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「閣議決定」についての木村草太氏の見解に耳を傾ける(ビデオニュース・ドットコム)

  今晩(2014年7月22日)配信した「メルマガ金原No.1794」を転載します。

 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
閣議決定」についての木村草太氏の見解に耳を傾ける(ビデオニュース・ドットコム)
 
 7月1日の「閣議決定・国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」を読んで、一読その内容がすっと頭に入ってきた人は多分1人もいないのではないかと思うのですが、1980年生まれの若き憲法学者、木村草太氏(首都大学東京都市教養学部都市教養学科法学系准教授)が、ビデオニュースドットコムのニュースコメンタリーに出演し、まことに注目すべき意見を表明されています。
 
 ただ、その前に、集団的自衛権日本国憲法の関係についての木村准教授の基本的な立場を確認しておきましょう。
 もちろん、と言うべきかどうか、木村さんも、現行憲法の下で集団的自衛権の行使はできない
と解釈しますが、その根拠は、9条というよりも、まず内閣の権限を定めた73条なのです。
 
第七十三条 内閣は、他の一般行政事務の外、左の事務を行ふ。
一 法律を誠実に執行し、国務を総理すること。
二 外交関係を処理すること。
三 条約を締結すること。但し、事前に、時宜によつては事後に、国会の承認を経ることを必
とする。
四 法律の定める基準に従ひ、官吏に関する事務を掌理すること。
五 予算を作成して国会に提出すること。
六 この憲法及び法律の規定を実施するために、政令を制定すること。但し、政令には、特
にその法律の委任がある場合を除いては、罰則を設けることができない。
七  大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を決定すること。
 
 そもそも、憲法には、内閣に軍事権の行使を認めた授権規定などないではないか、ということなのです。それでは、自衛隊に防衛出動を命じることはどうなのか?ということが問題となりますが、自国防衛はぎりぎり「一般行政事務」と解釈できるが、自国以外のところで他国を防衛するために武力行使する権限など憲法は内閣に認めていないことが明らかであるから、憲法3条を改正しない限り、集団的自衛権を行使することはできないと解釈するのです。
 この点については、木村さんが、去る7月15日に文化放送の「大竹まこと ゴールデンラジオ」
に出演し(大竹さんは風邪でお休み)、同い年の真鍋かをりさんらと語り合った録音が聴取できます(19分以降に木村さんが出演されています)。
 
【2014.07.15】大竹まこと ゴールデンラジオ メインゲスト:木村草太
 
https://www.youtube.com/watch?v=lRP4ZGSXfxw
 
 さて、以上の「ゴールデンラジオ」では明確ではなかった「閣議決定」についての木村草太氏の解釈が、神保哲生さん、宮台真司さんとの鼎談で明らかにされ、これが非常に刺激的です。
 
ビデオニュース・ドットコム
ニュース・コメンタリー (2014年07月19日アップ)
国会質問で見えてきた集団的自衛権論争の核心部分
ゲスト:木村草太氏(首都大学東京都市教養学部准教授)
 
 木村説の内容については、ビデオニュース・ドットコム(おそらく神保さんが書かれているのでしょう)が要領良く、かつ詳細にまとめてくれていますので、まずはご一読ください。
 以下には、主な部分を抜粋します。
 
(抜粋引用開始)
 政府が「集団的自衛権」と呼んでいるものは何のことはない、実は個別的自衛権のことだっ
た。
 安倍政権が7月1日に集団的自衛権の容認を閣議決定したことを受けて、7月の14、15の
日、衆参両院で集中審議が行われたが、両日の国会審議を通じて、今回政府が行った解釈改憲」というものは、実際はわれわれが考えてきた「憲法解釈の変更」や「集団的自衛権の容認」とはまったく異なるものだったことが浮き彫りになった。
 憲法学者の木村草太首都大学東京准教授は、この国会審議で政府が今回行った集団
自衛権の容認は、実はこれまでの憲法解釈を変更し、これまでは足を踏み入れることが認められていなかった「集団的自衛権」の領域に足を踏み入れるものではないことが明らかになったと指摘する。閣議決定で「集団的自衛権」と呼んでいるものは、実際は個別的自衛権と集団的自衛権が重複する領域にある事象で、今回政府はそれを必死になって探し出し、それを集めたものを無理矢理「集団的自衛権」と呼んでいるだけであって、実際はこれまでの個別的自衛権の範囲を一切超えるものではないと木村氏は言うのだ。
(略)
 木村氏はこれまで政府が「個別的自衛権」として容認してきたものの中に、集団的自衛権
と重複する部分、つまり個別的自衛権の範疇だと言うこともできるし、集団的自衛権の枠内に当てはめることもできる事象は少なからずあったことから、今回の8事象の容認というのも、実際には過去の重複部分の容認と変わるものではないと指摘する。
 そもそも自民党と連立を組む公明党集団的自衛権を行使するためにはあくまで憲法改正
が必要になるとの立場を崩していない。その公明党が今回の政府案を容認した背景には、公明党にとってはこれが個別的自衛権の範疇を出るものではないと解釈することが可能なものだったからに他ならない。しかし、理由は定かではないが、安倍政権、いや特に安倍首相自身がどうしても「集団的自衛権の行使が可能になった」と言いたがっている。ならば、「当てはめ」次第でそう強弁しても嘘にはならない事例を、内閣法制局公明党が合作したというのが、今回のいわゆる「集団的自衛権の容認」劇の核心だったということになる。
(略)
 やはり課題となるのは今回の「疑惑の解釈改憲」に基づいて、実際の法律の整備が行われ
る時だろう。もし今回の閣議決定が横畠長官が答弁したようなものだとすれば、新しく整備される法律は個別的自衛権の範疇をはみ出すものは一切できないということになる。そのような法律家の認識を前提として法案審議が行われるか、現時点では内閣法制局官僚の手の平の上で踊ったような形になっている政治家が主導権を握り、自分たちの理解する閣議決定の解釈に則った法律を作ってしまうか。そして、それをメディアやわれわれ国民が許すのか。今、それが問われている。
(略)
(引用終わり)

 「閣議決定」を論理的に読み解いた結果として、木村准教授のような解釈もたしかに「あり得
る」とは思いますが、仮に「内閣法制局公明党」の苦心の合作という木村説が「その通り」であったとしても、神保さんが書かれているとおり、「内閣法制局と公明党幹部の間の阿吽の呼吸などというものが、外国政府との外交交渉の場で通用するとはとても思え」ず、「非常に危険」です。
 その意味から、宮台さんが木村さんに対して以下のように質問した部分が、「内閣法制局・公
明党合作説」の評価に直結すると感じました(36分~)。
 
宮台真司 そこで質問なんですがね、今ここで議論しているような「実態はこうである」という事柄は、アメリカの政府にはどの位シェアして割れて(?)いるんでしょうか?
 
 外信が伝えるヘーゲル米国防長官の「歓迎声明」などを素直に読めば、今回の「閣議決定が、実質的には従来の政府解釈から一歩も出ていないと考えているようには到底思えませんからね。
 
 ただ、「閣議決定」の読み方は決して一様ではないということを心にとどめるためにも、木村草太氏の非常に示唆に富む解釈にじっくりと耳を傾けることが重要だと思います。
 
 なお、基本的には木村氏と同様の立場に立つ論客として木村氏が名前をあげている佐藤優氏に対するインタビュー構成記事が公明新聞WEB版で読めますので、これも参考までにご紹介しておきます。
 
公明新聞:2014年7月6日(日)付
“戦争への懸念”取り除く 虚心坦懐に全文を読めば明らか
作家・元外務省主任分析官 佐藤 優氏
 

(付録)
『自分の感受性くらい』 原詩:茨木のり子 作曲:中川五郎 演奏:中川五郎