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安保法制懇「報告書(要旨)」を読んで考えたこと

 今晩(2014年5月14日)配信した「メルマガ金原No.1726」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
安保法制懇「報告書(要旨)」を読んで考えたこと

 昨日(5月13日)の報道によれば、「菅義偉官房長官は13日の閣議後会見で、『安保障の法的基盤の再構築に関する懇談会』(安保法制懇)が15日午後に報告書を政府に提出することを明らかにした。安倍晋三首相がこれを受けて同日夕に記者会見し、政府としての検討の進め方について基本的方向性を示す。安保法制懇の報告書提出を受け、政府は直ちに国家安全保障会議(NSC)4大臣会合を開き、その後に首相が会見する予定。政府としては首相が会見で方向性を示した後、内閣法制局の意見も踏まえ、与党との協議を行っていく。集団的自衛権の行使を可能にする憲法解釈の変更を行うことになる場合は、閣議決定を行い、国会で議論することになる」(ロイター)ということでした。
 
 ところが、今朝の朝日新聞(私の事務所に届いたのは大阪本社13版)を読むと、安保法制懇「報告書」の全文を入手したとして、1面から5面までの大特集を組み、一面には「憲法より安保優先」(トップ見出し)、「最高法規 骨抜き」という見出しが躍り、さらに5面には「報告書要旨」の全文を掲載しており、久しぶりに「朝日新聞、頑張りましたね」と賞賛したくなりました。
 
朝日新聞デジタル 2014年5月14日
安保法制懇の報告書要旨
(記事全文を読むためには無料会員登録を/1日3本まで閲覧可)
 
 どうせ明日になれば、政府の公式サイトに報告書の全文と要旨が掲載されるはずなので、1日余り早く読めたからどうだという向きがあるかもしれませんが、政府の公式発表を待つことになれば、最短で、明日15日の夕刊に要旨を、16日の朝刊に全文と首相記者会見の模様を掲載するというのがせいぜいでしょうから、14日の朝刊で機先を制して大きく特集を組むということには十分大きな意義あると思います。
 
 そこで、「報告書(要旨)」の中身ですが、私自身、限られた時間の中でざっと一読しただけなので、網羅的に意見を述べる余裕はありませんが、これまで北岡伸一安保法制懇座長代理が様々な機会をとらえて発言してきた内容に沿ったものであり、意外感をもって受けとめたような箇所はありませんでした。
 総じて言えば、朝日新聞の見出しのとおり、「憲法より安保優先」であり、しかもその「安全保障」の実体が何であるかがさっぱり分からないというものです。
 これを端的に示すのが、「報告書(要旨)」冒頭の【憲法解釈の変遷と根本原則】に述べられた次のような部分です(下線は金原が付したものです/以下同じ)。
 
(引用開始)
 国家の使命の最大のものは、国民の安全を守ることである。ある時点の特定の状況下で示された憲法論が固定化され、安全保障環境の大きな変化にかかわらず、その憲法論の下で安全保障政策が硬直化するようでは、憲法論のゆえに国民の安全が害されることになりかねない。我が国を取り巻く国際環境が厳しさを増している中で、将来にわたる軍事技術の変化を見通した上で、我が国が本当に必要最小限度の範囲として個別的自衛権だけで国民の生存を守り国家の存立を全うすることができるのか、という点についての論証はなされてこなかった。また、個別的自衛権集団的自衛権を明確に切り分け、前者のみが憲法上許容されるという文理解釈上の根拠は何も示されてい
ない。
(引用終わり)
 
 この点については、日本記者クラブで行われた北岡伸一座長代理による会見の43分30秒以降をご覧いただければ、「彼らの論理」がよく分かります。
 
 それにしても、安保法制懇が憲法の文理解釈についてとやかく言うとは「かたはら痛い」と思いますが、歴代の内閣法制局長官にとっては「怒り心頭」ということではないでしょうか。
 
 先にも書いたとおり、この「報告書(要旨)」に意外感はありませんが、あらためて通読してみて、(前から分かっていたことですが)安倍政権がやろうとしていることのとんでもなさをひしひしと感じて慄然とせざるを得ません。
 この報告書の内容がそのまま実現すれば、間違いなく憲法は死にます。
 そして、憲法が死んだ結果、いずれ多くの自衛隊員が死にます。
 また、自衛隊武力行使によって多くの外国の人々が死にます。
 何のために?
 誰のために?
 
 それから、「憲法解釈論なき憲法解釈の変更」と言われつつ、一応彼らなりの「解釈論」を書かない訳にはいかないだろうと思っていましたが、事前の想定通り、以下のような「論理」を持ち出してきました。
 本格的な論駁は、公式に公表された「全文」に基づいて行うべきでしょうから、とりあえず今日のところは朝日新聞が掲載した「要旨」の該当部分をご紹介するにとどめたいと思います。
 
(「報告書要旨」から抜粋引用開始)
【あるべき憲法解釈】
 
1.憲法第9条第1項及び第2項
 
 憲法第9条は、自衛権や集団安全保障については何ら言及していない。憲法第9条第1項が我が国の武力による威嚇または武力の行使を例外なく禁止していると解釈するのは、不戦条約や国際連合憲章等の国際法の歴史的発展及び憲法制定の経緯から見ても、適切ではない。同項の規定は、我が国が当事国である国際紛争の解決のために武力による威嚇または武力の行使を行うことを禁止したものと解すべきであり、自衛のための武力の行使は禁じられておらず、また国連PKO等や集団安全保障措置への参加といった国際法上合法的な活動への憲法上の制約はないと解すべきである。国連KO等における武器使用を、第9条第1項を理由に制限することは、国連の活動への参加に制約を課している点と、「武器の使用」を「武力の行使」と混同している点で、二重に適切でない。
 
 憲法第9条第2項は、第1項において、武力による威嚇や武力の行使を「国際紛争を解決する手段」として放棄すると定めたことを受け、「前項の目的を達成するため」に戦力を保持しないと定めたものである。従って、我が国が当事国である国際紛争を解決するための武力による威嚇や武力の行使に用いる戦力以外の、すなわち自衛やいわゆる国際貢献のための実力の保持は禁止されていないと解すべきである。
 
 国家は他の信頼できる国家と連携し、助け合うことによって、よりよく安全を守りうるのである。集団的自衛権の行使を可能とすることは、他の信頼できる国家との関係を強固にし、抑止力を高めることによって紛争の可能性を未然に減らすものである。
 
 「(自衛のための)措置は、必要最小限度の範囲にとどまるべき」であるというこれまでの政府の解釈に立ったとしても、その「必要最小限度」の中に個別的自衛権は含まれるが集団的自衛権は含まれないとしてきた政府の解釈は、「必要最小限度」について抽象的な法理だけで形式的に線を引こうとした点で適当ではない。「必要最小限度」の中に集団的自衛権の行使も含まれると解釈して、集団的自衛権の行使を認めるべきである。
 
 憲法第9条第2項にいう「戦力」については、「自衛のための必要最小限度の実力」の具体的な限度は防衛力整備を巡る国会論議の中で国民の支持を得つつ考えられるべきものとされている。客観的な国際情勢に照らして、憲法が許容する武力の行使に必要な実力の保持が許容されるという考え方は、今後も踏襲されるべきものと考える。交戦権」については、自衛のための武力の行使は憲法の禁ずる交戦権とは「別の観念のもの」であるとの答弁がなされてきた。国策遂行手段としての戦争が国際連合章により一般的に禁止されている状況で、個別的及び集団的自衛権の行使や国連の集団安全保障措置等のように国際連合憲章を含む国際法に合致し、かつ、憲法の許容する武力の行使は、憲法第9条の禁止する交戦権の行使とは「別の観念のもの」と引き続き観念すべきものである。合法な武力行使であっても国際人道法規上の規制を受けることは当然である。
(引用終わり)
 
 今日はコメントしないつもりでしたが、やはり何か言いたくなるのですね。
 憲法9条を再確認しておきましょう。
 
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。
国の交戦権は、これを認めない。
 
 安保法制懇の「論理」の「キモ」は、9条1項は「我が国が当事国である国際紛争の解決のために武力による威嚇または武力の行使を行うことを禁止したものと解すべきであり」という部分でしょう(第1パラグラフ)。
 これを前提として、9条2項にいう「戦力」につき、「我が国が当事国である国際紛争を解決するための武力による威嚇や武力の行使に用いる戦力以外の、すなわち自衛やいわゆる国際貢献のための実力の保持は禁止されていないと解すべきである」(第2パラグラフ)と、従来とは完全に倒錯した「論理」を展開させます。
 まず、1項の解釈として、少なくとも私の学生時代にこんな説を聞いたことなどありませんでしたが、いつのまにかこういう説が唱えられるようになっていたのでしょうか?それとも、西修氏(安保法制懇メンバー)が駒澤大学でそういう風に教えていただけなのでしょうか?
 第一、集団的自衛権を行使したらその瞬間から日本はれっきとした「当事国」になるのではないのでしょうかね。
 
 第4パラグラフは「自衛権行使の3要件」について、第5パラグラフは自衛隊合憲論の根拠にかかわる「言い訳」ですが、実は「言い訳」になっていません。
 従来の政府解釈のポイントは、9条2項の規定(特に「戦力不保持」)にもかかわらず、なぜ自衛隊が合憲なのか?という点にこそあります。
 私の理解するところを要約すれば以下のようになります(「改訂版・若いお母さんのための憲法9条入門~かけがえのない価値と今、目の前にある危機~」から引用)。
 
(引用開始)
 従来の政府の解釈を要約すると、以下のようになります。
① 憲法9条は、わが国が主権国家として固有の自衛権を有することまで否定した
ものではない(外国から不正な攻撃を受けた場合に国民の生命・財産を守ることは
国の責務である)。
② 従って、わが国の自衛権が否定されない以上、その行使を裏付ける自衛のた
めに必要な最小限度の実力を保持することは、憲法上認められる。
③ 自衛隊は、自衛のために必要な最小限度の実力であるから、憲法9条2項に
いう「陸海空軍その他の戦力」にはあたらず合憲である。
 以上が、私の理解するところを要約した従来の自衛隊に関する政府解釈です。
 そして、これを前提として、実際に認められる自衛権の発動としての武力の行使
については、以下の3要件が必要と解釈されてきました。
ア)わが国に対する急迫不正の侵害があること
イ)この場合にこれを排除するために他に適当な手段がないこと
ウ)必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと
 日本が、国際法上「集団的自衛権」は有しているものの、憲法9条の下におい
ては行使できない、と解釈してきたのは、以上の「自衛隊はなぜ合憲なのか」「自衛権を行使するために必要とされる3要件」についての解釈から、論理必然的に導か
れる結論だからです。
(引用終わり)
 
 要は、「必要最小限度」の要件というのは、「わが国に対する急迫不正の侵害があること」という要件が充足されることを前提として、その場合であっても、なおかつ「必要最小限度」でなければならないという加重された要件なのであって、その前提条件を完全にスルーして「必要最小限度」だけを論じることなど、「憲法解釈論」として「あり得ない」のです。
 歴代の内閣法制局長官、首相の幇間(たいこもち)ではないという矜恃の持ち主であった長官らが、誰1人として集団的自衛権行使を合憲とは認めてこなかったのは、以上のような理由によります。
 
 小泉内閣当時の内閣法制局長官であった阪田雅弘氏がかねて言われているとおり、安保法制懇の結論、すなわち、①個別的自衛権を行使できる。②集団的自衛権を行使できる。③集団安全保障措置による武力行使ができる。ということになれば、現在の国際法上合法とされる全ての武力行使を行うことに何ら憲法上の制限はないということになって、結局、「9条」のない国々と何ら異なることはなくなり、「9条」を完全に削除するのと実質的に同じことになるのです。
 
 今、国民の目の前で政府による憲法破壊というクーデターが行われようとしています。この動きに「NO」の意思表示をしなかった人々は、後で必ず深刻な悔いを残すことになるでしょう。
 今こそ、1人1人が自らの責任を果たすことが求められています。
 

(付録)
『一台のリヤカーが立ち向かう』 作詞・作曲・歌 中川五郎
(参考)
「『一台のリヤカーが立ち向かう』~彼は3.11前から3.11後を歌っていた~」

  http://blog.livedoor.jp/wakaben6888/archives/23051152.html