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wakaben6888のブログ

憲法を大事にし、音楽を愛し、原発を無くしたいと願う多くの人と繋がれるブログを目指します

「2014年 中川村戦没者・戦争犠牲者追悼式 式辞」で語られたこと

平和 憲法

 

 今晩(2014年6月17日)配信した「メルマガ金原No.1760」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
「2014年 中川村戦没者・戦争犠牲者追悼式 式辞」で語られたこと
 長野県上伊那郡中川村の曽我逸郎(そが・いつろう)村長については、以前にも2度、こメルマガ(ブログ)で取り上げたことがありました。
 
2012年6月20日(2013年2月4日ブログに転載)
曽我逸郎中川村村長(長野県)からのメッセージ
2013年12月13日
戦没者・戦争犠牲者はどのように追悼すべきか?(長野県中川村の場合)
 
 前者は、「小・中学校の入学式や、卒業式の席で、村長は(壇上に上る際、降りる際に)国旗に礼をされていないように思います。このことについて村長のお考えをお聞きしたい」との村議からの質問に対する曽我村長の議会での答弁の内容をご紹介したものであり、後者は、2013年6月3日に中川村で行われた「戦没者・戦争犠牲者追悼式」に国旗(日の
丸)を掲示せず、中川村関係の戦没者・戦争犠牲者を直接追悼することばがなかったことに対して、中川村遺族会が強硬に抗議を申し入れたことに対する曽我村長の見解をご紹介したのでした。
 
 もちろん、私が曽我村長の見識に敬服して、その見解をご紹介したことは間違いないので
すが、それは、何も全ての自治体の首長が曽我村長と同じ見解に拠るべきだと主張したいということでは全然ありません。
 そうではなく、自分と対立する意見を排除するのではなく、お互いの意見を十分に尊重し、
理解を深め合った上で、妥当な結論を目指すという、民主政治とは本来そうあるべきだという道筋を踏み外さず実践する姿勢をこそ中川村から(私も含めて)学ぶ点が多いと考えているのです。
 皆さんにも、そういう視点からお読みいただければと期待しています。
 
 さて、久しぶりに中川村ホームページの「村長の部屋」を訪ねたのは、澤藤藤一郎弁護士が毎日更新されているブログ「憲法日記」の昨日(6月16日)の記事「安倍解釈改憲に地方からの異議」に、信濃毎日新聞からの集団的自衛権の行使容認に対する質問への曽我村長の回答が紹介されていたことがきっかけでした。
 
 たしかに、「村長からのメッセージ」には、明確に集団的自衛権の行使に反対する意見を述べたことを報告した文章が3点掲載されていました。その内の2つは以下のとおりです。
 
2014年2月27日
中川村自衛隊協力会発足会の挨拶で集団的自衛権反対を申し上げた
2014年4月21日
信濃毎日新聞 憲法記念日アンケート 特定秘密保護法 集団的自衛権 201
年4月
 
 以上については、リンク先を是非お読みいただくとして、今日私がご紹介したいと思うのは、6月6日に挙行された、今年の「戦没者・戦争犠牲者追悼式」における「式辞」です。
 できれば、前掲の私のブログによって、昨年の「追悼式」における式辞、これに対する遺族
会の抗議文を事前に読まれた上で、今年の「式辞」をお読みいただければと思います。
 以下に全文を引用します。
 
2014年 中川村戦没者・戦争犠牲者追悼式 式辞
 
(引用開始)
                                        2014年6月6日
 
 中川村戦没者・戦争犠牲者追悼式を挙行いたしましたところ、ご多忙の中、上伊那方事務所長様はじめ、ご来賓各位、御遺族の方々など、大勢の皆さんのご列席を賜り、真にありがとうございます。
 
 さて、昨年の追悼式の後、中川村遺族会の会長と幹部の方々が、抗議文を携えて、役場に来られました。
 その時の会談は、音声データで村のホームページに挙げてありますので、お聞きになった方
もおられるでしょう。
 頂いた抗議は、大きくは2点です。
 ひとつは、私の式辞に、遺族の皆さんの悲しみや御苦労に対する言葉がなかったという点。
これに関しては、近頃の政治の動きに気をとられ過ぎて、配慮が足りなかったと反省を致しました。私は、母一人、子一人の家庭で、母の苦労を見て育ちましたが、大黒柱を突然奪われた御遺族の方々の悲しみとご労苦は、その比ではなかったと推察申し上げます。
 抗議の二つ目は、国旗の掲示がなかった、という点です。こちらについては、会談の際に私
の考えをお伝えし、村ホームページにも文章を掲載していますが、3月にもう一度遺族会員の方々とお話をして、遺族の皆さんのお気持ちもお聞きしましたので、本年は、私の考えを聞いて頂きつつ、ご覧のとおり国旗を掲示することに致しました。
 
 確かに、戦没者追悼式では、国旗を掲げるのが一般的です。それはなぜかというと、国のためになくなったのだ、と示すためだろうと思います。
 しかし、日清戦争から先の敗戦に至る一連の戦争・事変は、日本のためになったのでしょ
うか。戦場となった国々では、多くの人々が犠牲になり、甚だしい迷惑をかけ、被害を与えました。日本は、今に至るまで周辺諸国と良好な関係を築くことができずにいます。日本の側でも、多くの兵士がジャングルなどの過酷な環境に送り込まれ、飢えや病気で次々となくなりました。夢と希望にあふれた膨大な数の若者を失い、日本にとってどれだけの損失となったことでしょうか。そして、愛するお父さんや兄弟を亡くした遺族のみなさんは、悲しみにくれる間もなく、生活のために大変なご苦労を背負いこまねばなりませんでした。沖縄で、東京他大空襲で、また原爆投下によって、大勢の一般庶民も亡くなっています。つまり、戦争は、まったく国家、国民のためにならなかったのです。
 戦争とは、一部の人たちが、自分達の思惑のために、国民の命と身体と税金を使って始
めるものであり、それは、歴史の変わらぬ事実です。
 しかし、国旗が掲げられることによって、あたかも戦争が国のためであるかのように思わせま
す。つまり、国旗は戦争の実態に蓋をして、隠してしまうのです。
 
 昨今の政治状況について言えば、深い議論を重ねた上で、正式の手続きを踏んで、憲法変更の是非を国民に問うのではなく、安倍政権は、恣意的な憲法解釈の変更によって、日本を、戦争をする、ありふれた、志のない国にしようとしています。その裏には、どういう思惑があるのでしょうか。愛国を掲げることで、その思惑も隠されています。国や国旗を隠れ蓑として利用しているのだと思います。
 特に今、集団的自衛権の必要が喧伝されています。しかし、戦況の情報を米軍が握り、
首都東京の周囲に座間、横田、横須賀、厚木などの米軍基地が居座る状況では、自衛隊は、実質的に米軍の指揮命令下に入るしかありません。つまり、集団的自衛権とは、日本の若者を、日本国民の税金で訓練して、米国から購入した高額の兵器とともに、米
軍の戦場に差し出すことです。これでは、愛国どころか、何重にも売国的だと言わざるを得ません。
 
 亡くなった日本の兵士たちは、「鬼畜米英」と教え込まれ、「生きて虜囚の辱めを受けず」と叩きこまれました。もし、このような今の日本の状況を見れば、「米国にこれほどまでにおもね(り)追従するのであれば、あの時、なぜ自分達を、あれほどに餓えさせ、あのような意味のないバンザイ突撃をさせる必要があったのか」と、憤りの叫びを挙げることでしょう。
 
 今の状況がこのまま進んで、集団的自衛権が現実のものになれば、自衛隊の若者が戦場で亡くなるのも、現実のこととなります。もしそうなれば、自治体でも、かつてのように村葬をすべきだ、という声が上がるでしょう。
 村長は弔辞で、国のために命を捧げた自己犠牲を讃え、お母さんは、悲しみを押し殺し
て、感謝の挨拶をすることになります。そして、ひとりの若者の死が、「国のために」死のうとする多くの若者を獲得することに利用されるのです。
 
 私は、そんな村葬はぜったいにやりたくありません。戦没者・戦争犠牲者のみなさんも、そんな村葬を見ることは嫌だろうと思います。この式典に、新たな遺族を迎えいれるようなことは、あってはなりません。
 日本が大きな分かれ道に立っている今、掲げられた国旗はなにに蓋をしているのか、その
むこうにはどんな思惑が隠されているのか、透かし見る努力が必要だと思います。
 
 日本を平和な国として保ち、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存できるように全力を挙げて努力する、そういう誇りにできる国にすることによってこそ、戦没者・戦争犠牲者のみなさんに穏やかに安らいで頂くことができると信じます。
 その努力を村民の皆さんとともにお誓い申し上げ、中川村戦没者・戦争犠牲者追悼式
式辞と致します。有難うございました。

                                   中川村長 曽我逸郎
(引用終わり)
 
 この曽我逸郎村長の「式辞」を聞いて、中川村遺族会の皆さんはどのように思われたでしょうか?「この式典に、新たな遺族を迎えいれるようなことは、あってはなりません」という村長の言葉に、多くの遺族が大きく頷かれたと信じたいと思います。
 
 そして、もう一度昨年の「式辞」と読み比べてください。基本的な内容はほとんど同じですが、受ける印象が相当に違うと思いませんか?そこには、昨年の遺族会からの抗議、そして、今年の3月、再度遺族会役員と話し合った結果が反映していると私は思います。
 あえて言えば、昨年の「式辞」は「理」が勝ち過ぎていたという印象があるのに対し、今年の「式辞」は、遺族の気持ちに配慮しつつ、より「情理兼ね備えた」ものになったのではないでしょうか。
 
 今年の「式辞」からも、また多くのことを学ばせてもらいました。