半田滋さんの講演から学んだこと(付・半田滋さんの論説『首相の奇妙な状況認識』を読む)
本日(2014年4月26日)配信したメルマガ金原No.1708「半田滋さんの論説『首相の奇妙な状況認識』を読む(付・半田さんの講演から学んだこと)」を転載します。
なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
半田滋さんの講演から学んだこと(付・半田滋さんの論説『首相の奇妙な状況認識』を読む)
昨日(2014年4月25日)午後6時から、和歌山県民文化会館小ホールにおいて、東京新聞論説兼編集委員の半田滋(はんだしげる)さんの講演会「集団的自衛権のトリックと安倍改憲」が開かれました(主催:青年法律家協会和歌山支部)。
その中から、私が特に印象に残った点を1つご紹介します。
それは文民統制に関わる問題です。以下は、半田さんのお話そのものというよりは、半田さんから教えていただいたことを私なりに理解するためにかみ砕いて考えたものであることをお断りします。
2007年以来、安倍首相や安保法制懇が主張する「公海における米艦の防護」については、これまでも「非現実的な(あり得ない)設例である」「万一そのような事例があっても個別的自衛権で対応できる」などと批判してきているのですが(それはそれで間違っていないと思いますが)、半田さんの指摘により、今まで「文民統制」という視点からの批判が欠落していたということに気がつきました(私自身の盲点でした)。
第一次安保法制懇「報告書」(2008年6月24日)22頁は、以下のように指摘していました。
「第2部で示した本懇談会での議論からも明らかなとおり、厳しさを増す21世紀の安全保障環境の中で、我が国の国民の生命・財産を守るためには、日米同盟の効果的機能が一層重要であり、日米が共同で活動している際に米艦に危険が及んだ場合にこれを防護し得るようにすることは、同盟国相互の信頼関係の維持・強化のために不可欠である。個別的自衛権及び自己の防護や自衛隊法第95条に基づく武器等の防護により結果的に反射的効果として米艦の防護が可能な場合があるというこれまでの憲法解釈及び現行法の規定では、自衛隊は極めて例外的な場合にしか米艦を防護できず、また、対艦ミサイル攻撃の現実にも対処することができない。よって、この場合には、集団的自衛権の行使を認める必要がある。このような集団的自衛権の行使は、我が国の安全保障と密接に関係する場合の限定的なものである。」
私は、これを何となく読み過ごしていたのですが、4類型のもう1つ「米国に向かうかもしれない弾道ミサイルの迎撃」において、安保法制懇自身がこう書いていたのでした。
「ミサイル防衛システムを発動するか否かの判断は、分秒の単位で行わねばならないので、従来の意思決定過程を前提としていては実効性のあるシステムになり得ない。したがって、ミサイル攻撃への対応が単純・明快かつ迅速にとり得るよう手続を整備する必要がある」
これはどういうことかと言えば、「日米が共同で活動している際に米艦に危険が及んだ場合にこれを防護」することや、「米国に向かうかもしれない弾道ミサイルを我が国が撃ち落す」ことを、国家安全保障会議や内閣総理大臣の決定・命令に待つことなく、現場の自衛官の判断で実施できるようにするということでしょう。ありそうもない、瞬時を争うような事例をわざわざ設定した上で、「単純・明快かつ迅速」な対応をとるべきと言うのですから、結局、現場への丸投げしか考えられません。
半田さんが講演で言われたのは、もしも「日米が共同で活動している際に日本の自衛艦に危険が及んだ場合にこれを防護」することを、米艦隊の司令官が大統領の命令を待つことなく自らの判断で行うことなど絶対にあり得ない、ということでした。米国は戦争好きの国と言われているものの、戦争をするかしないかを決めるのはあくまでも文民(大統領、「宣戦布告」の権限は議会)であるという原則はしっかりと守られているということでした。
もちろん、以上の設例で、自衛艦に対する攻撃が米艦隊に対する攻撃でもあると判断できるような状況であれば、米艦隊が独自の反撃を行う可能性はありますが、いずれにしても、これは「集団的自衛権」の問題ではないという何よりの証拠です。
以上のような机上設例については、「集団的自衛権」がどうのこうのと言う前に、「文民統制」が守らなければならない原則であるという認識がそもそも欠落しているのではないか、という、非常に重要な問題があることに気付かせていただきました。
この他にも、いったん集団的自衛権に道を開いてしまえば、第二次朝鮮戦争が起こった場合、単なる後方支援では済まなくなることを、日本の政治家や国民がどれほど覚悟しているのだろうかなど、半田さんの危機感の深さが伝わる非常に有益な講演会でした。
ただ、午後6時開演という時間設定も影響してか、会場のキャパ(324席)の半分に少し足りない程度の参加者数にとどまったというのは、講演の内容から考えて実にもったいない結果であり、講師にも申し訳なかったなと(主催者の一員として)思います。
5月17日の柳澤協二さんの講演(主催:憲法九条を守るわかやま県民の会)については、是非満席になるようにみんなで頑張りたいと思います。
ところで、講演終了後、講師の半田さんを囲む懇親会(打上)が会場近くの居酒屋であり、半田さんの隣の席で色々なお話を伺うことができたのですが、これまで何度も半田さんを取り上げている私のブログを読んでおられて、特に半田さんが東京新聞「私説・論説室から」に書かれた『条約無視して解釈改憲か』に私が注釈を施した記事について、「私(半田さん)の文章だけを読むよりも読者に分かりやすい」と望外の評価をいただいたのは嬉しかったですね。
ということで、これに気をよくして(「調子に乗って」とも言いますが)、半田さんが4月21日に「私説・論説室から」に書かれたばかりの『首相の奇妙な状況認識』について、再び注釈を書き加えてみました。紺色太字は半田さんの元原稿、黒字は私の書いた文章、茶色は引用文です。
最後に、懇親会場での半田さんの発言で最も印象深く心に残った言葉をご紹介します。
「(半田滋さん)私は自衛隊が好きなんです。だから、彼らを無駄に犠牲にしたくないんです」
【私説・論説室から】2014年4月21日
首相の奇妙な状況認識
集団的自衛権の行使容認に踏み切ろうとする安倍晋三首相は「わが国を取り巻く安全保障環境は一層厳しさを増している」と繰り返す。この言葉は「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)を再招集した昨年二月八日の冒頭発言で示された。
2013年2月8日、「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会(第二次)」第1回会合での安倍晋三首相冒頭発言は以下のとおりです。
(引用開始)
6年前に、皆様に米艦防護を始めとする「4つの類型」に関して、憲法上の考え方を諮問し、ご審議をお願いしたわけでございますが、その後、1年で政権の座から降りるということになりました。皆様方の叡智を込めた結論を直接受け取ることができず、大変心苦しく思っていたところでございますが、本日、こうして再び報告書を受け取る機会を得られたことにつきまして、本当に皆様方に御礼申し上げたいと思う次第でございます。
あれから数年経ったのでございますが、我が国を取り巻く安全保障環境は大きく変化いたしました。北朝鮮やイランにおける核拡散の動きは止まらずに、更に、特筆するべきは、地球的規模のパワーシフトが顕著となり、我が国周辺の東シナ海や南シナ海の情勢も変化してきていることでございます。このような中で、アジア太平洋地域の安定と繁栄の要である日米同盟の責任はますます重くなってきているわけでありまして、また、国際社会における平和創造に対する日本の協力のあり方がますます問われる状況になっているわけであります。
このような情勢の変化を踏まえて、改めて、我が国の平和と安全を維持するために、日米安保体制の最も効果的な運用を含めて、我が国は何をなすべきか、過去4年半の、及び将来見通し得る我が国をめぐる安全保障環境の変化を念頭に置いて、改めて、柳井座長の下、再び議論すべく懇談会を立ち上げさせていただいたところでございます。
あれから数年経ったのでございますが、我が国を取り巻く安全保障環境は大きく変化いたしました。北朝鮮やイランにおける核拡散の動きは止まらずに、更に、特筆するべきは、地球的規模のパワーシフトが顕著となり、我が国周辺の東シナ海や南シナ海の情勢も変化してきていることでございます。このような中で、アジア太平洋地域の安定と繁栄の要である日米同盟の責任はますます重くなってきているわけでありまして、また、国際社会における平和創造に対する日本の協力のあり方がますます問われる状況になっているわけであります。
このような情勢の変化を踏まえて、改めて、我が国の平和と安全を維持するために、日米安保体制の最も効果的な運用を含めて、我が国は何をなすべきか、過去4年半の、及び将来見通し得る我が国をめぐる安全保障環境の変化を念頭に置いて、改めて、柳井座長の下、再び議論すべく懇談会を立ち上げさせていただいたところでございます。
(引用終わり)
もちろん、このロジック(?)は安倍首相だけのものではありません。「御用学者」と言われようが「曲学阿世の徒」と言われようが馬耳東風、あらゆる媒体に露出しては首相の代弁をしている北岡伸一安保法制懇座長代理も次のように述べています。
毎日新聞 2014年4月16日
(引用開始)
◇見捨てられる危機
中国の軍備拡張や北朝鮮の核・ミサイル開発で東アジアの安全保障環境は悪化している。軍備増強で対抗するのが一般的なのだろうが、日本はそうした手段をとらない。代わりに集団的自衛権の行使を認めて日米同盟を強化し、守りを固めようとしている。これは穏健なやり方だ。
外国からの侵略を独力ではね返せる国は多くない。だから親しい国と連携して対抗する集団的自衛権が国際法上認められている。政府は憲法9条が許容する『必要最小限度の自衛権の行使』に集団的自衛権は含まれないと解釈してきたが、これは国際法の常識から外れ、間違っている。解釈を見直さなければいけない。
(引用終わり)
おや…、第一次政権で最初に安保法制懇を招集した際の安倍首相の冒頭発言をみつけた。「わが国を取り巻く安全保障環境はむしろ格段に厳しさを増しており」(二〇〇七年五月十八日)とある。今の言葉と変わりない。
2007年5月18日に召集された「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会(第一次)」第1回会合での安倍首相冒頭発言は以下のとおりでした。
(引用開始)
冷戦は終了したが、北朝鮮の核開発や弾道ミサイルの問題、国際的なテロの問題、世界各地で頻発する地域紛争等により、我が国を取り巻く安全保障環境はむしろ格段に厳しさを増しており、私は総理大臣としてこのような事態に対処できるよう、より実効的な安全保障体制を構築する責務を負っている。また、世界の平和と安定なくして日本の平和と安全はないのであり、PKO等の国際的な平和活動に我が国が一層積極的に関与していく必要性についても多言を要しないところである。
(引用終わり)
以上の冒頭発言を踏まえて議論を重ね(?)、安倍首相退陣後の2008年6月24日に提出され、福田康夫首相から無視された第一次安保法制懇「報告書」には、次のように書かれていました。
(引用開始)
国の安全保障政策は、法治国家として当然であるが、明確な法律に基づいて実施されなければならない。すべての法律の基礎には憲法があり、憲法を基盤として、これの適切な解釈の下に様々な法律が組み立てられる。このような法的基盤の上に安全保障政策も実施しなければならない。
しかし、このような法的基盤もまた、常に安全保障環境の変化という現実によって、不断に再検討しなければならない。現行の法的基盤は、日本国憲法に基づいて形成されてきたものであるが、その形成過程は、その時々の安全保障環境や政治状況によって規定された歴史的なものである。したがって、現在の法的基盤のある部分が、現在の安全保障環境の下で、最適であるか否かについては、常に再検討が必要である。
もちろん、安全保障環境がそれほど大きく変化していないのであれば、現存する憲法解釈や法律からなる法的基盤を変更させる必要はないかもしれない。しかし、21世紀の安全保障環境は、日本国憲法が制定された20世紀中葉から大きく変化し、また、集団的自衛権等に関する様々な政府解釈が打ち出されてきた冷戦期からも大きく変化している。更に言えば、冷戦終結直後の状況とも異なる様相を呈しているのが、21世紀の安全保障環境なのである。憲法解釈も含め法的基盤に関する不断の検討が必要な所以である。(第1部、1)
しかし、このような法的基盤もまた、常に安全保障環境の変化という現実によって、不断に再検討しなければならない。現行の法的基盤は、日本国憲法に基づいて形成されてきたものであるが、その形成過程は、その時々の安全保障環境や政治状況によって規定された歴史的なものである。したがって、現在の法的基盤のある部分が、現在の安全保障環境の下で、最適であるか否かについては、常に再検討が必要である。
もちろん、安全保障環境がそれほど大きく変化していないのであれば、現存する憲法解釈や法律からなる法的基盤を変更させる必要はないかもしれない。しかし、21世紀の安全保障環境は、日本国憲法が制定された20世紀中葉から大きく変化し、また、集団的自衛権等に関する様々な政府解釈が打ち出されてきた冷戦期からも大きく変化している。更に言えば、冷戦終結直後の状況とも異なる様相を呈しているのが、21世紀の安全保障環境なのである。憲法解釈も含め法的基盤に関する不断の検討が必要な所以である。(第1部、1)
我が国をめぐる今日の安全保障環境は、上述のように、冷戦時代及び冷戦終結直後の状況とは大きく異なってきている。大量破壊兵器や弾道ミサイルの拡散、あるいはテロの深刻化により安全保障上の脅威が多様化する一方で国家からの脅威も依然として存続しており、また、国際社会として共同で対処すべき多数の国際紛争が生じている。(第1部、4) (引用終わり)
すると「わが国を取り巻く安全保障環境」は七年前から危機的だったことになる。この状況認識は奇妙というほかない。
第一次政権で北朝鮮が核実験を行ったのは〇六年十月の一回だけ。二回目と三回目の核実験、長距離弾道ミサイルの試射に成功したのも、また中国との間で尖閣問題が浮上したのも第一次政権が終わった後である。
第一次政権で北朝鮮が核実験を行ったのは〇六年十月の一回だけ。二回目と三回目の核実験、長距離弾道ミサイルの試射に成功したのも、また中国との間で尖閣問題が浮上したのも第一次政権が終わった後である。
以上の北朝鮮、中国関係の略年表を作ってみましょう。括弧内は当時の日本の首相名です。
第二次安保法制懇第1回会合で安倍首相が「我が国を取り巻く安全保障環境は大きく変化いたしました。北朝鮮やイランにおける核拡散の動きは止まらずに」と述べたわずか4日後に北朝鮮が第3回核実験をしてくれたのですから、首相にとって絶好の「援護射撃」だったと言うべきでしょうか。
七年前から危機が迫っていたのなら、なぜ後任の福田康夫首相は憲法解釈の変更を勧めた安保法制懇の報告書を無視したのか。福田氏を含め自民党で二人、民主党で三人いた後任の首相はなぜ、憲法解釈の変更や憲法改正を目指さなかったのか。
安全保障環境をめぐる、安倍首相の奇妙な認識は、集団的自衛権の行使容認に踏み切ること自体が目的であり、踏み切る理由はどうでもよいという証しなのだろう。(半田滋)
我ながら忘れっぽくなっていますので、ここ最近の総理大臣の在任期間を調べて書いておきます。
我ながら忘れっぽくなっていますので、ここ最近の総理大臣の在任期間を調べて書いておきます。
小泉純一郎(自民) 2001年4月26日~2006年9月26日
安倍晋三(自民) 2006年9月26日~2007年9月26日
福田康夫(自民) 2007年9月26日~2008年9月24日
麻生太郎(自民) 2008年9月24日~2009年9月16日
鳩山由紀夫(民主) 2009年9月16日~2010年6月8日
菅直人(民主) 2010年6月8日~2011年9月2日
野田佳彦(民主) 2011年9月2日~2012年12月26日
安倍晋三(自民) 2012年12月26日~
このように振り返ってみると、自民党政権では福田康夫さん、民主党政権では鳩山由紀夫さんに、もう少し頑張っていただきたかったという感慨を抱くのは決して私だけではないと思いますし(ともに早期退陣の背景に「対米関係」があったと言われています)、現在の安倍政権下の悲惨な状況を準備したのが、民主党の菅、野田両政権(とりわけ野田政権)であったのだなということも見えてきます。
半田さんの論説の結論に戻れば、仮に国民が今回の危機を凌げたとしても、三たび、安倍首相が安保法制懇(第三次)を召集するようなことがあれば、その第1回会合冒頭発言において、「前回、平成25年に審議をお願いした時に比べても、格段にわが国を取り巻く安全保障環境は厳しさを増しており」と馬鹿の一つ覚えのように繰り返すことは100%確実でしょう。
「集団的自衛権の行使容認に踏み切ること自体が目的であり、踏み切る理由はどうでもよいという証しなのだろう」という半田さんの結論に満腔の賛意を表して、このささやかな注釈を終わります。
「集団的自衛権の行使容認に踏み切ること自体が目的であり、踏み切る理由はどうでもよいという証しなのだろう」という半田さんの結論に満腔の賛意を表して、このささやかな注釈を終わります。
(弁護士・金原徹雄のブログで取り上げた半田滋さん)
2013年2月21日
マガ9対談:川口創さん×半田滋さん「検証:9条を骨抜きにするいくつかの方法について」
2013年5月7日
2013年2月21日
マガ9対談:川口創さん×半田滋さん「検証:9条を骨抜きにするいくつかの方法について」
2013年5月7日
2013年8月23日
半田滋著『集団的自衛権のトリックと安倍改憲 「国のかたち」変える策動』を読む
半田滋著『集団的自衛権のトリックと安倍改憲 「国のかたち」変える策動』を読む
2013年9月25日
半田滋さんの論説『条約無視して解釈改憲か』を読む
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2013年11月17日
大阪弁護士会「シンポジウム 集団的自衛権について考える」(11/16)を視聴する
大阪弁護士会「シンポジウム 集団的自衛権について考える」(11/16)を視聴する
2014年3月28日
4/25に半田滋さん講演会が和歌山市であります(青年法律家協会和歌山支部)
4/25に半田滋さん講演会が和歌山市であります(青年法律家協会和歌山支部)
(参考映像)
2014年3月7日 参議院議員会館B109会議室