衛権との関連で重要な部分を要約すれば、
①わが国が独立国である以上、固有の自衛権は否定されない。
②その自衛権を裏付ける自衛のための必要最小限度の実力を保持することは、憲法
上認められる。
③その自衛権の発動としての武力の行使は、
 Ⅰわが国に対する急迫不正の侵害があること
 Ⅱこの場合にこれを排除するために他に適当な手段がないこと
 Ⅲ必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと
という三要件に該当する場合に限られる。
となります。
 そして、この解釈を前提として、集団的自衛権は行使できないとしてきたのです。なぜ
なら、集団的自衛権が問題になる場面というのは、日本が「攻撃を受けていない」ことが大前提だからです。もう少し詳しく説明します。
 なぜ自衛隊は合憲なのでしょうか?それは、(従来の政府解釈によれば)自衛隊は、
「わが国に対する急迫不正の侵害」があった(つまり日本が攻撃を受けた)場合に、それを排除する(そのことによって国民の生命・財産を守る)ための「必要最小限の実力」であるから、(外見上「戦力」のように見えるにもかかわらず)9条2項が保持を禁じた「戦力」にはあたらず合憲であるとしてきたのです。
 ところが、集団的自衛権というのは、日本と「密接な関係にある外国に対する武力攻
撃を(略)実力をもって阻止する権利」(国連憲章51条)であって、日本は攻撃を受けていないのですから、自衛隊が出動して武力行使する要件を欠いており、「集団的自衛権の行使は」「憲法上許されない」とされてきたのです。
 集団的自衛権については、以上のとおりですが、それ以外にも、「いわゆる海外派兵
は、一般に自衛のための必要最小限度を超えるものであって、憲法上許されない」とか、「性能上専ら相手国の国土の壊滅的破壊のためにのみ用いられる、いわゆる攻撃的兵器を保有することは、これにより直ちに自衛のための必要最小限度の範囲を超えることとなるため、いかなる場合にも許され」ず、「ICBM大陸間弾道ミサイル)、長距離戦爆撃機、あるいは攻撃型空母自衛隊が保有することは許されない」という「しばり」が、政府によって、憲法9条から導かれる解釈とされてきたのです。
 ところが、これらについても、安倍政権は、早晩、憲法解釈の変更、或いは法律の制定によって可能にしようとしています。
 
6 かけがえのない価値
 自衛隊は、創設以来、1人の戦死者も出さず、1人の多国の人も殺さず、災害救
援活動、海外での国連平和維持活動(PKO)、国際緊急援助隊としての活動など、もっぱら「人助け」のための活動を行ってきました。
 もちろん、他面において、着々と装備を増強してきた面もあり、60年間の自衛隊の歴
史をどう評価するかは人によって様々でしょう。
 あくまでも自衛隊違憲の存在だから、将来的には「国際災害救助隊」(日本版サ
ンダーバード)に組織変更すべきと考えている人もいるでしょう。
 しかし、自衛隊への評価はさておくとしても、憲法9条の「かけがえのない価値」を簡
単に知ることのできる方法があります。それは、もしも日本国憲法に「9条」が無ければどうなっていたか?と想像してみることです。
 前項で、防衛省自衛隊ホームページの中の「憲法自衛権」をご紹介しました。こ
のページを読んだ人は、「自衛隊というれっきとした軍隊があるのだから9条などあっても無意味」という説がいかに間違っているかが分かったことと思います。9条があればこそ、「海外派兵」は許されず(イラクへの空自の派遣は名古屋高裁から違憲と判断されましたが)、「集団的自衛権」の名の下に、自衛隊員をアフガニスタンイラクで「戦死」させずに済んできたのです(「集団的自衛権の行使」という名目によって、多くの国の兵士がアフガニスタンイラクで命を落としています)。
 これまで、自衛隊に入隊した子を持つ親が、海外で息子(もしかすると娘)が海外で
「戦死」するかもしれないなどという心配をする必要がなかったのは(イラク特措法による派遣ということはあったものの)、「憲法9条」による「しばり(制約)」があったからであることは明らかです。
 その「かけがえのない価値」が、今や「9条の明文改憲」を待つまでもなく、安倍政権
によって葬り去られようとしているのです。
 以下に、「意外な」人の「9条感」をご紹介します。
 今年の4月25日(金)、青年法律家協会和歌山支部が恒例の憲法記念講演会の
講師としてお招きする半田滋さん(東京新聞論説兼編集委員)の著書『集団的自衛権のトリックと安倍改憲-「国のかたち」変える策動』(高文研)を読んでいて見つけたものですが、それは、民主党政権時代に約2年間防衛大臣を務めた北沢俊美氏の発言です(113頁~)。その一部を引用したいと思います。
(引用開始)
「2年間防衛相をやって、一番心強かったのは憲法9条。中国の動きが激しくなる、米
国にもどう対応すればいいのかという狭間で、憲法9条があるから『そこのところまで』となる。憲法9条が最大のシビリアンコントロールだったとしみじみ感じるのです」(民主党「近現代史研究会」での発言)
「あちこちの部隊に行ったから分かるが、自衛官はみんないい若者だ。東日本大震災
で献身的な活動をしただろう。あれが本当の自衛官だ。しかし、国防軍になるとみんな逃げ出して、違う性質の者と入れ替わるのではないかと心配だ」(半田滋氏によるインタビューに答えて)
(引用終わり)
 私にとって、北沢防衛相といえば、普天間基地の県外・海外移設を志向した鳩山
由紀夫首相を補佐せず見捨てた人というイメージが強いのですが、まあ、人には色々な側面があるということでしょう。

7 もう一度条文を読んでみよう(自民党改憲案と対比して)
 2012年4月27日、自民党は「日本国憲法改正草案」を発表しました。自民党が、
前文と9条をどうしようとしているのか、条文を対比して読んでみましょう。
 
日本国憲法・前文)
 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわ
れらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権
力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を
深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和
のうちに生存する権利を有することを確認する。
 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない
のであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成す
ることを誓ふ。
 
自民党改憲案・前文)
 日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国
家であって、国民主権の下、立法、行政及び司法の三権分立に基づいて統治される。
 我が国は、先の大戦による荒廃や幾多の大災害を乗り越えて発展し、今や国際
社会において重要な地位を占めており、平和主義の下、諸外国との友好関係を増進し、世界の平和と繁栄に貢献する。
 日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権を尊重すると
ともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する。
 我々は、自由と規律を重んじ、美しい国土と自然環境を守りつつ、教育や科学
技術を振興し、活力ある経済活動を通じて国を成長させる。
 日本国民は、良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するため、ここに、この
憲法を制定する。
 
日本国憲法
   第二章 戦争の放棄
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権
の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の
交戦権は、これを認めない。
 
自民党改憲案)
   第二章 安全保障
(平和主義)
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権
の発動としての戦争を放棄し、武力による威嚇及び武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては用いない。
2 前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない。
国防軍
第九条の二 我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内
閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する。
2 国防軍は、前項の規定による任務を遂行する際は、法律の定めるところにより、
国会の承認その他の統制に服する。
3 国防軍は、第一項に規定する任務を遂行するための活動のほか、法律の定め
るところにより、国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動及び公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動を行うことができる。
4 前二項に定めるもののほか、国防軍の組織、統制及び機密の保持に関する事
項は、法律で定める。
5 国防軍に属する軍人その他の公務員がその職務の実施に伴う罪又は国防軍
の機密に関する罪を犯した場合の裁判を行うため、法律の定めるところにより、国防軍に審判所を置く。この場合においては、被告人が裁判所へ上訴する権利は、保障されなければならない。
(領土等の保全等)
第九条の三 国は、主権と独立を守るため、国民と協力して、領土、領海及び領
空を保全し、その資源を確保しなければならない。
 
8 今、目の前にある危機
(1)安保法制懇による報告書提出(2014年4月想定)
 第1次安倍内閣によって設置された「安全保障の法的基盤の再構築に関する
懇談会」(安保法制懇)が集団的自衛権行使を容認すべきとの「報告書」を提出したのは2008年のことでしたが、諮問した安倍首相は既に政権を投げ出しており、報告書を受け取った福田康夫首相はこれをゴミ箱に放り込んだものと思われます(もう少し上品に言えば「棚上げにした」ということです)。
 ところが、第2次安倍政権発足直後の2013年2月、委員の顔ぶれも名称も同
一の「懇談会」が復活しました。はじめから結論ありきの「出来レース」であることは明らかです。
 この安保法制懇からの「報告書」は、予算通過後の2014年4月頃に提出される
ものと想定されており、その際、集団的自衛権行使容認だけではなく、これまで憲法9条の下では認められないとされてきた様々な制約を外すべきとの提言が盛り込まれるかもしれないと言われています。
(2)閣議決定による解釈変更
 上記安保法制懇からの報告書提出を受けて、「集団的自衛権は、権利として
は保有しているが、その行使は憲法上許されない」としてきた従来の政府の解釈を変更する閣議決定がなされるのではないかと言われています。
 この場合、集団的自衛権の行使容認に消極的と言われる公明党が、本気で
「政権離脱」カードを切る覚悟で反対するかどうかが焦点ですが、同党幹部からは、報告書が提出された後、「慎重な議論が必要」というような意見しか聞けません。
(3)「国家安全保障基本法案」の国会上程
 2012年7月、自民党総務会は「国家安全保障基本法案(概要)」を了解しまし
た。その第2条2項四号は「国際連合憲章に定められた自衛権の行使については、必要最小限度とすること」とし、個別的自衛権集団的自衛権の区別なく、国連憲章51条の自衛権行使が出来ることを前提とした規定となっており、その内容が第10条で「第2条第2項第4号の基本方針に基づき、我が国が自衛権を行使する場合には、以下の事項を遵守しなければならない」としてより具体化しています。
 さらに、第11条には、国際連合憲章上定められた安全保障措置等への参加
を前提とした規定が置かれ、第12条では、国は、「防衛に資する産業基盤の保持及び育成につき配慮する」として、原則的に武器輸出を解禁しようとしています。
 国家安全保障基本法案(2012年7月・自民党案)は、本来、憲法9条の改正
手続を経なければ合憲とならないはずの事柄を、下位規範である法律の制定によって実現しようとするもので、ほとんど「軍事力を行使しないクーデター」と呼ぶしかないようなものです。
 この法案が成立すれば、憲法9条は「改正」されていなくても「仮死状態」になっ
てしまったと言うべきです。そして、9条が本当に「死ぬ」のは、自衛隊員が「戦争」によって他国民を殺傷し、戦死した時、もしくは憲法9条が明文改憲された時でしょう。
 しかし、このような「立法改憲」は、間近に前例があります。昨年(2013年)12月
6日に国会で無理押しに成立された特定秘密保護法です。
 明らかに憲法21条(表現の自由・知る権利の保障)、31条(適正手続の保
障)を無視した一種の「授権法(全権委任法)」であって、麻生太郎副総理が推奨する「ナチスの手口」を着々と実行しつつある安倍政権ですから、国家安全保基本法を強行突破しようとすることは、容易に想定できます。
 
9 危機を克服するために
 「日本国憲法は、いま、大きな試練にさらされています。」という「九条の会」アピ
ールが発表されてから、間もなく10年が経とうとしています。
 10年後の現在の状況は「試練」どころではなく、まだ明文改憲されていないとい
うだけのことで、実質的に憲法を無視した様々な「実績」が政府によって積み重ねられており、当面その総仕上げとしての国家安全保障基本法案が控えているという状況です。
 この安倍政権憲法を無視した暴走を阻止するためには、1人1人の国民が危
機を自覚して声をあげることにより、可能な限り広範な勢力を結集することが何よりも必要です。そして、そのための基盤となり得る動きも、昨年来様々に見られたところです。
① 憲法96条(改正規定)先行改憲論が立憲主義の根幹を揺るがすものであ
るとして、いわゆる改憲派の学者も加わって圧倒的な批判の世論を盛り上げたこと。
② 結果として国会通過を阻止できなかったとはいえ、特定秘密保護法案につい
て、読売、産経を除くほぼ全ての主要紙(日経を含む)が反対の論陣を張り、学者、文化人の多くが反対の意思表示を行い、多くの市民と連帯したこと。
③ 米海兵隊新基地建設を絶対に受け入れないと表明する稲嶺進市長を再
選させた沖縄県名護市長選挙をはじめ、国が強引に推進しようとする反動的政策に、地方からNOの声を突き付ける動きが顕在化していること。
 私たちは、これらの勇気付けられる動きと連携しながら、「独裁を許さない」とい
う一点で結集する「統一戦線」を展望しなければなりません。
 そのためには、伝統的な自民党支持層にも共感の輪を作り出す取組も絶対に
必要だと考えています。私がかねてブログ等で(一部から批判されながら)、天皇皇后両陛下の「憲法観」を再々ご紹介しているのも、伝統的に皇室に親愛の情を抱く保守層に対して、9条の平和主義を守ることこそ皇室の願いに沿う道なのだと自信をもって訴えるべきだと考えているからです。
 また、いわゆる加憲の立場から、憲法9条自衛隊を合憲の存在と認める規
定を追加すべきという層に対しても、今は、立憲主義法治主義を無視する暴走政権と共に闘うべき時であるとの訴えを続けなければならないと考えています。
            以 上
 

(参考までに)
皇后陛下お誕生日に際し(平成25年10月)
宮内記者会の質問に対する文書ご回答 より
「5月の憲法記念日をはさみ,今年は憲法をめぐり,例年に増して盛んな論議が
取り交わされていたように感じます。主に新聞紙上でこうした論議に触れながら,かつて,あきる野市の五日市を訪れた時,郷土館で見せて頂いた「五日市憲法案」のことをしきりに思い出しておりました。明治憲法の公布(明治22年)に先立ち,地域の小学校の教員,地主や農民が,寄り合い,討議を重ねて書き上げた民間の憲法草案で,基本的人権の尊重や教育の自由の保障及び教育を受ける義務,法の下の平等,更に言論の自由,信教の自由など,204条が書かれており,地方自治権等についても記されています。当時これに類する民間の憲法草案が,日本各地の少なくとも40数か所で作られていたと聞きましたが,近代日本の黎明期に生きた人々の,政治参加への強い意欲や,自国の未来にかけた熱い願いに触れ,深い感銘を覚えたことでした。長い鎖国を経た19世紀末の日本で,市井の人々の間に既に育っていた民権意識を記録するものとして,世界でも珍しい文化遺産ではないかと思います。」「この1年も多くの親しい方たちが亡くなりました。・・・,日本における女性の人権の尊重を新憲法に反映させたベアテゴードンさん,・・・等,私の少し前を歩いておられた方々を失い,改めてその御生涯と,生き抜かれた時代を思っています。」
 
天皇陛下お誕生日に際しての「おことば」
会見年月日:平成25年12月18日
「80年の道のりを振り返って,特に印象に残っている出来事という質問ですが,や
はり最も印象に残っているのは先の戦争のことです。私が学齢に達した時には中国との戦争が始まっており,その翌年の12月8日から,中国のほかに新たに米国,英国,オランダとの戦争が始まりました。終戦を迎えたのは小学校の最後の年でした。この戦争による日本人の犠牲者は約310万人と言われています。前途に様々な夢を持って生きていた多くの人々が,若くして命を失ったことを思うと,本当に痛ましい限りです。」
戦後,連合国軍の占領下にあった日本は,平和と民主主義を,守るべき大切
なものとして,日本国憲法を作り,様々な改革を行って,今日の日本を築きました。戦争で荒廃した国土を立て直し,かつ,改善していくために当時の我が国の人々の払った努力に対し,深い感謝の気持ちを抱いています。また,当時の知日派米国人の協力も忘れてはならないことと思います。」
天皇という立場にあることは,孤独とも思えるものですが,私は結婚により,私が
大切にしたいと思うものを共に大切に思ってくれる伴侶を得ました。皇后が常に私の立場を尊重しつつ寄り添ってくれたことに安らぎを覚え,これまで天皇の役割を果たそうと努力できたことを幸せだったと思っています。」

(金原による情報発信)
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