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『ゴジラ』は今も世相を撃てるか?

 本日(2014年6月8日)配信した「メルマガ金原No.1751」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
ゴジラ』は今も世相を撃てるか?
 
 今年の1月、私はこのメルマガ(ブログ)にこういう記事を書きました。今日書こうと思うのは、実質的にはその続編です。
 
2014年1月21日
 
 1月に書いた記事で私が特に注目した1954年の社会の動きと映画を再掲しておきます。
 
3月1日 日本の遠洋マグロ漁船第五福竜丸などが米国のビキニ環礁での水爆実験によって発生した多量の放射性降下物(いわゆる死の灰)を浴びる。
4月26日 映画『七人の侍』(黒澤明監督)公開される。
7月1日 自衛隊法が施行される(保安隊から陸上自衛隊に、海上警備隊から海上自衛隊に、航空自衛隊は新設)。
11月3日 映画『ゴジラ』(本多猪四郎監督)公開される。
 
 今日は特に『ゴジラ』について書いてみたいと思います。
 とはいえ、私が封切の映画館で観たゴジラシリーズは、『キングコング対ゴジラ』(1962年)、モスラゴジラ』(1964年)、『三大怪獣 地球最大の決戦』(1964年)あたりまでであり(中学生になって以降、怪獣映画を映画館で観た記憶がない)、記念すべき1954年の第1作『ゴジラ』は、私が生まれる1か月以上前に封切られていたため、もちろん当時は観ておらず、その後も映画館で観る機会には恵まれませんでしたので、何度かテレビで視聴しただけであることはお断りせざるを得ません。
 ただ、東宝が「ゴジラ60周年記念デジタルリマスター版」を昨日(6月7日)から全国一斉公開しており、和歌山でも「ジストシネマ和歌山」で公開中のようなので、出来れば観に行きたいとは思うのですが。
 もっとも、私が最近視聴したのは日本映画専門チャンネル東宝も株主)で現在放映が続いている「総力特集・ゴジラ/ハイビジョンリマスター版/30作品完全放送」を録画したものなのですが、たしかに「オリジナルネガから、1コマ1コマ4Kスキャニングを実施!数々の名作を世に送り出してきた伝統ある東京現像所が総力を挙げて手がける、史上最高画質のゴジラが誕生!」というキャッチコピーに偽りはなく、60年前の作品とは信じられないくらいに画質・音質とも優れているという印象を受けました。つまり、このリマスター版が今回の劇場公開の原版にもなっているんでしょうね。
 以下に、1954年公開時の予告編と今年のデジタルリマスター版公開用の予告編をご紹介しておきます。
 
1954年公開時の『ゴジラ』予告編 

2014年デジタルリマスター版公開用の予告編

 さて、60年もの間、声望を恣にしてきた古典的名作について、いまさら「ネタバレ」注意でも
ないでしょう。
 デジタルリマスター版公式サイトに掲載された「ストーリー」が要領よくまとまっています(右横のバナーから「ストーリー」を選択)。
 
 以下、雑感風にあらためて『ゴジラ』(1954年)を観た上での感想を書いてみます。
 
○映画は世相を映す鏡とはよく言われることだが、1952年、米国による人類史上初の水爆実験成功以降、米ソの間で繰り広げられた核開発競争は、ついに1954年、第五福竜丸(だけではなく多数の漁船の)被曝に至り、世論を沸騰させたことが『ゴジラ』企画の原点であることは疑いない。たとえ、前年(1953年)米国で公開された“The Beast from 20,000 Fathoms”(1954年12月に日本公開された際の邦題『原子怪獣現わる』)のセントラルアイデアからの「いただき」であったのだとしても、その意義が低下するものではない。
 余談であるが、1998年に公開され、世界中のゴジラファンの怒りを買った最初のハリウッド版“GODZILLA”(ローランド・エメリッヒ監督)は、実は『原子怪獣現わる』をリメイクしたかったのではないかという説があり、そう言われてみると、怪獣のスタイルや動きはよく似ている(四足歩行だし)。あれをゴジラではないと思って観れば、1998年版もそう悪くはない映画だったのかもしれない。
『原子怪獣現わる(The Beast from 20,000 Fathoms)』予告編
 
 
ゴジラ登場の経緯を、山根恭平博士(志村喬)が国会で証言する際の台詞は以下のとおりである。
それがどうして今回わが国の近海に現れたかの点でありますが、おそらく、海底の洞窟にでも潜んでいて、彼らだけの生存を全うして今日まで生きながらえておった。それが、度重なる水爆実験によって、彼らの生活環境を完全に破壊され、もっとくだいて言えば、あの水爆の被害を受けたために、安住の地を追い出されたと見られるのであります
 
○世相ということで言えば、最後の芹沢大助博士(平田昭彦)登場まで、対ゴジラ作戦の主体となるのは、その年の7月に発足したばかりの「自衛隊」である。ただし、映画のクレジットとしては、冒頭に「賛助 海上保安庁」と出てくるだけで、防衛庁自衛隊は出てこない。ただし、戦車が走行する実写シーンに登場するのは、日本が米国から供与を受けていたM24軽戦車であると思われ(実際の配備は前身の保安隊時代から)、事実上、陸上自衛隊の協力も得られていた可能性がある。航空自衛隊については、発足したかりでまだ米国供与の戦闘機も未配備であったと思われるが、円谷英次特技監督の下、(後に航空自衛隊の主力となる)F86とおぼしき戦闘機が編隊でゴジラに対する夜間ミサイル攻撃を実施するシーンが登場する。
 
○『ゴジラ』の撮影が始まったのは1954年8月であり、空襲により東京が焼け野原となった時から、わずか9年しか経っていなかった。ゴジラ襲来に備えて「疎開しなければならないのではないか?」と通勤電車の中で男女が会話するシーンを、当時の多くの観客は、自らの体験に照らして、ある種のリアリティをもって受け止めたのではないか。それは、ゴジラの2回目の襲来によって東京が壊滅的な被害を受けた後の惨状を描写するシーンにも言えることである。
 
○自らが開発したオキシジェンデストロイヤー(酸素破壊装置)を使用してゴジラ(とおそらくは自分自身を)葬ることを決意した芹沢博士が、山根恵美子(河内桃子)と尾形秀人宝田明)の前で、設計図を焼却しながら語る「これだけは絶対に悪魔の手に渡してはならない設計図なんだ」という台詞は、原作を担当した香山滋(かやま・しげる)を始めとする本作の制作に関わったスタッフが、原水爆の開発者たちに届けたかった台詞だったのかもしれない。
 
○映画のクライマックス、海底で出会った芹沢博士とゴジラの関係は、「対決」とはなり得ず、ほとんど「無理心中」である。
 
ゴジラと芹沢博士の死というカタストロフィーの後、山根博士の述懐でこの映画は締めくくられる(同じ年の「七人の侍」といい、この役回り志村喬にまことにふさわし)。
あのゴジラが最後の1匹だとは思えない。もし水爆実験が続けて行われるとしたら、あのゴジラの同類が、また世界のどこかに現れてくるかもしれない」 
 
 映画『ゴジラ』(1954年)を、もっぱら「世相」との関係から考えてみました。
 総合芸術である映画を語る観点には様々な切り口がありますから、これはあくまでも1つの側面から光を当てた、一面的な見方に過ぎません。
 また、『ゴジラ』について私が語りたいことが以上で尽きる訳でもありません。
 最後に、あと3つだけ(付記)として述べておきます。
 
(付記1 宝田明さんの思い「ゴジラよ 咆哮せよ」)
 1954年版『ゴジラ』に尾形秀人役で出演した宝田明さんのインタビューが中日新聞に掲載されています。一部をご紹介します。
(抜粋引用開始)
(略)
 宝田は小学五年のときに旧満州中国東北部)で終戦を迎え、ソ連兵に左腹を銃撃された経験がある。泣きながら幼子を置いて、日本に引き揚げる母親も見た。ゴジラはそんな宝田の目に「戦争の加害者でもあり被害者」に映った。第一作は、米国が同年三月にビキニ環礁などで行った核実験で第五福竜丸が被ばくした事故をヒントに作られている。
 水爆実験で海底のすみかを追われて東京を襲撃し、最後は人間の手によって科学
兵器で葬られた。終戦から九年。朝鮮戦争の特需に沸く日本に、戦争の記憶を呼び覚まさせる強いメッセージ。当時の人口の一割を超える九百六十一万人を動員する
大ヒット作になったが、高度成長とともにゴジラは姿を変えた。
(略)
 戦後六十九年。戦争の記憶が薄れた今の日本で、平和を掲げる九条が揺らいでいる。その旗を振っているのはゴジラのもう一人の「同級生」、一九五四年生まれの首安倍晋三。四月の首脳会談でオバマ大統領に「歓迎、支持する」と言われ、集団自衛権の行使を認める姿勢をより一層強めている。
 「議席の大多数を持っていれば、何でもできちゃうと思うんだ。おごり高ぶりと言うのか
ね」。宝田は、九条の見直しに積極的な安倍を含む政治家を「戦争を知らない子どもたち」と呼び、なし崩しのやり方に異を唱える。「(沖縄県尖閣諸島を米国と共同して守るとか勇ましいけれど、今や武力じゃない。賢明な国、侵しがたい国というイメージ
をつくらなきゃ」
 今年公開される第一作の復刻版。宝田は政治家たちにぜひ見てほしい。そしてゴジ
ラにこう願う。
 「国会や街に向かって、『目を覚ませ』って咆哮(ほうこう)してくれないか」
(引用終わり)
 
(付記2 伊福部昭 生誕100年)
 日本を代表する作曲家・音楽教育者であった伊福部昭(いふくべ・あきら)氏(1914年~2006年)は、日本におけるオスティナート楽派の雄として、多くの門下生を育てるとともに、『ゴジラ』をはじめとする多数の映画音楽を手がけました。
 その伊福部氏が今年生誕100年ということで、様々な記念演奏会などが企画されているようです。
 ところで、誰もが口ずさめるあの「ゴジラのテーマ」、なじみ深いあの音型が初めて使われたのは『ヴァイオリンと管弦楽のための協奏風狂詩曲(ヴァイオリン協奏曲第1番)』(1948年)であり、その後、『社長と女店員』(1948年)や『蜘蛛の街』(1950年)などの映画でも使用され、『ゴジラ』(1954年)は、映画だけでも3度目のお務めであったというのは有名な話です。
 YouTube に「ゴジラの原曲(?)集 伊福部昭」というコラージュをアップした人がいます。様々な「ゴジラ風の」伊福部作品を集めたものですが、作曲年代はばらばらなので、興味のある人は自分で調べてください。ちなみに、『ヴァイオリンと管弦楽のための協奏風狂詩曲』(1948年)のさわりは22分ころです。
 
 なお、伊福部氏に対する影響関係が指摘されているラヴェルの『ピアノ協奏曲ト長調 第3楽章』、伊福部氏の『.ヴァイオリンと管弦楽のための協奏風狂詩曲』。それと映画『忠臣蔵 花の巻・雪の巻』より「討ち入り」(1962年)をまとめためた【作業用BGMゴジラのテーマ集番外編【Godzilla Theme Extra Ver.】というのも面白いですよ。
 
 いずれにせよ、このように類似音型の「使い回し」がなされていても、それぞれの楽曲の価値が貶められるべきものではないということをご理解いただければと思います。
 
(付記3 ハリウッド版“GODZILLA”(2014)公開迫る)
 1998年版に失望した人でも、今度の2014年版には期待しているという方はかなりおられるのではないでしょうか。全米始め多くの国で公開が始まり、好調な興行成績を上げているようです。
 既に全編を観た人の感想等がネット上にアップされていますが、7月25日の日本公開まで楽しみに待つことにしましょう。
 ただ、「世相」との関連で言えば、「3.11」以降に作られるゴジラ映画として、原発事故をいかに踏まえているかに関心をもっています。 
予告編1
 
予告編2