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伊方原発の“過去”と“今”を知る

 今晩(2014年5月7日)配信した「メルマガ金原No.1719」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
伊方原発の“過去”と“今”を知る

 鹿児島県川内原発を再稼働1番手として優先審査している原子力規制委員会です
が、それに次ぐ再稼働申請が有力視されているのが愛媛県伊方原発ですが、去る4月29日、原発さよなら四国ネットワークの主催により、井戸川克隆前双葉町長をゲストに招いた伊方原発再稼働を留める座談会「国策に『NO!』を言おう!!函館市に続こう!」が開催されました。
 IWJによる中継アーカイブが視聴できます。
 
2014/04/29 【愛媛】井戸川克隆氏「国は事故の想定を地元に隠していた」~急浮上した伊方原発再稼働への反対訴える座談会で
 
(IWJによるレポート・引用開始)
 「原発ゼロの夏」を迎えようとしている。原発再稼働に向けた規制委員会の適合審査(安全審査)を優先的に進める「優先原発」に選ばれた川内原発だが、2014年4月23日の会合で島崎邦彦委員長代理が、火山噴火による影響を厳しく想定し直すように求めたことから、再稼働の予定に狂いが生じている。そこで急浮上したのが、愛媛県伊方原発だ。
 四国の商工会議所連合会などは23日、「伊方原発の一日も早い再稼働に向けた要望」を公表した。焦る財界の再稼働圧力に見舞われている愛媛県では、11月に県知事選が控えており、県民や周辺自治体の動向に注目が集まっている。4月29日、伊方原発再稼働に反対する「原発さよなら四国ネットワーク」が座談会を開催。福島第一原発の立地町である双葉町の前町長・井戸川克隆氏が講演を行った。
 井戸川氏は、福島第一原発事故について「国と東電は2002年から津波地震対策を何度となく協議していたが、地元(双葉町など)には教えなかった」と語り、「国と東電は事故を想定していたにも関わらず、『想定外だった』と言っている。しかし『想定外』なのは我々住民のほう。想定をさせられなかった『想定外』だ」と、リスクを国民に隠し続けた政府・東電の姿
勢を厳しく批判した。
 そして、埼玉県への全町民避難を余儀なくされた事故当時を振り返り、「企業が負わなければならない責任のもとに、住民が避難させられるような事態は断じて許せない」と、強い口調で訴えた。
 講演では他に、地方自治や、議会と民主主義のあり方について言及。その後の座談会にも参加し、多岐にわたるテーマで議論が白熱した。(佐々木隼也)
(引用終わり)
 
 ところで、伊方原発の画像を四国電力のホームページで眺めてみてあらためて思ったのですが、「敷地が狭い!」ですね。
 これは、関西電力大飯原発にしてもそうだし、他の原発にしても多くはそうらしいのですが、万一過酷事故が起きた場合、福島第一原発のように汚染水の貯蔵タンクを次々と建設するようなスペースのあるところはほとんどないということでしょう。
 つまり、いったん事故が起きてしまえば、まともな収束作業を現地で行うことは土台無理ということではないのでしょうかね。
 ・・・などと思っていたら、こういう記事を発見しました。
 
日本経済新聞WEB版 2014年4月17日1時23分
国電、伊方で造成工事 原発安全対策へ用地確保
(引用開始)
 四国電力は16日、伊方原子力発電所愛媛県伊方町)で用地確保のため造成工事を5月中旬から始めると発表した。2016年9月末までの工事完了を目指す。伊方原発の敷地面積は約86万平方メートルだが、平地は全体の4割程度しかない。安全対策に使う資機材を保管する場所がなくなってきており、造成工事の実施を決めた。
 伊方原発佐田岬半島の瀬戸内側に立地し、背後には山がそびえる。津波の影響を受けない山側を造成し、約4000平方メートルの平地を新たに確保する。これにより土砂が約18万立方メートル発生するという。四国電東日本大震災後、伊方3号機の再稼働に向けて電源車や燃料保管用のタンクなどを新設してきた。今後、2号機も再稼働を目指すことになれば、安全対策の資機材を追加配備する必要がある。
(引用終わり)
 
 「安全対策に使う資機材を保管する場所がなくなってきており」ですか。やれやれ。これで再稼働を申請しようというのですからね。
 
 ところで、既に何年も前からWEB上で公開されていたので、お読みになった方もおられることと思いますが、斉間満(さいまみつる・故人)さんの著書『原発の来た町 伊方原発はこうして建てられた 伊方原発の30年』をご紹介したいと思います。
 
斉間 満 著
原発の来た町 伊方原発はこうして建てられた 伊方原発の30年』
 
 反原発運動全国連絡会が、WEB公開にあわせて掲げた「はじめに」を引用します。
 
(引用開始)
 2006年10月17日、 愛媛県八幡浜市伊方町を購読エリアとするローカル紙 「南海日日新聞」の社主であった斉間満さんが永眠されました。斉間さんの著書『原発の来た町―原発はこうして建てられた/伊方原発の30年』は、2002年5月、南海日日新聞社から刊行されましたが、いまは在庫切れとなっています。  
 この本をぜひもっと多くの人に読んでもらいたいと考えた反原発運動全国連絡会では、斉
間さんの承諾を得て、いくつかの出版社と相談し、新しい本として出版できるよう本文の記述を年代順に並べかえるなどの編集作業を行ないましたが、残念ながら販売の見込みが立たず、頓挫してしまいました。
 出版が難しい中、それでもできるだけたくさんの人に読んでいただきたく、ここに掲げさせて
いただきます。  
 なお、 「南海日日新聞」は匿名報道の実践でも知られる新聞で、斉間さん著『匿名報
道の記録―あるローカル新聞社の試み』が2006年6月、 創風社出版(愛媛県松山市どりヶ丘9―8、089―953―3153)から刊行されています。併せてお読みいただければ幸いです。
                         2006年10月
                         反原発運動全国連絡会
(引用終わり)
 
 なお、上記「南海日日新聞」は残念ながら、現在休刊中のようです。
 
 最後に、この本の初版が2002年に刊行された際に小出裕章さん(京大原子炉実験所)が「まえがき」を寄稿されていますので、その末尾の部分をご紹介します。
 
(引用開始)
 斉間さんは一九六九年伊方原発の誘致話が表面化して以降、ほとんど自らの一生をかけてこの問題に取り組んできた。新聞記者として、一人の住民として、裁判の原告として長い長い闘いであった。その彼も二号炉訴訟の判決を前に病に倒れ、本書は闘病中の力を振り絞っての刊行である。正造さん(金原注:田中正造のこと)が最後まで闘いをあきらめなかったように、斉間さんの闘いも彼の生命のあるかぎりこれからも続くであろう。詳細な事実を記録し広く知らせるという本書のような闘いは、余人をもって為しがたいものであり、斉間さんがこの時、この場所に生きていてくれたことをありがたく思う。
 ただの庶民たちにとって、苦難の歴史は今後も繰り返し、長く続くであろう。しかし、斉間
さんが担ってきた闘いこそ「天理によって広く教え」るものであり、 「斃れてもやまざる」闘いである。斉間さんに幸あれ。伊方の住民たちに幸あれ。
   二〇〇二年二月二五日 記
   京都大学原子炉実験所 小出裕章 

(引用終わり)