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真宗大谷派「宗憲」と宗務総長による「憲法解釈変更」批判

 今晩(2014年5月31日)配信した「メルマガ金原No.1743」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
真宗大谷派東本願寺)「宗憲」と宗務総長による「憲法解釈変更」批判
 
 伝統的な仏教教団の中で、真宗大谷派東本願寺)ほど、「政治的意見の表明」と受け取られことを恐れず、憲法問題や原発問題についての態度を明確にしている組織はないのではと思います。
 これまでも、メルマガでは何度か取り上げてきていますし、その内ブログに転載したものもありました。
 
2013年6月14日
 
 上記決議は、真宗大谷派の参議会による決議でしたが、参議会というのは、同宗の最高議決機関である宗会(二院制)を構成する一院(門徒が議員となる)であり、もう1つは宗議会(僧侶が議員となる)です(真宗大谷派宗憲22条、23条)。
 
 この1981年に制定された「真宗大谷派宗憲」を、門徒でない方も、是非一度読んでみることをお勧めしたいと思います。
 構成は以下のとおりとなっています。
 
前文
第一章 総則
第二章 教義及び儀式
第三章 真宗本廟
第四章 門首
第五章 宗会
 第一節 宗議会及び参議会
 第二節 参与会及び常務会
第六章 内局その他の機関
 第一節 内局
 第二節 董理院
 第三節 会計監査院
 第四節 宗務出張所
 第五節 地方宗務機関
第七章 審問院
第八章 本派に属する寺院及び教会
第九章 僧侶及び門徒
 第一節 僧侶
 第二節 門徒
第十章 教化及び学事
第十一章 報償及び懲戒
第十二章 財務
 第一節 財産及び経費
 第二節 財政
第十三章 改正
附則
 
 実際に読んでみると分かりますが、真宗大谷派の「最高規範」(第5条)である「宗憲」は、濃厚に日本国憲法の影響を受けている、と言うよりも、日本国憲法を下敷きにして作成したことをあえて隠そうとしていません。
 いくつか例示してみましょう。
 
(最高法規)
宗憲 第五条 この宗憲は、本派の最高規範であって、この規定に反する規則、条例、達令及び宗務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。
憲法 第九十八条 この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。
 
(象徴門首天皇)制)
宗憲 第十六条 門首の地位の継承は、宗会の議決した内事章範の定めるところによる。
憲法 第二条 皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範 の定めるところにより、これを継承する。
宗憲 第十八条 門首が、宗務に関する行為を行うときは、すべて内局の進達を必要とし、内局がその責任を負う。
憲法 第三条 天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。
 
(宗会(国会))
宗憲 第二十二条 宗会は、本派の最高議決機関である。
憲法 第四十一条 国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である。
宗憲 第二十三条 宗会は、宗議会と参議会の両議会で構成し、宗議会は僧侶たる議員で、参議会は門徒たる議員で、それぞれ組織する。
憲法 第四十二条 国会は、衆議院及び参議院の両議院でこれを構成する。
 
(内局(内閣))
宗憲 第四十四条 宗務執行の権限は、内局に属する。
憲法 第六十五条 行政権は、内閣に属する。
宗憲 第四十五条 内局は、宗務総長及び五人の参務でこれを組織する。
憲法 第六十六条 内閣は、法律の定めるところにより、その首長たる内閣総理大臣及びその他の国務大臣でこれを組織する。
宗憲 第四十七条 内局は、宗務執行について、宗会に対し連帯して責任を負う。
憲法 第六十六条3 内閣は、行政権の行使について、国会に対し連帯して責任を負ふ。
宗憲 第四十八条 宗務総長は、本派の教師の中から、宗会が指名し、門首がこれを認証する。この指名は、他のすべての議案に先だって、これを行う。
憲法 第六十七条 内閣総理大臣は、国会議員の中から国会の議決で、これを指名する。この指名は、他のすべての案件に先だつて、これを行ふ。
 
 類似規定はまだまだありますが、もうこれ位にしておきます。
 このような、宗教法人としては特異な(?)「宗憲」を1981年に至って制定したというのは、法主(大谷)家と内局との長年の対立、いわゆる「お東騒動」に一応の決着がついたのがこの年であり、その機に内局側が制定したのがこの新たな「宗憲」であった訳です(法主側は東京本願寺を中心に分離独立)。
 その際、ここまで日本国憲法に酷似した内容となった経緯は私には分かりませんが、象徴天皇制をモデルとした象徴門首制(大谷家の門葉から指名)となったについては、そもそも明治以降、東西本願寺の両大谷家とも、伯爵に叙され、皇室との通婚を重ねるなど、大谷家が宗門内で疑似「天皇」化しており、敗戦を機に制定された日本国憲法により、天皇家自体が象徴天皇制に移行していた以上、宗門を改革しようとすれば、日本国憲法が定めた「象徴天皇制」をモデルとすることが最も自然であったのだろうと推測されます。
 
 ということで、現在の真宗大谷派東本願寺)では、大谷門首に実権はなく、最高議決機関である宗会に対して責任を負う内局を率いる宗務総長が、国の内閣総理大臣に相当する地位と権限を保有しています。
 最初に述べたとおり、伝統仏教教団の中で、真宗大谷派が際だって積極的な意見表明を行っている根底には、日本国憲法を下敷きとした「宗憲」の存在があるのだということは認識しておきたいと思います。 
 
 さて、その真宗大谷派の宗務総長が、注目すべき発言を行ったことが報道されていました。
 
京都新聞WEB版 2014年5月30日09時01分
憲法解釈変更「非常に危険」
(抜粋引用開始)
 真宗大谷派(本山・東本願寺京都市下京区)の里雄康意(さとおこうい)宗務総長(65)は29日、安倍晋三首相が集団的自衛権の行使容認に向けた憲法解釈の変更を進めようとしていることについて「非常に危険な考え方」との見解を表明した。
 同日開かれた同派の僧侶議会「宗議会」で述べた。
 里雄総長は、憲法解釈の変更は「二度とあの悲惨な戦争を繰り返さないでほしいと
いう全戦没者の願いを踏みにじることになる」と反対の意思を示し、「(戦争は)人知の闇による人間喪失という重大な過ちだ」と危機感を募らせた。(後略)
(引用終わり)
 
 里雄宗務総長が、宗議会で行った演説の要旨が公式サイトに掲載されていました。集団的自衛権についての言及を含む【現代社会・人間喪失の危機】との標題が付された部分全体を引用したいと思います。
 この演説の聴衆が、「僧侶」から選出された議員であることは念頭に置く必要がありますが、宗務総長が安倍首相を批判する根拠として、「人知の闇による人間喪失とう重大な過ち」を指摘していることに注意していただきたいと思います。
 その宗教的な(真宗の立場からの)説明を理解したく、この項目全体を引用したのです。
 真宗門徒以外の人には無縁の教説かもしれませんが、参考になる部分があるかもしれないと思いご紹介することとしました。

 ちなみに、私自身は浄土真宗本願寺派西本願寺)の門徒ということに、多分なっているのだろうと思います(お西さんの末寺の檀家ですから)。
 
(抜粋引用開始/なお下線は金原が付したものです)
現代社会・人間喪失の危機】
 ところで先日、安倍晋三内閣総理大臣は、日米同盟と東アジア近隣諸国間の緊張
係を大義として、日本国憲法第九条の解釈を、政権の都合を優先して恣意的に変更し、集団的自衛権の行使を容認する」という、非常に危険な考えを表明しました。これは、平憲法の精神に反し、二度とあの悲惨な戦争を繰り返さないでほしいという全戦没者の願いを踏みにじることとなる、宗門人一人ひとりとして看過できない重大問題であります。人知の闇による人間喪失という重大な過ちにいたみを感ずるとともに、極めて遺憾とするところであ
ります。
 ご承知のとおり、いま世界に目を向けましても、紛争は次々と惹起し、痛ましい情況が
えません。人間の歴史とは争いそのものであると言っても過言でない様相であります。
 この「時」において、私たちは、今こそ一人の「仏教徒」として、浄土の真宗に生きんと
する
者として、自身の生き方を問い直さなければならないと思うのです。
 親鸞聖人が真実の教えといただかれた『仏説無量寿経』には、教えが開かれるところに、
「国豊民安兵戈無用」ということが説かれます。仏の教化を抜きにして「国豊かに民安し。戈用いることなし」ということはあり得ない。仏の教化、教えに化される、この身が転ぜられるというところにのみ、本当に豊かで、軍隊や武器の無い世界というものが開かれるということであ
りましょう。
 私たちは今、痛ましい紛争、目を覆うような事件、悲しい出来事が続くなか、実は、それ
を誘引しているところの経済至上・科学万能主義にあって、その過ちを問い返すことができなくなっているのではないでしょうか。これは、社会のありよう、自分の生き方というものを、見直すすべがない、見直す立場というものが見出されていないという、まさしく正法に遇わない、「邪見驕慢」と教えられる姿かと思います。また実生活では、高度情報化社会にあって、日夜、らゆる物事に速度が要求され、人が丁寧に考える、熟慮するということを失ってきている。また、人と人とが出来事をしっかりと受けとめ、丁寧に語り合う、熟議ということが、たいへん困難な状況にあります。便利で楽な生活を志向するなか、私どもは今、そういう人間として失ってはならないことを喪失しかけているのではないか。人間が人間であることを見失い、私いちにんにかけられている深い願いというものに気づくことができないで
いるのではないでしょうか。
 この、人間喪失という問題で申しますなら、あの「東日本大震災」から3年の月日が経
ちました。大震災によって私たちは、大きな衝撃とともに重大な問題を投げかけられております。たいへん多くの方が一度に命を失い、ほんとうに深い悲しみのなか、取り返しのつかない原発故が起き、私たちは、人知を過信してきた自身の無明性に慄き、自分のあり方、生き方が揺さぶられる重要な問いかけを受けたのであります。かかる大地震と大津波によって極めて甚大な被害を受けた被災地の実状は、3年が経過した今日においてもなお、復興と申すにはほど遠い、非常に厳しい状態にあります。長期にわたる被災者の方々の苦悩は深く、はかり知れないものがあります。このことは、決して風化させてはなりません。なにか個人の記憶として薄れさせていくような事柄では決してないのであります。今後とも、かかる大震災の事実を、みずからの事実として真摯に受けとめ、宗門としての復興支援に力を尽くしていく所存であります。なお、ご承知のとおり、先般、福井地方裁判所において大飯原発の再稼働を認めない旨の判決が出されました。これは、宗門が2011年に首相宛てに提出した要望書の趣旨と重なるものであり、人間として本当に大事にしなければならないことを示唆する内容であると受けとめております。ただしかし、社会一般の情勢、その総体としては、今、なにか震災前に戻そうとするような状況になってきているのではないでしょうか。大震災の事実、原発事故の事実を、身勝手にも覆い隠し、消していくような、そういった風潮がありはしないか。あらためて、事実の重さを受けとめ、そこに
立ち続けることの困難さを感じずにはおれません。
 私は、こうした現代社会の状況について、思うのです。それは、たしかに表面上は、経
済と科学を頼みとし、人間そのものを問題とする「宗教」というものと乖離するようなかたちをとっております。けれども、その深いところで、実は、本当によるべきこと、まことの宗というものが、厳粛に要請されているのだと。時代社会が、仏法に反するすがたをとって、浄土の真宗の興隆を願っている。時代が宗教をおろそかにする現実こそが、人間回復の一道である真宗仏教に帰すべき機縁である。ここに、私ども宗門が、浄土真実の教えに基づき現代に存立する意義を、伝わる言葉と行動で表現しなければならない、その使命と責任を受けとめるものであります。
(引用終わり)